さんじゅーいちっ


「しゅー君っ! 絶対、絶対ですからね!」


 鬼気迫る――なんて、女の子に言ったら失礼か。真剣な表情で、花が距離をつめてくる。


「置いて帰ったことなんかないから――」


 いや、あったか。正式に保育園生活が始まって。聖母様のジャマになってはいけないと、気を利かせて、即時撤退したのだが、その後の花が激オコだった。


「二回もされたんですから。信用ゼロですっ!」


 ぷくっと頬を膨らます。私、怒っていますと全力で表情で抗議していた。


「「「「「可愛い」」」」」


 思わずギャラリーと声が重なる。でも、二回? 思わず、首を傾げてしまう。


「誘拐事件を忘れたと言わせませんからね」

「いや、誘拐されて無いけど?」

「なにか?」

「い、いえ、なんでもないです……」


 そこまでギロッと睨まれたら、返す言葉もない。結局、あの時の俺は花に対して、遠慮ばかりしていた。

 でも、あの騒動がなければ、花と胸襟を開けなかったように思う。


「ま、俺も良い仕事したってことだよね」

「「「「キャプテン?!」」」」


 俺を含めたチームバスケ部の集中砲火を受けて、首を竦めるキャプテンだった。いや、そもそもキャプテンとマネージャー、クラス別じゃん。なんで、いるのさ?


「いや、彩翔を迎えに――」

「と言いながら、朱理とジャレたいだけなんじゃ?」

「だって、ズルいじゃん。俺だって、朱理をからかいたい!」


「おいっ!」

「あ、間違った。俺も花園さんみたいに、朱理とイチャイチャしたい」


「イチャイチャしてない!」

「イチャイチャしてませんっ!」


 見事にハモった俺と花だった。


「そういうとこだって」

「そういうとこだね」


 湊と藩宮さんが、声を揃えて言う。賑やかすぎて、頭痛がしてくる。非難される意味が分からない。


「じゃ、俺達はそろそろ行こうかな」


 と彩翔が立ち上がった。


「へ?」


 俺は目をパチクリさせる。花が担任に呼ばれ、これから職員室へ。バスケ部の面々は当然、これから体育館で練習がある。そして、残るのは俺と藩宮さん――?


「あ、あとで。保育園行くから。ウチもいったん帰るね――」


 今日から、藩宮さんも保育園のボランティアに参加することになったのだ。でも、ココで藩沼さんだけ帰ってもらうのも違う気がするし。しかし、二人きりっていうのは、やっぱりちょっと気まず……くて――。


「梨々花ちゃんも待っていてくださいね」


 花がそんなことを言うから、藩宮さんがポカンと口を開ける。


「え? でも――」

「でも、じゃないです。私、梨々花ちゃんとも、お話がしたいんですから」


 花が藩宮さんの手を握りしめる。


「……だから、しゅー君。梨々花ちゃんにまで……エッチなことしたらダメですよ?」


 花の爆弾発言に、聞き耳を立てていたクラスメートがザワついた。


 ――なに、それ?

 ――鉄の聖母様を秋田、汚したってこと?


 ――いや、でも見ろよ。聖母様、イヤがっていないよね?

 ――むしろ喜んでいる……?


 ――頬、赤くして照れて。何をやったんだ、秋田?!

 ――待って! 『里梨花ちゃんにまで』ってなに? って?


 爆弾は見事に破裂。戦局は混乱を招き、負傷兵(男子)多数の模様。



「私ならまだしも、お母さんにまで。そういうの本当にダメだって思うんです。


 つんつん。花は俺の頬を突く。

 あの、花さん?

 最近、ますます距離感がバグってますよ?

 ココ教室だからね?



「ぬぉぉぉおぉぉ!」

「神よ! そんなことがあって良いのか!」

「聖母様のお母様も、お美しかったよな?」

「親子丼とは秋田! うらやま……けしからん!」


 うっるさいよ、お前ら。小声ですらない。最早、隠すつもりないだろ? 


