三十四、好きなんだよ、浮瀬くん


 普段より少しだけ身だしなみに気を遣ったのは、今日という日の特性のせいで、別に彼のせいではないと自分に言い聞かせた。おろしたての服に新作のチーク、お気に入りの靴にファーがついたコートを着て毛先を巻いた。エントランスに降りた時、ソファーに背を預けスマートフォンをいじる浮瀬くんが見えた。


「お待たせ」


「早かったね」


 顔を上げた彼と目が合う。浮瀬くんは呆けた顔でこちらを見ていた。その視線にいたたまれなくなった私は目を逸らす。早く行こう、彼の前を通り足を進めた時、背後から小さな笑い声が聞こえた。


「何ですか」


「ううん、別に」


「絶対何か思ってるでしょ」


「いや、僕好かれてるなあと思って」


「調子乗りすぎ」


 いつもと違う私にいち早く気付いた浮瀬くんは嬉しそうに長い脚で一歩先を歩き始める。すれ違いざまに見えた目尻は下がっていて、何だかなあと思ってしまった私がいた。


「それじゃあ行こうか」


 彼の言葉に気を取り直して手袋をつけた。真冬の昼は真っ青に透き通っていた。



「あ、来た来た!」


 映画館に辿り着いた時、聞き慣れた声が耳に入る。視界の先、何故か私服の果南と莉愛、そして仙堂がいた。


「え、何で」


「皆でクリスマス過ごしたいって莉愛が言ったら、浮瀬が乗ってくれた!」


「それで俺も連れて来られた」


「彼女とデートって言ってたのにね」


「先週振られたんだよ!浮瀬にしか言ってなかったのに!」


 今日も変わらず揶揄い合っている莉愛と仙堂に、浮瀬くんはクスクス笑っているだけだった。果南が、私もこれ見たかったと映画のパンフレットを持っていたのを見て、私は浮瀬くんの服の袖を引っ張る。


「ん?どうかした?」


「き、聞いてないんだけど」


「うん、言ってないし」


「いや、言ってよ!」


「千歳、浮瀬と二人っきりが良かったのー?」


「違う違う、そうじゃなくて何も教えてもらってなかったから」


「まじ?浮瀬お前誘っとくって言ってただろ」


「誘ったよ、ついさっき」


「終わってるぞこいつ」


「だって今日予定ない事なんて分かり切ってたからね」


「小田、一回殴っていいんじゃね?」


「私も思う」


 唇を噛み締めて浮瀬くんの腕を叩いたが、彼にとってこんなもの何のダメージにもならない。浮瀬八千代にダメージを与えるには肉体的にではなく、精神的に酷い言葉を放った方が聞くのを知っている。実行はしないが。


「誘いに乗ったら千歳が帰らないかなあと思って」


「……ちゃんと来たじゃん」


「うん。でも終わった後すぐ帰るとか言いそうだから」


 私にだけ聞こえるように耳打ちをした彼に、今度は肘で横腹を突いた。これは効いたのか小さな悲鳴が聞こえたので、私は少しばかり清々した。そんな彼のポケットに仕舞われたチケットを一枚奪いそのまま女子二人の間に入る。売店に行こうと言い出した莉愛の後を追い三人で歩き始めた。


 飲み物を決めたり、食べたい物を話したり、そんなくだらない会話が楽しいのも三人でいるからだと思う。自分の順番になりメニューを見ながら少し考えた後、映画にはやっぱりコーラだと隣のレジで言い放った莉愛を見習い自分もコーラを選んだ。


 ポップコーンはどうしよう。後ろから聞こえた果南の声に、でも結局食べ切れないしと思ったが小さいサイズのキャラメルポップコーンを見つけてしまった。しかも、チョコがかかったプレッツェルが入っている。私の視線は一瞬で釘付けになった。


 ならば腹いせにお金を使わせてやろう。そんな事を思うようになった私も随分図々しくなったようだ。多分すぐ後ろにいるであろう人物の名前を呼ぶ。


「浮瀬くん」


「何?」


 ほれ見た事か。離れた所で仙堂がいつの間にと驚いていたが、私にとってこれはもう日常茶飯事なので気にするような事でもない。


「あれ」


 天井から下がった電子のメニューを指差しただけで察した彼は、チョコがけプレッツェル入りのキャラメルポップコーンを一番小さいサイズで頼んだ。おまけに自分の飲み物を注文し会計を終わらせる。私は、よし。と呟き腕を組む。彼は笑いながら珍しいと言った。


「起きてからずっと振り回されて腹が立っていたので」


「お金払えるの嬉しいからいいよ」


「そう言うと思った」


 ドリンクホルダーと共に差し出されたポップコーンだけを取り先に歩き出す。浮瀬くんの顔は見えなかったが、きっとまた眉を下げて笑っているのだろう。果南に、こき使ってるねと言われたがこれくらいがちょうどいいのかもしれないと思い始めた。

 ずっと、こう出来ていたら少しは変われたのかもしれない。


 結局そのまま館内に入りスクリーンの一等地と言われそうな席へ腰かける。隣は浮瀬くんかと思いきや、莉愛と果南に挟まれ彼は一番端に座った。私の飲み物だけ渡し足を組む。


 何だか、ちょっと不思議な気分だった。

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