さんじゅーにぃ


「秋田ちゃん、ちょっとお話ししようぜ」


 と柔道部の一人が言う。無理に笑顔を作ろうとしているのか。にたぁ、と浮べるスマイルに背筋が寒くなった。


「何を考えているの?」


 そう言って庇うように俺の前に立ったのは、藩宮さんだった。この場にいるその数、13人。ただならぬ雰囲気に、即体を動かせるのも、藩宮さんの魅力だと思う。


(でも、待って)

 前に行くのは、そういう時こそ俺でしょう?


 そう俺が前に出ようとしたら、グイッと藩宮さんが前に出る。だから俺もグイッと、さらに、前に出る。


 グイッ、ぐいっ、グイグイ。俺と藩宮さんは、互いに譲らないと言わんばかりに、前に出ようとした。


「ちょっと、秋田?」


 肩でぐぃっと押す。サッカーでいうところのタックルか。しかし、バスケットボールも体がぶつかり合うスポーツだ。こういう真っ直ぐにくる力は、少し逃がしてあげたら――。


「きゃっ」


 藩宮さんが、今まで聞いたこともないような、可愛らしい声を響かせるて――。

 そして、バランスを崩した。


 慌てて、俺は藩宮さんを受け止める。ガツンと床に頭を打ちつけたが、なんとか藩宮さんは無事なようで――。


 しぃん。

 その場は、不気味なくらい静寂に包まれていた。


 いや、むしろ冷気の如く悪寒を感じるのは、どうしてか。視線を移動させれば、膝丈のスカートからスラッと伸びた、白い足が見えて。


 視線を移動させれば、両手を腰に当てて、俺を見下ろす花園花圃――鉄の聖母様――鉄の聖母様と視線が合う。


「は、花……?」

「しゅー君は何をやっているんですか?」

「……へ?」


 目をパチクリとさせる。何度か。花を怒らせたことはあったが、今日は群を抜いてその温度が低い。


「……梨々香ちゃんと待っているって、そういう親交を深めるため、だったんですね」

「か、花圃? 違うよ、これ事故だから!」


 藩宮さんの親身なフォロー。でも、まず降りようか。浮気現場――というよりも情事の瞬間を目撃されたダメンズ扱いされている気がしてならないけれど。


「違うと言うのなら、どうしてしゅー君は、私と目を合わせてくれないんですか?」

「いや、だって……」


 顔を上げたらまた、見えちゃうじゃん! ストライプの生地が! 俺だって男だから、意識しちゃうの。ちょっと、この男心を分かって!?


「秋田、起きて――」


 そんな俺の心情を察してか、藩宮さんが俺を無理矢理、起こそうとする。でも、そもそも姿勢に無理があった。すでに俺に跨がっている藩宮さんが、どうやったって、俺を起こせるはずがない。ボディーメカニクスで考えても、無理ゲーだった。


「へっ?」


 藩宮さんは懸命に俺を引っ張る。

 俺は動けない。


 その瞬間、バランスを崩した藩宮さんが俺の胸に飛び込んできた。今、まさに作用反作用の法則が適応した瞬間なのか、と――他人事で思考を巡らしている場合じゃない。


(……藩宮さん?!)

 藩宮さんの髪が、俺の鼻腔をくすぐる。

 今までにないほど、距離が近い。


「あ、秋田……」

「は、藩宮さん?」

「しゅー君?」


 人間って、こうまで感情を消し去って笑うことができるんだって、妙に感心してしまう。そして、真の恐怖に対しては、微動だにできないのだと、身をもって知った瞬間だった。


「しゅー君。私が、先生達とお話をしている時に、何をしていたのかな?」


 眼光が鋭すぎる。


「あ、いえ、その。これは――」

「しゅー君? ちゃんと、教えてくれないと分からないよ? 私、遊んでいたワケじゃないよ? 少しでも早く用事を終わらせようって、一生懸命頑張ってきたんだけど? これはどういうことなんですか?」


「いや、だから。これは誤解で――」


赤い悪魔エッチデビルさん、私の質問にちゃんと答えてくれます?」


 酷くない?


「いや、だから、花を待っていたら、こいつらが来て。せめて、藩宮さんは、巻き込みたくないと思って――」

「それで、今もそうやって抱きしめていると?」


「「!?」」


 花に言われて、ようやく自分たちがどんな体勢で――抱きしめ合っていたのか、気付いて、慌てて離れた。


「……それで【紅い鮫スケコマシャーク】さん、他に言い訳は?」


 新しいあだ名、本当に風評被害!