「しゅー君。親子丼って、お料理のことですか?」


 純粋にクエスチョンマークを浮かべる花が可愛い。できれば、そのままの純粋な花でいて欲しいと思う。


「親子丼ってのは隠語で、親と娘、両方を美味しく――」

「キャプテン!」

「い、イタっ! イタイタタタタタっ!!」


 キャプテンがマネージャーに折檻されているのは置いておいて。俺は小さく息をつく。


「待っているから、行っておいで」


 そう花に声をかければ、途端に花は満面の笑顔になる。


「はいっ」


 にっこり笑って花は教室を出て行こうとして――それから、手を振る。

 これもココ最近、毎度のことで。


 選択授業で移動した時も。体育の時も。視線があえば、手を振ってくる。気恥ずかしくて、視線を逸らせば、聖母様は大激怒ゲキオコ


 世界の終末、神々の黄昏ラグラロックってこんな感じなのかなって思うくらい、花は不機嫌になる。

 そのタイミングで火花が声をかけるから、世界即終了を思わせるぎぐらいには。花のテンションはひどかった。


(聖母様、ドコに行ったのさ?)


 ちなみに、花が怒っていると気付く人は少ない。ニコニコ、目は笑わずに水面下で激昂するから。


 だから――ひらひらと、手を振ってあげる。

 花は嬉しそうに、表情を緩ませて。それから踵を返した。たん、と足音を立てて。そして、駆けて。


(学校の中、走っちゃダメでしょ)

 そう苦笑を漏らしながら。



 ――あんなに嬉しそうな顔しちゃって、ね。誰かさんのこと、大好きじゃん。

 湊が、何かを呟いた気がしたけれど。

 花の笑顔につい見惚れて、ぼーっとしてしまった俺がいた。






■■■





「ごめんね、秋田」


 ボソッと呟くように言う藩宮さんの声で、やっと我に返った。

 興味の対象だった、鉄の聖母様がいなくなったからか。気付けば、教室は俺と藩宮さんしかいない。俺の席の隣。少しだけ、距離を置いて座る藩宮さん。


(……うん、普通は友達って、このくらいの距離感だよね?)


 少し、ほっとする。やっぱり、花の距離感は少しバグっていて――。

 かたん。

 椅子が動いた。


「へ?」

「あのね、秋田……」


 ちょっとだけ、藩宮さんが距離をつめる。いや、近い。近いよ!

 一見、クールな藩宮さんは、ビシッと制服を着こなす花と違って、胸元は緩いし、スカートは短い。正直、目のやり場に困るのだ。


「秋田、ごめんね」


 ボソッと呟くように言う。目を伏せて。距離があまりに近くて――長い、睫まで視界に飛び込んできた。


「へ?」


 俺は藩宮さんに、何か謝られるようなことをされたんだろうか?


「私、他の子と一緒になって、秋田のこと【紅い悪魔レットデビル】って呼んで……バカにした。本当にごめん」


 俺は目をパチクリさせて、それから首を傾げた。


「謝罪なら、もう受け取ったよ」


 花奈さんをお見舞いに行く日、藩宮さんとは、プロサッカーチーム。Sunny fleshサニーフレッシュ安芸あき――通称、サニフレの応援に行く最中、再会したのだ。その時に、ちゃんと謝ってもらったと俺は思っている。もうそれで十分だった。


