第14話 ヒノミコ


「…それにしても、当主、どうされたんです? この結界の張りように、さっきの怪我…。あまりに、滅茶苦茶です」

 ナオは、居心地悪さに話題を変えた。

「申し上げたでしょう? わがままを通しているんです。先程いらした結弦さんの妹・結依さんは、日御子様ひのみこさまと魂が共鳴しています」

「…は?」

 ナオは口を半開きにしたまま、辺りを見回してしまっていた。

 当主は表情も変えずにさらりと言ったが、その内容は、相当なトップシークレットのはずだった。


 『日御子様ひのみこさま』とは、一族祖先の中心人物で、歴史上では『卑弥呼ひみこ』と呼ばれるシャーマンだ。

 天の守護を受けた日本古代の巫女であり、一族の各家が特殊な能力を持ち合わせることは、彼女の影響であると言われている。

 しかし、一族の間ですら、日御子様ひのみこさまについてはあまり知らされていない。一族のトップである当主が、偶像崇拝を禁止するために、詳細を内密にしているからだ。


(結依ちゃんと、日御子様ひのみこさまの、魂が共鳴…?)

 ナオは、当主の顔を再度見た。

 これまで感じたことのない緊迫感が、当主の周囲にまとわりついているように感じて、ナオの背筋がゾクッと凍った。


「彼女にはまだ、日御子様ひのみこさまのご記憶はないのですが、先日印が出ました。徐々に、記憶や何らかの能力が目覚める可能性があります。異変を嗅ぎ取った人々が、動き始めています」

 当主は言った。穏やかさの中に、張りつめた緊迫感が伝わってきた。

「じゃあ、当主の怪我も、結依ちゃんを狙ったやつらに?」

「…違います」

 当主は、言いにくそうに目を伏せたが、

「だとしたら、彼女自身? 無意識か、コントロールできてないってことか…。当主相手に、なんて力…」

 ナオはすかさず切り返し、手を口に当て青ざめた。

 当主が、人を相手に怪我を負うことなど滅多にない。武器弾薬、多勢、裏切りなどの要因が相当重ならなければ、かすり傷ひとつ、つけることはできない。


「他言無用に願います。特に、結依さんには」

 当主の声色と目が、明らかに変わった。

「承知、しました…」

 ナオには、それ以上聞き込めない領域に感じて、次の言葉が出てくるのに、たっぷり十秒は要した。


「紅さんが、当主のお気に入りだと…」

「お気に入り、というのは語弊がありますね。彼女をなんとしても護り抜きたい。ですから、これぐらいの無茶、喜んでしますよ」

 ナオは、当主の確固たる決意を読み取って、その目から視線を外せなくなっていた。

「…ナオさん、任務へ戻ってはいただけませんか」

 当主は、ナオの目を真っ直ぐに見て言った。


―この人は、軽い気持ちで、誰かへの想いを口にしたりはしない。思いつきで行動したりしない。

 自分なんかを、こうも易々と信頼する、この人の力になりたい。

 必要とされるなら、任務に戻って支えたい。交換条件なんかじゃなくて、心からの本願として。

 だけど…、それは、できない―


 ナオにとっての返答は、ノーだ。決まりきっていた。それでも、言葉がすんなりと出てこなかった。

 何度も迷った唇だけが、はがゆそうに空気をまとった。


「…少し、お時間をいただいても、…構いませんか」

 ナオの喉からは、そう言葉がついて出た。

 その言葉に戸惑ったのは、ナオ自身だ。今日は、言葉と思考がうまく噛み合わない。


「もちろんです。ナオさんご自身が納得して出された結論をお聞かせください」

 当主は感情をのせず、あくまで事務的に続けた。

「ただ、朝まで過ごされていたお部屋ではもう、安全が担保できなくなりました。必要なものは手配するので、しばらくはこちらか、灰屋、天野、篁の庇護のもとで、お過ごしください」

「…はい」

 やはりと言うべきか、ナオは小さくため息をついて、目の前に用意されたお茶をすすった。とはいえ、味も分からなかったが。

「あともうひとつ、お願いしたいのですが」

「はい、なんでしょう」

 ナオは湯呑を置いて、顔をあげた。


「結依さんは、誘わないでもらえます?」


 真剣な瞳の鋭さに、威嚇するような当主の表情に、ナオは身震いしたまま、後ろにのけぞそうになった。

 明らかな敵意だったが、ナオには不思議な高揚感が沸き起こっていた。

「…承知しました。…その、言っていいのか、俺、初めて当主の本音を聞いた気がします」

「そうですか? これまでも散々、ナオさんには無理な要求をしてきていますよ」

 当主は、普段の穏やかさに戻って言った。

「いや…。当主としての立場で、必要あっての依頼じゃなくて、当主自身から湧き出る欲求みたいな、そういう願いって、俺聞いたことなくて。当主が私情挟むなんて、天地ひっくり返るくらい、俺今、身震いしましたけど」

 ナオは早口になって言った。

「そうでしょうか。わがままなだけです。ナオさん、希望を申し上げるなら、私に力を貸していただきたい。今、喉から手が出るほどに、私にはあなたが必要です」

 当主は、先ほどよりは軽く、しかし強烈な引力でもってナオを誘った。


「俺に強制はしないし、俺の希望も叶えちゃくれない。でも、俺が欲しい。…確かに。当主、わがままが過ぎますよ」

「本当ですね。聞き流してください」

 流せるものかと、ナオは思いながらも苦笑して返した。

 当主の穏やかな微笑みに魅了され、策略にまんまとはまってしまいそうになる自分が、ナオ自身、どうにも嫌いになれずにいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る