11月12日 2

 料理どころか、食材を切った経験すらないというお嬢様な一面を語る三ノ女の横で、蒐は黙々と鍋に箸を伸ばす。鍋の中には、三人前というには明らかに大きすぎる量の具材達が山のように隙間なく敷き詰められていた。食材は豚肉、白菜、長ネギ、もやし、豆腐といったラインナップで、豚肉を除いてどれも見事に一口サイズに賽の目切りされている。

 作り物かのように均一な大きさで、精巧に切断されているという視点で見れば、刃物の心得というものの洗練さが伺える。青行灯やナーシェが言っていた、歴代三ノ女家最高傑作の武人という評価の一端が垣間見えた気がした。


 ようやく鍋の中に隙間が出来てきたかなという頃合いで、三ノ女が口を開いた。ちなみに鍋の中身のほとんどをこのお嬢様が食べている。細い体のどこに、山のような食材が入るスペースがあるのだろうか。

「では、今日の継承試験について話そうか。とはいえ、試験内容は旧校舎で君たちに語った通りだ。まずここで知ってほしいのは、この屋敷についてかな」

 「この屋敷は本館といってね……」と続けながら、彼女は鍋の中にある豚肉に箸を伸ばす。彼女の健啖ぶりを見ているだけで食欲が満たされたらしい巣南は、鍋にあまり手を付けていなかった。

「まず外へと繋がる扉は三つある。君たちを出迎えた正面玄関と、玄関から入ってすぐ見える中央の大階段の裏にある扉。この扉は裏庭に続いている。そして食堂横のキッチンにある、買い付けた食材を外から入れるための裏口だね。外へ出られる扉はこの三つだけ。この三つの扉に関しては今回はあまり関係ないと思うけどね。階段は中央にある大階段のみだ。本館は大階段を中心にして北館と南館に分かれている。ちなみに二階建てだよ。ボクの知る限り地下室はない」

 蒐は相槌を挟みながら鍋を食べ進める。そこで初めて、食べ始めた時から感じている物足りなさの正体が、白米がないことだと気づいた。

「まずは一階から、一階北館は今ボクたちがいるところだね。食事をするためのダイニングスペース、大きなキッチン、歓談や休憩をするリビングスペースがある。一階南館は娯楽室が三部屋と、図書館とまではいかないくらいの大きな書斎がある」

 巣南は出汁の効いていない水炊きのスープを飲んでいる。美味しいのだろうか。

「二階北館は半分が三ノ女家の執務室……いわゆる仕事部屋だね。会議も行うし、給湯室なんかも入っている。それとボクの部屋、父の部屋、母の部屋がある。二階南館はすべて客間だ」

 三ノ女は喋りながらも器用に鍋をもきゅもきゅと食べ進めている。もう一声で平らげてしまうだろう。

「トイレは各館に一つずつ。浴室は二階の北館と南館にそれぞれ一つずつと一階の南館に大浴場がある。部屋割りはこれくらいかな、あと伝えるべきことは……そうだな……廊下は大人二人が隣合って手を伸ばしたくらいの幅だ。君たちもさっき実際に通ったからわかるね。廊下や各部屋に飾ってある絵画や調度品には触れないように。汚したり壊したら大変だ。さてと、ごちそうさま。これで試験内容と屋敷内部の説明は済んだかな。何か質問はあるかい」

 三ノ女邸の説明が終わると同時に鍋の中身は空となった。


「まずはどこから調べるんですか?」

「うーん、今は屋敷に逗留している親戚筋もいないから客室も空だ。見せられないのは父の部屋くらいで他の部屋はすべて見せられる。まずは一部屋ずつ見て回ろうか。その後に気づいたこと感じたことを話し合おう。それよりも瑞穂、ボクの作った水炊きをあまり食べていなかったじゃないか。ボクがたくさん食べていたから遠慮したのかい? それじゃお腹が膨れていないだろう、部屋を見て回る前にデザートでも食べようか」