「……これは、私のケジメ。秋田と、ちゃんと友達になりたいから」

「うん」


 オーライ、オーライ。グランドから、野球部の声が響く。


「何も知らないくせに、あんなことを言うの間違っていた」


 ドンマイ、ドンマイ、あと一球――。


「だから、本当にゴメンっ!」


 感情が揺れる。滴が今にも零れ落ちそうで。


「うん、許すよ」


 藩宮さんは、自分のタオルを取り出して、その顔を埋めた。


「ごめん、泣くつもりはなくて。その……我慢できなくて。ごめ――」

「大丈夫」


 俺は微動だにしない。

 これ以上は踏み込まない。


 でも、友達だから。

 やっぱり、距離を遠ざけるつもりもない。


 これまで、友達として衝突してきたのは、彩翔や湊、そしてキャプテン達だった。湊やマネージャーには怒られそうだが、みんなとは同性のように接してきた。


 花や藩宮さんが、初めてなんだ。異性を意識した交友関係ってヤツは。正直、どう接したら正解なのか、よく分からない。

 と、藩宮さんが顔を上げた。


「……秋田も、公式ショップ行くよね?」

「へ?」


 サニフレをスタジアムで応援したい。そう意気投合したのは、妹の朱梨あかりと藩宮さん。花は俺が行くなら、一緒に行くと言って――。


「やっぱり、俺も?」

「秋田は、今度の日曜日は忙しいの?」


「……いや、掃除と洗濯と。買い出し、後はお弁当のおかず作りぐらいで……」

「ずっと前から思っていたけどさ、秋田って主婦なの?」


 ようやく、と言うべきか。クスクスと藩宮さんが笑う。


「秋田と花圃のお弁当って美味しそうだよね。あれ、全部、秋田が作っているんでしょう?」

「まぁ、ね。手抜きだけど」


「見たところ、冷凍食品が一つも入ってないじゃん。秋田の主婦力におののくよ」

「……使いたいけど、冷凍庫はアイスで埋まっているんだよね」


 主に、花奈さんと花専用で。


「何それ? 鉄の聖母様のイメージじゃないんだけど?」


 花園親子は、二人とも風呂上がりのアイスが至福の楽しみなのである。

 藩宮さんが笑いをこらえきれず、口元をおさえる。それから、俺の顔をマジマジと見て、一拍の深呼吸。それから、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「秋田のお弁当、美味しそうだなぁってずっと思っていたんだ」

「なんなら、ちょっと多めに作って分けようか?」


「なら、シェアしよう! 私も弟と妹がいるから、お弁当作りを手伝ってるんだよね」

「お? 藩宮さんの手作りが食べられるの?」

「ちょっと、ハードル上げないでよ! 主導はお母さんだからね!」


 二人顔を見合わせて、笑う。それから――藩宮さんは、もう一度だけ息を整える。


「秋田」

「うん?」

「私を、友達にしてください」


 ペコリと頭を下げる。


「――それは、どうなのかな?」


 藩宮さんが顔を上げた。

 また、泣きそうな顔に――青ざめて表情が強張る。俺はなんて意地悪なんだろう。こんな下手くそな物言いしかできない。でも、やっぱり。ちゃんと自分の本心を伝えたいって思うから。


「俺は藩宮さんのこと、もう友達だって思っているから。きっと花だってそうだよ」


 ポカンと。藩宮さんが口を開けて。


 カキン。

 グラウンドから、球を打つ音が。そして、歓声が湧き上がる。


 同時に、藩宮さんのその顔に感情が複雑に入り交じるのが見てとれた。その溢れる感情を、俺は自分のハンカチで拭ってあげる。


「友達には、笑っていて欲しいかな」


 安心させるように、そう囁く。母さんの声が、この瞬間も脳裏に響くのだ。

 ――シュリ。誰かが泣いていたら、ハンカチをすぐにダせる子でいてね。


「……秋田がタラシなのが、よく分かった。【紅い悪魔レッドデビル】は返上して【甘い誘惑イベリス】にしたら良いと思うよ」

「え……?」


 藩宮さんに呆れられる意味が、よく分からない。


「友達だもん、遠慮なんかしなくて良いよね?」


 ニッと藩宮さんが笑う。


「日曜日、絶対に空けておいてね?」


 そう紅くなった目で、藩宮さんが俺を覗きこもうとした――その瞬間だった。





 コンコン。

 教室のドアが叩かれた。







■■■





「秋田ちゃん、ちょっと話があるんだけど、良いよな?」


 ニタッと笑って、教室を覗きこんできたのは、鉄の聖母様の親衛隊を名乗る、柔道部員その後ろに、十人以上の男子が覗きこんで――その目が俺を射る。


「秋田っ!」


 藩沼さんが、俺を庇うように前に立つ。いやいや、それはむしろ俺の役だから。

 小さく息をついて、俺も立ち上がる。


 グランドから聞こえる野球部の掛け声が、無機質に聞こえるくらいに。緊張感が、教室内を押し潰した。



(ノック二回は、トイレなんだけどな)


 そんな訂正は望まれていないと、肌で感じながら。

 俺は一歩、前に出たのだった。





________________


※作者注。


入室の時のノックは通常三回です。

2回:トイレの確認

3回:家族、友人、恋人など親しい間柄

(日本のビジネスマナーは3回ノックがスタンダード)

4回以上:初めて訪れた場所や、礼儀を要するお相手に。 


この数日後、柔道部員達が、面接講習で事実を知るのは、また別の物語。

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