第13話 真面目系女子さん、スポーツ系女子さんを褒める

「8月ぐらいにね、3年生の先輩に告白されたんだ」


 旧校舎の部室へと一緒に向かう途中、加奈は僕の方を見ることなく、特に感情を込めることなく淡々と、まるで昨日の出来事でも思い出すように語り始める。


「その時は断ったんだけど、その先輩のことが好きだった2年生の先輩がね、私のことが気に入らなかったんだろうね。その日からいじめのターゲットにされちゃったんだ」


「………」


 もしかしたら何か言ってあげた方が良いのかもしれない。しかし、加奈はまだ話し足りないようで、僕の言葉を待つまでもなく続ける。


「最初は無視されたりとか陰口を言われたりとか、小さい嫌がらせからはじまって、そのうち靴を隠されたり、廊下でいきなり背中を押されたり、ネットでパパ活してるって噂されたり、だんだんエスカレートされてね」


 ――覚えてる?と加奈は言う。


「久しぶりに会った時、体操着洗ってたでしょ?あれはね、体操着になにか変な液体がついてたから、洗ってたの」


「え?それはもう危ないな。いじめの領域超えてね?」


「うーん、そっか。そうだよね」


 けっこうガチめのいじめを受けている気がするのだが、もうどうでもいいみたいな、投げやりな感じで加奈は続けて言う。


「そういえばね、先輩に一緒にカラオケに行こうって誘われたことがあったの」


「う、うん」


「私ね、もしかしたらもう止めてくれるのかな、ってちょっと期待してたんだ。でもね、カラオケに行くとね、知らない男の人がたくさんいて…怖くて逃げちゃった」


 それは、逃げて正解かもな。


「なんでこんな辛い目に遭ってまで学校に行かなきゃいけないんだろう?別に好きでもないのになんで陸上を続けないといけないんだろう?やりたくないからやる気を出さずに適当に練習したら先生に怒られて、なんで私が怒られないといけないんだろう、ってずっと思ってたんだ。別に悪いことしてるわけでもないのに。私はなにもやってないのに」


 それは、確かにしんどいかもな。


「でももう終わり!これでもう悩む心配はないね!だってもう陸上部、辞めちゃったもん!」


「うん?うん、そうだな」


「ねえ、高藤くん。私ね、体操着貸してくれるって言われた時、本当に嬉しかったんだよ」


 それは、ああ、再会したときの話か。


「誰も助けてくれなくて、みんなが私に頑張れって無理強いする中で、高藤くんだけが助けてくれた。だからね、本当に感謝してるんだ」


 ありがとう――と加奈は笑顔で言う。


 その笑顔はんだかとても痛々しくて、必死に感情を我慢しているようにも見えた。


 たぶん、わかってるのだ。そんなのは本当の意味で彼女の助けになってないって。でもそう言って納得しないと、加奈の心が壊れてしまうのだろう。だから今は、我慢するしかない。


