11月12日 4

 黒猫は壁から出てくると、特段驚いた様子もなく、何事もなかったかのように肉球を舐めたり後ろ足で身体を掻き始めた。その物怖じしない尊大な態度を呆然と見守るオカ研一同。三ノさんのめは黒猫が見えていない様子だったが、空気を読んで成り行きを見守っていた。この黒猫が先代が使役していた塗り壁の正体なのであれば、見知らぬ人間を前にしても、この悠然とした振る舞いを貫く姿勢にも納得できる。

 やがて満足したのか後ろ足で立ち上がり二足歩行で歩き出し、壁に向かい前足を合わせた。二拍一礼をしようとしているのだろう。

「ちょ、ちょっと待った。黒猫、俺たちの言葉が分かるかい」

 黒猫は蒐の言葉に反応して視線を動かしたが、すぐに壁に向き合ってしまった。そのまま二拍一礼をして壁の中へと消えていく。

「ほら見たでしょう? 二拍一礼をして壁の中に消えちゃったわ」

「君たちには見えているのか、羨ましい。ボクには何も見えなかったよ」

「言葉が分かっているかはまだ謎だな。俺の声に反応していたけど、声じゃなくて音に反応しただけの可能性もある。黒猫側からアプローチが来ない限りは何とも言えないな」

「黒猫さんが二拍一礼をした時、壁に揺らぎが発生したのを確認しました。今は消えちゃってますけどね。恐らくあの所作が壁の位相をずらす条件なのでしょう。そして壁の中に入れば揺らぎは消える。さすがにネタが割れてる以上、また塗り壁として番人の如く道を塞ぐことはないでしょう。今なら壁の中に入れそうですよ」

 ドッペルゲンガーの言葉に蒐と巣南は三ノ女を見る。

 三ノ女は全員の視線を受けて、壁の前に立った。


「先ほどは謎が解けた興奮から醜態を晒してしまったけど、もう大丈夫だよ。心は落ち着ている」

 ぱちぱちと両手を合わせる音が二回、その後姿勢よく壁に向かって頭を下げる。三ノ女は頭を上げてゆっくりと壁に近づき、右手を伸ばす。壁に触れると思った指先はその意に沿わず、壁の中へと侵入していく。その現象を目の当たりにして武者震いをする。だが同時に尻込みしてしまった。すでに先代が亡くなり、継承試験が始まって数週間が経っていた。三ノ女飛鳥は焦っていたのだ。戦うことしか能がない自分に当主が務まるのかと。怪異が見えず、今回のように奇怪な仕掛けでも施されたら、それらが認識できない自分には手も足も出ない。この体たらくで今後一族を背負っていけるのかと。先刻はその焦りから、この見えない迷宮から抜け出せると感じ周りが見えなった。その結果、後輩たちに情けない姿を見せてしまった。今日は一日、威厳のない姿しか見せていないようにも思う。

 ただ、今は、この壁の続く先に宝剣があるという確信がある。

 継承試験を終えて正式に当主になる実感が湧いてくる。

 後輩たちに頼りきりになって試験を終えようとする、罪悪感が襲ってくる。

「飛鳥先輩、おめでとうございます」

 その心情を知ってか知らずか、巣南が三ノ女に声をかけて肩に手を置いた。

「先輩のために役に立ちたいと思っていたのに、今日の私は先輩の後ろについてずっと棒を振り回していただけでした。一族のこととかは、まだよくわからないので想像するしかないんですけど、大きな期待や責任を背負っているんだな、飛鳥先輩すごいなって思いながら今日一日を過ごしました。でもこれで、飛鳥先輩は三ノ女家のみならず、尾咲市を背負う当主になるんですね。カッコいいです。これからも頼りにしてますね」

 巣南に触れられている肩から、掌の温かさと羨望のまなざしを感じる。

 三ノ女は最近の自分のことがずっと情けないと感じていたが、巣南の言葉に自分の立場を思い出した。人の上に立つ存在になる以上、ひ弱な姿を見せてはいけない。

「ありがとう、瑞穂。寄名君やドッペルゲンガーもありがとう。行ってくるよ、当主になってくる。君たちは功労者だ。本来は見せちゃいけない部屋なんだろうけど、これで見せないと言ったらいじわるになるね。しばらくしたらボクの後に続いて入ってくるといい」

