八、強引です、浮瀬くん


「あのさあ」


「うん」


「転校してきて、突然婚約者ですって言って、隣陣取ってずっとこっち見てる人間がいるなんて困惑以外の何物でもないでしょ」


「事実しか言ってない」


「今、は、違、う」


 ご丁寧に区切って文句を言う。浮瀬くんは、ああと閃いた様子で言葉を続ける。


「確かに、小田千歳としての婚約は結んでないね。今から結ぶ?」


「何でそうなるの!」


「もう諦めなって千歳。元通りの生活は無理だよ。僕はようやく元通りの生活になったけど」


 ぐっと、唇を噛み締めて余裕そうな浮瀬くんを睨みつける。こいつ、合っていない間に随分と傲慢になっている。それほどまでに、空いた時間が彼を変えたのか。そして、私が変えてしまったのか。


「それとも何?好きな男でもいるの?」


「いる」


「はい嘘」


「はぁ?」


「君が嘘つく時はいつの時代でも目を見開く」


 こうやって、一度大きく目を見開いてからわざと視線をそらさず嘘をつく。ご丁寧に真似をした浮瀬くんに、私はそれまで一度も気づく事のなかった自分の癖に気づき恥ずかしくなった。ずっと、バレていたと言うのか。


「まぁ何を考えてるのかはある程度分かってるからいいよ」


「分かってるって……」


「どうせ僕を置いて死ぬから会いたくなかったんでしょ?絶対置いていくし、置いて行かれるから」


 先程までのへらへらはどこへやら。真っ直ぐ私を見つめる浮瀬くんの目尻は垂れていなかった。何か言わないと。口を開いたが言葉は喉奥に突っかかり声にならないまま発する事を諦めた。


 分かっていたのだ。彼の事だから私の思っている事なんて一発で分かってしまうと気づいていたのだ。突き放す理由を知る事は彼にとって朝飯前である。私の必死の決意も彼の前では泡みたいに消えていく。


「それは……」


「いいよ、それでも」


 歩道のコンクリートと睨めっこし始めた私の視界に、しゃがみ込んだ浮瀬くんの顔が入って来る。両手を掴んで私を見上げる彼の顔が珍しくて、重力で流れる髪が綺麗で、露わになった額に私の影が差し掛かった。


「それこそ今更だ。君が先に死ぬのも僕が死ねないのも。それでも僕は一緒に居たいんだけど、千歳は違う?」


 ああ、ずるだ。そんなの、ずるい。緩やかに優しく弧を描く唇が、どれだけ虚空に言葉を吐いただろうか。こちらを見据える瞳は、どれだけ孤独の日々を眺めてきたのだろうか。その時間を分かってしまうからこそ、私の目の奥は熱くなる。大きな手の平に包み込まれているだけで、それだけで奇跡みたいなものなのに。


 出会ってしまえば戻れず、この手を離す事なんて出来ないのに。


「違く……ない……」


「だよね」


 必死に絞り出した答えを、さも当然だと返す姿も、ずっと分かっていた。


「安心して、別に今すぐ恋人になろうぜって言うわけじゃないし君には君の生活があるから邪魔する気はないよ」


「もう邪魔してるじゃん……」


「これは邪魔じゃなくて保護」


 何が保護だ。自分が一緒に居たいだけのくせに。でも今日一日、隣に浮瀬くんがいる事で酷く安心していた私がいた。目を離せばいなくなってしまうかもしれないと怖くなり隣を見る度、彼はそこにいて私を見て微笑んだ。それが、この十七年間でぽっかり空いていた穴をどれだけ埋めていったのか彼は知らない。


 ずっと会いたくて我慢していたのは私だって同じだったのだ。


「好きにならないかもしれないよ」


「それはない」


「何でよ」


「そう言っていつも絶対僕の手を取るから」


 そうだ。その前も、前もそう。別れがたくて、離れた方が幸せになれると思った。置いていく悲しみも、置いて行かれる悲しみも知らないままの方が、お互いに苦しくないのではと思った。それでも最後には結局、この手を取ってしまうのだ。


「だから千歳の覚悟が決まったら教えてよ」


「覚悟って……」


「この先添い遂げる覚悟」


「重いな」


「大丈夫だよ」


 浮瀬くんが立ち上がる。見上げる彼の顔はどこか清々しそうだ。


「現代医療は発達してるからね」


 そう簡単には死なない。言い切った彼に、私は思わず噴き出してしまった。


「とりあえず年に一回は人間ドック受けとこう」


「考えとく」


「長生きできるよ。平和な世の中だし」


「だといいね」


「後は僕が死ねたら一番いい」


「……そうだね」


 私の右手を奪ったまま歩き出した浮瀬くんに、まあいいかと思いながら目を伏せる。伝わる熱は、少し熱い。死なない彼は生きていて、人の皮を被った怪物になり果てたと笑う。それでも体温は普通の人で、道行く人から私たちはただの高校生カップルに見られているだろう。


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