にじゅーななっ!



 人の波もだいぶ、引いてきた。鉄板越し、熱でもう汗だくだ。首にかけたタオルで拭きつつ、ベットボトルに手をのばすと――。


「ひゃっ?!」


 思わず変な声が出て、飛び上が。

 よく冷えたお茶のペッドボトルを、俺の首筋に当ててきたのは花だった。イタズラ大成功と言わんばかりに、満面の笑顔を浮かべていた。


「……花?」


 ジトッと見やるがドコ吹く風。やっぱり笑顔を絶やさない。


「冷たいお茶はどうかなって思って」

「……そういうコトするのは、朱梨だけって思ってたんだけどな」

「――きゃっ」


 今度は花が飛び上がる番だった。同じことをお返ししたまでだ。


「ちょっと、しゅー君っ」


 ぷくーっと頬をふくらますが、被害者はむしろ俺の方だ。


「むしろ、被害者は私たちの方ですけど?」


 なぜか朱梨が不服そうに。藩宮さんが、ゲンナリした顔をする。いや、どう考えても被害者は俺で――。


「お兄も花圃ちゃん先輩も、全然、他を回れてないでしょう? ちょっと行っておいでよ」


 園長先生の快気祝いと言いながら、町内会有志ののど自慢退会。父親オヤジの会による、炭酸飲料一気飲み大会、子ども達が運動会で披露したヨサコイ披露など、多彩な演目が繰り広げられていた。


「え、それを言うなら朱梨と藩宮さんも一緒に行ってもいいんじゃ――」


 もう屋台は閉店で大丈夫だろう。わずかに余った焼きそばもパック詰めが終了。後は、設営に協力してくれた保護者の皆さんのお土産になるのみである。


「バカップルから、ちょっとでも離れたいの察しろ。いくら焼きそば味見しても、口の中がいつまでたっても甘いんだって!」


 朱梨がボソッと何かを呟くが、喧噪でかき消されてしまう。なぜか、花が頬を真っ赤に染めている。花の方こそ、鉄板の近くで脱水気味なのかもしれない。


「そのかわり今度、秋田には私とサッカーを付き合ってもらおうかな?」


 ニッと藩宮さんが笑む。


「……俺、やっていたのバスケなんだけど?」

「同じ球技だし、きっと大丈夫だよ」


 言い分がムチャクチャである。その理論でいけば、野球もビリヤードもボーリングも一緒になってしまう。


「その時は花園さん、秋田を貸してね」

「それは、イヤです」


 にっこり笑って、花がそんなことを言う。予想外だったんだろう、藩宮さんは目を丸くする。


「その時は私も仲間に入れてくださいね、梨々花ちゃん?」


 ニッコリ笑って、そう言う。


「ん……うん。その時は、花園さ――花圃を誘うよ」

「はいっ」


 じっと花が視線を送る。呆けた顔の藩宮さん。名前を言い直して――それから、二人の表情に笑顔が咲く。男の俺には理解できないが、女子同士の友情が芽生えた瞬間だったのかもしれない。


「……これは俺も藩宮さんのこと、名前で呼んだ方が良いのかな――」

「ダメです」

「ダメでしょ」

「ダメに決まってるじゃん」


 花、朱梨、藩宮さんに、瞬殺で言い切られてしまった。女子が何を考えているのか、やっぱり俺にはよく分からなかった。





 ――花圃ちゃん先輩が、あそこまで言うなんてね。

 ――私も正直、ビックリしている。

 ――でも梨々花先輩は、もっとお兄と仲良くなりたいんでしょ?

 ――べ、別にそんなことは……。

 ――いいんじゃない? 私は、二人とも応援するけれどね。

 ――だから……それは……ちが……ち……ちが……。




 何か囁き合っている二人の声は、花に手を引かれ遠ざかって――そして喧噪にかき消された。






■■■






 狭い園庭を、まるではしゃぎ回るように駆けていく。何回か顔を見たことがある保護者が、当惑半分、微笑ましさ半分で暖かい視線を送ってきた。ですよね、俺も、こんな花は見たことがないから、かなり困惑しています。ちゃんと言い聞かせるので、本当にすいません。

 というわけでさ――。


「ちょっと、花?」

「ごめんなさい、つい嬉しくて」


 そう言いながらも、花は少し息があがっていた。この子、完璧なようで、運動が苦手だったり、料理も片付けも苦手だったりする。目の前のことに一生懸命になり過ぎて、周りが見えなくなる。そんな花の方が、人間くさくて好ましいと思ってしまう。


「嬉しい?」

「はい」


 コクンと頷く。


「こうやって、誰かとイベントを歩き回ることがなかったので」

「夏祭りとか、よくクラスのヤツと行ってたの見たけど?」


 よく彩翔に誘われていたが、結局断っていた。朱梨に強引に連れ出された時に、見かけた浴衣姿の花のこを思い出す。今にしてみれば、閉じこもりがちだった俺に対する気遣いだったと思うが、あの時は財布目当てのひどい妹としか思えなかった。ごめん、朱梨。


「そうですね、よく誘われていました。湊ちゃんが付き合ってくれたから、というのもありましたけれど」


 手に綿飴を持ちながら、花はブランコに座る。俺もその隣のブランコに腰をかけた。


「あまり、好きじゃなかったんですよ」

「へ?」


 ブランコがキーコーキーコー少しさび付いた音をたてる。


「だって皆さん、私に【鉄の聖母様】を求めるじゃないですか。そんなの窮屈でしかないですから。お祭りにまで、そこを求められても。私が小食だって、勝手に決めつけないで欲しいって思っていたんです」