 三ノ女は巣南の手のひらに、自分の手を重ねた。

 様々な想いを乗せながら。

 そして、壁の中へと消えていった。


 三ノ女が壁の向こうに消えてから数分、執務室に残された面々は次の動向について決めかねていた。三ノ女の言葉に従うのであれば壁の中へと向かうべきなのだが、もし中に宝剣があり、それを手にしているのであればその神聖な状況を邪魔したくなかった。感慨にふけっている可能性もある。

 だが、落ち着きのない怪異がその沈黙を壊す。

「ご主人様、入っていいと言われたので入りましょう。ここに居ても意味ないですって。壁の中がどうなっているのか気になるでしょう? もし三ノ女様が中で困っていたらどうなるんです。あーもう私は入ってしまいますよ」

「そうね、中に入りましょう。飛鳥先輩もいいって言ってたし。この厳かな部屋にいるとすごく緊張するわ」

「うん、そうだな……三ノ女先輩は中で俺たちを待ってるかもしれない。中に入っていった黒猫のことも気になる。ここで色々考えるよりも入ってしまおうか」

 いい加減手持無沙汰になってきた面々は横並びになって二拍一礼をする。そして恐る恐る壁に向かって手を伸ばし、指先が壁の中へ消えていくことを確認してから、思い切って歩き出した。


 壁の中をすり抜けるときは奇妙な感覚がした。重力が無くなったかのような浮遊感が襲ったかと思えば、地に足がついている安定感が常に隣り合わせの違和感。それは桟橋からボートに乗る時のような不安定な足場を思わせた。

 壁の向こうは均整の取れた立方体のような部屋だった。電灯があることから電気は通っているのだろうが、灯りがついていないため薄暗い。むき出しのコンクリートに囲まれた部屋の中には、収納のための扉棚や可動式の本棚、展示物を飾るようなガラス製のショーケースがバランスよく並んでいる。よく見ると全ての収納の中には、溢れそうなほどモノが詰め込まれている。そして部屋の中心の台座の前には三ノ女飛鳥が立っていて、その横に黒猫がちょこんと座っている。

 三ノ女の右手には一振りの刀が握られていた。長さにして一メートル弱。菖蒲造しょうぶづくりで両刃ではなく峰がある。つかつばさやはないようで、握り含めて刀身全てむき出しであったが、その姿はとても美しかった。

「やあ、やっと来たね。これが気になるかい? 鉄パイプにも見えるが一応これでも宝剣なんだ、無骨だろう? でも刃先はとても滑らかだ。この刃であれば、どんなものでも豆腐みたいに簡単に切れてしまうだろう。ただ、ね……」

 三ノ女は蒐の顔を見つめてぎこちない笑顔で微笑んだ。

「三ノ女家の人間は専用武器を持つことで怪異を視認できるようになる、ボクにとっての専用武器とはこの宝剣だ。確かに手にした瞬間、違う景色が見えるようになった。風や空気の流れに匂いや色を感じるようになった。君たちが入ってきた道も揺らめいて見えるようになった。共感覚みたいだね。だが、肝心の怪異の姿は見えない。この部屋に入ってきてるはずの黒猫を視たかったんだが、ついに見つけられなかったよ。とはいえ、これで継承試験完了だ。改めてありがとうみんな」

「どういたしまして、お力になれたようで良かったです」

「一件落着ですね、飛鳥先輩」

「おタバコ美味しかったです。報酬として持って帰ってもいいでしょうか」

 蒐と巣南が謙遜し、ドッペルゲンガーが照れ隠しで大げさに手を広げた時、部屋の電気が点灯した。部屋の壁についているスイッチに触れてしまったらしい。

 予想以上に眩しい電灯だったらしく、眼球にかかる負担を逃がすように手で顔を覆って眼を閉じる。やがて眩しさに慣れてきたころ、眼を少しずつ開いた。


「灯りを付けてしまったか。そして気づいてしまったか、この部屋の異質さを」

 聞き慣れない声の方向に視線を向けると、宝剣が置かれていたであろう台座の上に黒猫が座っていた。声は黒猫から聞こえてくる。

 三ノ女、巣南、蒐は明るくなって見渡せるようになった部屋を隅々まで眺める。ドッペルゲンガーは驚いて百鬼夜寮に引っ込んでしまったらしい。

 改めて、部屋の中にあるおびただしい数の収納に目を向けるが、ただ……これは……

「見るがいい、この溢れんばかりの欲望の塊を。先代……我が主はこれら全てを封印するためにこの部屋を作った。ひとえに誰の目にも触れられたくなかったからだ。いわゆる、乙女の秘密というやつだにゃ」

