11月17日 3

 巨大な蜘蛛の体躯たいくと、その上の裸婦の姿をした巨体。

 人間でいう心臓の位置を縦に真っ二つに裂かれた怪異は、声を上げることもなく、噛み合わない積み木細工のようにそのシルエットを崩れさせる。

 崩れた端から空気中に霧散していく様は、異質でありながら幻想的でもあった。

 それを際立たせているのも、怪異の心臓の位置にあった真っ赤な臓器のような器官が支えを無くしたことによりゆっくりと柔らかく、羽のように地面に落ちていくからであろう。

 その落下地点には三ノさんのめ飛鳥が佇んでいる。

 寄名蒐と同じく、その紅い臓器を見つめている。

 お互い対角線上にいる二人は、現実に引き戻されたかのように視線がかみ合った。


「あまりにも優しすぎたかな、苦悶の声や恨み言の一つくらい上げさせればよかった。それはそれで大人げなかったかもしれないけれどね」

 美しく白い肌をしたくびから鮮血を流しながら、照れ隠しのように少女は呟く。

 その姿は幻想的な風景によく映えている。

 やがて禍々しくも美しい、紅く発光した臓器は三ノ女の手元に落ち着いた。

「丁度良い、このタイミングで教えておこうか。あの怪異の体内に在った、ボクが今手にしているこの器官は呪層核膜じゅそうかくまくというんだ。今回の怪異のように、存在が大きすぎる怪異達は総じて、核となる器官を持っている。人間でいう心臓や脳と同じだね。存在規模が大きくなると、地球で一番栄えている霊長である人間を模す事が最適だと判断するんだ。自然とその思考に至る場合もある。そうすると身体だけでなく、中身まで人間と似た構造になる。その場合、今回のように心臓の位置に呪層核膜が現れるんだ。とはいえ、ここまで禍々しいのは日本では珍しいほうだよ」

 説明をしながら、その紅く発光する異物を眺める少女。

 手に持っている刀で呪層核膜を切ろうとするが、その刃はことごとく弾かれていた。


「ふむ、この刀では無理か。やはり宝剣でないと……まあいい、何はともあれ怪異は霧散した。とりあえず捉えられている人達を降ろそうか」

 おや、懐に忍ばせた包丁が無いぞ? と呟きながら三ノ女は軽やかに跳躍すると、大木の枝に括りつけられた繭を一つ一つ、丁寧に地面に下ろしていった。

 蒐、巣南、高山も安定した地面に下ろされたことで、ようやく一息付けた。

 長時間逆さ吊りされていたことで、顔の全体が少し充血している。

「まだ頭に血が上っているだろう、しばらくは横になってゆっくりしているといいよ。ボクは持ってきた口裂け女の包丁を探してこよう。きっと吹き飛ばされた時に落としたんだね。そういえばあの時、奇妙な小屋を見たような……」

「飛鳥先輩、助けてくださりありがとうございます。まだ身体に力が入らないので、お言葉に甘えてしばらく安静にしていますね」

「俺も、まだ頭がぐわんぐわんしてますし、身体に力も入りません。動けるようになるまで時間がかかりそうです。気になることがあるなら、協力したいんですけど、今はまだ無理そうです」

