11月17日 1

 結局のところ、納得なんてできなかったのである。

「三ノ女さんには申し訳ないけど、信用と信頼は違うものだ」

 人間離れした力を持っていたり、この世ならざる異能を扱っているからといって、はいそうですかと、黙っていることなどできない。

 こうしている今でも、和泉が殺されてしまう可能性があるのであれば、ゆっくり休んでいることなどできない。

 捕らえられている彼女の姿を見ている以上、私だけ温かい場所で悠々と時間を浪費することなど、出来るわけがないのだ。


 包丁を取り上げられはしたが、口裂け女の力を扱い続けていた結果として、肉体には呪力の残滓ざんしがあった。

 その残滓の影響で常人を上回るパフォーマンスを発揮でき、二階にある客室の窓から飛び降りることで、三ノ女邸を抜け出した。

 時刻は日付が回ってすぐ。

 短針は原初の数字に還り、再び時を数えだす。

 闇夜に紛れながら真っすぐ走り、最短距離で出口を目指す。

 敷地の境界に卒塔婆そとばのようにそびえる門は、一か八かではあったがギリギリ飛び越えることが出来た。

 ギリギリである理由は、小脇に巣南瑞穂を抱えているからだろう。

「高山先輩、なぜ飛鳥先輩に相談しないんですか? あなたの話を伺う限り、黒幕である異形のモノとやらは限りなく怪異の可能性が高く、警戒すべき存在です。わざわざ奇行に走って命を危険にさらす必要はないでしょう」

「ああ、その通りだよ。でも、さっきの食堂の時のように言いくるめられる可能性もある。そんな無為に過ごす時間の中で、和泉が殺されるかもしれない。私は和泉の無事を確認したいだけだ。だけど、捧げ者が無いのに行けるわけも無いだろう? だから君だけをこっそりと拝借したんだ。それに」

 走りながら言葉を続ける。

 三ノ女邸を後にしてから高山渚のペースは落ちていない。

 巣南は同年代の女性の平均値以上の肉体を持っている。決して重いというわけではないが、人の手で簡単に持ち運べる重量ではない。

 ましてや女性の力で小脇に抱えて運ぶなど、世界中を探しても一人もできない芸当だろう。

 しかし、綺麗な金髪をなびかせる彼女は、汗を流すことも息を切らす様子もない。

 アドレナリンの分泌で感覚がマヒしているだけかもしれないが、それでも異常な光景だった。

(これが呪術師になるということなのね。肉体性能が人間のスペックを遥かに超えてるわ)

 巣南は危機的状況にあることを自覚しているが、目の前で起きている現象を冷静に分析していた。


「先ほども言ったけど、信用と信頼は違うものだ。少なくとも、使用人が多数居る厳戒態勢の三ノさんのめ邸から、私達二人が抜けだして気づかれないわけない。きっと、すぐ追いついてくるよ」

 むしろ、追いついてもらわないと困る、と最後は小声で呟いた。

 どうやら、この奇怪な行動は衝動から来るものではなく、救援が来ることを見越しての強行らしい。

「……この夜で決着をつけるつもりなんですね」

「ああそうさ。学校の授業が終わるまでなんて、待てるわけが無いだろう。君だって、寄名君が同じ状況なら私と同じ行動をとっていたはずだ」

 高山の言葉に、巣南はどうだろうか、と思考を巡らせる。

 助けたいと思うが、その場の勢いよりも、もっと現実的な方法をとるだろう。

「私はね、和泉のことが好きなんだ。たぶん、これは友愛ではなく、異性に向けるそれと同じだと思う。私は狂ってなんかいないよ。好きだから助けたい、それだけのことさ。恐らく、自分でもわかっていなかったけど、私は同性愛者なのだろうね」

 その言葉を皮切りに、異形のモノが待つ東部の山までの道中は、高山渚が白川和泉に向ける感情や二人の馴れ初め―――所謂いわゆる、のろけ話で埋め尽くされた。


 高山渚は生まれつき、悪事を働いて人を陥れることを良しとせず、また、その傾向の強い社会や俗世に対しても疑問を抱く少女だった。

 歳を重ねるに連れその疑問は穢れのない精神性を構築していき、持ち前の美貌も合わさった結果、彼女は清廉潔白な淑女へと成長した。

 やがて尾咲学園へと編入し、悪口や陰口も言わず、人を助けることを最良とし、それを鼻にかけることもなく、余人全てに対して平等に接することから、学年のカリスマと呼ばれることとなる。

 地毛の金髪が絹のように美しいことから、周囲には天女のように幻想的に見えたのかもしれない。

 あるいは聖女とも。

 尾咲学園の学年ごとの偶像崇拝は、彼女の功績から始まっていたのだ。

 だが、そんな彼女になびかない女子生徒が一人居た。

 それが白川和泉。いつも教室の隅に居る、目立たない女の子。


 学年のカリスマの周囲は常に人だかりができていた。悩み相談、勉強会への誘い、部活動の応援依頼、昼食の同行など、学園内で発生する様々なイベントは、高山渚を中心にして起きていた。

