赤黄色の月。
ヲトブソラ
赤黄色の月。
赤黄色の月。
薄暮の空、色付いたイチョウの樹に月がぶら下がっていた。空に向けた鼻に触れる甘い香り。今年もこの季節が来たのか、と、思いながら香りを辿って歩いてゆく。橙色の可愛い花を付ける木、
金木犀だ。
子どもの頃、祖父母の家に遊びに行った時。お手洗いの窓枠に置かれたジャムの空き瓶に金木犀の花が生けられていた。夕暮れ、赤みがかり、浮かぶ雲。とうに陽は地に沈み、紺に向かっていく空を背景に、甘い香りと橙色の花が夜空の手前で月のように浮かぶ。初めての香りと黄金の月のような花。覚えている限り、初めて“綺麗”と胸が締め付けられ、心が揺れた幼き想い出だ。
それからしばらく経ち、小学校に入ったある日の事だった。お手洗いで、あの日に似た香りが鼻をくすぐったのだ。香りを探していると換気の為に開けられた窓、その窓枠の上に置かれた赤黄色のかたまり。黄金の月のようなかたまり。
わたしはその甘い香りのする赤黄色の月の石が欲しいと願ってしまった。
その気持ちは数日経っても消えず、むしろ、お手洗いに行く度に大きくなるばかり。だから、ある日の放課後。生徒たちがまばらになった校舎。まだ蛍光灯だった照明がちかちかと照らす青い廊下、夕陽でしましまになった冷たいコンクリートの上で、何度も、何度も、周りを確認してから、お手洗いのドアが音を立てないようにゆっくりと開いた。
薄暗いお手洗いに甘い香り、開けた窓から入ってくる校庭で遊ぶみんなの声。わたしはひとりで気分は怪盗やお宝探しの冒険者のようにときめいている。
甘い香りのする赤黄色の月をひと欠片千切り、スカートのポケットに入れた。
いけない事だと知っていたけれど、よく分からない罪悪感と体の中心の押し付けが体と心を急がせ、校門を出てから二丁目の角にある豆腐屋さんを曲がっても追いかけてくる。心臓が身体の中から早く打ち、体が跳ねるんじゃないかと思い、何度も、何度も泣きそうになった。家に帰ると苺ジャムの空き瓶に赤黄色の月を入れて、ひと息。蓋を閉めても、やわらかく香る月の石が奪い返されないように胸の中に抱えて夢に落ちたのだ。
翌朝、いつものようにうるさい時計で目覚め、眠たまなこで顔を洗い、ご飯を食べてながら、テレビの占いを確認してから部屋に戻る。ランドセルに教科書を入れたら、寝る前に出していた今日の服に着替えた。
だけど、今日からは違う、昨日までとは違うのだ。
瓶の蓋を開けて月の石をまた小さく千切り、ポケットの中に入れると今日から始まる日に胸をときめかせた。今日からは違う昨日の続き。金木犀の香りとともに登校したほんの少しの違い、大きな、大きな、昨日とは違う今日。
今思えば、初めて香りを纏うというお洒落を覚えた日だったのだろう。
皆、金木犀の香りを嗅ぐと“初恋”や“郷愁”を覚えて、胸が締め付けられると言う。わたしはそれらと違い、幼き心に芽生えた“お洒落”というときめきに、今も心が躍るのだ。
イチョウにぶら下がった月に手を振り見送って、香りを追いかけ入った細い路地。古い木造家屋の板塀を越えて、路地の暗闇を照らす街路灯にときめきの赤黄色の月がたくさん浮かんでいた。
赤黄色の月。
おわり。
赤黄色の月。 ヲトブソラ @sola_wotv
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