に・じゅー・ろく!



「なんのつもりだ、コレ――」


 火花が唾を吐く。血が混じっていた。園児や保護者が囲むように――いや、まるで花と俺を守るように立つ。


 それを見るや、火花は好戦的な表情を覆い隠し、にこやかな笑みを貼り付けた。火花の応援団なら、ここで黄色い歓声が巻き上がるところだが、藩宮さんを含めて誰一人、警戒を緩めない。


「……何か誤解があるようですが。僕はむしろ火花ファイアーワークエンタープライズの一員として、この花園保育園の経営再建に協力したい、そう思っています。それなのに、この秋田ときたら、見境もなく暴力を振るってきた。彼は本当に噂通りの悪魔ですよ――」


 火花の物言いに、まるで噛みつきそうな勢いで飛び出しそうな観月ちゃんを、かろうじて抑える。彼は聴衆を引き込むのが上手い。


 でも、これは逆に言えばチャンスと言えるのかもしれない。俺が悪役になれば、花園保育園は体裁を保てる。


 この同居生活は幕を下ろすことになるが、それは仕方がない。理性を抑えきれず、感情の赴くままに行動した結果だ。全部それは俺のせいで――。


「私、名前で呼ばないでって、火花君には言いましたよね」


 しゃり。

 砂利を踏みしめる音が鳴って。花が前に出る。その手がつながれたままなので、必然的に俺まで前に出る。


「は、花?」

「か、花圃?」


 俺と火花の声が重なる。すっと、花は火花を指さす。


「私はしゅー君意外の男性に呼ばれることも、触れられることも本当にイヤなんです。火花君には何度も止めてって言いました。しゅー君は、そんな私をただ守ってくれようとしただけです」

「花圃は秋田に騙されて――ひっ」


 火花が息を呑む。

 俺から、花の表情は見えない。ただ、醸し出す空気は完全に火花を拒絶していた。肌がヒリヒリするほどに、空気が重い。

 と、ぎゅっとその手が強く握られる。


「騙されているかどうかは、防犯カメラの映像を観てみようか?」


 まるで波が引くように、人が輪が割れて。

 花園保育、園長。花奈さんが唇をわずかに綻ばせて佇んでいた。


「な……」

「婿君が、理由もなく暴力を振るうとは思えないかな。まだ短い付き合いだが、それぐらいは想像ができる」


「婿君?! それはどういう――」


「どう解釈してもらっても構わないよ。ただ、そうだな……。私の婿君になってもらっても、もちろん一向に構わないって思っているけどね」

「構うよ! 大いに問題だよ! 犯罪だよ! お母さんバカなの?!」


 火花は表情を歪め、花奈さんは真面目な顔で。そして、花はなぜか顔を真っ赤にして怒っていた。


「さすが親友。年上受けするよなぁ、相変わらず」

「花花ちゃん、素が出てるよ! ちょっと落ち着こう! 公衆の面前で甘えっ子モードにならないで?!」


「いや……でも年上の包容力も良いよな」

「キャプテン、バカなの? そんなに死にたいの?」


「「お兄ちゃん(さん)のお嫁さんは私です〜」」


 カオスなセリフリレー。誰がどの台詞なのか、解説もしたくない。


「こほん」


 拳を唇に添えて、花奈さんが咳払いをする。


「冗談はこのくらいにして、本題といこうじゃないか」

「……」


 火花は無言で花奈さんを睨む。でも、火に油を注いだのは当の園長先生本人だ。


「たしかに私は、火花ファイアーワークエンタープライズから、園経営について、幾つかの提案を受けている」

「そりゃ、そうでしょう。純然たる事実だ。だからこそ、僕はこの保育園を救うプランがある」


 勝ち誇ったかのように、火花が俺をニヤリと見やる。でも、俺が考えることは別のことで。花奈さんは、いったいドコから、この顛末を見ていたのだろうか?