 言いたいことはある。でも言えない。言っても意味がないから。


 僕らは一緒に歩き、旧校舎へ。そして部室へと向かう。果たしてこんなメンタルがボロボロの加奈を褒め部なんぞに連れて行って良いのだろうか、そんな気がしてならなかった。


 部室の前につくと、扉の隙間から明かりが漏れている。どうやらまだ夜霞さんはいるようだ。


「えっと、ここがうちの部室ね。だいたい放課後はいつもここで活動してるから。いつでも好きに来ていいぞ」


「うん、わかった」


 そう言って扉を開ける。部室の中の明かりが漏れて暗い廊下を照らす。


 部室には一人だけ、夜霞さんがいた。


 夜霞さんはこちらに気づくと、声をかけてくる。


「……?どうしたんですか?そんなところにいたら寒いですよ?中に入ったらどうですか?」


「え、ああ、そうですね。あれ?水梨さんは?」


「燕ならバイトのミーティングがあるとかで帰りましたよ?」


「ああ、そうなんだ。じゃあ加奈、どうぞいらっしゃいませ」


「うん、おじゃましまーす」


 こうして褒め部の部室に加奈は入る。僕が扉を閉めると、夜霞さんに「どうぞ好きな席に座ってくださいな」と促される。


「では改めまして。私、褒め部部長の夜霞結衣です。えっと、これでお会いするのは二回目ですね?」


「うん、そうだね。昨日、会ったよね。宮古加奈です。えっと、今日からお世話になります」


「いえいえ、こちらこそようこそおいでくださいました。宮古さんを歓迎しますよ」


 とにっこり、自然な笑みを浮かべる夜霞さん。さっきまでアヘアへしていた人と同一人物とはとても思えない、いたって普通の態度である。


 夜霞さんはこの褒め部のことを簡単に説明。水梨さんの時と違って、要領よく簡潔にまとめてくれる。


 成長したんやなあ。


「ということでこの部活のすることはいたってシンプル。要は相手のことを褒める、それだけです」


「へえ、そうなんだあ。なんか楽しそうだね!ね、高藤くん!」


「お、おう、そうだな!」


 さきほどガチで重い話を聞いたばかりなだけに、なんというか、反応に困るな。


 夜霞さん、お願いします、変なことは言わないでね!


「ふふ、理解が早くて助かります。では本日は新人部員さんのために、私が宮古さんのことを褒めて癒して差し上げましょう」


 やっべ。なんかやらかすかもしれねえ。


 ど、どうしよう?止めた方が良いかな?しかしここで止めたらなんか不自然だし。


 ダメだ。こうなったら流れに身を任せるしかねえ。


 こうして僕はとにかく事態の推移を見守ることにした。だってここは褒め部。褒める以外にすることないんだもん。


「へへ、なんか知り合ったばかりの人に褒められるって、なんか緊張しちゃうね」


 となんだか恥ずかしそうな笑みを浮かべながら加奈は夜霞さんの方を向く。夜霞さんも椅子を前にずらし、加奈の方をじっと見つめる。


「といってもまずは相手のことを知らないと褒めようがないので、とりあえずいろいろお話でもしましょうか?」


「うん、いいよ。っていってもなに話そうか?」


「そうですねえ。そういえば宮古さんは陸上部だったとか」


 あ、やっべ。


 夜霞さんとしてはただ純粋に善意から質問をしただけなのだろう。そこに悪意はない。それはわかっている。だが、今このタイミングで陸上の話をするのはマズイかも。


 嫌な汗が背中を伝う。頼む、これ以上事態を悪化させないで!


 そんな僕の杞憂のせいか、加奈の表情がちょっとだけ強張ったような気がした。


「うん、そうだよ。でも辞めちゃったけどね」


「ああ、そうなのですか。高藤くんから卓球が昔は得意だったと窺っていたのですが、やはりそちらの方が良かったのですか?」


 ああ、そういえばそんな話をしたような気がする。


「え、卓球?いやー、どうだろう?得意っていっても遊ぶ程度だし。別に部活でやるほどではないかな?」


「その気持ち、わかるかもしれません。私もケーキとか甘いものが好きですが、ではケーキ屋さんでバイトしたいかって言われたら、そこまでやりたいわけではないですからね。あくまで食べる分には好きだけど、仕事にしたいわけではない、そういう感じでしょうか?」


 夜霞さんは本当によくしゃべるなあ。


 そんな僕の感想などよそに加奈は、「ふふ、そうだね」とおかしそうに笑ってくれた。


 おや、これはもしかして、悪くない空気なのでは?


 夜霞さんのクソ真面目な思考が今回は良い方向に働いているのではないのか?これは期待しても良いのだろうか?


「ちなみに部活はなんで辞めたんですか?」


 やっぱダメかもしれねえ。それ今聞くのはヤバいって夜霞さん!


「ん?別にたいした理由じゃないよ。ただね、やる気がなくなっちゃって」


「ああ、なるほど。私もそういう経験あるので、ちょっとわかりますよ。あれはですね…」


 などと夜霞さんがなにか思い出話をしようとしたのだが、それを加奈が遮ったので結局なんの話をしようとしたのか、わからず仕舞いだった。


「わかるってどういうこと?」


 なんか、空気が変わったな。


 いや、もしかたら加奈はずっとこんな感じだったのかもしれない。ずっとこういう張り詰めた感情を胸に宿していたのかもしれない。


 ただ、我慢していただけだ。それが今、表に出てしまったのだろう。


「わかるってどういうことですか?なんで初対面のあなたに、私の気持ちが理解できるのですか?」


「うん?私はまだそこまで聞いていないはずですが?」


「なら教えてあげます」


 空気がだんだんと張り詰めていく。なんだか重苦しく、息苦しい。夜霞さんは加奈の雰囲気が変化したことに気づいてないのだろうか?


