第14話 ヒノミコ
「…それにしても、当主、どうされたんです? この結界の張りように、さっきの怪我…。あまりに、滅茶苦茶です」
ナオは、居心地悪さに話題を変えた。
「申し上げたでしょう? わがままを通しているんです。先程いらした結弦さんの妹・結依さんは、
「…は?」
ナオは口を半開きにしたまま、辺りを見回してしまっていた。
当主は表情も変えずにさらりと言ったが、その内容は、相当なトップシークレットのはずだった。
『
天の守護を受けた日本古代の巫女であり、一族の各家が特殊な能力を持ち合わせることは、彼女の影響であると言われている。
しかし、一族の間ですら、
(結依ちゃんと、
ナオは、当主の顔を再度見た。
これまで感じたことのない緊迫感が、当主の周囲にまとわりついているように感じて、ナオの背筋がゾクッと凍った。
「彼女にはまだ、
当主は言った。穏やかさの中に、張りつめた緊迫感が伝わってきた。
「じゃあ、当主の怪我も、結依ちゃんを狙ったやつらに?」
「…違います」
当主は、言いにくそうに目を伏せたが、
「だとしたら、彼女自身? 無意識か、コントロールできてないってことか…。当主相手に、なんて力…」
ナオはすかさず切り返し、手を口に当て青ざめた。
当主が、人を相手に怪我を負うことなど滅多にない。武器弾薬、多勢、裏切りなどの要因が相当重ならなければ、かすり傷ひとつ、つけることはできない。
「他言無用に願います。特に、結依さんには」
当主の声色と目が、明らかに変わった。
「承知、しました…」
ナオには、それ以上聞き込めない領域に感じて、次の言葉が出てくるのに、たっぷり十秒は要した。
「紅さんが、当主のお気に入りだと…」
「お気に入り、というのは語弊がありますね。彼女をなんとしても護り抜きたい。ですから、これぐらいの無茶、喜んでしますよ」
ナオは、当主の確固たる決意を読み取って、その目から視線を外せなくなっていた。
「…ナオさん、任務へ戻ってはいただけませんか」
当主は、ナオの目を真っ直ぐに見て言った。
―この人は、軽い気持ちで、誰かへの想いを口にしたりはしない。思いつきで行動したりしない。
自分なんかを、こうも易々と信頼する、この人の力になりたい。
必要とされるなら、任務に戻って支えたい。交換条件なんかじゃなくて、心からの本願として。
だけど…、それは、できない―
ナオにとっての返答は、ノーだ。決まりきっていた。それでも、言葉がすんなりと出てこなかった。
何度も迷った唇だけが、はがゆそうに空気をまとった。
「…少し、お時間をいただいても、…構いませんか」
ナオの喉からは、そう言葉がついて出た。
その言葉に戸惑ったのは、ナオ自身だ。今日は、言葉と思考がうまく噛み合わない。
「もちろんです。ナオさんご自身が納得して出された結論をお聞かせください」
当主は感情をのせず、あくまで事務的に続けた。
「ただ、朝まで過ごされていたお部屋ではもう、安全が担保できなくなりました。必要なものは手配するので、しばらくはこちらか、灰屋、天野、篁の庇護のもとで、お過ごしください」
「…はい」
やはりと言うべきか、ナオは小さくため息をついて、目の前に用意されたお茶をすすった。とはいえ、味も分からなかったが。
「あともうひとつ、お願いしたいのですが」
「はい、なんでしょう」
ナオは湯呑を置いて、顔をあげた。
「結依さんは、誘わないでもらえます?」
真剣な瞳の鋭さに、威嚇するような当主の表情に、ナオは身震いしたまま、後ろにのけぞそうになった。
明らかな敵意だったが、ナオには不思議な高揚感が沸き起こっていた。
「…承知しました。…その、言っていいのか、俺、初めて当主の本音を聞いた気がします」
「そうですか? これまでも散々、ナオさんには無理な要求をしてきていますよ」
当主は、普段の穏やかさに戻って言った。
「いや…。当主としての立場で、必要あっての依頼じゃなくて、当主自身から湧き出る欲求みたいな、そういう願いって、俺聞いたことなくて。当主が私情挟むなんて、天地ひっくり返るくらい、俺今、身震いしましたけど」
ナオは早口になって言った。
「そうでしょうか。わがままなだけです。ナオさん、希望を申し上げるなら、私に力を貸していただきたい。今、喉から手が出るほどに、私にはあなたが必要です」
当主は、先ほどよりは軽く、しかし強烈な引力でもってナオを誘った。
「俺に強制はしないし、俺の希望も叶えちゃくれない。でも、俺が欲しい。…確かに。当主、わがままが過ぎますよ」
「本当ですね。聞き流してください」
流せるものかと、ナオは思いながらも苦笑して返した。
当主の穏やかな微笑みに魅了され、策略にまんまとはまってしまいそうになる自分が、ナオ自身、どうにも嫌いになれずにいた。
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