「勘違いしないでくれ。私は未成年である火花君個人とは、一切交渉を行っていない。人質をとるかのように娘との関係を迫るのは、いささかヤリクチが悪辣じゃないだろうか」

「……な、何を根拠にそんなことを――」


 クィッと、花奈さんは宙に指を差す。

 園舎の軒下に固定されているカメラ。

 火花の表情が歪んだ。


「根拠ね」


 花奈さんは静かに笑んだ。


「あのカメラの映像を見てから、話し合っても私は良いんだけれどね?」

「……バカバカしいっ」


 火花が唾を吐き捨てる。


「あとで後悔しないでくださいよ?」

「君も、ね」


 花奈さんは笑みを絶やさない。

 火花は踵を返す。その表情を窺い知ることはできなかった。


「……帰るぞ!」

 そう取り巻きに、火花は言葉を投げ放って。




 じゃり。

 踏みしめられて、砂が鳴る。



 花が。そして、観月ちゃんと栞ちゃんが。朱梨、湊、マネージャーにキャプテン、彩翔に花奈さんまで、一歩前に足を踏み出していた。


 いや、ちょっと勘弁してくれ。全然、一段落じゃないけれど、ようやく区切りがつこうとしているのだ。これ以上、火花を煽るようなことは……。







 影が重なる。

 その刹那。





 ――あっかんべぇっっっ!!




 全員、舌を出したのだった。






■■■





 じゅー。

 鉄板の上で焼きそばが焼ける音がする。

 

「お兄ちゃん!焼きそば、美味しかった!」

「ぜんぶ残さず食べました!」


 ニコニコ笑って、観月ちゃん達がそんなことを言ってくれる。思わず作業の手を止めて、みんなの頭を撫でてあげた。

 満足したのか、また全力で駆けていく。


(良い子だよなぁ)

 つくづくそう思う。


 ソースの焼ける匂いが香ばしい。

 じー。

 そんな俺を、見つめる一対の瞳。


「あ……あの、花? なにか?」

「別に」


 ぷいっとそっぽを向く。作業に戻れば、また明らかに視線を感じる。顔を上げればまた「ぷいっ」と視線を逸らされるのだ。おかげで、焼きそばを買い求めるお客さんは、俺達を避けて、朱梨や藩宮さんに声をかける。

 正直、鉄板は熱いのに、冷凍庫のなかに居るような錯覚すら憶えた。



 ――婿君。あとで相談があるんだけれど良いかな?


 花奈さんにそう言われて、なおさら気が重い。そして現状、この空気感である。なんとか話題転換を図ろうと言葉に言葉を重ねてみれば、ますます失敗。そして現在イマに至る。


「あ、あのね、花? 他の仕事は大丈夫なの?」

「それは私がジャマってことですか?」

「いや、そんなこと言ってないじゃん!」


 ごにょごにょ口ごもる自分が情けない。素直に言えば良いのに。それだけなのに。あともう一言、その言葉が出てこない。


 でも、火花が花に触れようとした時。

 胸が焦げ付くような、そんな感覚を憶えたのだ。


 ゴクリと唾を飲み込む。

 あの時、諦めようとした。

 その結果がどうだ。

 結局、拗れて。良い結果を生まなかった。


(だったら――)

 せめて、素直に自分の気持ちを晒すべきだって思う。


(でも、花園保育園と火花ファイアーワークエンタープライズは……)

 余計な思考がクルクル回る。


 けど、けど、けど。

 だって、だって、だって。

 だけれど、だけれど、だけれど。

 でも、でも、でも、でも――。

 