「私ね、陸上部の先輩にずっといじめられてたんです。トイレにいたらいきなり水をかけられたり、教科書を勝手に破られたり、勝手に下着姿を盗撮された画像をバラまかれたり、いっぱいいっぱいいじめらてたんです。そういう経験、あなたにもあるって言うんですか?」


 ああ、これは怒っている。そうか、加奈は悲しかったんじゃなくて、本当は怒っていたんだな。この理不尽な状況に対して、ずっと苛立って、怒って、それを誰かにぶつけたかったのかもしれない。


 でも我慢していた。必死に我慢していた。でも我慢なんていずれは限界がくる。それが今、爆発してしまったのだろう。


 夜霞さんはじっと加奈の方を見つめながら、彼女の言葉を黙って聞く。


「ねえ、どうなんです?あなたはこういういじめられた経験あります?私の気持ち、本当に理解できるんですか!」


「……」


「辛かった。嫌だった。なにもかも嫌だった。はやく終わってほしかった。助けてほしかった。でも誰も私のことを助けてに来てはくれなかった…」


 ただただ感情に任せて言葉を発する加奈。気づけばその目からは涙が溢れている。


「普段は私のこと、才能がある、お前ならできる、とか綺麗ごとばっかり言ってる奴に限って私が本当に助けてほしい時はなにもしてくれない。口だけ。偉そうなことを言う奴に限ってなんの役にも立たない。いらない、そんな役に立たない言葉なんていらないよ!私は、ただ、普通に、普通に、生きたいだけなのに…」


「宮古さん」


 ――辛かったんですね、と夜霞さんは言う。


「だから、そういう綺麗ごとは…」


「でも辛かったのは本当なんですよね?」


「それは、その…」


「本当はすごく辛いのに、今まで頑張って耐えてきたんですね」


「…うん」


「そんなに辛いのに、よく今まで頑張りましたね。すごく偉いですよ。でももうそこまで頑張る必要はありません」


 ――もう頑張らなくていいんですよ、と夜霞さんは加奈に伝える。


「それは、その、ほ、本当に?もういいの?」


「はい、もちろんです。ここには宮古さんを責める人はいませんよ。だからもう、大丈夫ですよ」


 夜霞さんは優しく加奈に語りかける。だんだんと加奈の怒りが沈静化して、その代わり涙が溢れ、声も震えている。


「…う、うう、う、ぐす、うう、私、本当に辛くて」


「はい、そうですよね、当然です、そんなの辛いに決まってますね」


「本当に毎日が嫌で、もう死んだほうが楽かなって」


「本当に酷い話ですね。宮古さんがそう思うのも当然です」


「でもみんな、私に頑張れって、もっとやる気出せって、才能があるからお前なら出来るって…みんながそう言うから私、我慢して頑張ったのに…もう無理なのに…これ以上はもう頑張れないのに、なんで私ばっかり、そんな努力しないといけないの…?」


「そんな辛い中、とても頑張ってこられたんですね。でもいいのです。もうその頑張りは、終わったんですよ」


「う、うう、うん、よかった。終わってよかったよ」


「宮古さん。もう大丈夫です。大丈夫ですから。もうこれ以上、無理をして頑張らくていいですよ」


 夜霞さんはそっと加奈に寄り添うと、ぎゅっと彼女を抱きしめた。夜霞さんの胸の中で、加奈は静かに泣いていた。


「今までよく頑張りました、宮古さんは偉いですよ」


「…うん、ぐす、ありがとう」


 夜霞さんの胸の中に加奈は顔を埋めているのでどんな顔をしているのかわからない。だが、なんとなく、彼女の中にあった何か暗いものが無くなっていった、そんな気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る