「そっか……」


 思わず苦笑が漏れる。こうやって、居候して分かったことだが、花は意外に食いしん坊なのだ。食べられるなら、屋台を全制覇したい。そう思う聖母様には、さぞかし窮屈だったに違いない。


「保育園にいる時は、本当の自分を出せるって、ずっと思っていたんですけどね」

「……違うの?」


 花の言わんとすることが理解できず、思索するがその意図が掴めない。

 子ども達の前で見せる表情は、花の本当の姿の一つ。それはまぎれもなく、事実だって思う。


 学校の連中が見られない姿を、友達として見ている。

 でも、できたら。


 花のその姿は、あまり見せたくない。


 そうまで思って、顔が熱くなるのを感じた。

 だって、こんなの――。


(独占欲じゃんか)

 花がを出してくれたのは、きっと兄のような存在と俺を思ってくれているから。


「しゅー君、綿飴食べますか?」

「へ……?」


 俺の質問には答えず、花が綿飴を差し出した。

 明らかに、花が口にした場所を向けて。この子は分かっているんだろうか。これ、明らかに間接キスじゃないか――。


「どうかしました?」


 にっこり花が満面の笑顔を零す。

 俺は深呼吸をする。


 周りが賑やかだというのに、俺の聴覚に音が届かなくて。

 自分の心臓の音が、喧噪をかき消してしまいそうだった。


 落ち着け、って思う。朱梨と、同じように食い合っていたじゃんか。今さら、妹が一人増えたくらいなんだって言うんだ。こんなのコミュニケーションの一環でしかない。だから――。


「もらうね」


 綿飴に口をつけて。

 口いっぱいに、甘さが広がる。それなのに、この甘さでも鼓動はかき消してくれない。


「しゅー君の前でしか、こんなことしませんけどね」

「へ?」

「しゅー君と一緒の時間が、私にはとても大事ってことなんですよ」


 美味しそうに、綿飴に口をつけて。満足そうに微笑む。その唇が妙に艶やかだと思ってしまう。


「これぐらいしないと、記憶の上書きができなそうで。勝手なお願いばかりで、ごめんなさい」

 花が申し訳なさそうに、頭を下げた。火花とのことを思い出すと、複雑な感情が過ぎる。結論は花奈さんと話し合ってからだが、最悪の場合、俺が被る。それで、問題が片付くのなら。

 でも、今は花の言葉に素直に答えるべきだ。


「……いや……むしろ、俺が嬉しかったから――」


 なんとか、そんな言葉を搾り出す。

 ポカンと、花が口を開けて。ポロリと綿飴を手放してしまい、慌てて俺がキャッチした。割り箸を上手く掴めず、ふわふわした綿飴にも少し触れてしまって。指先に砂糖の感触がまとわりつく。俺は、無意識にその指を舐めた。


 花は、そんな俺を見て俯く。


 そんな簡単に、記憶の上書きなんかできるはずがない。異性に恐怖感を抱く、花が男性に迫られたのだ。きっと、花にとって、俺もその一人でしかない。だから、それ以上は何もできない。

 そう思いながら、俺はただ花の隣で佇むことしかできなくて――。





■■■






「レディーズ あんど ジェントルメン あんど ミソらーめん!」

「みなさん、えんも武山ですがっ!」


 聞き慣れた声が、スピーカーから響いてきて、俺の思考は中断を余儀なくされる。できれば、このまま目も耳もを塞いでいたい。


(宴もたけなわ、ね。それにしても、武山さんって誰?)


 恐る恐る顔を上げれば、ステージには、花奈さんが。そして案の定、観月ちゃんと栞ちゃんが立っていた。


 どうやら花奈さんは、中締めを保育園児にさせようという魂胆らしい。早くも頭痛がしてきた。あの子達、いつもは天真爛漫で良い子なのだが、羽目を外したらとことん悪ガキなのだ。


 ――子どもは、それぐらい悪ガキな方が良いさね。

 これは給食先生こと梅さんの弁。


 ――シュリもなかなかのBAD BOYバッドボーイだったのヨ。


 あぁ、これは母さんが同室の患者さんに暴露した時だ。イタズラを輝かしい栄光のように語らないで欲しかった。ゴキブリを虫カゴで繁殖作戦決行はそんなに珍しいイタズラじゃない――と思う、多分。

 と、また色々なことを考えすぎて、思考がグルグルと回る。



「このへんで、いったん中出しですっ!」

「観月、もう本当にやめてっ?!」


(中締めと言いたかったんだろうなぁ……)

 つい苦笑が漏れる。


 観月ちゃんのお母さん。彼女の大絶叫が響くが、もはや後の祭りである。

 観月ちゃんと栞ちゃんの暴走は、きっと止まらない。むしろ宴はこれから始まりそうだった。






________________


「しゅー君?」

「なに?」

「観月ちゃんの、どういうことなんです?」

「ぶほっ」

「しゅー君?」

「そういうことは、湊に聞いて!」

「ちょっと朱理、そこで私に振らないでよ!」

「いや、だって湊の方が絶対詳しそうだし」

「風評被害! だいたい彩翔あー君はちゃんとつけてくれるし――あっ」

「ごめん、聞かなかったことにする」

「そうして……」

「え? つまり、それはどういうことなんです? 字面じづらから見ると、中に出すってことですよね?」


「「このスクラップ聖母!!」」

「えぇ?」

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