11月16日 2

 昨夜と同じく、一行を乗せた白いバンが山を下っていく。

 二日目にして巣南瑞穂は要領を得たようで、寮のチェックは滞りなく終わった。

「三年生の間でも行方不明のことが噂になっているのかな。今日の寮生たちは大人しいみたいだ。いつもこうであってほしいね」

 女王の如く座席に控える三ノさんのめ飛鳥は、巣南のチェック結果と自身の素行調査ファイルを比較していく。

 穏やかな佇まいだが、視線は常に街の方向を向いている。

 尾咲市全体をカバーすると息まいているが、一体どのような方法なのだろう。

「不在の生徒は一人だけだね。理想的な展開だ。尾咲市南部で派手に遊んでいるようだ。尾咲学園の品格を下げる行為はやめてほしいね」

「夜遊びってことですかね」

「そうだね。お酒も飲めない年齢で夜通し遊んで何が楽しいんだか……いや、ああいう手合いはルールを守ることも無いか。違反者と呪術師で良い組み合わせじゃないか」

 発する言葉が刺々しくなっていく。

 まるで闘牛士との一騎打ちを控える牛のようだ。

 動きや制限を解放した瞬間に暴れだすだろう。

「じゃあ、今日は俺と巣南さんが組んで見回るってことですね。南部に張っていればいいですか?」

「いや、あの摩天楼は君たちが思っているよりも人で溢れている。キラキラして見えるけど実体は汚いものだよ。目の毒でしかない。通行人の多い繁華街である南部に高山渚が出てくる可能性は低いだろう。それに、あの程度の距離なら僕の射程範囲だ。君たちは東部を探索してくれ。昨日と同じ場所に降ろすよ」

「東でいいんですか?」

「制服姿の君たちが南部の繁華街に居ると目立つよ。ただでさえ尾咲学園の生徒は見かけないんだ。余計悪目立ちする。学園側に連絡が行ったりすると厄介だ」

「なるほど。昨日、東側を見て回っていて、隠れるのに最適な土地を見つけました。俺たちはそこを探してみます。東部の端っこです」

 光源が頼りない自動販売機しかない寂れた土地を思い出した。

 こんなところに居るような奇特な人間はいないだろうと、意にも介していなかったが、不在の生徒が、ある意味安全な南部に居るとわかっている以上、今日は重点的に調べるべきだろう。

 とはいえ、それも絶対ではない。油断大敵だ。

「良い情報だ。君たちはそこを重点的に調べてみてくれ。方針は決まったね。君たちが高山渚を見つけたらすぐに駆け付けるから安心するといいよ」

 車は尾咲市の東側を走る。窓の外の景色は、南部の輝く街のネオンが流れていき、次第に街灯が点々とする住宅街に移り変わっていく。

「今日の飛鳥先輩、なんだか怖いですよ」

「そうかい?」

「ええ、主人にお預けを食らってる大型犬みたいです」

「大型犬ときたか、確かに犬はいいね。飼い主に従順で獲物への執着心が強く粘着力もある。足も速いからね、いい例えだよ」

「そ、そうですか。あれ? おかしいな」

 巣南としては決して褒めたつもりではないが、三ノ女は誉め言葉として受け止めたようだ。

 三ノ女は、犬と猫なら犬派らしい。

 猫のしなやかさもいいが、気まぐれな部分が玉にきずとのこと。

 猫の姿をしていた塗り壁がいたたまれない話だった。

 やがて白いバンは東部の中心にある大きな公園に到着した。

 三人は車から降りる。

「じゃあ二人とも、今日も引き続き頼む。今日は車もここでずっと待機している。休憩の時にでも使うといいよ」

 三ノ女飛鳥は言い終わると同時に地面を蹴り、空へと消えていった。


 閑静な住宅街を二人で歩く。

 人の気配や生活音はほとんど聞こえない。

 街並みには人一人も歩いていなかった。

「今って晩御飯の時間よね、いやもう終わってるか。でも食卓の匂いも感じないっていうのは珍しいわね。ああいうのって外に漏れだして、道行く人の胃袋を刺激するものじゃない」

「昨日もこんな感じだったよ。ホントに人っ子一人見ないんだ。目に見える範囲の通りはすべて歩いたけどね、奇妙なくらい誰も見かけない。この街も学園みたいに門限があるのかな」

