第2話 ナオ

 愛香のように、本人が心から治療を拒む場合、ナオが治療することは難しい。

 本人の意志と治癒力が相殺され、術は完治の方向へ発動しづらくなる。

 

 そうでなくても、治すことが逆効果なら、治せない。

 見た目は限りなくそのままに、内部の痛みをわずかにやわらげる気休めの術を、ナオは密かに施すことしかできなかった。


「逃げたって、いいんだよ?」

 ナオは、白い右の頬をなでて優しく言ったが、愛香はまたしても、首を横に振った。

 両手でスマホを握りしめ、

「ありがとう」

 と、愛香は言った。

 弱々しい笑顔の奥に、愛香の恍惚さを隠れ見たナオは、それ以上何も、言えなくなった。


 愛香はベッドから下りて着替え、大きな白いマスクをつけると、見えない糸に導かれるように部屋を出て行った。



 玄関ドアが無機質に閉まった後、はぁぁ〜、とナオは大きくため息をついた。

 傷ついた女性を見ると、つい流れでこうなって、激しく後悔する。

 それでも抱き合っている束の間は、互いが少しだけ現実から離れられる気がして、繰り返してしまうのだ。


 いずれ、また痛い目をみる…と予感しつつ、しっかしなんで、今日の夢はよりによってあの、ちっさい子なんだ。少女てか幼児だろ。さすがにロリコンの性癖はないぞ、と思いながら、ナオはベッドから起き上がった。



 冷蔵庫から、飲みかけのビールを取り出して飲むと、瞬時にぐらぁっと視界が回った。

(う~、何だったかな、あの子の名前…)

 ナオがそんなことをぼんやりと考えながら、ふらつく足取りでシャツを羽織ったところで、言霊がふわりと届いた。


『おはようございます』

 とたんに、ナオの全神経が逆立った。

 三瀬みつせ宗家当主・青月せいげつからだ。

『本日の面談、覚えていらっしゃいますか? お越しいただけそうなら、お知らせください』

 当主の穏やかな声が脳内に響き、身の毛がよだつほど、ナオは現実に引き戻された。


 『言霊ことだま』とは、ナオを含めた一族が会得した、空間を超えた思念の伝達をいう。

 言葉そのものの他に、伝達者本人の感情が直接伝わりやすい性質を備え持っている。

 その中でも、一族当主•青月の言霊は別格だ。ナオに言わせると、「神経の奥まで迫る気がする」代物だ。


 今日は年に一度、東京の本家で行われる面談の日であることを、ナオは今更ながらに思い出した。昨年もすっぽかしている。

 当主からのお咎めはなかったが、周囲からは普通に怒られた。


「…」

 当主は、ナオに強制しない。

 それは、余計にナオの息苦しさを増長させた。


 ナオは、充電器に立て掛けたスマホを手に取り、何気なく本家の電話帳を開いたが、電話をかける気にはなれなかった。

 時計はすでに十時を回っている。今から用意したところで、約束の時間である一時に、到底間に合わない。


 



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