三十三、好きなんだよ、浮瀬くん


「帰ってくださいー」


「寒空の下待ってる恋人に対する態度じゃないんじゃない?」


「恋人じゃないし、勝手に着て勝手に待ってるだけじゃん」


「ああ、違う。前世からの婚約者」

「こんな所で声張るの止めてくれない!?」


 十二月二十五日、午前十一時の事だった。前日家族でクリスマスを楽しみ少し夜更かしをした私は昼まで寝てやろうと考えた。結論から言うと、それは叶わなかった。午前十一前、一本の電話によって起こされたからである。


 電話の主は浮瀬八千代。寝ぼけ眼で電話に出たのが間違いだった。いつもなら電話をかけてくる事などなかったからだ。彼とのやり取りは大体メッセージ。声なら毎日のごとく聞いてるからかけるなと言った私の言葉を、彼は素直に守っていた。そんな彼からの電話だ。何かあったと思うだろう。


『今さ、マンションの下にいるんだけど』


 耳に届いた瞬間私は飛び起きた。クリスマスの予定なんて立てていない。けれど真下に居られる事に焦りが走った。両親は仕事だから鉢合わせる事など無い。しかし、ご近所さんに見られたらと思うと気が気じゃなかった。


「何してんの!?」


『寝起きの声じゃん、おはよう』


「おはよう、じゃなくて!」


『クリスマスデートのお誘いに来たんだけど』


「めちゃくちゃ自分勝手だな!」


『外寒いね。暖かくして出ておいで』


「聞く気ゼロ!」


 電話を切り適当な羽織物を羽織った。洗面台で最低限の身だしなみを整え外に出た。幸いにも外に出れそうな格好で寝ていた事に安心する。彼の事だ。私が姿を現さない限り絶対に帰らないだろう。まだ覚醒しきっていない瞼を擦り、エントランスから外を見た時、紺のダッフルコートを着た浮瀬くんと目が合ってしまった。


 すぐに帰れとジェスチャーしようと思ったのに、あんまりにも嬉しそうに笑うから過去を思い出して上がりかけた手が落ちていく。何だかんだ、私は浮瀬くんに甘いのである。


 そして、冒頭に戻る。


「今起きたんだけど」


「みたいだね。寝癖ついてるよ」


「……見ないで」


「いいね、久々に見た君の寝起き」


 ケラケラ笑う物だから恥ずかしくなり頭を押さえる。跳ねた髪は手だけでは見つけられそうにもない。


「で、デートしよ。デート」


「しないよ、いきなり来てもしない」


「十二時半にスタートなんだよ。一時間前に迎えに来たんだから」


「人の話聞いてる?」


「予定でもあるの」


「ない、けどさあ……」


「じゃあいいじゃん」


 決定ー。拍手を始めた浮瀬くんに呆れて溜息を吐く。こいつ、本当に人の事考えてないな。けれど予定があると言い返せなかった私がいて悔しい。ここでありますと言えていたのなら、この横暴な所業に喝を入れる事が出来たというのに、今の私にはそれすら出来ない。


「ご飯奢るよ」


「そんなので釣られないよ」


「千歳が見たがってた映画のチケットがここに」


「ぐ……」


「おっと、しかもこれ良席だ。後ろから三列目のど真ん中。いやー、ファンタジー映画を見るには最高の席だね」


「くっ……でも、行かな」


「え、しかもカップル特典で限定グッズゲット?」


「行き、ます……!」


 駄目だ。負けた。私の好みを知り尽くした男には勝てなかった。何をすれば私が動くかを、こいつは知っている。今から二度寝をしようと思っていたのもお見通しだったのかもしれない。


 クリスマスに公開されるファンタジー映画はシリーズ物で、新作を待ち遠しく思っていた私がつい一週間前に帰り道、彼に話したのを憶えていたのだ。おまけにカップルで行くと限定グッズがプレゼントされるけど、とぼやいていたのも憶えている。


 ここでまた彼の思い通りになってしまう自分が悔しい。けれど心は既に行く気満々だった。


「身支度」


「いいよゆっくりで。一時間半後だし」


「その間どうするの」


「僕?適当にそこら辺でも散歩してくるかな」


 彼の前に立つ。鼻の頭が赤くなっているのに気づいた私はまた、溜息を吐いた。仕方なくコートの袖を掴み引っ張る。彼は訳が分かっていない様子だったが、私はそのままエントランスに入った。暖房の効いた空間に、背後で小さくあったかいと呟いたのが聞こえ備え付けのソファーに彼の身体を軽く押す。が、残念ながらそれしきで動かせる人間ではない。


「何?あ、抱きしめる?」


「調子乗るな。……座ってて」


 ソファー。指差した先で彼は首を傾げた。どうして何でも見透かしているくせに、こういう時に限って察しが悪いのだろうか。


「外寒いでしょ。座って待ってて」


 浮瀬くんは私の言葉に何度か瞬きをした後嬉しそうに笑いソファーに身体を預け、長い脚を伸ばした。


「ゆっくりでいいよ、ゆっくりで」


「ゆっくりはまずいでしょ」


 もう。呆れながらも何故か心が躍っているのは、いつかの昔、叶えられなかった普通が当たり前に息をしていた事に気づいたからかもしれない。


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