 巣南の質問に三ノ女は答える。答えを待たずに三ノ女はキッチンへと向かい、最初から用意していたかのようにダイス状のショートケーキを三人分、満面の笑みで持ってきた。

 水炊きで十分胃袋は潤っているが、もてなしを無碍にはできない。甘いものに目がない青行灯も体の中で飛び跳ねている。巣南を見てみるとすでに、瞳を輝かせてケーキを口に運んでいた。

「うちの秘書が甘党でね、お勧めの店のケーキだそうだ。しかしケーキは円形で切るのが難しいね。でも我ながら上手く切れている、自信作だ」

「もともとホールなんですね、これ」

「そうだよ、ホールで欲しかったかい?」

「いや、あまり満腹になると動けなくなってしまうので、このままでいいです」

「そうかい? 遠慮しなくていいんだよ」

 おかわりが来る危険性を回避した蒐は、軌道修正のために言葉を続ける。

「そ、そうだ三ノ女先輩、塗り壁を想定した立ち回りをしたのはいつなんです?」

「立ち回り? ああ、棒を使ったり煙草をふかせたりのくだりか。君たちに相談しに行った前日だから、三日前になるかな」

「三日前ですか……もし塗り壁が一時的に消えるだけで何度も邪魔をする怪異だとしたら、また壁で塞いでいるかもしれませんね」

「ふむ、可能性はありそうだね。それに塗り壁は先代が使役していた怪異。正直、退治することには抵抗がある。消えていないなら、そのほうがボクは嬉しい」

 もきゅもきゅとケーキをほおばる三ノ女が眉を寄せる。

「だとすると、塗り壁の弱点を突きながら部屋を見て回るほうがいいだろうね。うちの社員が吸っている煙草が執務室にあるだろうから後で持ってこよう」

「でも飛鳥先輩、煙草をふかすってことは、煙草を吸う必要がありますよね? 誰がその役目を負うんですか、ここにいる全員未成年ですよ」

 巣南の言葉に三人とも顔を見合わせる。

「ボクは煙草の煙が苦手だから無理だ」

「いや、そもそも未成年だから吸っちゃダメって話ですよ」

「寄名君、青行灯ならどうかしら。アニメや時代劇に出てくる昔の人や妖怪って煙管キセルを持ってたりするじゃない」

 蒐の中で青行灯が「良妻である私は煙草など嗜みません。身体に悪いです」と激しく抗議した。

「巣南さん、青行灯は煙草を吸わないらしい」

「ふむ、とりあえずボクは執務室から煙草を持ってこよう。ワンカートン買ってきたと嬉しそうにはしゃいでいた社員がいたはずだ。何箱か拝借しても問題ないだろう。吸うとしたら健康に害が出ない怪異一択だね。綺麗な顔の青行灯には煙草の煙が映えそうだ」

 三ノ女は後片付けのため、食べ終わったケーキの食器をまとめてキッチンへ持って行った。そしてそのまま食堂を抜けて廊下へと消えていった。思い立ったら即行動する性格なのだろう。言葉と動きに迷いがない。

「今の飛鳥先輩の様子だと、無理やりにでも吸わせるわよ。あの人は何時も自信満々だから、やると決めたらやる人よ」

「うーん、嫌がってる青行灯に無理強いはしたくないな、何とかならないかな」

「寄名君は隠れて吸ってたり……」

「してないよ!」

「そうよね、安心した。丸腰でも連れてきたらよかったわね」

「いやいや、さすがのあいつも吸わないよ。巣南さんやっぱり丸腰の扱いがひどくないか?」

 二人でうんうん唸っていても余計な話に脱線してしまい答えは出ない。やがて訪れた沈黙の中、青行灯が値千金の鶴の一声を発した

(ご主人様、今話し合っている件について一つ提案があります。絵面さえ気にならないのであれば万事解決かと)

 青行灯の提案を聞き入れる頃、三ノ女が食堂に帰還した。


「ご主人様、指名いただきありがとうございます。私はこう見えて出来る怪異です。見ていてください、がっかりさせませんとも! 煙草を吸う女性が一定の層に需要があることを理解しています。クールな流し目で吸えばいいんですよねわかります。全力で命令を全うしましょう」

