二十八、憶えていますよ、浮瀬くん



 こういう時だけは私に対し冷たくなる彼に、悔しくなって迷惑にならないよう小さく叫ぶ。はたから見れば可愛らしい喧嘩だと思うだろうが、さすがに毎回これは困るのだ。これまでと違って、私たちはまだ付き合ってもない。今の状況はただ、前世で一緒だった男女がクラスメイトとしてただ生活しているだけである。


「あれだよ、僕はお金を出す事で千歳の時間を買ってるから」


「ちょっと問題になりそうな発言しないで」


「実際そうじゃん。こうでもしないとすぐ帰っちゃうからね」


 いいね、お金って。楽しそうに笑っているが、図々しくなり過ぎた彼に私は呆れるしかなくなった。駄目だ、この剣に関しては彼に適わない。私は唇を尖らせながら財布を鞄に戻す。そうしていると出来上がった飲み物がカウンターに置かれた。二つを手に取った浮瀬くんに私は店内を見渡したが、席は空いていなかった。


「残念」


 諦めて店内を後にする。少し重い扉を引いて両手に飲み物を持った彼を先に外に出す。冬の冷たい風を遮るため、私は彼の身体を縦に外に出た。寒暖差に身震いがする。渡されたホットチョコレートは両手をじんわりと温めたが、それでも寒い物は寒い。震えながらプラスチック製の蓋を開ける。


湯気が上がり鼻先を温めた。すぐにでも口に入れたいが、火傷をするのは目に見えたので小さく息を吹きかける。浮瀬くんは片手でコーヒーを持ち、室内に入りたいと言い歩き始めた。


「でもどこか空いてる?」


「空いてる所はあるね」


「どこ?」


「うーん、まあまあ」


「え、どこ?」


「着いてからのお楽しみ」


 私のホットチョコレートの蓋を閉めた彼は、十分弱くらい歩くよと言って開いた手をポケットに仕舞う。どこに行くか分からぬまま彼の後を追った。


「何でホイップ追加しなかったの?」


「太るから」


「太ってないじゃん」


「今はね。誰かが餌付けするせいで手遅れになる前に自制しようと思って」


「それ僕のせい?」


「分かってるなら餌付けしないで」


「僕のせいで千歳の体積がこの世に増えていくんでしょ?いいじゃん」


「終わってるよ……」


 嘘か本気か分からない発言をした浮瀬くんの前髪が冷たい風に攫われた。耳が赤くなっている。短いと髪で耳を護れないから寒そうだと思った。


「そういう嗜好の人いるよね。太らせる事で自分の欲望を満たすみたいな」


「ああ、そういうのじゃないから安心して」


「だろうね」


 いつか見たテレビ番組で、恋人に食事を与え続け太らせる事で自分の欲望を満たす人間がいる事を知った。太らせ自分に頼るしかない状況にさせるのが嬉しいらしい。だから恋人が痩せてしまったら別れを告げたんだとか。それを見た時、こんな人も世の中にいるのかと思ったのと、大して変わらぬ事をされているのではと少しばかり心配になった。


「僕が千歳に色んな物を与えたいと思うのは、多分君が千代だった時に少し苦労させたからかも」


 間違いない。彼は納得したように空を見ながら頷いていた。別に苦労した覚えはない、とは言い切れなかった。私たちが浮瀬八千代と久世千代が結ばれるにあたり、多くの物を失ったからだ。


家族との縁を失った千代は何一つ持ち合わせていない世間知らずの女になり果て、彼の仕事はまだ軌道に乗ったとは言い難かった。だから共に住み始めてから婚姻という形を結ぶまで二年間の空白があった。


 それでも食事に困ったわけではない。ただ彼は当時千代にあまり多くの物を買い与えられなかった事を悔いているのだろう。


「後ね、君はいつの時代でも好物を手にした時の顔が分かりやすいから」


 見てて楽しい。私は動物か何かですかと聞き返せば、そうじゃないけど似てる節はあると返されたので嫌な飼い主ですねと言い閉められた蓋をもう一度開けホットチョコレートを口にした。



 舌先に伝った熱はやっぱり熱くて、急いで口を離し冷たい風に舌を晒した。

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