 その中で、白川和泉のみが唯一、高山に分かりやすい悪意を向けていた。

 白川和泉は卑屈で偏屈で、心の中は誹謗中傷に満ちた文句で埋め尽くされているが、表面上は嫉妬心と苛立ちを湾曲して醸し出しているような少女だった。

 要するに、典型的な堕落した内弁慶。

 精神の基本構造が、悪口と妬みで構成されている蚤の心臓。

 その自分勝手な悪意は、学年の人気者であり、絶対に反撃してこない高山渚に容赦なく向けられていたのだ。

「馬鹿みたい、持てはやされて調子に乗ってるのか知らないけど、あの人だかり、いつも邪魔なのよ。それに、わざわざ善意の押し売りみたいに、私のところに来ないで。義務も要件も必要性も無いでしょう?」

「噂には聞いていたが、君はいつもその調子なんだね。だけど今日は普段よりも元気そうだ。良いことでもあったのかい?」

 初めての会話がこれである。白川和泉は常に悪意を隠さなかった。現在の関係からはおよそ考えられないほど、第一印象と相互接触は最悪だった。


 そのような関係が続き、先に変化が訪れたのは高山渚だった。

 彼女は自身の中に人を陥れるという自我が芽生えないため、悪意を抱く人種や悪意を向けられる現象というものを理解できない人間だった。

 クラスに馴染めない白川和泉のために、単純な好意から相互扶助を進み出ていたが、日常的に浴びせ続けられる罵詈雑言に、聖女じみた彼女の心に変化が起きる。

「そういう君はいつも卑屈だな。本当は羨ましくて仕方ないのに、それを認めたくなくて周囲全てを敵と見立てて攻撃している。少しは素直になったらどうなんだい?」

「っ……何よそれ、知ったような口をきくじゃない。というか、あんたもそんなこと言えるのね。あんたの口から、人の悪口なんて聞いたこと無かったから、本当の聖人だと思ってた。でもいつも無理して笑ってるわよね……同じ人間なんだから、愚痴くらい言いたくなるはずなのに」

 何気ない一言、日常の一幕。

 だけど確実に、お互いの何かが通じ合った瞬間だった。

 高山渚は白川和泉が予想した通り、聖人君子の如き知見を持っている。その為、初めて自身の口から出てきた言葉に驚きを隠せなかった。同時に、それを伝えた時の快感や背徳感、解放感の味も知ってしまった。

 人が当たり前のように抱き、日常で息をするように発散する暴言、もとい小言。この程度のことが、彼女にとって何よりも新鮮で、その感情を抱く相手である白川和泉を特別な存在と見立てるようになった。


 いつも周囲を取り巻く有象無象たちは、何を話しているかわからない異星人みたいなものだった。それは、外見も内面も美しいモノに惹かれて集まった、火に群がる虫のようだ

 それらとのやり取りは、高山渚という少女の人間性を頻々ひんぴんと希薄にしていった。

 だが、白川和泉との逢瀬の時だけは、ようやく人間になれた気がしたのだ。

「私が彼女を好きな理由はね、彼女の前では普通の人間で居てもいいと知れたからなんだ」

 硬く閉ざされた扉が氷解するように心を許し、高山渚の人間性に理解を示した白川和泉と、共依存のような関係性になっていく。

 三年生になるころには、まるで中毒にでもなったかのように、お互いを求めあっていた。


 黙って話を聞いていた巣南瑞穂は思う。

 高山渚は今回の一件で、実際に人を襲っている。

 だが面と向かって話しをすると、彼女は人格者であることがわかる。

 その精神性に異常な部分もあるが、これくらいの人間性ならだれもが内に秘めているだろう。少なくとも破綻者ではない。

 だから、何故、夜に出歩いていた少女に危害を加えたのか疑問だった。

(実際は対話で解決しようと試みていたみたいだけど。……でもわかった。この人の中で白川和泉は、罪を犯してまで守りたい存在なのね。恋は盲目というけれど、罪悪の天秤をネガティブな方向に傾かせるほど理性が飛ぶなんて……恋心は呪いみたいなものね、恐ろしいわ)

 恋心を抱く少女に、呪術という呪いの力は強く作用したのだろうと、やはり冷静に分析してしまい、そんな自分に嫌悪感を抱いてしまう巣南だった。



「高山渚が素直に引き下がることはない、というのはわかっていたよ。悪意に対して生理的嫌悪すら抱く女性なんだ。そんな彼女が、罪の意識を押し殺してまで悪事に加担するくらいだ。しかも意中の人は女性であり、白川和泉という偏屈者。大人しく今日を終わらせるわけないだろう。にしても、考えるほど面白い組み合わせだし、今回みたいな衝動はいいね、気持ちのいい若気の至りだ」

