なな。
「花園――」
俺が声をかけると、ビクンと彼女が体を震わせた。
とりあえず、目に毒な洗濯物は初めに撤去してもらった。ただでさえ、人手が足りないのに、今日は、花園まで抜けている。この保育園のマンパワー不足は否めない状況。守田先生や
――秋田君、
苦笑しながら、主任保育士はそう言い残して去っていった。
俺は小さく、ため息を漏らす。
「花園、火傷はしてないか?」
俺の言葉に、花園は目を大きく見開いた。
「……秋田君は、怒らないの?」
「へ?」
「だって、退院祝いするって言って。こんなことになって。その、女の子なのに、料理も、まともにできなくて――」
「あのな、花園」
俺は自分の髪をかきあげる。
お兄って、大事な話をする時、そういう仕草をするよね。本当にお母さん、そっくり。こんな時に朱梨は、心の中にまで
「料理、なめるな」
言って後悔をする。でも、言葉はもう止まらなかった
「……秋田君?」
体を震わす花園を見て、自己嫌悪してしまう。
――朱理。一度、吐いた唾は飲み込めないからな。それは言葉も一緒だから。お前は俺に似て短慮だからなぁ。
父さんの言葉が頭に響く。でも、もう遅い。唾なら、もう吐き捨ててしまったから。
「女の子だからって、料理ができるって限らないだろ? いったい何を作ろうとしていたのさ?」
俺の言葉に、花園は目を丸くした。
「唐揚げを。その……秋田君が好きだって、朱梨ちゃんから聞いたから……」
そりゃ好きだ。母さんが漬けこみすぎたり、焦がしたりのから揚げが好きだった。多分今じゃ、俺の方が上手く作れる気がする。でも、俺はあの時のコゲコゲのから揚げが本当に好きだったんだ。今さらながらにそう思う。
「朱梨が無理を言ったんでしょ?」
「ち、ちが、違うから。私はただ単に、秋田君にお詫びをしたくて――」
「へ?」
言っている意味が分からなくて、思わず花園の顔を覗き込んでしまう。
ビクン。また花園は体を震わした。
「花園?」
「あ、あの秋田君――」
そう言いかけて、俯く。目をそらされるのは慣れている。でも、あからさまに避けられるのは、毎回のことながら、気持ちの良いものではなかった。言いたいことは山ほどあるが、憮然として花園から、距離を置こうとした瞬間だった。
ぷぷっ。
花園の唇から、そんな笑みが漏れたのだった。
「は?」
「睨んでも怖くないですからね。秋田君、今、どんな顔をしているか、自分で分かりますか?」
花園はクスクス笑って、俺を見やる。むしろ、アイツの方が俺に距離を詰めてきて。花園まで消火剤の巻き添えを食らったワケだが、片付けの傍ら、顔を洗ってもらったので、元通り【鉄の聖母様】だった。一方の俺だって、ちゃんと顔を洗わせてもらったから――と、スマートフォンをインカメラモードにして、自分の顔を覗く。
(……まっしろ?)
見れば、花園が腹を抱えて笑っていた。必死に声を押し殺そうとして、呼吸困難のようになっている。
「花園?」
「◯▲◇×♯☆!!」
もはや花園の笑いは言葉にもならない。洗ったつもりで、消化剤がまるで落ちていなかったのも悪かったとは思う。でも、そんなに笑わなくてもと、つい憮然とした表情になってしまう。
「……だ、だって。秋田君も、そんな顔をするんだって思ったら、が、我慢できなくて、も、もう無理――」
「笑うか喋るかどっちかにしろ。【鉄の聖母様】が、そんな笑い方をするなんて、誰も想像できないと思うぞ?」
「勝手に理想押し付けられても、困りますー。でも、そういう秋田君だって、とても、
「じゃぁ、なんだってんだよ」
「白魚?」
「鮫ですらないじゃん」
「鮫だなんて、もうとても思えないっ」
そう言いながらも、終始笑い続けるのだから、手のほどこしようがない。
「も、もう、む、無理。バスタオル用意するから、シャワー浴びてき――ぷぷ。シャ、シャワー、浴びてきて」
「せめて、笑うのこらえろ。そもそも、もう隠す気ないだろ?」
そう言うそばから笑うのだから、手がつけられない。
「……お前、間違っても、シャワー入っている時に、から揚げをやろうとするなよ?!」
「私の名前は『お前』じゃありません!」
ぶすっと頬を膨らませてみたり、べっーっと舌を出してみたりと、笑ってみたり、本当に忙しい。逆に、そんな鉄の聖母様の表情に見惚れている俺がいたのだった。
■■■
「……あの秋田君、やっぱりしないとダメ?」
「当たり前」
「それは後回しでも、全然良いと思うんですけど」
「ダメだ」