 災難が去った安心感から、三人は穏やかな口調で会話を交える。

 繭になってた二人は無理に立ち上がることはせず、柔らかい地面の上で横になっていた。

 一方、その喧騒から離れ、高山は白川和泉の元に駆け寄り、無事を確認していた。

 未だ頭に血が上って顔色の悪い高山とは違い、その少女は安らかに眠っているように穏やかな顔だった。王子様の口づけを待っている眠り姫のような様相だ。

 健康的な顔で瞼を閉じ、一定のリズムで胸を上下させている。怪我をしている様子もない。

 その事実を確認して安堵したのか、高山はやっと心を落ち着けることができたようだ。


「三ノ女先輩、頸の傷は平気なんですか?」

 三ノ女飛鳥の頸からは今もなお、鮮血が流れている。傷は浅いはずだが、血が止まらないようだった。

「ああ、この程度の傷なら気合で止血できるんだけど、どこかおかしい。太い血管にも当たっていないし、傷も深くないのに血が止まらないみたいだ」

「気合で止血って、飛鳥先輩ならそれも出来そうですけど、さすがに無理なんじゃ…」

 傷口を手で覆っているが、流れ出る血は止まらない。出血多量で命の危険もありそうなレベルだった。

 改めてその光景を見た三ノ女は、事の異常性を認識する。

 三ノ女飛鳥にとって、この程度の傷であれば筋肉に力を入れることで無理やり止血することが出来る。

 傷を負っても、胴と頸が繋がっていればすぐに死ぬことも無く、心臓が止まっても死ぬまでに猶予がある。文字通り規格外の肉体を彼女は持っている。

 だが、それ以前に、かすった程度の傷でここまでおびただしい量の血が流れること自体がおかしい。大物を仕留めたことの高揚感と満足感で、その異変に気付くのが遅れてしまった。

 同時に、手に持っていた呪層核膜が何かに引き寄せられるように森の奥へと飛んでいった。

「三ノ女先輩、あの紅いのが!!」

「ああ、どうやらまだ事件は終わっていなかったらしい」



 森の奥は驚くほど静かだ。

 巨大な怪異、一瞬の戦い、散り際の幻想、それらを経過して尚、群青の空は深いまま。

 外界を隔てた静謐な箱のように、世界の運営とこの時間軸を切り離しているかのようだった。

 その異質さは、まず蒐たちの嗅覚を刺激した。思わず顔をしかめるような臭気。今まで感じたことのない臭いだった。次に草を踏みしめるような拙い軽い足音が耳に届き、やがてその元凶の姿を水晶体へと映した。

 森の奥から現れたのは壊れた人形のような物体。大きさは一般的に大人と呼ばれる人間と同じくらい。

 腕も足も胴体も、そのすべてが不揃いでちぐはぐなそれは、操り人形のようだった。しかしそれには人形特有の球体関節はない。

 気配も纏わずゆっくりと現れたため、その姿をじっくり確認するように凝視してしまった。

 だが、それがいけなかった。その姿は、あまりにも行き過ぎた毒でしかなかった。


 事実に気づいた巣南瑞穂が、くぐもった声と共に激しく嘔吐した。その顔は土気色で、涙を浮かべている。

 蒐も、胃の奥からこみあげてくるものを我慢することで必死だった。先に巣南が吐かなければ、自分が吐いていたかもしれない。

 目の前の人形は、人間だった。

 否、人間の部品を組み合わせて作った、操り人形だった。

 まず、上半身と下半身が違う人間のモノだった。その境界線は乱暴に縫合されており、激しく動けばその胴体は離れてしまいそうだ。内臓や肉が中途半端に残っているのか、歩くたびに血や肉片をまき散らしている。肉体の持ち主は暴れたのか、殴打の跡があった。死後数日―――死といっていいのだろうか―――は経過しているのかその肉体からは異臭が漂っている。胸の部分に縫合の跡があることが、この人形を作った人物の変態性や執着を際立たせている。

 また、四肢は全て違う人物の部位を組み合わせているようだった。右腕に至っては、上腕と前腕に縫った跡がある。両足に至っては、ももすねと、足首から下が違う人物のパーツのようだった。

 黄金比というのだろうか、人間同士の綺麗な部位を組み合わせて美しい人形を作っているかのようだ。

 それらを含めても、何より歪なのが、頸から上が存在していないことだった。

 丁寧に切断された頸の付け根が、相応しい顔を探している妖怪を想像させる。

 気に入った顔が無かったのだろうと想像できてしまうほど、その人形は異質ではあるが、作り手のこだわりも視える逸品だった。

 蒐はまじまじと観察してしまい、また吐き気を催して突っ伏した。

 怪異相手に一歩も引かなかった三ノ女飛鳥も、苦悶の表情を浮かべている。


「生きている人間を操るのは楽だったが、創った人間を操るのは難儀だった。筋肉の収縮の有無でこうも違うのかとな。結局今に至るまで一度も成功しなかったからな。だが今はこの通りだ。これもあの蜘蛛女が死んだからだろう。いや死んだのではなく俺に乗り移ったのか? なんでもいい、あいつの力が俺に渡ったという事実さえあればな」

