三十五、好きなんだよ、浮瀬くん


「すっごい良かった!」


 エンドロールが終わり席に腰かけたまま興奮冷めやらぬ状態で隣の莉愛と果南の腕を叩く。有名俳優が起用されたこの映画は、普段映画などを見ない人でも楽しめるものだった。


「興奮しすぎ千歳」


「だって凄い良かったよ!特にあのシーンとか」


「ずっと見たかったって言ってたもんね」


 余ったポップコーンを奪い取った莉愛は席を立つ。結局映画に夢中になりすぎて私のポップコーンのほとんどを両隣の二人が食べていた。私の前を通り先にスクリーンを後にする二人に、慌てて立ち上がりコートを持つ。浮瀬くんは一人、飲み物を手にしたまま階段の所で待っていた。


「良かった?」


「良かった!前作との繋がりとかあって」


「うん」


「あと終盤の戦闘シーンも良かった」


 身振り手振りで感動を伝える様を、浮瀬くんはただ眺めていた。ふと自分だけが高揚している事に気づき、ごめんと言ったが彼は何でと言う。


「だって見たかったんでしょ?」


「そうだけど」


「じゃあいいじゃん」


「そっか」


 先に出ていった三人を二人で追う。一段一段降りる中で先に下る浮瀬くんの頭が二段上にいる私の目線と同じくらいになった。


「好きな物で楽しめるのは良い事だよ」


「お爺さんみたいな言い方」


「実際お爺さんだから」


「それもそうか」


 時折、長い空白が、この一段を飛び越えても埋められない時間が、顔を出す度軽口で返しながら小さな針が胸を刺している事に気づかぬ振りをする。


「お爺さんは好きな物無いの?」


「千歳を構い倒す事」


「それは置いといて」


「何だろ、特に思いつかないかな」


 永遠に続くと思われるような時間の中でこの人が生きる意味を見つけられるのは、何度だって私が繰り返し目の前に現れるからだ。それを奪えば、きっとずっと、終わらぬ時間という地獄を死んだように歩かなければならない。現に昔は沢山あったはずの趣味も今では何一つしていないようだ。


「あ、遅いー!」


 スクリーンから出た後こちらに手を振っていた三人に一ミリも思っていないだろう謝罪の言葉を告げてヘラリと笑った彼の後ろ姿が、掴める距離にいるのに手が届かないように思えた。



 その後カフェで軽食をつまみ、陽が暮れた頃赤レンガ倉庫に移動した。イルミネーションで飾られた赤色の倉庫は煌びやかで目が痛いくらい発光している。思わず眉間に皺を寄せれば隣で仙堂が、イルミネーションに喜ぶ奴の気持ちが分からないと言ったので、だからお前は振られるんだと全員に責められていた。


「はい、今年も行こう」


 手を叩いた果南を男子二人は訳が分からず見ていたが、私たちはよしと呟き彼女の手を取った。向かう先はスケートリンク。真っ白な氷に光が照らされ滑っている人たちを色づけている。


 去年のクリスマス、三人で遊んだ帰りここでスケートをした。三人とも全然滑る事が出来なかったが、一時間もすれば慣れてそれなりに動けるようになった。あまりに楽しかったから来年もやろうと約束したのだ。今年は滑る事がないと思っていたが、また滑る事が出来るとは。


「俺子供の頃よく滑りに行ったんだよなあ」


 私たちより先に駆け出した仙堂は楽しそうで、待てと言いながら莉愛が追いかける。ふと、浮瀬くんを見たらいつも通り笑っていた。否、笑ったままだった。貼り付けた笑みでこちらを見たまま行ってらっしゃいとだけ言う。その姿に果南と目を合わせた。意地悪そうな表情を浮かべた果南に、私も同じ事を思ったのだろう二人で彼の前にまで近づく。すると、浮瀬くんは後退りした。


 長い時間の中で数回しか見た事のない彼の姿だった。


「もしかして、滑れない?」


 果南の言葉に彼の肩がびくっと揺れた。それを見た私たちはまた顔を見合わせ、ふーん、へぇー、そうなんだーとわざとらしく声を上げる。浮瀬くんの口角がひくついている。いつも余裕で言いくるめられているから私が優位に立つ事などほとんどなかった。この反応は中々悪くない。


「滑った事ないだけ」


「一度も?」


「一度も」


「意外だね、浮瀬って運動神経良いからスケートくらいした事あるかと」


 ね。同意を求められ私は頷く。もっとも、違う意味で頷いているのだが。


「まぁ大丈夫だよ、私たちも去年全然滑れなかったけど何とかなったし」


「確かに。一時間転び続けたら何とかなったね」


「転んでるじゃん……」


「大丈夫、大丈夫」


 ほら行こう。彼の腕を引っ張ったが全然動かない。このお爺さんは頑として滑る気が無いらしい。むっとした私は行くよともう一度声をかけたが動く気配すらない。


「スケート滑れる人って格好いいよね」


「何その見え透いた発言」


「まさか転ぶの怖いとか?今更?いくつよ貴方」


「歳取ると転ぶのは逆に怖いよね」


「二人とも十七歳だよね?」


 果南の発言に、今はねと返した浮瀬くんは腕を組んだ。動かない気だ。私は仕方なく果南に、先に行っててと伝え彼女を送る。そして、浮瀬くんに向かい合った。


「お爺さんには厳しい?」


「そうそう、おじじだから」


「何でそんな拒否するの」


「この歳になるとね、新しい事に挑戦するのが億劫になるの」


「怖いだけでしょ」


 同じように腕を組み彼を見上げる。浮瀬くんは、そうだよと視線を逸らしながら答えた。


「新しい事で満たしていくのが嫌なんだよ」


 眉を寄せ、仁王立ちになった私は次の言葉を待つ。浮瀬くんは観念した様子で溜息を吐いた。白い息が、夜に溶けていく。


「新しい経験を重ねれば重なるほど、置いて行かれる気持ちが加速する」

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