じゅーななっ



 火花煌ひばなきらめきとは、あまり接点がなかった。中学時代、バスケ部に入部していたが、俺が転校してすぐ、退部した。そんな印象しかない。


 高校に入ってから、垢抜けたように変わったと思う。結果、バスケ部キャプテン、黄島彩翔に並んで、学内で有名な人気男子に数えられている。


 キャプテは頓着しないし、彩翔は湊に一途。結局、この二人はランキングなんて、ドコ吹く風。一番、この格付けを意識しているのは、火花なんだろうなぁと、漫然と思う。ランキング圏外どころか、人間としても存外な扱いの俺が言うなって話だけれど。


 そんな火花は、きっと花が好きなんと思う。彼女との距離が近くなったのは、ある意味、昨日がキッカケではあったんだけれど。その一瞬で、火花の感情は露骨だった。



 ――火花君と聖母様って、お似合いだと思わない?

 ――二人とも、付き合っている人はいないんだよねぇ。

 ――いいなぁ。私が彼女に立候補したいよ。

 ――身の程をわきまえろっての。あんたじゃ、ムリ。

 ――ひっどくない?!

 ――でも、火花君と花園さんで、花花カップルだよねぇ。

 ――だから、湊ちゃんは『花花ちゃん』って呼んでるんじゃない?

 ――さっすがぁ。先見の明だよね。


 うん、湊がイヤそうな顔をしていたことを、つい今しがたのように思い出す。花を知る前なら、二人はお似合いだと思えた。でも、こうやって花のことを知ってしまったら、無責任にそんな言葉を投げられない。


 男性が苦手。いや、あれは嫌悪感……拒絶にも等しい。


 背中の痕が、今も瞼の裏に焼きついている。

 あの背中を見せるのに、いかほどの勇気が必要だったんだろう?


 ――しゅー君、気持ち悪くないですか?


 なんで、あんな言葉が出てきたんだろう。

 なんで、あんな顔で笑うんだろう?


 ――お兄ちゃんがいたら、こんな感じなんでしょうか。


 花がそう望むのなら、兄でも姉でもなんでもなって……いや、やっぱり姉はなしで。

 そんな風に一人で、思索していると、花がコテンと首を傾げた。


「しゅー君?」

「あ、いや、なんでもな――」


 と、火花と俺の視線が交わって。彼が、距離を詰めるように、歩みを進めてきた。と、彩翔と湊が、俺をかばうように、前に出る。火花は、ポカンとした顔をして、それから笑ってみせた。


「イヤだな、黄島君も、海崎さんも。別に、秋田君とケンカしたいワケじゃないからね」

「じゃぁ、なんなのよ?」


 湊。オマエはどうして、スグにケンカ腰になっちゃうのさ。とりあえず、話だけでもと、俺が一歩前に出る。


「……あのさ、秋田君。お昼の後で良いから、ちょっと話せる?」

「はい?」


「いや、これまで接点なかったじゃん。一回、ちゃんとお話をしてみたかったんだよね。ダメかな?」

「別にそれぐらい良いけど、さ」

「良かった。それじゃ、お昼休みに、屋上でね」


 ニカッと火花は笑って、それから踵を返す。視線を送りつけた時とは、まるで別人のようで。俺は目を丸くしてしまう。


「……付き合う友達を考えた方が良いんじゃないですか?」


 唐突に、そんな言葉が投げられた。取り巻きの子、その一人が花、彩翔、湊に視線を向ける。


 俺には眼中がないと言わんばかりに、あからさまに無視をする。露骨すぎて、むしろ笑えてしまう。まぁ、よくある話なので、別にどうとも思わないけれど。思わないよ? 思ってないから、花? ちょっと、顔が険しくなって、まるで能面のようになっているけど。気にしてないから。ね、花?


「……それは、どういう意味ですか?」


 マズイ。花だけじゃない。湊に続いて彩翔まであからさまに不機嫌な表情を見せる。それなのに、この子は鈍感なのか、まるで三人の変化に気付いていなかった。

 こんな話は聞き流せば良いから。だから早く行こうと促すのに、逆に三人は――特に花は、身じろぎもせず、彼女に視線を送る。


「花園さんの家って、保育園じゃないですか。秋田君みたいな人がお友達だと、変な噂がたちそうですよね? 園児が減っても知りませんよ?」


「「あ゛?」」


 だから、彩翔も湊も。お前ら、本当に落ち着けって。


(ただなぁ……)


 思うことがある。この子の言い分も一理ある気がするのだ。自分がなんて言われているのか理解している。保育園にいつか迷惑をかける可能性があるのだ。昨日の保護者の評価だって、つまりはそういうことで――。