 さすがにそれはないか、と締めくくる。

 二人は大きな公園を中心として円を描くように街中を歩いている。

 昨夜見て回った方法と同じだ。

 それをなぞるように探索した後、東部のはずれに向かう予定である。

 街を歩いて感じるが、この住宅街には人の気配が全くない。

 目に見える範囲の住宅は昔ながらの平屋が連なった長屋で、遠目に見える団地のようなマンション群も築年数はかなり経過しているように思える。

 どの建物も時代に取り残されたような異物感を放っているのだ。

「なんか、西部と違うわ」

 初めて訪れる街での、夜の散歩を楽しむように景色を見ていた巣南が呟く。 

「西部は近代的な住宅が多かったわ。一軒家で新築も多かったし、平屋もあったけど、もっと大きくてその、こう、綺麗だったわ」

 言い淀んだのは決して的確な言葉が浮かんでこないのではなく、東部に住む人を気遣ってのことだろう。

「ここにあるような時代の流れを感じる建物は無かった?」

「ええ。道路も広かったし、家一つ一つに自家用車の駐車スペースもあったわ。コンビニや一階にテナントが入ってるアパートやマンションもあった。でも東部はホントに家しかないのね。というかあの団地みたいなマンションのむれ、もしかしたら廃墟なんじゃない?」

 巣南が指をさす方向を眺める。

 人の気配を感じないとはいえ、長屋は生活の明かりが点々としている。しかしマンションのベランダ側から覗く部屋は全て暗い。人が住んでいる以上、明かりの灯されていないなんてことは有り得ない。

「というか、廊下の電気も消えてるわよ、あれ。マンションは廃墟で、そこに口裂け女がいるんじゃない?」

「可能性はありそうだね。東部はあのマンションを境目に住宅街と過疎地に分かれているみたいだ。もしかすると曰く付きなのかも」

「今の話のどこにいわくつきの要素があるのよ。単に土地開拓や、新規事業の競争の波に取り残されただけでしょう。尾咲市は開拓地だと聞くわ。目まぐるしく流れていく時代の速さに追いつけなかったのよ。それか意地汚く居座り続けようとしたか」

 唐突にリアリストな一面を覗かせる少女。巣南瑞穂という女性の基本スタンスは、例えるなら静観と無関心だ。

 直近は怪異絡みの奔走ほんそうが多いため、らしくない一面を多々覗かせていたが、彼女は基本的に冷めているのである。

 意地が悪いわけでも、無欲なわけでも逃避でもない。

 過去の経験から、夢と期待と希望を抱くことを意識的に廃した結果なのである。

 それ故に彼女は現実と論理から類推して物事を考える節がある。

 学生寮の不在者のチェックを最短で終わらせたのも、冷静に効率を求めた結果だと思えば納得もできる。

 健康的な見た目も相まって、足を使った調査というのは意外にも彼女の天職なのかもしれない。

「何よ、じっとこっち見て。私の顔に何かついてる?」

 顔をペタペタとさわる巣南。年頃の少女らしく、自分の手の冷たさに驚いている表情を見せていた。


「この自動販売機、ほとんど売り切れじゃない。コーンポタージュもお汁粉も無いわ。というよりも、ホットの項目がないわね。ずっと補充されてないんじゃない?」

 東部の端、目印の明かりにしていた自動販売機の前で、巣南がラインナップへの苦情を言う。

 団地のマンションは棟も部屋数も多く、とても一夜では回り切れないとして、大雑把に見て回るだけで終わった。

 予想通りマンションには生活感が一つもなかった。廊下の照明に蛍光灯はなく、電源線がむき出しとなっていて、どの部屋も鍵が開いているが人の影はない。家具一式を残したまま生物だけが忽然と消えてしまったようだった。

 家具のグレードから見て時代は古そうだった。壁やマンションの備品の風化具合から、二人が生まれる以前から無人であると推測する。

 たまたま見つけた新聞を見てみると、そこに書かれた西暦が答え合わせになった。

「昨日も思ったけど、防寒グッズくらい持ってくるべきだったな」

「そうね。動いてはいるから身体は温まるけど、立ち止まると一気に冷えるわ。無風なのがちょっとした救いよ」

「今日、口裂け女が捕まえられなかったら、また明日マンションを探索しよう。今はこの周辺を調べよう」

 二人で見渡す限りの田畑を眺める。

 遮蔽物も余計な障害物も無く、広がっているのはただの雑草が生い茂った平野。

 どう考えても誰も手を加えていない、生産物も無い放置された土地だった。

「尾咲って元々山奥の限界集落だったんでしょ? あの木造の長屋の群れや、ここみたいな何もない焼野原みたいな場所は納得できるけど、廃墟になってるマンションは少し不釣り合いよね。南部と西部が近代的な開拓地とするなら、東部は歴史の名残がある足跡みたいなものね。だとしたらやっぱりあのマンションは異質だわ」

