第3話 真面目なクラスメイトを褒めてみた

 うちの高校には比較的新しい最新の校舎とは別に、旧校舎と呼ばれる校舎がある。生徒たちが授業を受けるのは主にこの新校舎の方であり、外観が古めかしい旧校舎は部活動など生徒が自由に使えるように解放されている。


 といっても夜霞さんが作ったばかりの部活はまだサークルの域を出ない、それこそ吹けば飛ぶような弱小の課外活動団体だ。


 こんな弱小の、しかもなにをやるのかよくわからないサークルであったとしても、ちゃんと申請すれば正式に認可された挙句、さらには低額ながらも予算までつけてくれるとは…もしかしてうちの学校は良い学校なのかもしれない。


 そして今回できたばかりの新興の同好会であるこの褒め部は、そんな旧校舎の奥の奥、さらに奥の隅っこにある教室半分くらいのスペースがある部室をあてがわれていた。


 まだ部室が出来たばかりなのだろう。壁に窓が一つ、天井に蛍光灯が二つあるだけ。それ以外はなにもない空き部屋。それが褒め部の部室だったりする。


「では高藤くん、ようこそ褒め部へ。歓迎しますよ」


 扉を閉めてから、そういって僕の背後より声をかけてくるのは、このサークルの主でありクラスメイトの夜霞さん。


「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」


「まあ、挨拶がしっかりできるだなんて、偉いですね!」


 …うん?なんだ今の?


 こほん、と咳払いをする夜霞さん。見れば頬がちょっとだけピンク色に染まり、目が泳いでいる。どうやら恥ずかしがっているようだ。


「知っていますか、高藤くん」


 どうやら今の発言を無かったことにするつもりのようだ。まあ本人がそれを望むなら、弄らないでおこう。


「ある集団を二つに分けて、一方を褒めて教育、もう片方を批判的に教育した場合、褒められた集団の方が成績が良かったそうですよ」


「ああ、そういう話、あるみたいですね」


 まあいわゆる褒めて伸ばすという奴だろう。


「このような報酬を与えてやる気を出させることをエンハンシング効果と呼ぶのですが、世の中って不平等だと思いません?」


「え?まあ不平等といえば不平等ですね」


 世の中にはいろんなところに不平等があるし、なんならそんなのは人類が誕生した時より続いていることだ。今更不平等があったとしても別に珍しくはないだろう。


「もちろん私だってすべての不平等は解決できるだなんて思っていません。いくら望んだところで貧富の差みたいな社会問題級の不平等は解消できないでしょう」


「まあ、そうですね」


 それはそうなのだが、それとこの同好会との間に一体どんな関係が?


「でも褒めてもらう程度の不平等だったら簡単に解消できると思いません?」


 おっと、ここでサークルの話になるのか。


「たかだか他人に褒めてもらう、その程度のことでやる気やモチベーションに差が出てしまう。なのに私の周りには私のことを褒めてくれる人がまったくいません。私が褒められることなくエンハンシング効果を受けていない時、別の誰かはエンハンシング効果を受けている。この程度の不平等ごときのために、私のモチベーションが下がるだなんて、とても耐えられないのです」


 う、うん。言いたいことはわかるよ。わかるんだけど、なんか人が聞いたらこいつワガママなんじゃねえのってツッコミ入れそうだな。


「えーっと、つまり…」


「褒めることがその人にとってプラスに働くことは既に科学的に証明されているのです。だったら褒めたらいいじゃないですか。なんで褒めたらダメなんですか?」


「あの、僕はダメなんて言ってませんが」


「失敬。ちょっと感情的になってしまいましたね。とにかく、私は誰かに褒めてほしいのです。そしてエンハンシング効果の恩恵を受けたい。そのためにこの部活もといサークルを作ったのです。わかっていただけました?」


「うん、それはわかったかな?」


 たぶん、わかったと思う。もしかしたら夜霞さんはちょっと頭が可哀そうな娘かもしれないとも思ったが、それは言わないでおこう。ただ…まあそれはいいか。


 ここは褒め部。悪口は厳禁だよね、たぶん。


「それで部活…サークルか、このサークルを作ったってこと?」


「そうです!わかって頂けました?」


「うん。わかった。それにしても…実際に行動を起こしてサークルを作るだなんて、普通に凄いよね」


「…え、そ、そそ、そうですか?」


 おや?なんかこいつ、照れてね?


 今まで堂々と語っていた夜霞さんなのだが、急に僕から視線を背け、頬をピンク色に染めながら忙しなく視線を泳がせている。なんだか嬉しそうだ。足もなんだかもじもじしている。


 ああ、そうか。今僕、褒めたな。…よし、続けてみるか。


「うん、十分すごいでしょ。だって普通、思っても行動しないでしょ?本当に行動を起こして部活を作るなんて、夜霞さん、凄いよ。頑張ったんだね」


「はうッ!…あの、うん。そう、私、実は頑張ったんだ」


「へえ、それは偉いね」


「え、エへへ。そ、そうかな?私、偉いかな?」


「うん、偉いよ。凄いよね」


「エへ、エへへ。あのね、高藤くん。この部活を作るためにね、私ちゃんと計画書とか作って、先生からの認可をもらえるように一週間ぐらい頑張ったんだ!」


「え、そんなしっかり準備してたの?頑張り屋さんじゃん」


「うん!あのね、あのね。それでね…ハッ!」


 ごほん、と急にせき込む夜霞さん。


「そうです、高藤くん。今みたいに褒めることってとても大事なのです。今回、私は部長なのであえて高藤くんの誉め言葉に冷静に乗っかったわけで、本当に喜んだわけではないのですが、でも今のお褒め、筋が良かったですよ。あなたも既に褒めることの重要さを理解したみたいですね」


 と夜霞さんは気取って見せる。


 ははーん。さてはこいつ、喜んでる姿を他人に見せたくないんだな。お前が褒められて喜んでるのはな、もうバレてんだよ。


 だが、なるほど。ちょっとだけこのサークルの趣旨は理解できた。


「なるほど。今みたいな感じで良いんですね」


「え、あの…うん。もしかして今の、演技だったかな?」


 まるであたかも今のは演技ですよ、本音なわけないじゃないですか、みたいな言い方をしたせいか、ちょっとだけしょんぼりする夜霞さん。


 そんな彼女に笑顔を向けつつ、僕は彼女の耳元でそっと囁いてみる。


「そんなわけないじゃないですか。本心ですよ」


「ハウッ!」


 ビクンと体を痙攣させる夜霞さん。


「夜霞さんが頑張り屋さんだってこと、ちゃんとわかってますよ」


「ハウゥッ!」


「凄いね、夜霞さん。いつも頑張ってて偉いね」


「ンッ!それダメッ!」


 褒めれば褒めるほど、なんか凄い反応するな。


 気が付けばハアハアと夜霞さんは呼吸を荒くしていた。


「高藤くん、今のはずるいですよ」


「え?僕はこのサークル活動の趣旨に則って行動してるだけですよ?なにか問題ありました?」


「うう、卑怯だよ…でもすごく良かった」


 ――今の快感、もう一回やりたいかも、と夜霞さんはなにかに目覚めそうだった。

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