 もう一回、唾を飲み込む。

 言い訳なら噛み砕いて、飲み込んでしまって。

 本当に言いたかったことだけ、音に震わせる。












「花、手伝って」

「しゅー君、私も手伝って良いですか?」















 重なった言葉に、思わずポカンと口を開けて。

 それから、俺と花は、堪えきれず、笑いが弾けた。


「は、花……?」

「しゅー君――」


 二人そろって、笑い出すから、収拾がつかない。息が苦しい。


「ちょっと、お兄?! 一区切りついたら、手伝って! 本当に追いつかないから!」

「秋田、ストックの焼きそば、もうちょっとで、完売だよ!?」


 朱梨と藩宮さんの声に、はっと我に返った。


「あ、了解……!」


 ゆっくりしている余裕はなかった。俺はヘラを握り直す。


「花、タッパ詰めを手伝って! すぐに焼くから!」

「分かりました!」


 ぐっと花は拳を握りしめ、ファイトポーズをしてみせ――て、それから何か思いついた。そんな顔をする。

 と、その一瞬で距離を詰めてきた。


「……花?」

「しゅー君、私“がんばった”って思うんです」

「ん、うん、ん?」


「退院祝いを自分で企画する、うちのお母さんもどうかと思いますけど。みんなに楽しんでもらうためにも、一生懸命がんばりました」


 花の言葉にコクコクコク頷くしかない。それより何より、花との距離が近い! 近すぎるから!


「……私だけ、今日の思い出が火花君だなんて、そんなのイヤです」

「う、うん。うん。で、で、でもどうすれば――」

「褒めてください。観月ちゃんにしたように」


「花、エラい?」

「30点。どうして疑問形なんですか」


「花は今日、よくがんばった! 俺、ちゃんと見てたよ!」

「20点です」


 ちゃんと言ったのに、むしろ点数が下がりましたけれど?


 見れば「不満です」と言わんばかりに頬をふくらませて、それから少しだけ頭を下げた。俺より少しだけ身長が高い花園花圃。


 そんな彼女の髪を見下ろすのは、ほんの少しだけ不思議な感覚だった。



 ――褒めてください、観月ちゃんにしたように。

 花の声がリフレインして、脳内に響く。


(もう、どうにでもなれっ!)


 花が男性を苦手だと知っているからこそ、適切な距離を保とうと必死なのに。友達なら、こっちの気持ちも少し歯察してほしい。

 そう思いながら、手をのばす。


 じゅー。

 焼きそばの焼ける音が、やけに耳に響いた。

 その髪に触れる。


「花はがんばったよ」

 その手を離す。


「……60点です」


 花の評価は、なかなか辛口だった。


「どうしろと……」

「あれじゃ、足りません。あのイヤな記憶を上書きするのなら、もっと褒めてもらわないと」

「花?」


 そう言いながら、まるでイタズラを保育園児のような表情カオを見せる。グイッグイッと額を肩にすり寄せてきて。



 ――子どもじゃないけれど、しゅー君に甘えるのはダメですか?

 花がそう囁く。


 だから。


 そっと、その髪に触れた。

 甘い香が、鼻腔を刺激する。

 思わず目眩を憶えながらも、なんとか花の髪を撫でて。



「花は頑張ってるよ。誰よりも頑張ってる」

「……はい」


 教室で見せる【鉄の聖母様】しか知らない人は、きっと目を疑うと思う。

 花の満面の笑顔に、俺自身も目を奪われながら。

 つい思ってしまう。




 ――やっぱり俺は、花の笑顔が好きなんだ。







________________




「焼きそば、すっかり焦げてるけど、あれどうするんだろう?」

「きっとお兄と花圃ちゃん先輩で食べますよ。それより、二人とも、早くこっちの世界に戻ってきて! 焼きながらお客さんを捌くの、もう限界なんだけど!?」

「朱梨ちゃん、追加注文が入ったよ! って、行列見れば分かるか……」

「ええぃ! 園長先生! あなたはさっきも食べたでしょうが! それよりお兄ぃっ! 花圃ちゃん先輩! 本当に早く戻ってきてっっ!!」








 じゅー。

 ソースが焼ける香ばしい匂いが、みんなの空腹をさらに誘っていく。

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