五、お久しぶりです、浮瀬くん
こんなにも憂鬱な月曜日は初めてかもしれない。隈をメイクで隠し、げっそりした顔で校門をくぐった。先週は散々だった。
ストーカーに遭い彼と再会した金曜日、土曜日の朝には店長から連絡が来てストーカー男が捕まったらしい。先輩を含む全従業員に接触禁止令を出されたようだ。それは何よりである。
当分の間私の夜間のアルバイトは夜の七時で帰宅する形になった。どうしても忙しい時は迎えが来るまで帰れないか、男性社員に送ってもらう形になった。ストーカー男のせいで私の稼ぎが減る羽目になった。
日曜日は果南と莉愛と出かけたのだがそれどころじゃなくて酷く心配された。二人はストーカー男に対して酷く怒り私を慰めていたが、私的に問題なのはその一件じゃなく誰に話す事も出来ない、彼の事だった。
彼と再会したせいでこの数日、私の夢は前世の記憶ばかり再生された。それも、一番見たくない瞬間ばかりを。おかげさまで安眠とは程遠い生活を送る羽目になった。
しかしこの週末、彼を見かける事はなかった。家がばれたから、朝から待ち伏せされる可能性もあると踏んだのだがそれは起きなかった。安心するのか、不安になるのか、訳の分からない気分でいる。
教室の扉を開ければ先週と同じ景色が広がっていた。
「おはよー」
「ねぇ千歳寝てないでしょー?」
「ばれた?」
「隠し方下手くそだよ、莉愛がやってあげよう」
席についた私に莉愛は自分の鞄からメイクポーチを持ってきた。そして私の隈を隠すようにメイクを始める。器用なものだ。毎日彼女にやってもらえたら、どれほど楽だったろうか。
「……ストーカーのせい?」
深刻そうな果南の声に、思わず苦笑してしまう。
「ううん、それは正直もう大丈夫」
「なら何でそんなげっそりしてるの」
「夢見が、悪くて」
嘘ではない。すると果南は、いい安眠方法を考えようと言い出した。それに莉愛が乗り、また仙堂が突っかかってきてくだらない言い合いが始まる。いつも通りの日常だった。
そう、いつも通りの日常だった。
「今日は転校生を紹介します」
季節外れの転校生にクラスメイトが浮足立った。私は何故か嫌な気がして背筋がぞわっとする。入ってきてとかけられた声に、扉が開かれた。
そして、運命を呪った。
どこからか格好いいと声が聞こえ、背が高い、優しそうなイケメン、黒板に書いた字が綺麗だとか、そんな声が飛び交い続けた。
その人はブレザーにネクタイをしっかり締め、グレーのカーディガンを着ていた。開いた窓から吹いた風が指通りの良い髪を攫い、金木犀の香りが教室に充満した。
「じゃあ挨拶よろしく」
ああ、だから秋は嫌いなのだ。
「浮瀬八千代です。この前まで海外にいて、最近帰ってきました」
この前って何百年前だよとツッコミを入れる事も出来ず、微笑んだ彼はこちらを見た。
そして、目が合った。
「そして千歳の婚約者です」
よろしく、と手を振ってきた浮瀬くんに、私は全てを諦めて手を振り返した。教室内はどよめき浮瀬くんは嬉しそうに私の右隣にわざわざ机を持ってきて、隣に座っていたクラスメイトと場所を交換してしまった。
「だから言ったでしょ、もう無理だって」
前世の記憶がある。その前も、その前も、ある時代から、前の人生の記憶がある。
始まったのは一八〇〇年代の終わり、横浜が開港してから二十年後のお話。当時の私久世千代は地主の父を持つ、お金持ちの家柄の少女だった。
女学生としてこの地に住んでいて、ある日見知らぬ外国人男性に絡まれた。英語なんて喋れるわけもない私は逃げて、追っかけてくる男性に恐怖し、元町厳島神社まで逃げ込んだ。
そこで助けてくれたのが当時三歳年上で英語を学んでいた浮瀬八千代だった。
彼と仲良くなり恋をして、一度は離れすれ違い、それでも再び結ばれて結婚するまで至った。
そして結婚式の前日、金木犀の香りが充満したある秋晴れの日。
夫婦になる前に、私は浮瀬くんを残して死んだ。
次の世で、私は千代の記憶を持って生まれ変わった。そして、あの神社で再び彼と会った。再び恋をして、やっぱり秋に死んで、また生まれ変わって恋に落ちて秋に死んだ。
初めて私が死んだ日から、浮瀬くんは死ねなくなっていた。
歳を取らず、死なず、彼は何故か永遠を生きる怪物へと成り果てた。
そして私は、必ず浮瀬くんを残して秋に死ぬ。
金木犀の香りが嫌いだ。いつだって出会いと別れを彷彿させるから。だから会いたくなかったのだ。だって私は、また貴方を残して死ぬから。何度も一人にさせて、何度も置いていく。それが嫌だったから、もう二度と会わずに終わらせようとしたのに、出会ってしまったが最後、私は彼を拒めず、彼は私の隣に居続ける事を諦めない。
私の隣で何食わぬ顔をし微笑んでこちらを見続けている彼は。
浮瀬くんは、死ねない。
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