 三ノ女は一つの扉棚の前に立ち、扉を開けた。無理やり詰め込まれて圧迫されていたものが、圧力が解放された衝撃によって雪崩のように勢いよく飛びだしてきた。

 蒐と巣南は近づいて、棚から出てきたものを拾う。

「これは、アクリルキーホルダー?」

「こっちは名前の書かれたうちわに、マフラータオルかしら?」

 他にもラバーチャームや小さいキャラクターがついたキーホルダー、ハンカチ、缶バッジ、ミニポーチ、ぬいぐるみなどが散乱している。

 近くのガラス製のショーケース内はすべてフィギュアが飾ってあった。どれも凄腕の職人技で緻密に作られた一品なのだろう。棚の中身は無理やり詰め込んでいる割に、このショーケース内は綺麗に整列されていることから、外の空気に触れさせず、絶対に指紋一つ付けないという気概を感じる。

 さらに辺りの壁に目を向けると、横断幕や法被はっぴが垂れかかっていた。

「にゃー、ご主人が墓まで持っていきたいと言っていた秘密を見られてしまったにゃー。我に当てた遺言に『私のハードディスクを完膚なきまでに壊した後は、継承試験のためにグッズ部屋へ続く道を塞いで。ハードディスクはデータを削除するのではなく、物理的に破壊すること』と書かれていたんにゃが、ハードディスクとは一体何なのかにゃ。何かはわからないがご主人が取り乱していたことはわかる。まさか全員にこの秘密の部屋を見られてしまうとは、ぬかったにゃ」

「見てしまったというか、君の案内でここまで来れたというか。なんていうか、俺たちを導いていなかったか?」

「あれはお前たちを利用して娘を導いていたんだにゃ、お前たちが入ってくることまでは想定していにゃい。なぜここに入ってくるにゃ。継承試験は厳格なものにゃぞ」

「そ、そうだったのね、ごめんなさい」

「お前は可愛いから腹を撫でてくれれば許すにゃ。坊主はまだ執行猶予にゃ」

 黒猫はそう言って台座の上で仰向けに寝転がる。巣南は言われるがままに撫で始めた。気持ちよさそうに喉をゴロゴロと鳴らしている。

 三ノ女は虚空に向かって話始めた二人を見て状況を察したようだ。

「そこに黒猫がいるんだね。ボクには姿も見えないし、声も聞こえない。嘆かわしいな。なんて言っているんだい」

「むー、やはり娘に我の声は聞こえていないのにゃ。残念にゃ。悲しいにゃ。我は黒猫ではなく塗り壁だにゃ。ホントなら契約してお役に立ちたかったのだが。むむむ、不本意ではあるが……おい、そこの坊主。今から我の言うことを復唱するにゃ。一字一句漏らさずにゃ。そのあとは個人的に貴様に用があるにゃ」

 黒猫が言うことをまとめるとこうだった。


 まず黒猫の正体は塗り壁であった。

 先代当主であり三ノ女飛鳥の母親である三ノ女麻衣は、作家であり夫でもある飛鳥の父にベタ惚れだった。元々オタク気質でもあり、結婚する前から彼が紡ぎだす物語の熱狂的ファンであった三ノ女麻衣は、作品のグッズが発売されれば即座に買い集めていた。

 やがて護衛の仕事で二人は出会い、引くほどの猛烈なアピールを麻衣から受けた父が了承する形で結婚に至り、娘の飛鳥が生まれる。

「いや、そこは知っているからいいよ。毎日のように母から聞かされていた。というか黒猫が塗り壁であるという衝撃的な事実をサラッと言わないでくれ」

「そうです? ではもう少し先に進めて」

 持病を抱えていて無理やり延命を続けていた彼女だったが、やがて死期を悟る。娘の継承試験の準備に取り掛かることにした彼女は、まず得意の呪術で執務室にある自身の机の後ろに空間転移術を施した。転移先は秘密裏にグッズを収めていて、防空壕や要塞のようになっている、外からは侵入不可能のコンクリート部屋。自身が所有する不可侵領域であるこの部屋に、宝剣を置くことにしたのだった。