そこは絶対に譲るつもりはない。
「……私は、準備を終えたら、保育に戻るつもりだったんだけど……」
どうせ、そんなことだろうと思った。気持ちが焦って、火加減の確認が疎かになっていたのだろう。でも、こんな環境で料理なんて、絶対に俺は認められない。まずは徹底的に大掃除である。
「……でも、なんだか不思議な感じですね」
そう花園が呟く。
「は?」
「秋田君の髪から、私の使っているシャンプーの匂いがするの」
ニコニコ笑って、そんなことを言う。俺は思わず硬直してしまう。自分でも頬が熱いのを自覚する。
「……そんなことより、ちょっとコンビニ弁当が多すぎないか?」
ゴミ袋を見やりながら、呟く。なんて強引な話題転換だと自分でも思うけれど。
「え、っと……。それは、実はお母さん、骨折して入院中で――」
今度は花園が目を泳がせる番だった。
でも、聞き捨てならないワードが耳に飛び込んできて、俺は花園を二度見してしまう。
「それは、どういう……?」
「だから、その。保育園のお手伝いとか、翌日の準備とか、していたら。その……ご飯を作る気力がなくなっちゃって。そ、それでやむ得なくこの状況というか」
「このゴミが山積みの状況を、やむ得なくで片付けるな」
「で、でも大丈夫ですからね! 秋田君のことも朱梨ちゃんのことも、お父様に託されましたから! 全部私に任せてくたさい!」
ぐっと力かぶを作るポーズを見せるが、信用ゼロだ。それなら、その前にこのキッチンの惨状を何とかして欲しいと思う。俺はますます頭痛がしてきた。
状況を整理しよう。
父さんが帰国前するまでは、俺と朱梨は家なき子。
運良く花園家に預かってもらうことになった。そして、彼女の親から快諾は得ている。でも、その母親は入院中で不在。そして花園家は母子家庭。
鉄の聖母様は、料理と掃除が絶望的。むしろ鉄屑の聖母様だった。←今ココ。
どうすんの、これ?
そうゲンナリしたその瞬間だった――。
「花ちゃん先生ーっっ!」
そんな声が響き渡った。
■■■
「花ちゃん先生、捜索隊! 推して参る」
「もう観月ちゃん、今回は【花園保育園美少女探偵団】でしょ?!」
観月ちゃんと栞ちゃんをはじめ、ドタドタと乱入してくる
「こ、こら、こっちは、園児は入ってきちゃダメだって言って――」
「うわぁ、きったなぁ」
園児の声に花園、あっさりノックアウト。撃沈だった。いや、落ち込むぐらいなら、日々、片付けような?
「……掃除する余裕もないくらい、お前らと向き合っていたってことでしょ? そういう言い方しないの」
小さく息をついて、そう諭す。
でも花園、掃除しない言い訳にはならないからな? たから目をキラキラさせて、嬉しそうにこっちを見ない。
「なるほど。お兄さんは、花ちゃん先生の
さり気なく、ひどいことを言われていないか、花園?
「栞ちゃん、そうなの?」
「ふふふ、単純な推理の結果ですよ、ルパン君」
もう、何から突っ込んで良いのか分からない。
「そんな頑張っている兄ちゃんに、プレゼント!」
男の子の声とともに、ひらひらと緑色の布が投げ渡された。
撤去されたはずの、洗濯物――その上下を反射的に俺は握ってしまう。さぁっと全身から血の気が引いた。
「秋田君?!」
「ちょ、ちょ、これは違う、俺のせいじゃな――」
「秋田君のばかぁぁぁぁ!!」
頬に衝撃が奔る。体が舞って、ゴミ袋に激突する。頬がじんじん痛い。ひらひら、布が舞って、俺の頭にポトンと落ちてきた。
「お兄、今なんかすごい音がしたけど、ちょっと大丈夫――」
トタトタと慌てて駆けつけてきた、朱梨が固まる。頬にはきっと、モミジのような手形がくっきりついて。頭の上には間違いなく、女の子の下着を鎮座させている、そんな姿を見たら……。
「「「「「「変態!?」」」」
いや
思わず睨めば、観月ちゃんも栞ちゃんも、みんなケタケタ笑っている。
「秋田君」
花園がもぎ取るように、例の
「今のは、タオルです! タオルですからね!」
「へ?」
「タオルなんです!」
「分かった、分かったから!」
あまりの必死の形相、教室では見せないその
――やっぱり。
「……そういう顔するんだな」
「……そういう顔するんですね」
俺と花園の声が重なった。
二人揃って、目を丸くして。それから、まるでシャボン玉が弾けるように、二人同時に笑みが溢れたのだった。
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