 人形の奥から一人の男が現れる。

 眼鏡をかけた短髪の青年。醜悪な顔を隠そうともせず、糸を用いて人形を操る人形師のように、右手の指を忙しなく動かしている。

 間違いなく、その右手で目の前の人形を動かしているようだった。

 男の心臓は、あの怪異の呪層核膜のように紅く輝いていた。

「とはいえ、これが初めてだからな。動きは散漫極まりない。だが何事も最初は失敗するものだ、上手くいくとは思っちゃいないさ。やがてはあの蜘蛛女のように自在に操ってみせる」


 三ノ女は拳に力を入れる。

「貴様、もう一つの行方不明事件の犯人だな?」

「そうだが、それがどうかしたか? 俺は神になる男だ。その下地になれたのであれば女たちも幸せだろうよ。それよりお前、あの蜘蛛女を切り裂いた女だな、とてつもない上玉だ。どうした、俺が人間だから斬るのをためらっているのか?」

 挑発するような言葉だが、少女がそれに乗ることはない。

「そうだね、躊躇っているよ。人を斬ったことはないからね。だが呪術師であるなら別だ。人であれば警察の領分だから躊躇したけれど、今のお前相手であれば躊躇う理由が見つからない」

「呪術師、そうか、俺はそういう種類になったのか。思うにあの蜘蛛女が俺に宿ったからか。まあどうでもいい。しかしそれならば、なぜ俺に斬りかからない。お前はまるで武神のようだった。俺の目指す神とは違うが、この世界にとって崇高な存在なのだろう。そうだ、この人形のかおはお前にしよう、ちょうど頸に怪我をしてるようだからな。その切り口を丁寧に切り離してやる。神に等しい身体で練習するのも大事だからな」

 男はじっと、赤と白のコントラストが映える三ノ女の頸を見つめる。左手を前に出して、糸を出しているようだった。

 先ほどの蜘蛛女のように、この男も糸で攻撃できるらしい。

 いや、男の口ぶりから察するに、蜘蛛女が乗り移りそれが可能となったのだろう。

「さっき、蜘蛛女に吹き飛ばされた時、森の奥に小屋が見えた。お前、そこにいたんだな?」

「…バレちまってるなら隠す必要はないな、その通りだ。その時に俺を始末していればよかったものを……まあ、あの状況なら蜘蛛女を優先するか。この状況はあんたの落ち度じゃないさ」

「あの時は死臭を感じなかったけど、ボクの感覚がマヒしていたようだね。それともあの怪異の存在が大きすぎてそこまで感じ取る余裕がなかったのか」

「どうだかな。どちらにせよ、あんたは大した女だよ。それよりも、そんな悠長に話してる暇があるのか? それとも何かを待っているのか?」


 三ノ女は少々分が悪い状態だった。

 まず、三ノ女と人形、そして男の立ち位置が直線状にある。

 間合いを詰めて断ち切るには人形が邪魔だった。身体を弄ばれた女体にさらに危害を加えることを、同じ女性である三ノ女は良しと思わない。できるなら人形となった女性たちに、これ以上傷を与えずにことを済ませたい。

 そして、頸から流れる血が止まらないこと。鈍い痛みまで発生している。体内にうまく血が巡っていない状態で、先程のような大立ち回りは不可能だった。

 また、この傷はどうやら呪いのようだ。蜘蛛女を完全に殺すまで消えない呪い。その呪いの源泉は今や男の体内に乗り移っている。あの呪層核膜を完全に破壊しないことにはこの傷が癒えることは無いのだろう。呪いの影響で身体に重圧がかかっている。無視できるほどだが、血が流れ続けるほど、重くのしかかっていくだろう。

 とはいえ、あの男を仕留めることは難なく可能だろう。

 見たところ、先ほどの怪異と同じような能力を持っているだけで肉体的には平凡だだ。接近さえできれば捕縛は容易である。


(寄名君、少しいいかい? 作戦会議だ)

 男に聞こえるかどうかという声で、三ノ女は傍らでうずくまる寄名蒐に語り掛ける。

(どうしました、三ノ女先輩?)

