三十九、約束したのです、浮瀬くん
「会いたいなぁ……」
漏らしたのはずっと心に仕舞い続けていた本音だった。彼が誰かと結ばれていようと構わない。ただ、一目会いたかった。それだけで良かった。今幸せですかと問うた時、幸せだと返してくれたなら。それに勝るものなど無いのではないかと思うくらい。
彼の事を愛していたのだ。
使いもしなかった便箋を取り出した。鉛筆を握り締め便箋に思いの丈を綴っていく。
『お元気ですか。今更文を送る事をお許しください。私は結局、結婚せず自宅に戻りただ長い時が過ぎ去るのを待っています。ふと、初めて会った時貴方が貸してくださったハンカチを見て、自分が何を望んでいたのかを、本当に今更ながら知る事となりました。
今、幸せですか?海の向こうで素敵な経験を得ているでしょうか?貴方が幸せであれば私はそれだけで幸せですと、勝手ながらに思っています。
どうか幸せに生きてください。誰よりも幸福になり、長生きをして、沢山の人に愛される人生であってください。』
書き上げたそれを長年私に仕えてくれた使用人に渡した。これが最後の願いですと言い、どうか、この手紙だけは届けてくださいと洗い直したハンカチを入れ封を閉じたそれをしっかり握らせる。
これで全てが終わったと思った。
数ヶ月後だった。
「お嬢様、大変です!」
手紙を渡した使用人が突然部屋に駆け込んできた。私はというと、この先どうなるか分からないから自分の事は自分で出来るようにとありとあらゆる家事に挑戦している最中だった。台所に無理を言ってお邪魔し作り上げた料理を部屋に持ち帰り食べていた頃それはやって来た。
まるで盗み食いがばれた子供のように喉を詰まらせかけて使用人が背を叩く。
「何でお食事をしてるんですか!」
「今日お料理を習っていて、上手くいったのだけれど良かったら食べない?」
「食べ……いや、違います!早く、今すぐ来てください!」
使用人に腕を掴まれそのまま部屋を後にする。どうしたの?と問うても彼女は早くと言うだけだった。やがて玄関を抜け外に出る。庭先で久しぶりに父の後ろ姿を見た。思わず後退りしそうになるも父は私を見て酷く困惑した表情を浮かべる。そんな顔など見た事がない。使用人は私の背を押した。
そして、父の前に出た。
「久しぶり」
目の前にいた人物に、私は言葉を失った。
最後に会った時よりも大人びて、服装も洋装に変わり、敬語は無くなりあの頃の純朴そうな青年から親しみやすい青年へと変わった。
浮瀬八千代だった。
「何で……」
「僕はこの五年間ずっと考えた」
彼は一歩ずつこちらに近づいてくる。
「君が幸せな結婚生活を送っているのなら、それに越した事はないと思っていた。隣に居るのが自分ではない事、あの日無理矢理でも連れて行けばよかったとも思ったけれど、幸せなら僕がずっと、違う空の下で想い続けるだけでいいと」
そして私の前で止まった。
「でも手紙が届いて気づいた。僕の幸せも君の幸せも全部、ここにはないのだと。僕は未だに君を諦められず、君の幸せに生きて欲しいと願いを叶えるためにここに来た」
目の前にいる人が現実だとは思えず、彼が口にする言葉が本当だとは思えず、私の唇が震えた。目の奥が熱くなり涙が零れそうになる。
「僕の幸せは君に初めて会った時から、一秒でも長く君と一緒にいる事で叶ったんだ。だから、あの日の後悔をここで晴らさせて欲しい」
そして、彼は跪き私を見上げ手を差し出した。
「次は二度と離さないから」
それはいつかの彼が訳してくれた物語の、王子様のようだったのだ。
「久世千代さん、僕と結婚してください」
止まった恋物語が、再び動き始めた瞬間だった。
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