 娘にとって不得手である怪異や呪術を仕掛けとして用意したことには理由があった。

 幼少期から次期当主になるための戦闘術を叩きこまれていた飛鳥には、友達と呼べる人物がいなかった。麻衣の持病のこともあり、学業以外の時間は当主としての品格を形成する鍛錬に充てていた。それ故に友人と呼べる人物がいなかったのだ。

 短命ということを自覚して後悔が無いように自由に生きていた麻衣とは、正反対の娘となってしまったのである。

 友達もおらず、たった一度の青春を無碍むげにしてしまうかもしれない娘のことを麻衣は心配して、わざと飛鳥には解けない試験を考えた。

 それは、いじわるだからではない。賢い娘のことだから、自力で試験は解けないという結論に至るはず、だとすると助けてくれる人物を探すはずだと。その人物が娘の同年代で、よき理解者になってくれることを願ったのだ。

 誤算として、アニメグッズを集めていることがばれてしまうということと、転移術の発動方法を目に見える形で屋敷のどこかに隠しておかなかったことが挙げられるが、継承試験を終えた今では詮無きことであった。

 こうして、不器用な母親のやさしさで当代の継承試験が執行された。

「なるほど、母はそういう人だったよ。自由な暴れん坊というイメージだった。とはいえグッズを集めていたことは家の者全員が知っていたことだ。保管部屋を用意していることが恥ずかしかったのかな」

「いえ、どうやら、購入したグッズの一部を経費で落としていたこともあったみたいで、見つかると怒られるから隠していたようです。いい歳して恥ずかしいという気持ちも少しはあったみたいですけど、怒られたくないという気持ちが大きかったみたいですね」

「ははは、まさしく母らしい意見だ」

 三ノ女は母親の秘密の一面を聞いて声を出して笑う。

 グッズ部屋の中で、尊敬する父が生み出したキャラクターの山に埋もれながら幸せそうにしている母のことを想像しているのだろう。


 三人と一匹は三ノ女母が残したグッズ部屋を後にした。宝剣は部屋に置いておき、必要な時だけ入って持ってくる形式とした。塗り壁が道を塞ぐことはもう無いというので、二拍一礼さえすれば誰でも入ることができる。方法を教えてはくれなかったが、宝剣そのものと三ノ女飛鳥が契約をしたため、契約者以外には宝剣を扱うことが出来ないらしい。

 一行は食堂に戻り、小さい打ち上げと称して三ノ女が用意したショートケーキを口に運んでいる。満面の笑みでケーキに食らいつく女性陣とは対照的に、蒐は苦い顔をしていた。

「おい、坊主」

 蒐のテーブルの上には黒猫が座っている。

「聞いているのかにゃ、ケーキを食べる手を止めるにゃ。先代からたまわっている言付けがあるのにゃ、貴様に関係することにゃ」

「言付け?」

 蒐はケーキを食べる手を止める。

「そうにゃ。先代はわれが娘と契約できないことを理解していたにゃ。だから選択肢を与えてくださった。これからも三ノ女家に仕えるか、それとも新しい契約者を探すか。この二択だにゃ」

 視線を上げれば、正面に座っている巣南は興味深そうに耳を傾けている。

 三ノ女も何事かと気にしているようだった。

「そうか、これからも三ノ女家に仕えるんだろ?」

「違うにゃ。我は先代に惚れ込んで仕えたのにゃ。だからこそ、先代の娘であれば引き続き契約してもいいと考えていたんにゃが、それが無理と判明した今、心が揺らいでいるにゃ。我は別に三ノ女家を懇意にしているわけじゃないにゃ。それに三ノ女家の人間は普段は怪異を認識できないにゃ。だとすると引き続き三ノ女家に仕えても、この大きな屋敷で一人ぼっちになってしまうにゃ。それは寂しいにゃ」

「そうか、でも三ノ女家は他にも人がいるんだろう? その人と契約したらいいじゃないか」

「ガッデムにゃ。貴様、我の話を聞いていにゃかったにゃ。我は先代に惚れたんだにゃ、先代の系譜であれば構わにゃいが、他の三ノ女家の人間と契約するのはなんか違うにゃ。それに、たまには外の世界を見てみたい気もするにゃ」