 土下座する勢いで平伏しているドッペルゲンガーが、床に向かって高らかに宣言する。

 提案とはこうだった。実は主の命令をわくわくして待っているドッペルゲンガーに煙草を吸わせる、以上である。怪異とは言え、巣南瑞穂の精神を持っている彼女が吸うかどうかは賭けだったが、彼女は初めて頼りにされた嬉しさから食い気味の二つ返事で了承した。

 こういうとき、考えをすべて読まれていると話が早くて助かる。

「君が噂のドッペルゲンガーか! 初めまして、三ノ女飛鳥だ。本当に瑞穂と同じ姿をしているんだね。それは中学時代の制服姿かな。ということは瑞穂が中学時代に生まれたということになるのかい? よく見たら本物の瑞穂より幼い顔をしているね。怪異は人間のように成長するわけじゃないから、産まれた時期の判断材料になりそうだ。その姿は下着まで完全再現しているのかな」

「ちょっと飛鳥先輩、そんなじろじろ見ないでください。スカートをめくろうとしないでください。それとドッペルゲンガー、先輩に挨拶して。私ともあの日以来ほぼ初対面なんだから挨拶しなさい。あと私の顔でそんな風に床に頭を付けないで! やめてくれないかしら!」

 蒐の目の前では、平身低頭のドッペルゲンガーの真横にぴったりとくっついて、三ノ女が顔を覗き込むようにうずくまって大きな声を出していた。巣南はその後ろで怒りと困り顔が混ざった器用な表情で二人をたしなめている。


 カオスな状況だったが、一同は人間三人と怪異一人というパーティで食堂から出発した。先導する三ノ女の案内で屋敷中の各部屋を巡っていく。追従するのは注意深く壁を観察しながら棒切れを振り回す巣南と、辺りを威嚇するように咥え煙草でゆっくり歩くドッペルゲンガー、殿は蒐が勤めて異変が起きないか見届ける。

 キッチンは食堂出発前に巡回済み。

 その後一階北館と南館、続けて二階南館を回り終えた。

 広い屋敷の中をただ歩くだけでなく、観察や動作を含めて見て回るのは存外に時間がかかるようで、休憩のためにリビングに入ったときは二時間弱経過していた。

 小休止もそこそこに一行は二階北館に足を踏み入れる。

 一階は生活をするための部屋や、来客をもてなすための設備が多いため、情緒や生活感が溢れる香りがしていた。二階南館は来客のために整備された部屋ばかりで無機質で乾燥した空気を纏っていた。

 しかし、三ノ女家の仕事の管理や施行をする執務室や三ノ女親子各々が生活する部屋など、稼業や一族が密集する空間となっている二階北館からは、人を寄せ付けない異常な緊張感が伝わってくる。

「むむ、三ノ女さん煙草をいただいてもいいでしょうか。背筋が凍ってしまい緊張から深呼吸をしたら、一息で一本丸々吸ってしまいました。この二時間弱で喫煙マスターになってしまったようです。吸うたびに消費ペースが速くなっているのを自覚しています。葉がたくさん詰まっている種類に変えたほうがいいかもしれません」

「そうかい、慣れとは恐ろしいものだね。丁度良い、執務室まで来たんだ。見回りがてら他に煙草がないか見てみよう。違う銘柄が置いてあるかもしれない」

 三ノ女は執務室の扉を開ける。一行は足を踏み入れた。


 執務室の中に入る。かなり広く、綺麗に片付けられている。まず飛び込んできたのは応接間のような空間。重厚感のあるローテーブルを挟むように高級なソファが向かい合って置かれている。ローテーブルには花瓶が置いてある。花は刺さっていない。応接間から簡易的な間仕切りを挟んだ場所には、横並びに四つ並んだ机が二組、向かい合うように配置されていた。ここで働く人たちの机だろう。さらに奥には、ミーティングに使うであろう長机と椅子が並んでいた。その横に透明ガラスで仕切られた給湯室が見える。

