第10話 単なるニート

「病院は、手配したから。終点の東京駅で降りたら、ホームで待機してる、スタッフと一緒に移動して。朔也の鼓動、しっかり聞いてあげてね?」

 ナオはスマホをポケットにしまい、結弦との通話とは一転、穏やかに言った。


 ナオの言葉に促されるように、ゆきはうなずき、真っ赤に泣きはらした顔で、不思議そうにナオを見返した。

「…あなたは、…その、お医者さま?」

 ゆきのたどたどしい質問に、ナオは一瞬きょとんとしたあと、

「俺? 単なるニート」

 と、自分で自分の顔を指さしながら、ニヒッと、ゆるんだ笑顔で答えた。

「…」

 ゆきは返答に困って、しばらくまばたきを繰り返すばかりだった。


「あのっ…」

 ゆきが、他にも何か聞かなくてはと声を発したと同時に、

『ナオ、次の駅で待ち伏せされたらかなわん。乗り換えるで。急いで降り!』

 と、紅がうしろからせかした。

 ゆきには紅の言霊は聞こえないが、車内アナウンスは、繰り返し到着駅を告げていた。

「ごめんね、俺もう行かなきゃなんないけど、どうか自分を責めないで。朔也は嬉しそうだよ。これからもママに笑顔でいて欲しいって、ありがとうって、ずっと言ってる」

 ナオはゆきの手を上から覆うと、早口に、しかし真剣に言葉を伝えた。

「…はい」

 ナオは、何度もうなずくゆきに再度、懐っこい笑顔を向け、朔也に別れを告げると、ゆきに触れていた手をそっと離した。


 紅は通路で手招きしたあと、すぐに視界から消えた。ナオは素早く駆け、閉まりかけたドアをすり抜けるように車外へ出た。


 振り返った車内では、ゆきが窓越しにホームを左右くまなく見ているのが見えたが、ナオの姿を確認できないまま、列車は走り去った。

 見えないと分かっていて、ナオは大きく手を振った。


 ゆきと朔也を見送るナオの隣では、紅が冷たい目線を送りながら、

「ナオの頭は、どこまでアホなん? 勝手に一般人診察したうえ、電話で行き先しゃべるとか、ほんっまありえん。電話さえ使わな、あの妊婦にも付き添えたんに…。自己満も結構やけど、後先考えんと突っ走りよって…」

 と、呆れ顔でねちねち愚痴っていた。

 全くの正論で、ナオには反論のしようがなかった。

「…ですね。すいません」

 ナオは肩をすくめて謝った。


「まぁ、ええわ。車はもう一台手配するさけ、迂回して行こか」

 紅はため息交じりに言うと、周囲を見回しホームを移動し始めた。が、ナオはうつむき立ち止まったまま、動こうとしなかった。

「…どないしたん?」

 紅が振り返って尋ねると、

「いや…。あの妊婦さんの手、めっちゃ柔らかくて、あったかかったなぁ~って」

 ナオは、ゆきに触れた両手を見つめながら、ポッと頬を赤らめて言った。

「ほんま、ほんっま、ナオはいっぺん死んだらええ!」

 紅は、殺気入り混じる声で、本日三度目となる台詞を吐き捨てた。

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