五十三、私はね、浮瀬くん
私はね、浮瀬くん。どこかでずっと期待していたんだよ。何だかんだ悲観してもう無理だとか言いながら、会う度に今世こそは絶対幸せになれるって、奇跡が起きて一緒に死ねるって思ってたんだよ。
だってそうでしょ、おとぎ話はハッピーエンドがいいしロミオとジュリエットでさえ共に死んできっとあの世で幸せにやってるよ。もしかしたらどこかで転生して、恋人同士になってるかもしれない。
心のどこか。小さな期待。必ず存在すると思っていた希望。可能性の欠片。糸を針に通すほど狭くても、このどうしようもない運命を何とかすべく自分が繰り返し生まれ変わっているのだと思っていたんだよ。どうにかなるまで貴方が生き続けているって、思っていたんだよ。
でもこんなのってないでしょ。
「ごめん」
ごめんね。ポロポロと涙を流し続けたまま呆然とする私を浮瀬くんは痛いくらい抱きしめて謝り続けた。ごめんって何が。言えなかった事?ずっと、一緒に死にたいとか言ってた事?そんなの謝る必要ないよ。だってどうせ、浮瀬くんも心のどこかで信じてたんでしょ。
真実を伝えられても尚、何度も生まれ変わった私と会う度にもしかしたら呪いが解ける可能性があるかもしれないって、だからそう言ってたんでしょ。分かるよ、どれだけ一緒にいると思ってるの。
私が言いたいのはそんな事じゃないんだよ。貴方を謝らせる事しか出来ない自分が、不甲斐なくて仕方ないんだよ。あの時あの瞬間、彼女が言葉を吐かないためにもっとどうにかするべきだったんだよ。自分の祖先の事なのに、何も知らなかった無知も、故意的ではなくても自分だって誰かを呪い殺した事、因果応報じゃないかって思ってしまうんだよ。
でも、呪われるのは私一人で良かったじゃないか。
このまま私は、彼女の最後の言葉通り幸せになんかなれず死ぬのだろうか。今私を抱きしめて泣くのを必死に堪えているこの人に、好きすら言えないまま死ぬのだろうか。言ったら結ばれる事になる。幸せになるだろうな。でもそれは、終わりを意味するのではないか。
思えば久世千代が死んだ日もそうだった。結婚式の前日。幸せの絶頂を味わう前だった。なら好きくらいは言えるだろうか。でも、もし同じように浮瀬くんと結婚するとか言い出した瞬間に、私は死ぬのだろうな。
最近出続けていた咳の理由をようやく理解出来た。多分、浮瀬くんも心のどこかで気づいていたのだろう。久世千代は風邪をこじらせて肺炎になり死んだのではない。
妹の呪いで死んだのだ。
そっくりな咳は浮瀬くんの事をやっぱり今世でも好きだと自覚した瞬間から零れ出した。ああ、楽しいな。幸せだなと感じる度に咳は増した。思いの丈を少しでも伝えようとすれば噎せ返った。
何だ。答えはずっと前から出ていたじゃないか。
私たちはこの先ずっと、どうしようもない運命を繰り返すしかないって。
「ごめんね」
ごめん。本当にごめん。何度も彼に謝った。全部、全部無駄だった。この二ヶ月、どれほど彼を苦しめたか分からない。最初に死んでから百年以上、どれほど絶望させたか分からない。
浮瀬くんも同じだったのだ。出会ってしまえば幸せになれず死ぬから、会いたくなかった私と同じで、再会を心待ちにしていたけれど絶望したのだろう。再会してから見てきた切ない表情は、ずっと物語っていたじゃないか。
「私はね、浮瀬くん」
咳が出た。恐れていた事が起きたと言わんばかりの表情で私の肩を掴み彼が眉を下げる。ほら、最近出ていなかったのに本当に伝えたかった事を言おうとすればこれだ。タイミングが良すぎる。思い返せば事故で死んだ時も、浮瀬くんに今世でも好きとか言ったすぐ後だったはずだ。浮かれてスキップしていたら身体が跳ねた気がする。
それでも言わせて欲しい。だってもう無理だ。結局私はこの人の事を好きになる。何十回だって何百回だって、生まれ変わっても幸せになれなくてもこの人をどこかで探す。
「幸せに、なりたいから、調べてたんだよ」
