三十、憶えていますよ、浮瀬くん
飾られた写真に写るのは浮瀬くんと女性。これまでの、私。和装から洋装に変わっていく時代背景を写しながらも、写真の中の浮瀬くんだけは変わらない。同じポーズで別の女性と写っていても、彼だけは変わらない。そして姿形が変われど、全て私であった事には変わりなかった。
この部屋は彼の仕事場だった。通訳として仕事をしていた彼が写真館の経営を手伝うために作られた部屋。片隅の小さなソファーは本当に時折、私が訪れた時のために置かれただけの物。花の形のランプも、いつかの私がアンティークのお店で綺麗だと言った物。止まった時間が、ここに詰め込まれている気がした。
あの窓から見えた美しい庭園は、季節ごとに花が咲き誇っていた。けれど手入れをされなくなり随分と時間が経ったのだろう。形だけは残っているが、到底花など咲きそうにもなかった。
「いた」
背後からかけられた声に振り返る。浮瀬くんは気にも留めぬ様子で、戻るよと言った。
「この部屋でティータイムは向いてないよ」
「……そうだね」
「久々に入った感想は?」
「変わってないのと、でもやっぱり変わったのと、何とも言えない気分」
「パソコンくらいじゃない?」
「庭園とか」
「あー、それはね、手入れするのが面倒で。写真館も無くなったし継続する必要はないかなと。君がいつ戻って来るかも分からなかったから」
私の手を引き部屋を後にする彼に、何も言えなくなった。寂しいとか悲しいとか、そんな言葉では表せない心だ。虚しさとも、悔しさとも違う。ただ、時間という物がこれほどまで分かりやすく私の目の前に現れる事など無かったからだろう。
浮瀬くんと再会してから、変わった事と変わらない事を何度も実感し、時間の重みを再三思い知らされた。それでも、これが一番かもしれない。過去の足跡がこれほどまでに残っている場所など、どこにもなかったから。
苦しくなった。
「どこから話す?」
一階のローテーブルに置かれたホットチョコレートはマグカップに移し替えられ、温かくなっていた。両手でそれを包み込む。息を吹きかけ湯気を飛ばした。クッションに身体を預け沈む感覚に目を伏せカップに口をつける。向かいには制服を着崩した浮瀬くんが座っていた。いつか見たカーディガンを羽織りコーヒーに口をつけている。紅茶のクッキーに手を伸ばし口へ運ぶ。口内を爽やかな匂いが埋め尽くした。
「どこからって、どこ」
「確かに。じゃあ三十年前くらいからどう?」
「……どうぞ」
コーヒーを置いた浮瀬くんは、写真館の主であった家族の名前を出し、憶えてる?と問うた。私は頷く。忘れるわけがないだろうとは言わなかった。
「経営が傾いてて、これ以上続ける気はないか閉店したんだけど、最後の店主が独身だったんだよね。相続する人もいなくて、そもそもこんな古い建物なのに、場所と価値のせいで値段が馬鹿みたいな家誰も欲しがらなかった」
「確かに」
「だから僕が買った。長年お世話になったしここには思い入れもある。伊達に長生きしてないから金銭も問題なかったし」
僕の家です。笑いながら目を伏せた彼に、私は何とも言えない気持ちになった。
「本当はさ、適当に家を借りたりして住もうと思ってたんだけど、ほら、色々大変じゃん」
「身分証明が?」
「それは詐称してるから」
「さらっと問題発言したね」
今更そんな事をツッコんだ所でと思ったがつい言ってしまった。長い人生を生きるために様々な手を打っている事を知っている。身分を詐称するのは朝飯前だろう。そうじゃなきゃ高校生になどなっていない。その方法を聞く気はないが。
「色んな所を転々とするのもいいかなあって考えたんだけど、君がいつもこの街に現れるから。離れたら二度と会えないんじゃないかと思って」
「よく分からないんですけどね」
「本当にね。別に僕がいる場所に現れればいいじゃんね」
「これも、一つの縁か何かなのかもね」
「……だといいね」
そんなこんなで。彼は手を叩く。
「ここが僕の自宅兼仕事場です」
「まさか、自宅に連れ込まれるとは思いませんでした」
「だって外寒かったし、ここだと思って」
「機会をうかがってたんだな!」
「うん、千歳にとっても思い入れあるでしょ」
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