「しゅりおにぃさーん!」

「あ、こら、栞! いきなり走ったら――」


 お母さんの制止を聞くはずもなく、栞ちゃんがぽふっと、俺の胸へと飛び込んできた。


「おはようございます、お兄さん!」


 満面の笑顔である。一方の火花の取り巻きさんは、面食らった顔になる。


「もう、栞は朱理君に懐きすぎ!」

「私だけじゃないよー。観月ちゃんも、マコ君も、ひーちゃんも好きだって言ってたし!」


「ま、分かるけどね。朱理君は、ママ友にも評判良いし」

「はい?」


 全く予想外の評価に、俺は目を丸くしてしまう。


「あの……秋田君が、紅い悪魔って言われてるの、知らないんですか?」


 取り巻きの子の物言いに、つい俺まで頷いてしまった。


「私達のネットワークでもすぐに流れたから、もちろん知ってるわよ。でも、そんな些末な情報よりも、最重要事項で今も持ちきりだから」

「最重要事項?」

「ほら、花圃ちゃん先生に彼氏ができたって――」


「「げほん、げほんっ」」


 俺と花、二人同時にむせこんだ。


「な、な、な、何の情報ですか、それ?!」


「あれ、違ったの?」

「そんな人はいません!」


 異性に拒絶反応を示す花に彼氏とか、ちょっと無理がありすぎる。お母さん方はいったい誰を見て彼氏だなんて――と、栞ちゃんのお母さんは、じっと俺を見やる。え?


(俺?)

 え?


「ほら、ある日を境に、花圃ちゃん先生、妙に明るくなった気がするのよね。昨日の朝なんか、鼻歌を歌ってたし。ママ友グループLINKで、今日の朝は、昨日よりテンションが高かったって報告あったしね。朱理君まで、一緒に早番を担当してくれたって言うから、もうこれ確定じゃない?」


 全然、確定じゃない。その論拠、断言する意味が分からない。


「いいなぁー。私もお兄さんと遊びたかった!」


 栞ちゃんは心底羨ましそうに言うが、俺達はそれどころじゃなかった。なんの情報共有しているの、お母さん方は?!


「ちょ、ちょっと? 紅い悪魔レツドデビル紅鮫レツドシヤークの秋田君ですよ?! そんな人に子どもを預けて、心配にならないんですか?」


 取り巻きさんの声は、最早抗議にも等しい。


「んー? 栞、朱理君が怖い?」

「むしろ格好良い! 大好きー!」


「だよねぇ。ほら、大人になるとね、そういう噂、イヤでも遭遇するんだけどね。でも、仕事で実際に話してみたら、前評判ほど当てにならないことって多々あって。そういう先入観でばっかり判断していると、損ちゃうと思うよ?」


「いや、だって! 紅い悪魔レツドデビルですよ――」

「お姉さんの方が、悪魔って感じがする。あ、でもちょっと違うかも……」


 栞ちゃんは少し考え込んでから、ポンと手を打った。


「どちらかと言うと、絵本で見た般若はんにやかもー」


 栞ちゃん、無邪気に爆弾発言。

 反論しようにも言葉にならず、彼女は口をパクパクさせるのみだった。怒り心頭で、顔を真っ赤にさせている。


「ごめんね」


 そう声をかけたのは黄島だった。こういう時、女性に対してのフォローは黄島が最適だって思う。


「名前知らないから、般若さんって呼ぶね。般若さん、ごめん。遅刻しそうだから、先に行くね」


 にっこり笑って、そんなことを言う。いや、お前、女の子にそれはないって――。


「般若ちゃん、ごめんね」

「般若さん、これで失礼しますね」

「般若にゃん、まったねー」


 湊、花、栞ちゃんと、本当に容赦がない。

 彼女はプルプルと体を震わせ、その顔はもう涙目だった。


「お、おい。流石に女子に般若はないって――」

「わ、わ、私は藩宮はんみやだから。般若じゃない、般若じゃないんだから!」


「ほぼ般若じゃん」

「般若だね」

「般若ですね」

「はんにゃー」

「般若って言うなぁ! 私は藩宮だぁぁぁぁっ!」


 通学路に、藩宮さんの悲痛な声が響き渡ったのだった。





■■■





 視線を感じる。


 最近、本当に色々な人から見られている気がする。でも、自意識過剰じゃないと思う。明らかにマジマジと見られていた。


 一人は、火花。すでに食事を終えて、俺が食べ終わるのを今かと待っている。俺がまだ食べ終わらないので、苛々しているのが見てとれた

 そして、もう一人は――。


「どうしたの、花園さん?」


 名前を呼ぶと、花はまさに今、不機嫌になったと言わんばかりに仏頂面になっていた。


「しゅー君、これはいったい、どういうことなんですか?」

「ちょ、ちょっと? 花園さん、呼び方、呼び方!」


 あくまでプライベートでの呼び方だと約束したと思ったのに、早速反故にするとは。こういうところ、【鉄屑の聖女様スクラップ・ガール】だよ!