他でもない貴方と。ボロボロ落ちていく涙と止まらぬ咳に顔を歪めながらも言葉を続けた。もういいよと声が降って来る。でも、伝えなきゃ。言葉が私たちを呪ったなら、口にしなきゃ何一つ変わらない。
「浮瀬くんと、今世こそは、幸せになりたかったから」
大それた物など何もなくていい。花火は毎日上がらなくていいし、目まぐるしく変わる世界なんて欲しくない。ただ、有り触れた日常が欲しい。隣で笑って歳を取り、何の変哲もなく老いて皺の数を数えるような。そんな有り触れた幸せが欲しい。それだけでいい。
それだけでいいのに、叶えてはくれないのか。
「もう、先に死にたくない」
限界だった。息が止まるんじゃないかと思うくらいの咳が込み上げて、次に続けようとした言葉を掻き消す。彼がずっと欲していた好きの二文字すら、私には伝えられない。
ぽつりと、頭上に雨が降った。息も絶え絶えに顔を上げる。
浮瀬くんが、泣いていた。
ポロポロと頬から涙が零れ落ちていく。ぐしゃりと顔を歪め歯を食いしばって嗚咽を耐えている。酷い泣き顔を見たのは長い時間の中で二度目、千代が死ぬ瞬間以来見ていなかった。
「違うよ」
両肩に置かれた手に力が篭った。痛いと言う事さえ煩わしい。この痛みすら彼が抱えてきた苦しみの一部にさえなり得ない。
「誰も悪くないんだよ」
そう、誰も悪くない。あの時浮瀬くんの手を取った私も、迎えに来た貴方も、何も知らず酷い言葉を言った妹さえ悪くない。ただ、全てが噛み合ってしまっただけ。
「本当は呪いが解けるかもって彼女は言った。でも僕が断った」
「何で……」
「君が絶対にまた会いに来てくれるって思ったから」
ああ、死ぬ瞬間にそんな約束した気がする。何を言ったかは憶えていないけど、この人を一人置いて行けるかと思ったのだ。子供みたいに泣いて情けない姿の愛しい人を一人置いて行くくらいならと。
「だから悪いって言うならあの日の僕なんだ」
違うよ。涙で歪む視界を振り切るように首を横に振る。浮瀬くんはずっと信じたくなかったと言った。でも、私の咳が千代の最期にそっくりだったから信じるしかなくなったと言う。さらにここで否定的な態度を取り距離を置けば、私の咳が収まるのではないかまで考えていたそうだ。
何もかもその通りになった。あの日彼が私を突き放した理由はただ知って欲しくなかっただけではない。自分がいない事で、私の咳が止み苦しまなくて済むとまで考えていたのだ。結局私は何も知らないまま、彼の愛により生かされていた。今だってそうだ。もしこの瞬間私が幸福に満ち溢れていれば早々に死んでいるだろう。
「でも、この先ずっと、私は幸せになれないから死なないよ」
口に出せば苦しくなって、彼の顔が歪むのにまた涙を流す。そう、私の一番の願いは今この瞬間、永遠に叶わなくなった。一番の幸福は二度と手に入らない。
「分かんないじゃんそんなの!」
声を荒げる浮瀬くんに私はもう、唇を噛み締めるしかなかった。
「もしそうじゃなくても咳が続いて、あの時みたいに死んだら?次はもう生まれ変わって来なかったら?幸福だって形を変えるんだよ、一緒に死ねる普通が叶わなくても、千歳が他の事に幸せだと感じた瞬間終わるかもしれない」
「……じゃあもう二度と会わない?」
「それは、」
「無理だよね。私も無理。もう、知らなかった頃には戻れない。浮瀬くんがどこにいようと何をしていようと、私は絶対貴方を探してしまうと思う」
それは、浮瀬くんも。一度会ってしまえば後は終わるだけだ。
「大丈夫、きっと大丈夫だよ」
「何も大丈夫じゃない」
「だって私、貴方に一番伝えたい事さえ言えないもの」
無理に笑ったのを浮瀬くんは気づいてまた涙を流した。多分、伝えたい言葉はもう気づいているのだろう。一層顔を歪め、馬鹿だよと弱々しい声で言った。この一言を伝えた瞬間私は満足して死ぬのだろうか。言えもしないけれど。
「馬鹿だよ」
彼の真似をして言葉を紡いだ。そのまま何も言わず肩に頭を預ける。どうしようもない絶望だけが、夜を支配していた。
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