第12話 スポーツ女子さん、スポーツ辞めるってよ

「あ、あん。そこ、そこです。そこ、すごくいい…あん」


「ふふーん。ここか?ここが気持ち良いのか?まったく、お前はこの弱点を突かれるとすぐクソ雑魚になるなあ」


「ひ、ひどい!そんな酷いこと言う人なのに、なんでこんなに私を気持ち良くできるの?」


「くっ、こいつ、やられながらもちゃんと褒めてきやがる。まったく、その逆境にもめげない精神、最高だぞ」


「はぅ!も、もう、燕は褒め上手だね」


「お前もな、結衣。お前と一緒にいるといつも楽しいぞ」


「えへ、えへへへ」


「ぷぷ、ぷぷぷぷ」


「なにやってんすか君ら?」


「「え?褒め合ってるんですがなにか??」」


 放課後の褒め部の部室にて。黒髪真面目系女子にして褒め部の部長の夜霞さんが、ダウナー系メスガキ女子の水梨さんに耳かきをされながらなんとも気味の悪い笑顔を浮かべて喜んでいた。


 なんという光景なのだろう。こっちは加奈の件で真面目にいろいろ悩んでいるというのに、こいつらときたらアホみたいに遊んでやがる。


 はあ、なんだか真面目に考えるのがアホらしくなったな。


 今朝、加奈が陸上部を辞めたというニュースを夜霞さんから教えてもらって以来、もしかして僕のせいで辞めちゃったのかなあ、なんていろいろ悩んでいた。


 しかし、今はっきりとわかった。僕のせいじゃねえ。


 こんなアホみたいな部活もといサークルに入っているようなアホの一員である僕に、陸上部のエースを辞めさせるような影響力など皆無に決まってる。


 きっとたまたま辞める予定だったのだろう。そんでちょうどタイミングよく僕という存在と出会ったことで、まあ他にやることないから褒め部にでも入るかあ、みたいな軽いテンションで決めたのだろう。


 ふむ。そうだ、そうに違い。なんだよ、いろいろ心配して損しちゃったぜ。


 ぴろん♪


 む?スマホになにかメッセージが。


『高藤くん!部室ってどこにあるの?』


 おっと。噂をすればなんとやら。加奈からのメッセージだ。どうやら部室の場所がわからないらしい。


 よし、迎えに行くか。


「夜霞さん」


「えへへ、えへへへへ、へ?なんですか?」


 見れば、夜霞さんは水梨さんの耳かきASMRアタックの心地良さにすっかりハマっているようだ。そらそーよ。だって水梨さんって、こういう事のプロだもんな。人気Vtuberは伊達じゃねえよ。


 あの普段は綺麗に整っている黒髪が今ではざっくぱらんに乱れに乱れ、目は快感にとろとろに蕩かせ、口からはよだれが垂れている。


 ふむ。普段はクールぶっているあの美少女の夜霞さんが、今やただのアホにしか見えない。大丈夫だろうか?


「加奈…宮古加奈が実は褒め部に入りたいそうなんですが」


「え!そうなのですか?ふふ、ふふ、ということはこれで部員は四人。あと一人集まればサークルから部活へと昇格できますね!」


 ああ、そういえばここサークルだったね。


「あれ?加奈を入れることノリノリですね」


「それはそうですよ。部員が増えることを歓迎することはあっても否定することはありません」


 と断言する夜霞さん。


 この人、一見すると思慮深い女性に見えるのだが、もしかして実はなにも考えてないのだろうか?


 だって、僕、この人から聞いたんだよ?宮古加奈は県大会にも出るようなガチで才能のある陸上部のエースだって。


 そんなエースさんが陸上部を辞めて褒め部とかいうアホみたいなサークルに入るって言ってんだよ?なんか思うところないのだろうか?


 …ないね。


 夜霞さんは今、水梨さんの耳かきASMRのおかげでとても気持ち良さそうな顔をしている。ここだけ切り取って見たら、純度の高いドラックでもキメているような有様だ。


 これはなにも考えてない顔だね。


 まあ、それならそれでいいか。部長が歓迎してるって言うなら、僕としても別にどうこう悩むことではないのだから。


 そうだよな。部長が良いって言ってんだ。じゃあ問題ないか!


「じゃあ今から加奈を連れてきますね」


「はーい、待ってまーす。えへへ、えへへ、す、すごいよ燕」


「お、出かけるのか?いってらー。お土産たのむぞー」


 そういえば、いつの間に夜霞さんは水梨さんのことを名前の燕って呼ぶようになったんだ?すごい仲の進展具合だ。


 メッセージによれば加奈は現在、新校舎の玄関前にいるらしい。ふむ、グラウンドを横切ることになるな。


 待たせたら悪いので僕は速足で他の部活動の邪魔にならないように、隅っこを進んでいく。


 やがて新校舎が見えてくる。その新校舎に向かうと、加奈がいた。なんか別の女子と話してるな。ショートカットの褐色女子が加奈とすると、ツインテールのあの女の子は誰だろう?なんか剣呑な雰囲気だな。ケンカか?



「今ならまだ間に合うから!部活に戻ろうよ、加奈」


「またその話?私、もう辞めたから関係ないよ」


「そんなのおかしいって!だって加奈、才能あるんだよ!」


「それは…あっ!おーい高藤くん!じゃあ夏美、新しい部活に入ったから、もう行くね」


「え、ちょっと待ってよ!」


 なんか、すごい厄介な場面かもしれない。


「高藤くん!待ってたよ!」


「お、おう、えーっと、邪魔しちゃったかな?」


「ううん、大丈夫だよ。じゃあ行こ!」


「待ってよ加奈!」


 とりあえず加奈を伴って部室に戻ろうと思ったのだが、呼び止められる。いや、止められたのは加奈であって僕ではないのだが…


 ふむ。じゃあ無視していいか。


「もういい加減…え?高藤くん、ちょっと待って」


「え?いや、ちょっと、待ってって言ったでしょ!」


 あ、今の僕も入ってたのか。無視なんかして悪いことしたかな?


