十、強引です、浮瀬くん


「……暇なの?」


「そこまで暇じゃないけど、それくらいの時間は作れるよ」


「暇じゃないんだ……」


「そりゃあ僕も、お金稼ぎしないとだし」


 そこまで困ってないけど。そうだろう、ずっと生きてるのだから貯蓄は沢山あるはずだ。貨幣価値が変わっても、それなりに持っているだろう。


「戦時下で銀行が崩れて、ずっと預けてたお金がぱあになったんだよね」


「それは、残念だったね?」


「その後しばらくはきつかったなあ。まあ今は沢山あるからいくらでも千歳に貢げるよ。何か欲しいものある?」


「いや大丈夫だから!」


 下手な事を言ったら確実に買ってきてしまう。浮瀬くんはそういう男である。


 それにしても、話を聞く限りだと潤沢そうだが、そんなに稼ぐ理由はあるのだろうか。


「いつまで生かされるか分からないしって言うのもあるんだけど、何よりちょっと必要とされる職種になっちゃって」


「必要とされる?」


「この話はまた今度。とりあえず僕は今後千歳が死ぬまで贅沢な暮らしを出来るくらいの資金があるけど」


「わお」


「君はそういうの、望まないだろ?」


 ましてや今は男女が働ける時代になったから。勿論、その前からも私は浮瀬くんだけにお金を払わせるのが嫌だった。当時は当たり前だったけれど、彼に贈る物を彼のお金から贈るのが嫌だった。


 自分の手で稼いだお金で、彼に渡したかったと嘆いた事がある。そんな事を気にする浮瀬くんではなかったけれど、これは間違いなく私のプライドの問題だった。


「……そうだね」


 完全に平等だと言えるまでにはなっていないかもしれないが、今の私は働いてお金を稼ぎ好きなように使う事が出来るのだ。好きに出かけて、好きな物を買って、自分のために使える。だからこそ、ひと月の収入が減るのは避けたかった。遊び盛りの高校生からお金を奪うのは鬼の所業だ。


「とりあえず次のアルバイトの日に言ってみなよ」


「……うん」


「ちなみに、全然申し訳なくないからね」


「何で?」


 後ろ手で人差し指と中指を立てる浮瀬くんは、その手をふらふらと動かした。


「千歳は稼げる」


「うん」


「僕は千歳と会える」


「うん?」


「一石二鳥だ」


「ううん?」


 色々突っ込みたいが多分聞きはしないだろう。今の彼は一秒でも長く、私の近くにいるつもりだ。いや、いつの彼もそうだ。違ったのは始まりだけで。


「何で高校生なんだ、大学生とかだったら家に閉じ込められたのに」


「怖!!何さらっと怖い事言ってるの!」


「あ、監禁じゃないよ?同棲的な意味で」


「今のいい方は確実に前者だったよ!」


 高校生で良かったと額に手を当てた。


「まあ言ってみな?で、許可貰ったらその日から迎えに行くよ」


 ポケットの中を漁りスマートフォンを取り出した彼は、連絡先と言い電話番号を出した。しかし、画面にトークアプリのアイコンが見えて、私はそちらの方がいいのではと問うたが彼は首を横に振った。


「こっちの方が使い勝手いいけど、いざという時に電話番号持ってた方がいいでしょ」


 その通りである。他愛もない話をするならトークアプリでいいが、家族や近しい人とは緊急連絡先として電話番号を持っていた方がいい。が、随分と慣れた手つきで連絡先を交換する浮瀬くんに、私は違和感しかなかった。


 最後に会ったのは戦争が始まる前で、電子機器の普及などありはしなかった。手紙のやり取りが一般的で、送ると一ヶ月以上返ってこない時も当たり前にあって、返事が来るまでずっと不安で仕方なかったものだ。それを考えると、一瞬で意思疎通が出来る現代は良い物だと思う。その分、近すぎて返事の喜びが薄れてしまったが。


 彼に促され連絡先を交換した。電話帳に、浮瀬八千代が現れ、トークアプリにも彼の名前が反映された。私は適当に好きなスタンプを送る。それを見た浮瀬くんが、何これと噴き出した。


「可愛いでしょ」


「何この鳥獣戯画みたいな怪物」


「これはがぶまるくん」


 鳥獣戯画風に描かれたサメのキャラクターのスタンプだった。私はこのスタンプが好きで堪らないのだが、友人たちからは大変不評である。この絶妙にリアルで緩い感じが可愛いのに。


 浮瀬くんは口を覆い笑い続けていた。こいつもがぶまるくんの可愛さが分からないと言うのか。顔を上げ睨みつけても、彼の笑いは止まらない。ようやく目が合った時、あ、久々に合ったと思ってしまった。久々と言っても、つい数十分前までは目を合わせていたというのに。


「君らしいなと思っただけ」


「可愛いもん……」


「そうだね、可愛いよ」


 僕も買おうと言って、彼はその場でがぶまるくんのスタンプを買った。そして私のトーク画面にがぶまるくんのスタンプを送って来た。


「お揃い」


 その顔の嬉しさと言ったら、言葉で言い表せないほどの喜びを携えていた。


「帰ろ。家の前までちゃんと送り届けるから」


 歩き出した彼の背中を見ながら、私は少し熱い頬を冷ますように首を振りスマートフォンをスカートのポケットに仕舞った。繋がれた手が熱さを増したのに気づいた時、何だか涙が出そうになった。


 ただ、二人で手を繋いで帰り道を歩いている。ただそれだけの話だというのに、それがどれだけ幸せだったのか、今更気づいてしまって前の世の自分たちを思い出し唇を噛み締めた。


 ただ手を繋ぐのが、どれだけ困難だったのか。ただ手を繋いでいる今を、彼がどれだけ待ち望んでいたのか。そして、私がどれだけ手にしたかったのか。本当に、本当に今更だった。


 鼻を啜って目を伏せる。歩みに集中していると、浮瀬くんの声が降って来る。


「どうかした?」


 顔を上げると心配そうに私の顔を覗き込む彼と目が合う。何でもないと呟いて彼の左腕に頭を預けた。


「そっか」


 そのまま歩き続ける彼は頭を預けたままの私に何も問わなかった。ただ今を噛み締めながら息を吸った。今だけは同じ酸素を吸っている事を願いながら。


 金木犀の香りが、私達を包み込んでいた。

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