ろく?
「今日は秋田君の退院祝いですからね! 私が腕によりをかけますから、ココで待っていてくださいね!」
ふんすと、花園は力こぶを作って見せる。案内されたのは、保育園内の事務室だった。
「花圃ちゃん先輩、大丈夫かな?」
朱梨が不安になるようなことを言う。でも、花園が折角ああ言ってくれたのだから、そこに口を挟むのも違う気がする。
「じゃ、夕方また来るね。部活を抜け出してきたからさ」
「じゃぁね、朱理」
そうバカップルは去っていった。いや、部活があるのなら、レギュラーメンバーの二人が来るのはダメじゃない? キャプテンの負担が半端ないだろ――と、手をつなぐ二人を見送りながら思う。まんまデート気分じゃないか、とゲンナリする。
「お兄、私はチビちゃん達の相手をしてくるからね。産休に入った先生がいて、今は人手が足りないたんだって」
エプロンを着用した朱梨は颯爽と飛びでいく。
俺は入院道具をつめこんだボストンバッグ、リュックを背に呆然とそんな彼らを見送った。
(まぁ、それは良いんだけどさ……)
どうしようと、思ってしまう。
ココに残されても、俺はどうしたらいいのだろう?
園庭からは、子ども達の遊ぶ声が聞こえる。平和だなぁって、思う。かたや、数万キロ離れた国では、市街地にミサイルを平然と放たれて。学校も病院も瓦礫になってしまうのだから。
――父さんが無事なら良いのだけれど。
窓から吹き込む風が、俺の髪を撫でた。
■■■
「先生……?」
うつらうつらとしていたらしい。半目を開けると、のぞき込んできた男の子と目が合った。
その瞬間、ひっと息を呑む音がする。
「お、鬼が――赤鬼がいるっ?!」
慌てて、彼は駆けていった。
「鬼だぁぁぁぁぁ!」
それこそ、大絶叫で。寝ぼけた思考のまま、思い巡らす。どうやら赤鬼とは、俺のことらしい。
(またか――)
そう思ってしまう。怯えられるのは日常茶飯事だが、毎回こうだとさすがにゲンナリしてくる。
「もぅ、鬼なんかいるわけないじゃないの。
と、その声が硬直した。
「……あなた、だれ?」
目が大きく見開かれる。保育士と思われる女性が、呆然と俺を見やる。
「へ、変質者?!」
「いや、俺は――」
というか花園……お前、保育士さん達には何も言ってくれていなかったの?
「あ、モリちゃん先生、その人は私の――」
「「……お兄ちゃん?!」」
我が妹の声よりも早く、そんな声が――その声よりも早く、弾丸よろしく飛びついてきた。二人分の体をかろうじて受け止め、ものの見事に俺はソファーに沈みこんでしまう。
「……観月ちゃんと栞ちゃん?」
顔なじみの子達がいてくれて助かったというべきか。その可愛らしい顔二つが鳩尾と男の大事な場所にに直撃したのだ。
子どものエネルギーと向き合っている保育士って、本当にすごい仕事なんだなと思いながら、苦悶しつつ、俺は意識を手放した。
■■■
「本当にごめんなさいっ!」
そう平謝りしたのは、
「いや、とりあえず大丈夫だったので。本当に、お気になさらずに」
未だジンジンする。どこが、とは言いたくないけれど。
「朱理お兄ちゃんは、いいものをお持ちです」
「何が?!」
ダメだ、観月ちゃんのペースに巻き込まれたらいけない。入院中、さんざん痛感したはずなのに。ちなみに鳩尾に激突したのは、栞ちゃんであるとだけ、ココでは触れておく。
「お兄さん、大丈夫です! 大は小をかねますから!」
退院早々、すぐに観月ちゃんを預かってくれたあたり、この保育園は対応が柔軟だって思う。そして退院早々、観月ちゃんのパワーはとどまるところを知らなかった。
「だから、何が?!」
「私の知っている誰よりも大きかったです」
「お兄のは確かに……」
朱梨、やめて。そんな補足はいらないから!
