四十五、変わらないと、浮瀬くん
「変えるって……どう変えるの」
「それは、まだ考え中」
「ほら、見つかってない」
つい唇を尖らせて彼を見たが、浮瀬くんには今の私の不服など通じない。
「どうしようもない事に時間を割くために、君の人生はあるわけじゃないだろ」
「……貴方の人生はそのどうしようもない事に割けるだけの時間は存在しなかったの」
私を支えるように背に回されていた手が離れた。驚きと動揺を隠せない表情に一瞬で傷つけた事を知る。けれどもう止まらなかった。何が私をそうさせるかなんてもう自覚済みである。
ただ、普通の幸せが私たちの間に存在して欲しいだけなのだ。
「私は、ずっと貴方と同じで諦めてた。自分だけが先に死ぬのも浮瀬くんが生き続けるのも、もうどうしようもない事だと思ってた。だからこれまで可能性を調べる事すらしなかった」
最初から諦めていた。可能性の一つすら試そうとしなかった。それは彼を物理的に殺すとかそんな事ではなく、どうしてこうなったのか、根本を調べる事さえしなかった。
これは、どうしようもない運命なのだと決めつけていた。
「可能性を調べる事は無意味?どこかに希望の欠片が落ちてるかもしれないのに、それすら探そうとしない?違うでしょ」
浮瀬くんの、顔が歪んだ。
「幸せに死ぬために足掻いて産まれてきたんだよ」
いつかの昔、彼が翻訳してくれた物語の一節を思い出す。
『この世の関節は外れてしまった。何と呪われた因果か。それを正すために生まれついたとは』
まるで関節の外れてしまった世界の片隅で、呪われた因果を正すべく必死になって足掻いているみたいだ。何が原因なのか思い当たる全てを探している。不老不死伝説の伝承を読み漁り、家系図までを調べた。幸いにも久世家は横浜に縁が深かったため記録が残っていた。家系図に伸びた久世千代の名前を見た時は何とも言い難い気持ちになった。
浮瀬家の家系図はなく、ただ彼の叔父が横浜で第一線の通訳者として活動していたという記録しかなかった。叔父は結婚せず子孫はいない。
不老不死の伝承は世界のどこにも存在しているが実在するとなると話は別である。そもそも本当にいたとして、表に出るような活躍をしないだろう。世間にばれたらどんな目に遭うか分からない。だから浮瀬くんの行動の数々に呆れながらも不安を抱いている私がいる。
関節が外れたのなら戻すべきだ。もし何かしらの因果が存在するなら正すべきだ。だってこんなの間違っている。冷静になればなるほど、どんな人間でも知識を得られるような時代になったからこそ気づけた。繰り返すのも死なないのも違う。
誰も望んでいない。
浮瀬くんは顔を酷く歪めたまま一歩後退る。そして、調べるのは止めないのと問うた。
「止めない」
「必要ないって言っても?」
「そんな分かりやすい嘘つかないで」
「……僕は、」
顔を上げ今にも泣きそうな顔で何かを言いかけた彼の声が春の嵐に攫われる。思わず目を閉じ髪を押さえた。再び瞼を開いた先、唇はもう閉じていた。何を言ったか問うても前髪を搔き上げ何でもないと言うだけだ。
「何言ったの」
「だから何でもないって」
「何でもない人間の顔じゃない」
「本当に、関係ない事だから」
「だからその下手くそな嘘止めてよ」
「何でもない!!」
彼に伸ばした手が宙に浮いた。弾かれたと気づいたのは手が自分の太ももに当たってからだ。今まで一度も拒絶した事のない浮瀬くんが私を拒絶した。酷く現実味がなかった。いつでも伸ばした手は掴まれた。伸ばしていなくとも掴んできた。
だから、こんな事、初めてだったのだ。
弾いた本人も驚いていて瞳の中に同じ顔をした自分が映っている。目を大きく見開き僅かに口を開け、起こった事が理解できないと言わんばかりの表情だ。弾かれた手が僅かな痛みを訴えている。心は妙に冷静でこの状況をどう終わらせるか思案していた。
「ごめ――」
「止めない」
謝ろうとした浮瀬くんの言葉を遮った。弾かれた手を握りしめ真っ直ぐ彼を見据える。私はもう、このどうしようもない運命を終わらせたいのだ。
例えそれが、この人を突き放す結果になろうと。
「私は絶対に終わらせる」
言い放ち呆然と立ち尽くした彼の横を通り過ぎた。いつもなら追って来る足音も今日に限っては無い。それに安堵しながらも確かに彼を傷つけた事実が心に棘を刺した。何度生まれ変わり何度喧嘩をしようとこの痛みになれる事はない。
いつも先に謝る彼の謝罪も今回だけは聞きたくなかった。だってそれは、私が調べる事に対して否定したからではなく、手を弾いた事を反射的に謝ってるだけだから。
確かに傷ついたが謝って欲しいのはそこではない。
そして今回ばかりは折れない。
幾度なく喧嘩をして来たがこんな喧嘩は初めてだ。それも時代が私たちを対等にさせたからだろう。これまでだったら彼の機嫌を損ねた自分に焦り、不安になりながら謝罪のタイミングを伺っていた。例え自分が悪くなくとも。
でも今は違う。私はこの運命を終わらせたい。ただの幸せを手に入れたい。叶うなら彼が幸せだったと笑って死ねる終わりを見届けたい。何度も見送られたから、今度こそ最期を見届けたいのだ。
小さな咳がまた喉奥から世界に吐き出される。暖かな春の日が、酷く憂鬱に思えた。
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