「え、僕ですか?なにか御用でしょうか?」


「あんたでしょ!」


「なにがですか?」


「だから、あんたが加奈を陸上部から引き抜いたんでしょ!」


「え、違いますよ」


「え?違うの?」


「違いますよ。それ、人違いですよきっと」


「え?そ、そうなの?ご、ごめんなさい。間違えたみたいで」


「いや、いいです。じゃあ加奈、新しい部室を案内しよう」


「いや、やっぱりあんたでしょ!」


 ええ!なんで今の流れで僕のせいで加奈が辞めたって理屈になるの?僕は加奈が

新しく入部した部活を案内しようと思っただけなのに!なんかおかしくない!


「ちょっと、あんた、誰だか知らないけどどういうつもり?」


「あ、はい、はじめまして。高藤氷月です」


「名前なんて聞いてないわよ!」


 ええー、だって誰だか知らないって言うから、名前を教えたのに。なんで文句言われないといけないの?


 はあ、と先ほど夏美と呼ばれた女子は溜息をつき、まるで説教でもするかのように僕に問いかけてくる。


「いい、夏美はね、あんたみたいな凡人と一緒にいて良い人じゃないの!才能があるの!こんなところで時間を無駄にして良い人材じゃないんだよ!わかったら余計なことしないで、さっさと加奈が陸上部に戻るように説得しなさいよ!」


 ええー、そんな才能のある人、僕みたいな凡人に説得できるかなあ?…いや、無理だな。諦めよう。


「遠慮します。じゃあ加奈、行くか」


「え!えーっと、あの、う、うん」


「なんでよ!今の説得する流れでしょ!」


 この人、反応が面白いな。ちょっと夏美さん、良いかもしれない。


「うーん、そうですね。えーと、なっちゃんでしたっけ?」


「いや、確かに友達にはなっちゃんって呼ばれてるけど、あんたは友達じゃないでしょ?初対面じゃない」


 だって苗字知らねえし。まあかといって急に愛称で呼ぶのもおかしいか。しかし、この人、的確にツッコミをいれてくるなあ。こういう人、周りにいないから新鮮かも。


「まあまあ落ちついてくださいよ。あ、そうだ、グミ食べます?」


「え?わあ、ありがとう。ってこれ5円チョコでしょ!って違う!なに慣れ慣れしくしてんのよ!」


 す、すごい。グミと称して5円チョコ渡したら、ちゃんとツッコミをいれてきた。この人、ツッコミの才能あるかもしれない。


「と、とにかく、もう加奈のことは放っておいて!ほら、加奈、行こう、部活に戻ろうよ」


 夏美さんはようやく冷静さを取り戻したのか、僕から加奈の方へと向き直り、陸上部へと連れて行こうとする。


 しかし加奈は動かず、僕の隣にいたままだった。


「うーん、でももう辞めたから。それは無理かな」


「どうして?あのことだったら私がなんとかするから!」


「無理だよ。だって私、陸上をやりたいって気持ち、もう無くなったから」


「…でも、もったいないよ。だって加奈は、才能があるんだよ?」


「それってそんなに大事?」


「え?」


 加奈は笑みこそ浮かべているが、目が笑っていない。すっと感情のない眼差しで夏美さんを見つめている。


「その才能ってさ、大事な高校生活を潰してまで優先しないといけないの?私の人生を台無しにしてまで守る必要のあるもの?」


「いや、それは…」


「別に大会で優勝したからってお金がもらえるわけでもないし。私が陸上を続けたからって、なにか得られるものがあるわけではないでしょ?」


「そ、そんなことないよ。部活を通じて人として成長するとか、思い出を作るとか…」


「なにそれ?私別に、そんなの欲しくないんだけど?」


「う、で、でも…」


「ねえ、夏美。私、もうやりたくないの。やりたくないことを無理強いしないで欲しいんだ」


「で、でも!あんなに頑張ったのに、今辞めたら後悔するよ!」


「それは、脅してるの?」


「え…い、いや、違う、そういうことじゃない…」


「別にいいよ。だってもうどうでもいいもん」


 ――行こう、と加奈は僕を促す。


 夏美さんはまだなにか言いたそうだった。だが、もう追ってはこなかった。


 …なんてことだ。すごく気まずい。どうしよう、僕、こういう真面目な空気、耐えられないんだよなあ。


 とりあえず空気を誤魔化すことで言っておくか。


「あのさ、加奈」


「なに?」


 うわ、なんかすごい棘のある口調じゃん。これ、下手なこと言ったら殺されそうだな。


 僕はポケットに手を入れ、そして差し出す。


「チョコあげるから笑顔になってよ」


「…それ、グミだね」


 と言いつつも加奈はグミを受け取り、それを口に入れると、そのまま黙って歩き出す。しかし5歩ぐらい歩いた後、肩を震わせ、ぷぷ、と声を漏らすと「ダメ、おかしすぎ」と笑い出した。どうやら笑いを我慢してたようだ。


 ふぅ、とりあえずこの凍てついた空気をなんとか緩和できた。


「私ね、陸上の先輩にいじめられてたんだ」


 唐突に語る加奈。どうやら空気は再び重くなるようだった。

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