「いや、だから! 本当なんだって! なんなら、こいつらにも聞いてもらっても――」


 と柔道部員をはじめとした、鉄の聖母様親衛隊達を見やって……


(何でこいつらに話を振った、俺)


 フォローしてくれるはずがなく――。

 

「聖母様、僭越ながら申し上げます。すでに、おっ始めていました! すでに第7ラウンドでした!」


 嬉々として、柔道部員が敬礼しながら言う。制服が乱れてもいないのに第7ラウンドって、なんなの? プロレスごっこなの? 流石に話が盛りすぎだ。そんなにたな――いや、なんでもない。


「……それ、私が淫乱だって言いたいワケ?」


 今度は、藩宮さんが目を剥く。まぁ、跨がっていたのは藩宮さんなので。そう解釈されてもおかしくない。


(……今日は面接の日なのになぁ)


 小さく息をつきながら。

 花と藩宮さんが、冷たすぎる空気放って、第二ラウンド開始を告げたのだった。





■■■





「そうなら、そうって言ってくれたら良かったのに」


 少しだけ頬をふくらましながら、花が言う。必死の説明をすること、1時間。今日の保育園での面接は――もう、その考えは頭の片隅に追いやった。決めるのは、園長先生である花奈さんだ。花は兎も角、俺じゃない。


「しゅー君は、ちょっと女の子との距離が近すぎると思うんです」


 つんと鼻先を指で弾かれる。それ、花が言う?


「ま、私は気にしないけどね」


 藩宮さんも気にしよう?


「ダメですよ、梨々香ちゃん。親しき仲にも――」

「それは花圃もだよね?」

「え……?」


 花は言われてようやく気付いたらしい。俺との距離感、そして藩宮さんと間隔に視線を向ける。


 正座させられている俺。その真っ正面で、膝と膝がつく位置に鎮座する花。花が呼吸する度に、息遣いを感じる。


 一方の藩宮さんは、俺の左隣で、拳一つ分の間隔を空けて座っている。俺からすると、十分に距離が近い。遠巻きに見ている聖母様親衛隊の怨嗟に満ちた視線を一身に受けながら、きっと俺の感覚は間違っていないと思う。

 と、花が小さく息をついた。


「……ごめんなさい。職員室で聞いた話があまりにも馬鹿馬鹿しくて。ちょっと、イライラしていました。しゅー君が全部、悪いワケじゃないのに」


 全部ではないけれど、一部は責任があるとは言いたいらしい。つい、苦笑が漏れる。


「しゅー君?」


 きょとんとした顔で俺を見る。


 誰かと誰かが仲良くなれば、誰かと誰かがいがみあうことだってある。【聖母様】と羨望する眼差しの先には、彼女に良い所を見せたい奴らのマウント取り合い合戦。もしくは、彼女に気に入られようと、友達アピール。そんな人達が、突然掌を裏返すのもよくある話で。


 そんな人達に向けて、花は笑顔を向けながら、適度な距離感を保っていた。

 俺は、そんな花園花圃を、ずっと遠くから眺めていたんだ。


 それに――花の父親のように、平然と傷つけて。そして、家庭を踏みにじった人もいる。


 勝手な想像でしかないけれど――花は、仲良くなった人が離れていかないか。そんな心配を燻らせていたんじゃないかと思う。


 だったら、俺がするべきことは、取り繕った「ごめん」なんて、言葉ではない気がする。


 ぽふん。

 俺は花の髪に手を置いた。

 花は目を丸くする。


「……しゅー君。私を保育園の子達と同じ扱いしていませんか?」


 むしろ不機嫌になったの、どうしてだ? 朱梨はだいたい、これで安心してくれるんだけれど。


「してないよ。むしろ友達トクベツだって思っているから」

「特別ですか?」


「うん。大切な友人ヒトだって思っているよ。だから一緒に過ごす時間を、なおさら大切にしたいって思っている」


 花とこうやって過ごす時間は限られている。父さんが帰国したら、この生活も終わる。でも、それまでの間、できるだけ花の力になりたい。それは偽らざる、俺の本心だった。


「……今は、それで納得します」


 ようやく――ふんわりと、花が笑う。


「あ、あのね、花圃!」


 藩宮さんが、じっと花を見る。


「梨々花ちゃん……?」

「私も! 花圃のことを特別だって思っているからね!」


「それは私も……でも、しゅー君と距離が近すぎるのは、どうかって思うんですけれど?」


 だから、それを花が言う?


「秋田とは、もっと仲良くなりたいって思っているから。むしろ、遠慮なんかできないかな?」

「それは私だって――」


 二人ともにこやかに笑顔を浮かべるのに、視線が交わる先で、火花が散っているように思えるのはどうしてか。

 なんとも言えない緊張感が教室に充満していた。


「……それで、お前らは結局、何の用事だったの?」


 耐えきれなくなった俺は、親衛隊の一人――柔道部員に視線を向ける。




 ――秋田ちゃん、ちょっとお話ししようぜ。

 そう言ってきたはずが、すっかり毒気に当てられたかのように、鉄の聖母様ばかり見ている。言われて、彼もはっと我に返ったようだった。



「そ、そうだった……あ、あのさ、秋田!」

「ん?」


「お前だけ、花園保育園でボランティアって、狡くねぇ? 俺達も、混ぜろや!」 

 彼なりに凄んで、俺に圧をかけたつもりだったんだろう。そんな圧なんて可愛いと思えるくらい、教室内の温度がグングンと下がっていくのを感じた。


 その瞬間――。

 花の表情カオから、感情そのものが、かき消えた。





■■■





「あの、くだらない提案……あなた達が原因だったんですね?」

 どうやら【鉄の聖母様】の逆鱗に触れたようだった。

 

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