三十一、憶えていますよ、浮瀬くん
思い入れ。この言葉にできない気持ちが思い入れというのなら、来なければよかったと思ってしまうのは酷いだろうか。つい先程までその辺にいる高校生みたいに、有り触れた日常の一コマを送っていたというのに突如として自分たちが何者なのか思い出し現実に戻された気分だった。
「……しんどくないの」
「何が?」
「この家にいるの」
「どうして?」
「だって、時間が混ざり合ってるから」
止まった時間と今が混ざり合って、触れる度切ない気持ちにさせられる。小物一つとっても、全てに思い出が散らばっている。
「慣れかな」
「慣れって……」
「僕は長い時間を生きて今と過去を混ざり合わせてるけど、千歳にとっては久々だからしんどい?」
「しんどいっていうか……」
この混ざり合った空間は、彼が一人歩き続けた時間の証明だ。便利さと切り捨てられなかった物。思い出と進歩。一つ一つに意味がある。
ああ、多分私は苦しいんだろうな。気づいた時マグカップを強く握りしめたのを彼は見逃さなかった。眉を下げて笑い開きかけた口を閉じる。私は目を逸らした。
苦しいのだ。何度生まれ変わっても置いていく結末が。何度足掻いても同じ時間を歩けないと、見せつけられる瞬間が。もうずっと昔から、苦しくて堪らないのだ。こんな事言えば置いていかれる彼の気持ちを考えろと言われるかもしれない。いや、言ってくれる方がまだいい。この人は待っていたとか、やっと会えたとか、そんな事は言っても置いて行かれる気持ちなんて知らないだろとは言わない。
置いていくのもいかれるのも、どちらもどうしようもないくらい苦しいって知ってるから。わざわざ口にして、心を傷つける事などしない。でも、言ってくれたなら。ずっと思い続けているごめんの一言を口に出来るのに。
彼はそれをさせてくれない。
「今度写真撮ろうよ、同じポーズで」
僕が立って、千歳が椅子に座るやつ。壁に飾られた写真と同じポーズだ。それを並べて楽しむと浮瀬くんは言うけれど、私は頷けなかった。
だってそれじゃあ、何も変わらないじゃないか。
「……嫌だ」
「え?」
「嫌。時代錯誤」
「ええ、何でよ」
ポケットからスマートフォンを取り出しカメラを内側に向ける。即座に自分と浮瀬くんを画面に入れシャッターを押す。画面の中にポーズを決めた私と間の抜けた顔の彼が映っていた。
「沢山、撮って飾ればいいじゃん」
あんな額縁じゃなく。壁一面に貼っていけばいいだろうと言った。あの頃みたいに写真は高価な物じゃないし、頑張って着飾らなくてもいい。残せなかった在りし日の有り触れた日常を送っていた私たちの方がよっぽど綺麗な気がした。
今ならそれを、形に残せるから。
「あはは」
突然腹を抱え笑い出した浮瀬くんはローテーブルに頭を突っ伏した。テーブルが揺れ思わずマグカップを回避させる。ちょっと、と声をかけたが彼の笑いは止まない。
「そうだ、そうだね」
「何?突然怖いんだけど」
「そうだよ、今は今だ」
納得した様子で彼は頭を動かした。顔を上げ角に顎を乗せたままこちらを見る。瞳には涙が滲んでいた。
「いい変化だよ」
「何が?」
「僕ずっと一人で考えてたんだよね。この家を快適にするために少しずつ変えていく中で、君と過ごした時間が色褪せてくんじゃないかって」
「それは……」
「でも、今は今だ。色褪せるんじゃなく新しい色を乗せるべきなんだって、今千歳に思い知らされた」
「何その言い方」
「だって再会して僕の事を今まで以上に適当に扱ってきた君が、一緒に写真撮って増やそうって言うんだぜ?嬉しくて堪らないね」
「一緒にとは言ってない!」
「あ、ごめん。僕の隠し撮り写真も一緒に飾るね」
「何それ聞いてないんだけど!」
自分のスマートフォンを操作し、いつ撮ったか分からぬ私の横顔を見せてきた浮瀬くんは人の悪そうな顔で笑っていた。ついに隠し撮りにも手を出し始めたのかこいつは。
「思い出は更新されるものだから」
私にカメラを向けシャッターを切った浮瀬くんは、嬉しそうに笑った。
そこに、寂しさの欠片はどこにもいなかった。
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