魂のフルスイング

Unknown

魂のフルスイング

 私が看護師の仕事を終えて夕方にアパートに帰宅すると、私の彼氏はいつものように薄暗い部屋でアルコール度数9%のストロングゼロを飲んでいた。加えて、部屋で喫煙していた。ストロングゼロの缶は既に7本くらいフローリングの床に転がっている。この様子では昼間からずっと飲んでいたのだろう。

 私は部屋の電気をつけて、寂しそうな彼氏の背中に向かってこう言った。


「夜になるまでは飲まないって約束だったじゃん!」

「おーん」

「あとタバコ! 換気扇の下かベランダで吸うようにしてって言ったじゃん! なんでいつも部屋で吸うの!? 私の部屋が臭くなるからやめて!」

「おーん」


 彼氏は既に酔っているのか、曖昧な返事しかしない。

 私の彼氏はアルコール依存症であると同時にニコチン依存症であり、更には精神を病んでいて精神科に通院しており、更には無職だ。

 現在は私が同棲して彼氏を養っている。

 元々、彼氏はバンドマンを志すフリーターだったのだが、今ではギターは部屋の隅で完全に埃を被っており、仕事は何もしていない。曲作りも全くしなくなってしまった。

 その代わり、毎日こうして酒とタバコと精神薬に溺れているのだ。

 そのうち彼氏は、着ていた黒いスウェットの袖をまくって、自分の左腕にタバコの火を押し付け始めた。

 これも彼氏の悪い癖だ。

 

「熱いからやめなよ」

「別に熱くないよ」

「嘘つき」


 毎度のことなので、今更私は根性焼きを無理に止めようとはしない。これは彼氏なりのストレス発散なのだ。

 私が回り込んで彼氏の顔を見ると、彼氏は無言のまま苦痛に顔を歪めていた。


「やっぱり熱いんじゃん」

「熱くないよ」


 しばらく彼は根性焼きをしたあと、タバコの吸い殻をガラス製の赤い灰皿の中に捨てた。

 私がゆっくり彼氏の左手を取ると、その腕はめちゃくちゃになっていた。この痕は一生消えることが無い。デコボコしていて黒く汚れている腕。その上に真っ赤な傷痕が生まれた。