 虫が集まりだした自販機から逃げるように近づいてきた巣南が語り掛ける。

「そうだね。でも尾咲市の歴史は今は関係ないよ。俺達は口裂け女と、不在の生徒の発見を目的としているんだ。歴史についてなら丸腰に聞くといいよ、文化祭の時に調べていたからね」

「……それもそうね。あいつに聞くのはしゃくに障るから自分で調べるわ。今は怪しい場所がないか、怪しい人影がないか探しましょう。私からは暗すぎて何も見えないけど、寄名君から見てどうなの? 気配探知とかいうのやってるんでしょ? 何かおかしな点に気づいた?」

 傍らの少女から疑問符が連続で飛んでくる。

 蒐の持っている気配探知というのは、例えるのであれば、電気を帯びた糸を周囲に張り巡らせて、その糸に何かが引っかかると静電気のような微弱な信号を発信する。それを脳がキャッチすることで居場所を特定する仕組みだ。

 加えて、俯瞰視点という高いところから立体的に周囲の地形を把握する力と合わせて、隠れている存在を見つけ出そうと試みている。

 この二つの能力は怪異限定で力を発揮する。或いは呪術師相手でも力を発揮するかもしれないが、人間相手では意味をなさない。

「いや、おかしな点はないね。もう少し、意識的に索敵範囲を広げてみるか……例えば、藪や背の高い草みたいな目に見えない部分にまで」

「いやいや、最初から目に見えない範囲を調べないと意味ないでしょ」

「……確かに」

 蒐はより意識的に索敵範囲を広げた。

 あまりこの特異な力を使う機会が無かったため、始めは要領がつかめなかったが、昨日の見回りでの使用や、呪術、呪力の仕組みをある程度知識として覚えた結果、ぎこちないながらも思い通りに使いこなせている。

 今日の部室内の話では、今のタイミングで何らかの力を消費しているとのことだったが、その実感は全くない。

(青行灯、この状態だと近くのモノにまで気配りができない。周辺の様子についてはそっちに任せるよ)

(お任せください。ご主人様と巣南様、お二人に危害が加わらないよう警戒いたします)

 百鬼夜寮の怪異達もこのように協力してくれる。

 蒐の死角を怪異達がカバーするという構図は、戦いにおいてかなり有利に働くだろう。


「ん? なんだこれ?」

 発言したのは蒐。

 気配探知でも何でもない、ただの視覚情報。見つけられたのはまぐれだろう。

 尾咲市は大きな山に囲まれた都市であるため、山沿いの側道は、市内を一周……さながら環状線のように続いている。今居るのは東部の端の荒れ果てた土地だが、コンクリートブロックのような壁で小高くなっている位置には、やはり山沿いの側道が続いている。

 そのコンクリートの壁に大きく空いた穴を見つけた。

 恐らく山からの水の供給や排水処理のために掘った穴と思われるが、その穴の入り口は干上がっていて、コンクリート中のアルカリ成分が溶けだして白く変色していたり、金属類の腐敗で赤褐色に汚れていたり、カビや苔が繁殖していて緑色に染まっていたりと、散々な歴史の積み重ね方をしている。

 巣南と顔を見合わせ、何が出てきてもいいように、逃げる手筈と塗り壁の準備を整えて、恐る恐るその穴に近づいてみる。

 コンクリートの穴は円形で、稲妻のように割れた天井の隙間から水が滴り落ちていた。

 干上がっていたのは入り口だけで、少し進めば穴の中には常に水が張っていて、歩くたびにぴちゃぴちゃと音が鳴る。

 奥に進んでみると、人一人が入れるくらいの横穴が定期的に配置されていて、その中は水の流れもなく乾燥していた。

 むしろ外界から閉ざされていることから、外の気温と比べても暖かい。

「陰気ね。こういう場所、坑道っていうのかしら? ドラマや映画でしか見たこと無いわ。まさか足を踏み入れることになるとはね」

「嫌なら外で待っててもいいよって言っただろ?」

「待つわけないじゃない。一人になるなんて論外だわ。一緒に居たほうが安全に決まってる。それよりも、どこまで進む気? いったん引き返して飛鳥先輩と合流したほうがい……」