 同様に、蒐も小声で返した。

(できるなら先程と同様に、時間をかけず一太刀で終えたい。だけどそれにはあの人形が邪魔だ。だから、君の塗り壁を男と人形の間に出してほしい。男の視界が奪われているうちに、ボクが人形を確保する。その後にあの男を退治しよう)

(わかりました、塗り壁も話は聞いています。いつでもオーケーです)

(よし、ならボクの合図で出してく―――)

「何をこそこそしている」

 目の前の寸劇のような作戦会議を静止するように、男が右手を大きく動かした。

 緩慢な動きで、生まれたての子牛のように歩いていた人形が、勢いよく二人の目の前に飛び込んできた。

「ぬ、塗り壁っ!!」

 人形が三ノ女に襲い掛かる前に、既に心構えを済ませていた蒐は塗り壁を張る。

 勢いよく壁に衝突した人形は、積み木が崩れるようにバラバラになった。

 その気味の悪い光景は、壁を張ったことで見ることなく済んだ。

「っ!! でも今のは仕方ない、寄名君よくやった。あとはボクに任せてくれ」

「はい、塗り壁を解除します」

 三ノ女が刀に手をかける。流れとしては、壁が消えたと同時に男に飛び込んでみねうちをして気絶させる。殺すことはせず、己の罪を認めさせるために三ノ女家で保護し、警察と協力して白状させる。恐らくは死刑だろうが、攫った女性たちの罪滅ぼしとしては軽すぎるくらいだろう。

 感情が昂り全身に力が入る。男の気配は未だ先程と同じ位置にある。動いた様子はない。落ち着いて一呼吸入れる。やることは先程と同じ、踏み込んで刀を引き抜くだけだ。

 塗り壁が消え始める。三ノ女は目の前の光景を確かめる。

 男の姿を確認して、その一歩を踏み込もうとしたが、それは横からの闖入者ちんにゅうしゃによって阻止された。


「三ノ女さん!!」

「高山先輩!?」

 横から阻止したのは高山渚だった。その手には口裂け女の力が宿った出刃包丁。高山の姿に気を取られていた三ノ女は、手に持っていた凶器の存在に気づくのが遅れてしまった。

 やがて、ずぶ、という鈍い音とゆっくりと訪れる下半身への重み。

 高山が両手で握るその凶器は、三ノ女の右腹に深く突き刺さっている。背中まで貫通しているようだ。

「三ノ女先輩!!」

「…がはっ」

 蒐の声の後に、気の抜けた顔で吐血する三ノ女。

 だがすぐに強い瞳を取り戻した。

(刺された。腹か、一番柔らかい部位だからな……あの男に操られているんだな。口裂け女の包丁が凶器、あの男が拾っていたのか、小屋の近くで落としていたんだ……高山先輩は今も凶器を握っている。これはまずい、横に切り裂こうとしているな。引き抜かれるならまだ何とかできるが、切り裂かれて内臓が外に出るのはまずい…!!)

 男が左手を操る、あの左手で高山渚を操っているようだった。

 三ノ女の予想通り、高山は突き刺した包丁を横に引き裂こうとしていた。

 彼女がその動作に入る前に、三ノ女は高山の両手を掴んで抑える。

 両手で引き裂こうとする高山と、その両手を掴んで引き裂かせないよう努める三ノ女。

 引き剥がそうと模索するが、まるで石像のように、高山の身体はびくともしない。

「ご、ごめんなさい三ノ女さん、身体が言うことを利かないの」

「うん、わかっているよ、大丈夫。何とかなるよ」

 安心させるようにつぶやくが、お互いに、一歩も動くことが出来ない状況には変わりなかった。

 

「終わりだな、女。お前は確かに美しいが、ちと身長が足りない。無駄のない手足は残してやるが、胴体は……そうだな、慰みものにでもしてやるよ。達磨女ってのも一時期流行ったろ。しばらくは金が要るからな。神に迫る道程の傍ら、そういう商売を始めてもいい。じゃあな」

 事の成り行きに興味がないのか、無感動に男はつぶやく。

 あの人形も精魂込めて創ったはずなのだろうか、壊れてしまった今となってはどうでもいいようだった。

 蒐が動くよりも早く、男は右腕を振るった。

 右腕から繰り出された糸は、三ノ女飛鳥の頸を求めてまっずぐ飛来していく。

 当の本人も、身動きのできない状態でその光景をぼんやりと眺めることしかできなかった。

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