 そんな心の叫びなんか、どこ吹く風。意味が分からないと言わんばかりに、首をコテンと傾げる。

「いや、だから名前! 他人ヒトの前では、控えるって約束したじゃんか!」


 小声で抗議するが、花はやっぱり無頓着に首を傾げる。


「別に約束は破ってないですよ? 他人の前では、言ってないですから」

「え……」


 俺は思わず、固まった。彩翔と湊を思わず、見てしまう。いや、何やっているのだと呆れた目でこっちを見ないで。俺も何やっているんだろうって、やっぱり思ってしまうから。


「だって湊ちゃんも、黄島君も他人じゃないですから。そう呼び合ってるの、知っているし。それこそ、今さらじゃないですか?」


 やっぱり、コテンと首を傾げて聖女様は俺を見る。いやいやいやいや、それこそ詭弁というものじゃないだろうか。でも、抗議したところで、花のペースに呑まれてしまうのは目に見えていた。最早、諦めの境地で――って、おい! 彩翔と湊。何を笑っているのさ?!


「……だって、友達の名前を使い分けるのって、やっぱり違うって思っちゃうんですよね」


 そんな風に笑顔で言われたら、ぐうの音も出なかった。


「……しゅー君。私もしゅー君に言いたいことがありますからね」

「へ?」

「お弁当が、オニギリってどういうことですか?」


 花に言われて、はっとする。


「あ……ごめん。今日は、コンビニに行く時間がないと思って。本当にごめんなさい。勝手に、家の米を使ってしまって――」

「そういうことを言っているんじゃないです」


 と、花は弁当の蓋にオカズを乗せていく。


「え? 花? それは花のお弁当で――」

「失念していました。しゅー君、お弁当箱がなかったんですもんね。火事以降、きっと足りないものも、たくさんありますよね?」


「え、あ、いあ、でもこの週末に買いに行くから、そこは大丈夫――」

「全然、大丈夫じゃないですから。もぅ……分かりました」

「へ?」


 花は一人で納得しているが、俺には全然分からない。


「しゅー君に気を遣っていたら、ダメだってことが、本当に良く分かりました。もう距離は置かせてあげません。遠慮もしません。差し向き、今日はお弁当箱を買いにいきましょう」

「え? いや、でもさ、花も忙しいでしょ?」


 主に保育園。それから勉強も疎かにしていない。この辺も【聖母様】と言われる所以ゆえんである。それが、どれほど大変なことか。


 花を知ることができたのは、この短い時間でしかない。でも、それで十分だ。周囲は生まれつきの聖女様ともて囃すが、とんでもない。ひたむきに、努力家。真面目で、頑固で、不器用。それが花園花圃だという女の子だった。


「ちょっと、秋田君。そろそろ、良いかな――」


 火花の言葉は丁寧。でも、心底苛々を募らせているのが、見て取れて。

 

 ――火花君を待たせるとか、どういう神経をしてるの?

 ――ちょっと、非常識だよね?

 ――聖母様から、おかずを分けてもらうとか、調子に乗りすぎじゃない?


 そんな声が、教室から湧いて。いや、あのね? 花のお弁当を作ったのは、俺なのだけれど。そう言いたいが、きっと誰も信じてくれないと思う。

 でも、花が一瞥する。それだけで、また教室内は静寂に塗り替えられてしまった。


「まだ食事中です。それに、しゅー君の先約は私ですよ? 火花君、静かに待つこともできないんですか?」


 その物言い、まさに鉄の聖母様だった。

 誰にも、同調しない。

 自分の気持ちを曲げない。

 人に流されない。


 でも、その視線が動いた。

 花が、俺の目を覗きこんで、それから満面の笑顔を溢していた。


「……花?」

「しゅー君が作ってくれたお弁当、食べるの楽しみだったんです。でも、私も頑張って練習して、いつかしゅー君に食べてもらいますからね」


「いつになるやら、だね」

「それは、ひどくないですか!」


「だったら、出したら片付ける。使ったら、元に戻すを徹底しないと」

「保育園では、ちゃんとやってますから」


「日常的な習慣が大事。家でも頑張れ」

「ひどい!」


「まぁ、花のことを色々知っちゃったからね」

「また遠慮をしたクセに」


「ん……いや、そりゃ遠慮するって。やっぱり、こっちはお邪魔しているワケだから」

「買うお弁当箱は、戦隊モノにしてあげますね? 保育園の子も、大喜びだと思いますから」


「ちょっと、高校生に、ソレはひどくない?!」

「じゃぁ、遠慮しないで、どんなお弁当箱が良いか、ちゃんと言ってくださいね?」

「ん……それは、うん……善処する」


 コクンと俺は頷く。

 満面の笑顔を浮かべる、花につられて、こっちまで笑みが溢れてしまった。





 でも、昼休みの喧噪のなかでも、聞こえてしまう

 ギリ。ギリ。ギリリッ。

 そう歯軋りをする音が、やけに耳について。


 手を合わせる。

 ごちそう様と、俺はそう呟いて。

 それから、火花を見た。


「待たせて、ごめん」

「大丈夫、こっちが無理を言ったから」


 そう火花は、微笑んでみせた。

 でも心の底からは笑っていない。まるで貼り付けただけの、そんな笑顔を浮かべて。


「しゅー君?」


 花が心配そうに俺を見る。言葉にはしないが、それは彩翔も湊も一緒で。

 だからもう一回、安心させるように笑ってみせた。





「ちょっと、行ってくるね?」

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