 後ろを歩く巣南の声が中途半端に止まる。

 蒐が振り返ると、彼女は傍らにある横穴を見つめていた。

「寄名君、あれって」

 巣南が指をさす先には、女性の物と思われる着替えや食べ物のごみが散見していた。さらに奥のほうには備蓄と思われる食料や、医療キット、血だらけのガーゼ等が置いてあり、段ボールや新聞紙で簡易的な寝台も作られていた。

 それはまさしく、東部の探索では全く見かけなかった、人が生活した形跡である。

 思わぬ場所で発見された事件の手掛かりに、数秒頭が空っぽになる蒐だったが、そんな彼を尻目に巣南は臆することなく穴の中に入っていく。

「女性用の下着が置かれているわ、あまり汚れていない。匂いは……普通に女の子の甘い匂いね、直近まで身に着けていたんでしょう。汗臭さも無いなんて羨ましい。食べ物のごみだって散らばっているように見えてちゃんと分類別に分けて置いてある。几帳面な人なのかしら。何はともあれ、ここで人が生活していることは明らかね」

「ど、度胸あるね巣南さん……」

 平然と他人の生活空間を荒らしていく巣南に若干引き気味になるが、今は彼女の豪胆さが大いに役に立った。

「ということは、ここに口裂け女が?」

「かもしれないし、行方不明の女生徒かもしれないし、全く関係ない赤の他人の可能性もあるわ。わかることはここで人が生活しているってことだけ。早合点はいけないわ。とはいえ、飛鳥先輩には報告するべきでしょうね」

 見つけ出した証拠にやや興奮気味になる蒐を、冷静になだめる巣南。

 人がいるという事実を見つけただけで、ここの住人を確認できたわけではないのだ。

「そうだね、とりあえずここを出ようか。もう長居する理由はない」

「そうね、外に出ましょう」

 二人はきれいな横穴から、水の張った道に出る。

 坑道を家とするのなら、水の張った道は廊下で、横穴は小部屋といった印象だ。

 生活臭のある横穴には、水に濡れた二人の足跡が残っている。

「足跡を残したのは愚策だったわね。気づかれたら報復には来ないにしても、場所を移動されるかも」

「その可能性はありそうだ。やはり急いで三ノ女先輩に報告するべきだね。そろそろ集合時間のはずだ」

「そうね。あまり待たせたくないし、少し距離もあるわ。急いで戻りましょうか」

 その時、二人の足音に遅れて、水の跳ねる音が聞こえた。

 

