十四、意外だよね、浮瀬くん


 千のつく名前以外が良かった。そうじゃなくても縁は繋がってると思いたかったのかもしれない。彼が、どうやって毎度の事私だと気づくのかは分からないけど、もしあの場所で彼の名前を呼ばなかったら私に気づく事はなかったのだろうとか、そんな事ばかり考えていたのを、関係のない人間に話して初めて気づくなんて私もどうかしている。


「最初から、婚約者って言わないで欲しかった」


 そしたら時間をかけてでも、小田千歳として浮瀬くんの事を好きになったのかもしれない。最初から外堀を埋められた事により関係のない人たちが私の意思を奪っていくように感じた。嫌いではないから尚更、何とも言えない気分なのかも。だって心のどこかでは、結局彼の事を好きになると思っているからだ。


「もうちょっとさ、話を聞いて欲しかったというか」


「おう」


「あそこで言う前に、先に言う事あるでしょ?みたいな」


「あれ聞いてなかったのか」


「そりゃあ逃げた私も悪かったけど」


 彼が強硬手段に出たのは、先に私が逃げたからだという事も分かっている。言い訳がましく聞こえるかもしれないが、彼にとっては待ち侘びた八十年であっても、今の私には違うのだ。時間とは残酷である。考え方ひとつ、合わなくなっていくのだから。


「もうちょっとさ……って私が良くなかったのも分かってるんだけどさ」


「それ本人に言ったのかよ」


「言ったよ。良くなかったとは……言ってないけど」


 謝っては、いない。そうしたら多分、また良いように丸め込まれそうだったから。


「何か、私に意思はないのかって。子供みたいだけど」


「子供だろ俺たち」


「十七歳って子供なの?」


「……一応?」


 私が言う子供は、もっと小さくて駄々をこねるくらいの年齢の話なんだけど、とは言わなかった。そもそも、精神年齢はこれまで生きてきた時間を合わせたらおばあちゃんである。


「まあだから、その、ちょっと納得いってないだけ」


「言ってもあいつ聞かなさそうだもんな」


「分かる?」


「何となく。だって浮瀬って良い奴だし人当たりもいいけど、他人の顔色うかがうタイプじゃないだろ」


「仙堂……凄いね」


「まぁな」


 気付かなかったクラスメイトの一面を、この数十分の間に何度も見せられた事に驚きを隠せなかった。いつも莉愛と言い合っている男子生徒くらいの認識だったから、こんなにも周囲を見る聡い人だとは思わなかった。


「あいつは、そうだな。にこやかな顔で強硬手段するタイプだな」


「うわぁ正解」


「だって話してる時結構そうだぞ」


「そうなの?」


「おう、特にお前の話になるとめちゃくちゃ線引いてくる」


 想像がついてしまう事に何とも言えなくなった。


「自分から小田の話聞いてくるくせに、ちょっと調子乗ると目が笑ってない状態になる」


「何話したの?」


「大した事じゃないよ。一年の時の話とか、阿坂たちと仲良いとか、そういう他愛もない話」


 去年のちょっとした思い出話、言い切ってパンをまた頬張った仙堂に、またまた浮瀬くんの思考回路が読めてしまって苦笑いをした。どうせ知りたいから聞いたのに、自分のいない時間を目の前の仙堂が楽しげに話すところが嫌だったのだろう。


 でも、仙堂がこれまでの私を知らないように、浮瀬くんだって今の私を知らないのだ。一年前何をしていて、どんな生徒で、何が好きだったか。彼は小田千歳を知っているとは言い難い。


 溜息が零れ出した。私はこんなにも面倒な人間だっただろうか。考え過ぎる性格ではあるけれど、たった一人に振り回されるようなタイプだっただろうか。多分、相手が浮瀬くんだからだ。それも八十年の孤独を経た、浮瀬くんだからだ。


 がさっと、隣からビニールの擦れる音が聞こえた。視線を向けると仙堂がパンの入った袋を差し出してきている。こちらを見ずに。


「え、なに」


「やる」


「え?」


「いや、やっぱり交換。弁当、ほとんど手付けてないだろ」


「そうだけど……」


「カレーパンやるから弁当寄こせ」


 早く。仙堂は袋に入ったパン――限定のレア物カレーパンを私に押し付けて膝の上に置いていたお弁当を奪っていった。箸を使うのを躊躇ったのか、一緒に入っていたスプーンで私のお弁当を食べ始めてしまう。


「レア物じゃないの」


「レアだよ」


「せっかく二個手に入れたのに、食べなよ」


「一個食べたからいい」


「でもさ……」


「あーもう、食え!うまいから!とりあえず食ってろ!」


 そっぽを向いてしまった仙堂に、私は呆気にとられたままその背中を見ていた。浮瀬くんより少し小さな背中。けれど彼よりも肩は張ってるし、猫背気味でもない。健康的な十七歳の高校生。


 きっと、これが彼の優しさなのだろう。ぶっきらぼうに押し付けられたカレーパンはまだほのかに温かい。もう少し、良い渡し方があったんじゃない?と笑ってやりたいが、それ以上に不器用な優しさが嬉しくて、もやもやしていた胸の奥に少しだけ、風が吹いたように思えた。


 ふっと、笑みが零れる。貰ったパンの匂いを嗅ぎながら、食べる前に彼の背中にこう言った。



「五百円で売ろうかな」


「食えよ!!」



 間髪入れずに返って来たツッコミに、笑いながらパンを口に付けた。

 そのカレーパンは、今まで食べたどんなカレーパンよりも冗談抜きで美味しかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る