第4話 真面目なクラスメイトをさらに褒めてみた

「あのー、もう平気ですか?」


「…すぅ、…はぁ……ええ、もう大丈夫です。ちょっと取り乱してしまいましたね」


 深呼吸を一つし、普段の冷静さを取り戻した夜霞さん。ごめん、まさかここまで褒めに耐性がないとは思わなくて、つい調子に乗って褒めちぎってしまった。


 黒髪ロングがよく似合う夜霞さんは、普段はあまり感情を表に出さないタイプの女の子だ。もしかしたらプライベートではめちゃくちゃ感情を表に出すタイプなのかもしれないが、少なくとも学校で彼女が感情的になる姿を見たことは一度もない。


 そんな彼女が大いに乱れてしまうとは。褒めるとはここまで効果が絶大なのか?


「なんかすいまんせんね、ちょっとやりすぎました」


「いえ、構いません。そもそもここはそういう部活なので、だから褒める分にはぜんぜん問題ありません。ただ、そうですね、この部室の壁はそこまで厚くはないので、あまり大きな声を出さない方が良いかもしれませんね」


 いや、声を出したのはあなたであって、僕ではないんだけど、うん、まあそうだね。僕もやりすぎたよね。反省反省。


 あの後。


 あまりにも効果覿面すぎたせいか、僕は調子に乗って夜霞さんをめちゃくちゃに褒めてみた。


 そしたらこの有様だ。彼女は褒めに対して免疫がなかったのか、あの真面目でクールな雰囲気がよく似合う夜霞さんが大変なことになってしまった。


 いつもは綺麗に整っている黒髪が、今はまるで事後みたいに乱れている。もちろん、誓っていうが事後ではない。というか手なんて出していない。ただ褒めただけだ。しかし、今やもう11月で肌寒い季節だというのに、まるでフルマラソンでもした後なのか、夜霞さんの肌はしっとり汗で濡れていた。


「ただ、少し癪に障りますね」


 なにが?


「褒め部の部長は私なのに、私ばかり辱め…褒められてばかりで…高藤くんも私に褒められて辱め…褒められる快感を覚えるべきではないでしょうか?」


 淡々と話そうとしてるのだろう。しかしところどころ本音が漏れているあたり、夜霞さんも精神的にあまり余裕がないのかもしれない。


 ふむ。それしても、僕も褒められるべき、か。


「別にいいですよ。じゃあ褒めてもらって良いですか?」


「ふふ、私の褒め力にかかれば高藤くんだって瞬殺されること間違いないでしょう。覚悟なさい」


 褒め力ってなんだろう?とりあえず戦闘力50万以上の褒めパワーを体験してみたいものだ。


 それにしても、夜霞さんは真面目な女性だと思っていたのだが、なんかだんだん壊れ始めてきたな。いや、こんな状況であっても彼女は本気で目の前にことに取り組んでいるあたり、きっと真面目な性格なのは間違いないのだろう。ただ、うん、真面目は真面目でも、クソ真面目なんだろな、きっと。


「高藤くんは、そうですね………とてもカッコいいですね」


「そうですか」


「……………………………あの、今、高藤くんのことを褒めたのですけど?」


「あ、はい。知ってますよ」


「う、うん、だからですね、ほら、もっと嬉しかったりしません?」


「うん?うーん、そうですね。まあ嬉しいといえば嬉しいですね」


「じゃあもっと感情を表に出してください!」


 ええ、なんでキレられるの?


「いや、ちょっと待ってください。ここ褒め部ですよね?そんなキレ散らかすのは褒め部に相応しい行為なんですか?」


「いいんです!私が部長だから、私が良いって言えば良いんです!」


 そんなー、まるで独裁じゃないですか。別にいいけどさ。


「ああ、そうですか。まあ部長が良いっていうなら良いですけど…」


 おほんと咳払いをする夜霞さん。この人、狼狽えると咳払いするな。


「失敬。ちょっと感情的になり過ぎました」


 でしょうね。


「でも今のは高藤くんが悪いと思いません?」


「え、そうですか?」


「だって褒められたら気持ちよくなる、これ鉄板のルールではないですか。なんでルールを逸脱するんです?」


 なんででって、だってそれ…言って良いのかな?


「えっと、怒らないって約束してくれるなら答えます」


「いいでしょう。私は部長です。この部の活動に必要な箴言ならば、甘んじて受け入れる所存です」


 そこまでいうなら良いのかな?


「じゃあ言いますけど」


「はい、どんと来てください」


「部長の褒め方が下手すぎて心に響かなかったんですよね」


「ああッ!んだとコラッ!」


 めっちゃ怒るじゃないですか。


「私の、私の褒めのどこが下手だって言うんですか!」


「いや、だって心にも思ってないでしょ、僕のことカッコいいって。もう嘘だってバレバレだから、それだと通じないですよ」


「!!!!!!……え…え…あの、嘘だってバレてたんですか?」


 え、バレてないと思ってたの?あの下手くそすぎる演技で?


「あー、はい。バレてますね」


「そ、そんな。私って、私って、そんなに嘘が下手だったの…」


 別にいいじゃん。きっと今まで正直に生きてきたってことでしょ?嘘が下手だからって落ち込むことないじゃないか。


 っていうかこの人、マジで落ち込んでね?目から生気が失われつつあるんですけど?


「えーっと、そんなに落ち込むことですか?」


「それは、そうですよ。だって、だって、私、推理小説とかよく読むんですよ?」


「ええ、そうですか」


「………」


「………」


 ……え、もしかしてそれで終わり?


 嘘だろ。この女、まさかその程度の教養レベルで自分には嘘の才能があるとでも思っていたのか?