「……花圃ちゃんから、秋田君が今日から来るって聞いていたのに、本当にすいません。朱梨ちゃんのお兄さんですよね?」
そう守田先生が言った、このタイミングで、他の子が「チーン」とベルを鳴らす――お願いだから、今はヤメて。朱梨、お前なに笑いをこらえてんの?!
キッと、妹を睨んだ瞬間だった。
「きゃぁぁぁぁぁっ!!!!!」
空気を裂くように、花園の悲鳴が園舎内に響く。
「変質者ですか?」
と言って、観月ちゃんは俺を見る。なんで俺を見るの――。
「ところで、お兄ちゃん、変質者ってなんですか?」
あぁ。そもそも意味が分かっていなかったのね。
「観月ちゃん、変質者って言うのはね……」
妹よ、解説しなくていいから。いや、ココは正しい日本語を憶えてもらうために、ちゃんと伝えるべきなのか。いや、そもそも保育園児に教える言葉か? え、でもさ――。
「……何か匂わない?」
守田先生が鼻をひくつかせる。
「変質者ですか?」
観月ちゃん、その話題から離れよう。そろそろ話題転換をしなくちゃ、そう思った瞬間だった。
これによく似た匂いを、俺は最近嗅いだ。
全べてを奪い去ってしまう、そんな匂いが――。
「花園?」
思わず、匂いのする方に駆けようとして、朱梨に手を引かれる。その手のひらをぐっと握りしめられて。
「守田先生、見てきます。とりあえず、子ども達が避難できるように、園庭に集合させてください!」
有無を言わさずに、朱梨は俺の手を引いて走り出した。
「朱梨?」
「……お兄の考えていることは分かっているよ。でも、今度は一人で行かせないよ」
そう先を走りながら呟く。
「それに、お兄より、
■■■
朱梨に手を引かれがままに園舎を走り抜ける。
(やっぱり――)
そう思ってしまう。もうもうと、黒煙が立ちのぼっているのだ。俺は、勢いよくドアを開けた。
「あ、秋田君?! ダメ、入ってこないで! ココは私がなんとかするから!」
花園が叫ぶが、かまっていられない。キッチンで、油鍋が火柱を上げていた。黒煙の元凶はコレだ。見れば、キッチンとは思えないほど、ゴミ袋が散乱していて――室内用物干しに、下着が、干されていたのが見えてしまう。
(緑……いや、見てない! 俺は見てない!)
周りを見ている余裕なんかない。シンクの中に多量の食器とともに埋もれていた、鍋蓋を見つける。
(これならっ!)
鍋蓋を無理矢理、取り出す。ガシャンガシャン、食器が打ち鳴らして、多分茶碗が割れた。でも、構っていられない。
そのまま油鍋に被せる。燃焼に必要な酸素の供給を絶つのだ。料理が下手だった母さんの、狼狽した表情を今さらながら思い出す。
「朱梨、念のため消火器!」
「うん!」
さすが保育園。廊下にあった備え付けの消火器を朱梨は手に持ち、ピンを抜いた。
白い泡が――俺に向けて、放たれる。
「あ、あか、ぶぼっ――?!」
「あ、お兄、ごめん!」
「朱梨ちゃん、こっち向けないで、ぶぼっ」
今度は、花園に消火器の泡が着弾したらしいが、至近距離で放たれたので俺は目を開けることすらできない。
「そっちは大丈夫なの?!」
駆けつけてきた守田先生の声がして――。
「ぶぼっ?!」
守田先生が悶絶する声が聞こえて。
なかなかカオスな退院祝いの幕開けとなったのだった。
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作者からのお願い
※1 揚げ物調理はお気をつけて。もしも油が炎上してしまった場合は、作中のように空気で遮断しましょう。濡れタオルをしっかりしぼって蓋にするのも可らしいですが、作者は試したことがありません。
(そもそも、炎上させたことがない)
一番、最適なのは消火器のようですよ。
※2 消火器は絶対、人に向けてはいけませんよ、良い子のみんな、お約束だよ!
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