 よくわからないが、黒猫の中で明確な線引きやプライドがあるようだった。

「聞くところによると坊主、貴様の身体の中には怪異が住んでいるみたいだにゃ。賑やかにゃんだにゃ。我もそこに居着いてやるにゃ。娘のさらに次の代の三ノ女の後継者が生まれるまでの契約だにゃ」

 簡潔に述べるなら、三ノ女家から寄名家へ引っ越したいという相談だった。

「仕事はちゃんとやるから安心するにゃ。名前を呼んでくれれば任意の場所に頑丈な壁を作ってやるにゃ」

「三ノ女先輩、黒猫が俺と契約したいって言ってますが、いいんですか?」

 蒐の言葉に三ノ女は少しの逡巡しゅんじゅんする時間も見せずに「構わないよ、ボクには見えないからね」と言った。

「娘よ、その迷いのなさは美徳だが少しショックにゃ。先代に似てるから余計にそう思うにゃ」

 猫はショックを受けたのか前足で顔を掻く。

「今更一匹増えようが構わないんだけど、契約したら俺のことを坊主じゃなくて、主とかご主人って呼ぶ仕組みらしいぞ」

「ふん、不本意にゃが、それくらい構わないにゃ。契約者に隷従れいじゅうは理解しているにゃ。じゃ、これで契約成立ということでいいにゃね」

 黒猫は蒐の前から離れて三ノ女に近づいて顔をじっと見つめる。

 蒐の視線を感じて、目の前に黒猫が来たことを三ノ女は察したが、見えていないことから視線や焦点は合わない。

「ホントに先代の若いころにそっくりにゃね。ただ我が居なくてもこの娘は戦えるだけの強さがあるにゃ。我が居れは足を引っ張ってしまうにゃ。だから身を引くんだにゃ」

 三ノ女はどうしたらいいのかわからず、首をかしげている。

 その姿を見て黒猫は踵を返した。

「ではご主人、今日からよろしく頼む。普段は貴様の中で愛玩動物として過ごすにゃ。常に暇してると思うから、好きなタイミングで呼んでくれて構わないにゃ。それじゃ、失礼するにゃ」

 そう言って黒猫、もとい塗り壁は蒐の中へ消えていった。


「二人とも、今日はありがとう。暗いから気を付けて帰るんだよ」

 食堂での打ち上げ後すぐに解散の運びとなった。日は完全に落ちかけていて三ノ女家所有の山道はかなり暗くなっていた。

「今回は本当に助かった。まさか試験をパスできるとは思っていなかった。後日また、感謝のしるしとして昼食をおごらせてくれ。学食の一番高いメニューをご馳走しよう」

「ホントですか、学食はあまり利用しませんからとても楽しみです」

「丸腰も呼んでいいですか、オカ研メンバーとして紹介しますよ」

「ああ、よろしく頼む、では今日はありがとう」

 二人は三ノ女家を後にした。暗い道に気を付けて下山し、住宅街を抜けるころには完全に日が沈んでいた。

 尾咲学園の麓についたころには、二人の疲労はピークに達していた。

「ねえ寄名君、タクシー拾わない? 今日はいろいろあったから足が棒みたいになってるわ。たまには贅沢しましょうよ」

 巣南の言葉に賛同した蒐はタクシーを拾って乗り込んだ。ふかふかの座面に腰を掛けて二人は感嘆の息を漏らす。

 タクシーは学園への山道を登っていく。

 十分もかからずに目的地には到着するだろう。

(ご主人、これは独り言にゃんだけどな)

 タクシーの心地よい揺れにまどろんでいると、塗り壁が話しかけてきた。

(今日みたいに娘がはしゃぎまわる様子を初めて見たのにゃ、普段屋敷の中では表情の動きが少にゃいのに、今日は年相応の女の子みたいになってたにゃ。多分娘は継承試験をだしにして友人と遊びたかっただけかもしれないにゃ。ご主人たちは初めて家に連れてくるお友達なのにゃ)

 塗り壁の落ち着いた話し方と合わさって眠気が強くなってくる。

(だから、ありがとうなのにゃ。無邪気な子供みたいな娘を見せてくれて。今日はいい日だにゃ)

 話は終わり、聞こえてくるのは尾咲学園までの山道を登るタクシーの、回転数の多いエンジン音と、タイヤが地面の上を走る鈍い音のみ。心地いい子守唄と化したその音は尾咲学園までの短い道中にいる疲労困憊の二人を深い眠りへと誘った。

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