 私は言った。


「手当てするね、左腕」

「手当て? 別にいいよ。ほっとけば水膨れになって、そのうち治る」

「でも痛いでしょ?」

「痛くないって」

「さっき超痛そうな顔してたじゃん」

「俺は元々そういう顔なの」

「あっそ。じゃあいいや」


 私がそう言うと、彼は酒を飲んで、こう言った。


「俺って本当にゴミだよな。紗希の金で酒とタバコと薬飲んで毎日ダラダラしてるだけ。一刻も早く死ぬべきだ」

「死んじゃだめだよ」

「なんで」

「私が悲しむから」

「冷静に考えて、俺は死んだ方がいいんだ。実は今日、Amazonで太さ12mmの金剛打ちのクレモナロープを買った」

「なんで?」

「首吊りたいから」

「馬鹿」

「……これから俺どうしよう」

「ちゃんと通院して、働く。それでまたギター弾いて曲作って私に聴かせて」

「働きたくねえ」

「私だって働きたくねえ。でも無職で精神病のバカを養わないといけないから働いてるの」

「どうして紗希は俺と別れないの?」

「優雅の作る曲が大好きだから」

「もう曲作りなんてする気無いよ。俺には才能なんて無いからな」

「あるよ。少なくとも私は優雅の曲大好き。天才だと思ってる」

「そう。ありがとう。もう俺の才能なんて枯れたけどな」

「自分が勝手にそう思ってるだけだよ」

「おーん」

「才能なんてそう簡単には枯れたりしないよ。優雅には唯一無二の才能がある。他の人には真似できないよ」

「おーん」

「その“おーん”って返事なんなの?」

「阪神タイガースの岡田監督の真似」

「なんかむかつくからやめて」

「おーん……」


 彼はそう言って、新しいストロングゼロの缶を開けた。

 私は彼に聞こえないように、小さくため息をついた。

 そして私はこう言った。


「ねえ優雅」

「なに?」

「明日は天気いいみたいだよ。2人でどこか行こうよ」

「んー……行けたら行くよ」

「最近の優雅、コンビニと病院に行く以外はずっと私の部屋に引きこもってるじゃん。たまには2人で外に出てみようよ」

「近所でもいい?」

「近所でもいいよ。あそこの花畑でもどう? こないだテレビでも紹介されてた場所」

「ああ、あそこならあんまり人いないし、良いよ」

「じゃあ明日は花畑に行こうね」

「うん」

「あ、それと明日ゴミの日だ」

「そうか、明日はゴミの日か……」


 そう言うと、優雅は神妙な顔つきになった。


「紗希、聞いてくれ。俺はゴミなんだ。ゴミ収集車に収集されるべき人間なんだ。明日の朝、ゴミ捨て場に立っていようと思う。ゴミとして切り刻まれて死ぬよ」

「なに言ってんの? 優雅はゴミなんかじゃない。才能に溢れた人間だよ」

「ゴミだよ」

「人間だよ」

「ゴミだよ」

「人間だよ」

「ゴミだよ」

「人間だよ」

「そうか、人間か……じゃあゴミ捨て場に行くのはやめとく」

「うん。やめときな」


 私は笑ってそう言った。


 ◆


 その日の深夜、私の隣の布団で小さく寝息を立てている優雅の声を聴きながら、私は目を閉じて色んなことを考えていた。

 優雅は今では酒とタバコと薬に溺れる無職で、世間的にはダメな人間だが、本来の優雅の姿はそういうものではなかった。

 優雅は20歳の時に仕事を退職して実家で引きこもりになり、それ以降、アルコールやタバコや合法ドラッグに依存するようになってしまったらしい。

 つまり、優雅は引きこもり生活を送る中でのストレスや精神病における孤独を、酒やタバコや薬でしか癒せなかったのだろう。

 その背景を私は知っているから、優雅のことをクズだとは思わない。でも背景を知らない人からしたら、優雅は単なるクズにしか見えないだろう。

 それと優雅はどんなに酒に酔っ払っても、私に対する暴力や暴言を1度もしたことが無い。

 極限まで酔っぱらった優雅は、ずっと笑いながら楽しそうに私と喋っているだけだ。

 酒はその人を変えるのではなく、その人の本性を曝け出すものと聞いたことがある。その言葉が正しいのであれば、優雅の本来の姿はとても陽気で優しいのだろう。

 そんなことを考えながら私は眠りについた。


 ◆


 翌日の正午過ぎ、私と優雅は、私の運転する車で花畑へと向かっていた。優雅は朝から既に酒を飲んでおり、少し酒臭い。

 そして今日の天気は雲ひとつない晴天だ。

 車を20分ほど運転させると、目的地の大きな花畑に辿り着いた。

 人はまばらにしかいない。

 私たちは車から降りて、花畑へと向かう。


「うわー、綺麗〜!」

「おーん」

「ここの花の集まりがコスモスで、あれが黄花コスモス。遠くに見えるのがサルビア。あと千日草と、百日草。遠くにあるのは花オクラ」

「紗希って花の名前に詳しいね。俺はコスモスくらいしか分かんないや」

「私、花が大好きだから」

「そうか。俺も名前は興味ないけど花は好きだよ。見てると落ち着くよね」

「うん」


 青空の下、私はスマホを取り出して花の写真を撮り始めた。すると優雅もおもむろにスマホを取り出して、花の写真を撮り始めた。


 ──その瞬間のことである。


 私と優雅のスマホがとんでもなくうるさい警告音を発した。


「あ、Jアラートだ。また北朝鮮がミサイル撃ちやがった」


 と優雅が冷静に言う。私は優雅の冷静さに助けられ、取り乱すことはなかった。

 私はこう言った。

 

「ねえ、対象地域が群馬県って出てるよ。群馬にミサイル飛んでくるんじゃない?」

「平気平気。どうせ飛んでこないよ」

「でも一応避難した方がよくない?」

「うーん、でもこの辺りって建物全然無いし、避難しても無駄だよ」

「それもそうか」


 そんな会話をしていると、私たちから少し遠くに立っていたおばさんが、叫び出した。


「なにあれ! まさかミサイル!?」


 その声につられて私が空を見てみると、たしかに巨大な飛翔体が空を飛んでいた。

 その形は明らかにミサイルであり、しかもそのミサイルはこちらに向かって落下しているように見えた。

 私は咄嗟に優雅の右腕を掴んで、車の中へ避難しようとした。

 しかし、優雅はその場に力強く立ったまま、動こうとしなかった。


「なんで!? このままだと優雅が死んじゃう!」


 私がそう叫ぶと、優雅はこう言った。


「俺の命なんてどうだっていい! 俺が紗希を守る!!!!!」


 優雅はそう言って、すぐに私の車へと走って、車の扉を開け、車から1本の金属バットを取り出して、走ってきた。

 あの金属バットは、私と優雅がバッティングセンターに行った時にいつも優雅が使っているバットだ。聞いた話によると、優雅が高校時代からずっと大切に使っている硬式用の金属バットらしい。