 屋敷から二人の人影が消えることを悟っていた三ノ女飛鳥は、懸命に後ろを付いてくる寄名蒐に話しかける。

 対象の人物から距離を離されないように尾行する三ノ女に対し、蒐はその追跡速度に食らいつくことで必死だった。

 三ノ女邸から出発して、現在は尾咲市の東部の山沿いの道路を走っている。

 日付変更線を過ぎた街並みは、呼吸を失ったかのように静かだった。

「なんで、屋敷から抜け出すことが、分かってて、一緒に行動しないんですか」

 目的地までの距離が縮まってきたのか、徐々にペースを落とす先行者に、息を切らしながら声をかける。

 どうやら高山渚は山道に入ったようだ。

「こんな尾行みたいなことしなくても、素直に追いついて、一緒に行動すればいいじゃないですか」

「それだと、異形のモノとやらが警戒するかもしれないだろう? 姿を現さないかもしれない。万全を期すなら、敵を油断させておいたほうがいい。今日で終わらせるなら、尚更だね。勝ちの芽は少しでも多いに越したことはない」

 少し遅れて、二人は山道の入り口に差し掛かる。

 街灯も何もないただの獣道は、想像以上に暗かった。

 その獣道も、人の歩いた形跡がわずかばかりあるだけで、注意して見なければただの草の生い茂る山道だった。

 安全面を考慮して歩幅が減ってしまうため、どうしても進行ペースは遅くなる。

「それにね寄名君。彼女が動き出さなくても、皆が寝静まったタイミングで、ボクが退治に向かってたさ」

 山道は無音かつ無風、余人を立ち寄らせない静謐せいひつの山は、街とは違った精錬された静けさがあった。

 ここは人の立ち入る領域ではないと、大自然が訴えかけてくるようだ。

 だが、目の前の女性はそんなものどこ吹く風で、無遠慮にずかずかと足を踏み入れていく。


「君はうちの社員達を見たようだね。普段はあんな時間からガツガツと料理を食べるなんてことはないんだ。晩酌ならあるけど、今日みたいなことは稀だ。だから何事かと聞いてみたんだけどね、どうやら行方不明事件が発生したらしい」

「行方不明事件って、俺達が追ってるやつですよね?」

「それとは別件だ。ボク達が追っているのはあくまで尾咲学園の生徒の行方不明事件だ。だが尾咲市では、それ以外にも行方不明の女性達がいるらしい。その事実が判明して、加えて三ノ女家に依頼が来たのが今日、という流れだ。うちの社員達はその依頼に取り掛かるために、英気を養っていたということだね」

 話しながら背の高い草花をかき分けていく。

「もしうちに来た依頼が、今回の事件と関係あるのであれば、この先に待ち受ける何かを治めれば解決だ。だけど違う事件だった場合、明日からボクは三ノ女家の当主として振る舞わなければいけない」

 終止符を打つのは今しかないというわけだ、と締めくくる。

 学園側が隠蔽している以上、警察や地主の三ノ女家は動くことが出来ない。今回の尾咲学園生徒行方不明事件は完全に、個人の事情や私情で動いている。

 加えて、今日発覚した更なる行方不明事件が、本案件と別物だった場合、三ノ女飛鳥は家業を優先させるため手を引かざるを得ないというわけだ。

「一番いいパターンとしては、二つの行方不明事件が同一犯、又は仲間内の犯行である、というケースですね。そうじゃなかった場合、俺達だけでは白川和泉を救えないかもしれません」

「随分弱気な発言だね、と指摘したいところだけど、この一件は君には荷が勝ちすぎるとボクも思う。怪異から身を守る力しかない今の君では、どうにもならない事案だからね」

 三ノ女は懐に隠した包丁に触れる。

 高山渚から取り上げた、口裂け女の力を帯びた得物。

 この力を彼が用いればあるいは、と一瞬頭をよぎったが、少ない可能性に賭けるのは自らの寿命を縮める浅はかな行為だとして一蹴した。

 いずれにせよ、異形のモノとやらが待ち受ける場所まで行けば、全ての説明がつく。

 今は目前に迫る脅威のことだけを考えよう。

 言葉の途中で三ノ女が押し黙ってしまった為、蒐も口をはさむタイミングを失ってしまった。

 一歩踏み出すたびに鼓動が早鐘の様に脈打つ。

 二人は会話も無いまま、黙々と静寂に包まれた山を登っていく。

 木々をかき分ける音も大地を踏みしめる音も、慄然りつぜんとした緊張感の中に消えていく。

 それはまるで、この先に待ち受ける嵐が訪れる前の静けさに似ていた。

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