 いや、わかるよ。うん、あるよね。そういうこと。難しい本を読んだらなんか頭がよくなったような気分になる、そんなことってあるよね。


 でもね、一つ良いことを教えてあげよう。推理小説ってのはね、あれは書いている作者が賢いのであって、読んでる人が賢いわけではないんだよ。


 わかるかな?一流シェフの料理を食べたからって、食べた人の料理の腕前が上がるわけではないんだよ?


 やべー、言いたいことがたくさんある。ツッコミたいことがいっぱいある。


 でもダメだ。それは全部NG。なぜならここは褒め部。


 褒めることがだけが許さる空間。それ以外はアウトなのだ。


 褒めるしかねえ。この絶望的すぎる状況下で、僕にできる唯一のこと、それは夜霞さんを褒めること、それだけなのだ。


 がっくりと項垂れる夜霞さん。よほど自分の演技力に自信があったのだろう。そんな自信が打ち砕かれた彼女は今、とても意気消沈している。


 正直、自業自得だと思う。その程度の才能で調子に乗らないでほしいとも思う。


 でもダメなのだ。今の彼女に必要なのは正論ではない。


 褒めること。それだけなのだ。


「夜霞さん」


 ビクッと体を震わせ、おずおずと僕の方を見上げる夜霞さん。そんな彼女の姿はまるで叱られるに怯える子供みたいに見えた。


「僕もそういう経験ありますよ」


「え?そうなの?」


「ええ」


 と言ってみたものの、似たような経験なんてあったっけ?…ダメだ、思い出せねえ。もしかしたらそういう経験、過去にあったかもしれない。しかし思い出すには時間が必要だし、というか面倒なので思い出す気にもならない。とりあえずこのまま話を流そう。


「僕だけじゃありません。みんなそういう経験ありますよ」


「そ、そうかな?」


「そうですよ。だって僕らはまだ子供じゃないですか」


 とりあえず共感できる話題がないので一般論で誤魔化すことにした。


「子供は社会経験がないのだから、失敗するなんて当たり前のことなんです。こういうことはよくあることですよ」


「う、うん。そう、だよね」


「そうですよ、それに…」


 僕は続ける。


「たとえ失敗する可能性があっても、それでも行動に起こせるなんて、夜霞さんはそれだけでも十分に凄い人だよ」


「!」


 まるでクリーンヒットでもしたかのように、夜霞さんの目に生気が戻る。


「たいていの人はね。失敗を恐れてなかなか行動できず、結局なにもできずに終わってしまうものだよ。でも夜霞さんは違うでしょ?」


「そ、そうかな?」


「そうだよ!夜霞さんは行動を起こした。確かに思ったような結果じゃなかったかもしれない。でもその経験が夜霞さんを成長させてくれるんだよ」


「そ、そうだよね。私、今のはそのちょっとした失敗だったけど。でもそれって無駄じゃないよね!」


「当たり前だよ!無駄なわけないじゃないか!むしろ今のうちにたくさん学べてラッキーなぐらいだよ!今たくさん失敗しておけば、その分だけ夜霞さんが成長できるってことだよ!」


「そ、そっか!そうだよね!私のやったこと、間違いじゃないよね!」


「その通りだよ!むしろ正解なぐらいじゃね?」


「うん、そうだよね。あの、ありがとう、高藤くん」


「どういたしまして。こちらこそありがとう、夜霞さん」


「え、私、感謝されるようなことしてない…」


「そんなことない。夜霞さんのおかげで、僕も成長の機会を得ることができた。それも全部君のおかげだよ。夜霞さんが部活に招待してくれた、そのおかげで僕も学びを得ることができた。もう感謝しかない。だから改めて言わせてよ」


 ――ありがとう、夜霞さん、と僕は心をこめて感謝の念を捧げるように言ってみた。


「う、うん。えへ、えへへ。なんだろう、どうしてこんなに嬉しい気持ちなのに、涙が出ちゃうんだろ…悲しくなんて無いんだよ。無いんだけど、なんだか胸がいっぱいで。私、人に感謝されるのって初めてだから、なんか慣れてなくて、うう、なんか心がおかしくなっちゃうよ」


 ふむ。確かに夜霞さんの目尻から涙がこぼれてる。やっべー。なんか、思った以上に褒めがハマッてしまったかもしれない。


「はは、大げさだなあ」


 あははーと適当に乾いた笑いで誤魔化す。


「えへ、えへへへ、そうだね、ぐす、うん」


 確かに目尻にはまだ涙の後が残っているのだが、それでも彼女が浮かべる笑顔はとても素敵だった。


 そういえば夜霞さんが笑う姿を見るのはこれが初めてかもしれない。


 まさかこんなよくわからない部活動で美少女の嬉し泣きをする姿を見られるとは。なんかアレだな。変な罪悪感が湧くね。


「ね、ねえ高藤くん」


「うん?なにかな夜霞さん」


「うん、あのね、そのこれからもよろしくね!」


「うん、こっちこそよろしくね」


 普段はクールな雰囲気のある真面目なクラスメイトの夜霞さん。そんな彼女が僕のすぐ近くで、他のクラスメイトには見せないような笑顔を僕に見せてくれる。


 なんだか打ち解けあえた。そんな気がする。たぶん。


 しかしこれさあ、部活動の一環で褒めただけで、本心ではそんなことまったく思ってないってことがバレたらさあ、あのさあ、殺されないだろうか?


 なんとなくだけど、夜霞さんと僕との間の距離が物理的にも精神的にも近づいた放課後の夕方。僕は決して彼女に本音を悟られてはならないと決心するのだった。

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