 顔を見合わせる二人。

 意図せず身体を寄せ合い、顔を近づけて小声になった。

「今の聞こえた?」

「ああ、聞こえた。誰か入ってきた」

 幸いにして、この坑道はとても暗く、視界が悪い。

 手を伸ばせば、その指先はかろうじて見えるくらいだ。

 奥に続いていくほどその闇は深くなっていく。

 蒐と巣南の存在は侵入してきた何者かに露呈していない。

 だが、その水音は明らかに足音であり、時折すすり泣く声も聞こえてくる。

 音は徐々に近くなっていく。

 見つかるのは時間の問題だった。

「すすり泣く声も聞こえる。間違いない、昨日の口裂け女……高山渚だ」

「それはまずいわね……この坑道の入り口は、今のところ入ってきた場所しかないってのに。こんな直線まみれの道だと逃げ場もないわ」

「ああ、どうするか、何かいい手は……」

 その時、蒐はこのコンクリートの道に多くの横穴があることを思い出した。

「巣南さん、とりあえず逃げよう。良いことを思いついた。俺に着いてきて。ゆっくりと足音を立てずにね」

「逃げるってどこに、視界の悪い奥に進むとか?」

「いいから、俺を信じて、暗いから手を繋ごう。大丈夫、何とかなるはずだ」

 蒐は巣南の手を握る。

 予想外に小さく柔らかい彼女の手に面食らうが、今はそのような時ではない。

 かくいう巣南は、吊り橋効果が発動したのか、見回りで生まれた一種の連帯感がそうさせたのか、急にしおらしくなって、歩き出した蒐に従う。

 こんな場面でもなければ高揚感でおかしくなっていただろう。

 二人は坑道を横穴三つ分ほど奥に進み、隠れるようにその穴に入った。塗り壁で入り口を塞ぐ。

 一見すると横穴など空いていないように見える。密室の出来上がりである。

 外界から隔離された穴の中は完全な闇に包まれたが、繋いだ手から感じるお互いの体温が不安な気持ちを和らげる。

 二人は寄り添って地面に座っている。互いの吐息、鼓動を感じるほどの近さ。

 事実、巣南の加速した心臓の音は蒐にすべて届いていた。

 だが、それを取り繕う余裕もないくらい、今の状況は切迫している。

 機転を聞かせて隠れ家を形成したはいいが、見つかってしまえば逃げ場のない横穴の中で間違いなく殺される。

 軽い物音一つが、命の天秤を左右する重さを持っているのだ。

 死に直面する恐怖で巣南は思わず蒐にしがみつく。

 蒐は震えを抑えている彼女を見て、安心させるように抱き寄せた。

(命がかかっている場面とはいえ、役得ですね。ご主人様)

(うるさい、ホントにヤバいんだって)

(ええ、心得ていますとも)

 心の中で青行灯と会話をする。

 横穴の外からは、口裂け女が二人の足跡を見つけたのか、泣き声にも似た雄たけびを上げていた。

(さて、お二人の居た形跡が見つかってしまいましたね)

(ああ、だけどここにいれば急場はしのげるだろう)

(ええ、しのぐことだけならできますが、先程お二人で話していませんでしたか? 高山渚が隠れ家を変えてしまう可能性を。そうなればこの見回りは一歩後退します。ようやく掴んだ手掛かりを失うのですよ)

 青行灯の言う内容は正論だった。

 二日目にして、口裂け女の住処を見つけ出したという幸運。これは何よりも大きな手がかりだ。彼女を捕縛するのであればこれほど重要な要素はない。

 だが、ここで逃がしてしまえば、また行方をくらませるだろう。

 そうなった場合、また今回のように彼女に肉薄できるかはわからない。

 いたずらに被害者だけが増えていき、口裂け女としての力が強くなり、太刀打ちできなくなる可能性もあった。

(だけど、しょうがないだろ。命を投げ出すよりはマシだ)

(ええ、その通りです。しかしご主人様は、まだ我々の使い方を心得ていない)

(……)

(我々にはあと一体、怪異がいますよね。彼女、活躍したくてうずうずしていますよ)

(彼女って……ドッペルゲンガーだろ? 彼女の力で出来ること、、って……)

 部室での会話が思い出される。

 巣南の質問に対して、丸腰は柔軟な思考で、この事件に当たっているかのような答えを返していた。

 人の枠に囚われていては駄目なのだ。

 もっと柔軟に、さりとて最悪のケースや起こりうるシチュエーションを想像する。


(ほら、上手くいきそうではありませんこと?)

(失敗したら死ぬかもしれないけど、巣南さんだけは逃がせそうだな)

 彼女だけ逃がせれば、あとは時間を稼ぐだけでいい。

 むしろその場に引き付け、逃がさないことのほうが重要だ。

 昨晩のように逃げられては、終わりなのだから。

(よし。一つ、やってみるか)

(はい、それでこそ私が惚れたイケ魂です)

 語尾にハートマークがついていそうなセリフを吐いて青行灯は静かになった。

 蒐は相変わらず抱き寄せる形になっている巣南の耳元に顔を寄せる。

「巣南さん」

「ひっ、な、何、驚くじゃない」

 口裂け女に見つからないように小声で話しかけたのが仇となったのか、恐怖で感覚が敏感になった状態で耳を刺激され、巣南は思わず大声を出した。

 慌てて気配探知を行ってみれば、口裂け女はその声に気づいた様子だった。

「驚かせてごめん、でもいい方法を思いついた」

「いい方法?」

「巣南さんも言ってたろ、見つかったら場所を移動されるかもって」

「ええ、そうね」

「だから、俺達はここで勝負に出るべきだ。これ以上被害を出さないためにも」

 中々本題に入らないことのじれったさを感じたが、最後の言葉で蒐がいい方法を思いついたのだと巣南は悟った。

 口裂け女はゆっくりだが、坑道の奥に進んでいる。

 実行の時間はすぐそこまで迫っている。

「おーけー、その様子だと覚悟を決める時間も無さそうね。私にできることは何?」

「うん、といっても巣南さんがやることは簡単だよ」

 恋人同士が顔を寄せ合って愛を確かめるように、二人は生き残るための手段を話し合った。

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