五十六、私が始めたの、浮瀬くん
「……は?」
蝉の泣き声が脳内を反響していた。息を吸おうとしても生温い風が入って来るせいで上手く吸えない。心臓の音がうるさい。額から滑り落ちる汗が、冷たく感じた。
だってそれは、妹の名前だ。
「そうよー、ご先祖様に挨拶しなきゃと思って」
いつもありがとうございます。母は墓石に頭を下げた。
「ちょっと待って、なに、何で」
「あら知らなかったのに来たの?お母さんのご先祖様は横浜の地主で、久世って名前だったのよ」
呼吸が上手く出来ない。だって、だって久世家の家系図は途切れていた。
――さんって人。母が次に放った名前が、全てを繋ぎ合わせた。歳の離れた弟の名前だった。
「まぁお母さんも久世家じゃないし、随分離れたご先祖様だけどね」
どうして気づかなかったのだろう。今住んでいるマンションは母方の実家が横浜の地主だからだ。久世家の名前を継ぐ子孫がいなかったとしても、土地を継いだ親族がいるはずだ。家系図で切れたから。それはそうだろう。だってあんなもの、過去を辿るためだけのものだ。
今は記されていない。
「千歳?」
吐きそうだった。墓石の前で力が抜け座り込んでしまう。両手で口元を覆う私を見て母は慌て、何度も背をさすり父に電話をかけている。でもそんな事どうだって良かった。
子供の頃から口に出した事がよく叶った。夜ご飯に食べたい物を口にすれば母が聞いていないのに出てきたり、あれが欲しいと言えば帰ると部屋に置かれていたり。それは全て両親の愛情から生まれている物だと思っていた。けれど、違う。
私は千代の血を継いでいる。
「起きた?」
目を覚ました先、母が隣で私を見つめていた。首元が冷たい。手を伸ばし何かを掴む。溶け切った氷嚢が取れた。
「熱中症よ、もう!ちゃんとお水取りなさい」
「……ごめん」
「全く、身体は大丈夫?」
「うん全然元気」
多分前日あんまり寝てなかったからと言えば母は、ちゃんと寝なさいと小突いてきた。先程まで感じていた吐き気はどこにもなくなっていたが、衝撃の事実だけが頭を占めていた。
「……お母さんさ、何で先祖の事知ってたの」
「学生時代に課題で出たの。千歳もやった事ない?自分のルーツを調べるみたいな」
「……やってない」
課題としては出ていない。個人的にはやったが。
身体を起こし渡された水を飲む。母は私の顔色を見て安心したのか楽しそうに話し始めた。
「とっても面白くて夢中になって調べたの」
「どこに面白い要素が……」
「だって言霊を扱っていたって言われる人がいたのよ?嘘でも凄いじゃない」
ペットボトルを持つ手に力が入った。
「だからその人の事を調べてたわ。有り得ない話だけど、もし自分も同じように言霊を使えたなら素敵だと思って」
「全然素敵じゃないけどね」
「何か言った?」
「いいえ、何も」
何が分かったのと聞かずにはいられなかった。母は学生時代に自身の先祖を題材にした論文を書いたようだ。こんな近くに答えがあったとは、私が一人で必死に調べていた時間が無駄に思えた。
「それがね、呪いって強ければ強いほど本人の顔を見て言う必要があるんですって。顔も知らない誰かを呪う事は出来るけど、効力は薄くなるの」
「へぇ」
「言霊だから抽象的な言葉じゃ効果は得られないんだって。しっかり、こうこうこうしてください!って言わないと駄目だったって、言霊を扱ってた先祖様の事を書いた文献に書いてあったわ」
ならば妹は私と浮瀬くんに、何度も生まれ変わっては幸せになるなと永遠に生き続けて孤独になれとでも言ったのだろうか。
「一度言った言葉を訂正するにはより強い思いで新たな呪いをかけないといけないらしいの」
「より、強い……」
「後はこういうのも書いてあったわ。例えば誰かを呪ったとするでしょ?千歳、ずっと死ぬなーみたいに」
「あー、うん」
まずい、母は笑っているがあまりにも前例がありすぎて笑えない。
「千歳は死ななくなるの。でも千歳が普通に死にたいと思っても死ねないんだって」
「どういう事?」
「呪いって言うのはその瞬間に時間を止める事と同じなの。だから千歳がずっと死なないとして例えば百年生きるとする。そこから呪いを解くと止まった時間が一気に動き始める」
「は……」
「数年なら老けるだけで済むけど、そうじゃなかったら解いた瞬間死んじゃうらしいわ」
本当だったかは分からないけどね。母がくすくすと笑う横で、私は開いた口が塞がらなかった。
少しの希望が見えた。私が久世家の血を継いでいるなら、言霊を扱えているのなら、浮瀬くんの呪いを解けると思ったのだ。でも、解けた瞬間、彼は死ぬ。
浮瀬くんは、死ぬ。
「かけ直す事も出来るみたいだけど、そしたら前の呪いが消える事になるから千歳が百年生きる呪いをかけられたとして、そこから次の呪いをかけても死んじゃう」
「そ、れはさ、本当に死んじゃうの?」
「お母さん調べでは。もしくは死んでも生まれ変われみたいな呪いをかけるとか?そしたら出来るのかな。そこまでは書いてなかったな」
涙が、出そうだった。一瞬の希望も灰となり消えた。私は、どうしたって浮瀬くんの願いを叶えられない。
彼がしわくちゃのお爺さんになって、隣にしわくちゃの私がいて、幸せだったって笑って死ぬ瞬間を見る。そんな終わりは来ない。
呪いをかけ直したら浮瀬くんは私の前からいなくなるのだ。
「そんなのって、ない」
そんなのってないよ。布団を握り締めた私に母は、どうしたの?と聞いてくるが応えられそうにもなかった。
眠れない。真っ暗になった天井を睨みつけるだけしか出来ない。結局私の体調を優先した両親はあの後ずっと献身的に介護してくれたが、一人にしてほしいと言い寝室に篭った。スマートフォンの通知を示す明かりが点滅する。浮瀬くんからだった。
旅行はどう?他愛もない会話だった。けれど返す気にもなれなくて既読をつけたまま放置していたら電話がかかってきてしまう。躊躇いながらも通話ボタンを押したら、第一声は大丈夫?だった。
「何で」
『何か、落ち込んでそうだったから』
気のせいだった?いつもと変わらぬ浮瀬くんの声に私は泣きそうになった。鼻を啜ったのが分かったのだろう、彼は私の名前を呼んだ。千歳と、優しい声が聞こえた時、もう耐えられなくなって声を上げ泣き始めてしまった。
『え、え、何、大丈夫?どうした?体調悪い?』
「浮瀬くんは、浮瀬くんは、死ねる」
泣きながら告げた言葉に、彼はどういう事と返してきた。私は今日あった出来事を隠さず全て伝えた。呪いの事、自分が解ける事、けれど解いた瞬間浮瀬くんは死ぬ事。浮瀬くんは私の言葉を一つ一つ黙ったまま聞いていた。
そして最後まで聞き終えた時、彼はまた私の名前を呼んだ。
『先に言う。絶対に罪悪感を感じないで欲しい』
「何が……?」
『僕はずっと気づかなかった。多分君も無意識だった。でもよく考えたら、僕が生き続けるのも君が生まれ変わるのも呪いのせいだとしたら、きっとあれが呪いだったんだ』
「だから何が―」
『千代』
浮瀬くんが、昔の私の名前を呼んだ。生まれ変わってから二度目の事だった。
『君の最期の言葉だ』
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