九、強引です、浮瀬くん


 不意に反対車線に同じ制服を着た学生が見えた。私達を好奇の目で見ている。若者が同じ学校のカップルを見て噂するのは当然の事かもしれないが、あまりいい気分にはなれず、私は繋いだ手を離そうとした。


 しかし、それすらもお見通しだったらしく浮瀬くんはわざと繋いだ手を上にあげ、こちらを見ている学生に手を振った。


 何を言っているかは分からないが、彼らはこちらを見ながら楽しそうにはしゃいだ後足早に去って行った。行っちゃった、残念と何一つ残念そうにしていない声が降り注ぐ。呆れた。右手を振り払おうとするも、悲しきかな男性の力には適いそうもない。


「性格悪……」


「どこが?こっち見てたから手振っただけだよ」


「絶対噂されてる」


 どこかの誰かさんが数時間前に、婚約者なんて言ってくれたから。彼より数歩先を歩き出す。浮瀬くんは事実じゃんーとこちらの機嫌を取る振りを見せかけて、折れる事はしない。もうお見通しだ。


「二世紀ほど前の婚約は有効じゃないです」


「さっき言いくるめたと思ったんだけどな」


「絶対そうだと思った」


 話をすり替えられたと思った。長生き出来るといいねなど言われ、少し気を許しかけた。


「ほら、言っちゃえば逃げられないでしょ」


「最低な思考回路……」


「逃げようとした方が悪い」


「あー!もう何でこうなった!」


「あの場所に来ちゃったから」


 それを言われたら何も返せない。足を止め睨んでみたが何も効果はない。むしろ嬉しそうだ。ずっと、口角は上がり目元は緩みっぱなしである。


「いやーいいね。この感じ」


「はぁ?」


「それでこそ君だって思って。何度会っても、いつだって多少の言い合いの末に僕に言い負かされて悔しそうに睨む」


 皺が寄っているのだろう、眉間に人差し指を差された。そのまま、皮膚をなぞり鼻先まで指を滑らせる。


「……やっと会えたなあって実感してる」


 ほらずるい。緩んでいたはずの表情が酷く感傷的な色を映したまま微笑んだ。眉を下げ、皮膚をなぞる指が頬に辿り着く。大きな手の平が耳ごと左の頬を包み込んだ。ピアスをいじられ、少し変わったけど、と唇を動かした。空白を埋めるように、変化を知るように、ピアスを触っていた指は止まり頬を撫でた。


「ピアス、開けたんだね」


「……開けたら、運命が変わるって聞いたから」


「僕も開けようかなあ……」


「変わらなかったけど」


「二人で開けたら変わるかもしれないじゃん」


 変わらないよ、とは言えなかった。その顔を見て真実を言えるほど私は非道にはなれない。


「その時は千歳が開けてね」


 手が離れていく。彼の足が動き、引っ張られるように私も歩き始めた。背中しか見えなくなって、どんな顔をしているのかも分からない。けれど多分、何となくだけど分かる。


 無言で数分ほど歩いた頃、努めて明るい声が背中越しに届いた。


「そういえばアルバイトは?どうなった?」


 先程の話はもうしないという宣言のようだった。私自身も、話を続ける気にはなれなかった。だってどれだけ話しても無意味だからだ。そしてこのまま最期まで、共に過ごすと言えるほどの覚悟などなかった。


「しばらく七時上がりになっちゃった」


 四時入りなのに、と嘆いたが浮瀬くんはそっかーと返すだけだ。三時間しか働けないんだぞ、給料下がりまくりだぞ、と抗議してやりたかったが、ストーカーの一件を冷静に話した。彼は相槌を返すだけだった。他に言う事はないのかと言おうとしたその時、意外な言葉が返ってきた。


「九時上がりに戻してもらえばいいのに」


「話聞いてた?危ないからって……」


「僕が迎えに行くからいいよ」


「は……」


「聞こえなかった?僕が迎えに行くから大丈夫ですって言いなよ」


「え……っと」


 顔も視線も前を向いたままだった。だが、これは本気だと分かる。彼が淡々と言葉を続ける時は本気の時だからだ。


「いや、でも……」


「両親は無理だろ?」


 確かに、難しいだろう。二人とも遅くまで仕事をしている事が多いからだ。帰宅時間は私のバイト上がりとそう変わらない時ばかりで、たまに七時頃に帰って来るけれど、迎えにとは言えなかった。何より、この前の事件に関しては深く話していないのだ。


 自分がストーカーに遭った事なんて心配をかけると思い口に出来なかった。全部を知ったら、間違いなく辞めさせられるだろう。


「無理……かもだけど……」


「僕ならいつでも大丈夫だし、何よりどこかの誰かが生まれ変わる度問題に巻き込まれて現れるせいで腕が立つようになりました」


「それは不可抗力」


 私だって、好きで問題に巻き込まれているわけではないのだ。けれど何故か、初めて会った時から必ず何かしらの問題に巻き込まれ、逃げるようにあの神社に駆け込んでは助けられている。だから先日も足が勝手に動いたのだ。


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