 私はバットを持ってきた優雅に訊ねる。


「そのバットでどうするの!?」

「あのミサイルを、宇宙の彼方に撃ち返してやる!!!!!!」

「金属バットなんかで撃ち返せるわけない!」

「俺を舐めんじゃねえ!!! 俺は小中高とずっと野球部だったんだ!! 俺の魂のフルスイングが北朝鮮のミサイルなんかに負けるわけがねえだろ!!!!!」


 私は優雅の迫力に気圧されて、何も言うことが出来なくなった。しかし、私はすぐに優雅に反論した。


「そんなことしたら、優雅が死んじゃう!」

「俺は紗希を守れるなら、何回死んだって構わない。俺の人生は本当に幸せだった。その幸せは全て紗希がくれたものだ。だから紗希、おまえは絶対に生きてくれ。紗希は他人を幸せにする力がある。だから絶対生きろ!!」

「そんな──」


 私の言葉を遮って、優雅は強く私を突き放した。


「おい紗希、今すぐ車の中に避難しろ! 俺は絶対に死んだりしない。大丈夫。野球部だった俺を信じろ!!! 車の中に早く避難しろ!!!」


 そう叫んで優雅は笑った。

 私は不安を抱えつつも、優雅の言葉を信じることにした。彼女なら、彼氏の言葉を信じるべきだ。

 私には優雅がとてもかっこよく見えた。


「わかった! 優雅なら絶対ミサイルを撃ち返せるって信じてる!」

「おう!!!!」

「もし優雅がミサイルを撃ち返したら、私と結婚してね!!!!!」

「おい、もうちょっと冷静に考えろよ。俺はニートなんだぞ。ニートとの結婚は紗希の親が許さないだろ」

「じゃあ優雅がバイト始めたら結婚する!」

「うん。結婚しよう」


 私は優雅を置いて、走って車の中に向かった。

 車の運転席に乗ったが、どうしても心配で私は車の窓を開けた。私のスマホからは依然としてJアラートの警告音が鳴り続けている。

 やがて、風を切り裂く轟音と共に、超巨大なミサイルが落下してきた。

 優雅は落下地点に入って、バットを構えて、落下するミサイルにタイミングを合わせて、思いきりバットをフルスイングした。


 ──カキーン!!!!!!!!!


 優雅のフルスイングと共にミサイルは軌道を変えて、空の遥か彼方まで飛んでいった。その瞬間、私のスマホのJアラートは止んだ。


「優雅!!!!!!!」


 私は無意識にそう叫んだ。

 そして、花畑の中で放心している優雅の元へと走っていき、思いきり抱きついた。

 私たちの周辺では、老若男女からの歓声が上がっている。


「うおおおおおおお!」

「あんたは日本を救った英雄だ!」

「感動して涙が出ちゃった!」

「君はノーベル平和賞を受賞するべきだ!」


 そんな声が聞こえてくる。

 すると優雅はこう言った。


「ノーベル平和賞? そんなの1ミリも興味ねえよ。俺は紗希の命さえ守れたら良かったんだ」

「ありがとう優雅。超かっこよかった!」

「あー疲れた。2人でラーメンでも食って帰ろうか。俺この間、美味しいラーメン屋さん見つけたんだよ」

「うん!」


 私と優雅は、笑顔で車の中に戻り、優雅が最近見つけたという美味しいラーメン屋さんに向かって車を走らせたのであった。

 助手席に座っている優雅は、やがて無表情でロングピースというタバコを吸い始めた。車の中が臭くなるから本当はタバコなんて嫌だけど、今日くらいは何も文句を言わないであげようと思った。


「ねえ優雅」

「なに?」

「ありがとう。私のこと命懸けで守ってくれて。嬉しかった」

「彼氏なら当然だよ」


 優雅はそう言って、無表情でタバコの煙を吐き出した。

 その様子を横目で見て、私は少し笑った。





 終わり





【あとがき】


かなり久しぶりに小説を書きました。クズな彼氏をどうやってかっこよく見せるかというのを考えた結果、こういう展開になりました。

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魂のフルスイング Unknown @unknown_saigo

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