十一、意外だよね、浮瀬くん
浮瀬くんが転校してきて一週間経った。彼は想像以上にクラスメイトと馴染んでいた。最初こそ婚約者という発言が目立ったものの、蓋を開けてみれば彼の温厚な性格が多くの人を惹きつけた。
人当たりが良く、物腰も言葉使いも柔らかい好青年だった。さらに一途な所が多くの女子生徒を魅了した。一週間しか経ってないのに隣のクラスの女の子が、あんなにも想ってくれる人と付き合いたいと騒いでいた。浮瀬くんはモテ始めていた。
休み時間、隣の浮瀬くんの周りには女の子が数人集まっていた。惣菜パンの袋を開けた彼に、自分のお弁当のおかずを渡している。浮瀬くんは大丈夫だよと柔らかな言葉で断っていたが女の子たちは止まる事を知らなかった。
私は何とも言えない気分になりその場から立ち上がる。開きかけたお弁当箱とスマートフォン、財布を手にし教室から立ち去ろうとする。浮瀬くんの声が聞こえた気がしたが無視してそのまま教室から外に出た。
今日に限って果南は委員会で莉愛は先日のテストの結果が悪かったため呼び出されている。前者は仕方ないけど、後者に至っては何とか出来たはずだ。テスト勉強を三人でしていた時にずっと他の事をしていたせいである。本気を出せば出来るはずなのに、彼女は機分屋なので本気を出すまでに随分と時間がかかるようだ。
さて、どこで昼食を取ろうか。ひと昔前の少女漫画のように屋上が開放されていれば良かったのだけれど、残念ながら今の世では危険なため閉め切られている。手すりから人が乗り出したりでもすれば落ちる危険性大だ。
中庭はどうだろう。今日は温かな日差しが差し込んでいる秋晴れの日だ。いくつかのベンチの上に植えられた桜の木の葉が黄色に色づき始めている。後一ヶ月もすれば紅葉に変わるだろうか。その隙間から漏れ出す光が綺麗な事に去年気づいた。
花の咲く春のイメージが強く秋のイメージはほとんどなかった。だから去年の秋、色づいた葉を見た時強く印象に残ったのかもしれない。
足音を鳴らしながら階段を降りていく。擦り切れた上履きのゴムが床に引っかかり前のめりになった。とっさに持っていたものを両手で抱きかかえ、転ばないよう早足で残りの階段を駆け下りる。上履きのまま外に出て中庭に向かう。片手間にスマートフォンで世界を垣間見て前からやってきた生徒を避けていく。頭上に、陽の光が降り注いだ。
中庭に辿り着くと人は一人もいなかった。いくら秋晴れといえど寒くなって来たのだ。外で食べる人は少ないだろう。ベンチに落ちた葉を軽く払い座り込む。見上げれば色づいた葉が風に吹かれてさざめいていた。膝の上にお弁当を置き、その横に財布を置く。目を閉じ木々のざわめきに耳を傾ける。いつかの日々を思い出した。
さて、私はどうするべきなのだろう。彼が人気なのは良い事だ。僅か一週間で人気になるくらいには。これまでの人生で彼が注目の的になる瞬間なんて考えられなかった。というよりそんな瞬間なんて訪れなかった。
いつだって一度会ってしまえば彼は私と離れる事無く四六時中一緒だったからである。同じ学校に通うなんて事もなかったし、同年代の子に囲まれるタイミングなんてなかった。駄目だ、これだとマウントを取っているみたいになる。
事実。そう、ただの事実である。男女平等など存在しなかった時代だったから。
だから、新鮮なだけで。それ以外は何とも思っていないのだ。そう自分に言い聞かせる。隙間なく詰められたおかずに箸を刺す。迷い箸ははしたないが、空腹なわけでもなかったので口に運ぶのを躊躇っている。胸の奥に何かが溜まっている気がした。あまり、いいものではなさそうだった。
「私、何がしたいんだろう……」
自分の心が分からないのは久し振りだった。彼と再会してからずっと分からない。小田千歳として十七年を生きてきた。時折過去に引っ張られる事もあったけれど私は千歳としての人生をそれなりに楽しんできた。彼がいなくても、私の世界は楽しかった。
それがどうだ。再会しただけで私の人生はあっという間に彼によって百八十度変えられてしまった。前世に逆行。恋だとか愛だとか、形容しがたい何かが胸の奥をつっかえ続け、正解すら出せない感情が心の中心に埋め込まれた。これが、美しい感情であれば良かったものを。
生まれ変わる度に私は私が分からなくなってしまった。確かに記憶を受け継いで、確かに彼を好きだったのにまるでそれが、千歳としての感情ではなくて何かに引っ張られ操られているようにも思えてしまった。
最初の私――千代が残した後悔が、執着となってしまったのではないかと。ある種の呪いのように、生まれ変わっても自分を縛っているのではないか。
前の私はどうしたっけ、そもそも今の私と前の私は同じなんだっけ。ゲシュタルト崩壊しそうだ。今みたいに突き放そうとした覚えがある。結局それも、言いくるめられて終わったのだけれど。
浮瀬くんが抱く感情は恋慕なのだろうか。それとも執着か。始まりこそ愛であったかもしれないが、ここまで来ると執着に近い物があると思ってしまう。私の、胸の奥のもやもやも多分その類である。
彼が死なない理由は分からないし、私が何度も転生する理由だって分からない。けれど毎回会う必要はあるのだろうか。お互いの人生を歩むのが、私たちにとっての最適解なのではないだろうか。だって絶対遺して死ぬし。
卵焼きに穴を空けながら考える。千歳としての平凡で楽しい時間は終わってしまった。
私は多分、これを恐れていたのかもしれない。会ったら後はさよならだけとか、それ以上に。今の私が消えていくような感覚に陥るのが怖かった。変えられていくのが怖かった。彼の事で一喜一憂するよう神様に作られたみたいだ。だってこれまでの十七年間と僅か一週間を天秤に置いても、明らかに数日の方が重たくなってしまう。
今もそう。別に気にしていない振りをしながら何だかんだ頭を占めるのは彼の事である
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