 壁沿いには、書類や消耗品が収納されている棚が点々と置かれていた。

 そして、それら全てが見渡せるように離れた場所に席が二つ設けてある。会社の社長室や役員室に置かれているような、年季の入ったアンティーク調の机に座り心地のいい黒い長椅子。恐らく当主の席だろう。同じように横に設置されているややランクの下がった席には誰が座るのだろうか。

「あの大きい席は当主になったらボクが座る席だね。堅苦しくて嫌になる。でも隣には秘書ちゃんが座ってくれるんだ。それだけで心強いよ。他の部屋と毛色が違うからといって緊張しなくていい。応接セットのソファにでも腰かけて部屋を調べてくれ。私は社員たちの席を抜き打ちチェックして煙草を見つけてみよう」

 三ノ女が言い終わるや否やドッペルゲンガーは遠慮なくソファにダイブする。巣南は律儀に棒を振って壁沿いを歩きだした。蒐も後に続く。


「巣南さん、ここまで見て回って何か感じることはあった?」

「いいえ、何も。あまりにも何も起きなくて、今日の目的を忘れるくらいには無心になっていたわ」

「そうか……俺も注意深く観察しているはずなんだけど、これといった違和感はないんだよな。絵画や調度品にもおかしな点は見当たらなかったし。今日一日、先輩の住む家の豪華さにただただ圧倒されていただけだよ」

「私も似たような感じね。貧乏だったから大きな家に住んでみたいって小さい頃は何気なく思っていたけれど、ここまで大きすぎると苦労しそうって今日理解したわ。性根までは変えられないわね」

「ここまでで見たものといえば、屋敷に入ったときに見た黒猫くらいかな」

「黒猫?」

 巣南の手が止まり視線が合う。探るような視線だった。

「黒猫を見たんだけど、それがどうかしたかな?」

「ここまで回ってくる中で、飛鳥先輩からここに住んでいる人たちのことを聞いたでしょう? その話の中に黒猫がいるなんて話はなかったわ」

「ペットは省いたんじゃないのか?」

「仮にそうだとしても、疑問に思ったことは聞いておくべきね」

 話しているうちに執務室を一周した。特に異常は見つかっていない。反対側の壁沿いではドッペルゲンガーが、三ノ女が社員の机を漁って見つけた新しい煙草を吸いながら歩いている。その後ろには制服姿を観察している三ノ女がいる。すぐに一周して合流するだろう。

 屋敷の見回りをしている途中、屋敷に住んでいる人たちの説明があった。

 三ノ女家には合計二十人が住み込みで生活をしている。内訳は次期当主の三ノ女飛鳥、三ノ女飛鳥の父親、使用人であるメイド達計九人、使用人を監督する男性執事が一人、当主付きの秘書が一人、三ノ女家の仕事を管理する経理、弁護士、税理士が一人ずつ。仕事の受付をする窓口担当と、武器の調達や仕事の斡旋を行う営業担当が二人ずつである。飼っている動物の話は出ていない。


「その黒猫を見た時に違和感は感じなかった?」

「いや、普通にペットの黒猫だと思ったよ。何だかやけにじっと見つめてきたけど、そんなことはよくあることだろう?」

「そう言われると反論はできないわね。猫って興味あるものをじっと見つめるものだし。何もないところを見つめ続けたりとかね」

「だから違和感なんてなかったよ。それに見つめ合った後はそっぽ向いてどこかに行っちゃったんだ。階段を登っていったような気がする。素っ気ない印象だったけど、猫はあまり人に懐かない生き物って聞いたこともあるから、こんなものかなって。毛並みが良かったから飼い猫かとも思ったな」

「一体誰の毛並みがいいって? 二人で楽しそうな話をしているね、寄名君は髪フェチなのかな」

 ドッペルゲンガーと三ノ女が一周して二人に合流した。煙草の副流煙が臭くて目に染みる。その様子に気づいたのか、ドッペルゲンガーは煙草をワイルドに握りつぶして火を消した。

「ボクの毛並みはどうだい。癖のある髪質だけど、艶はある。親の遺伝に感謝だね」

 三ノ女は指で髪をくるくると遊ばせながら上目遣いで見つめてくる。明るいベージュのトップスに緑のロングスカートという装いで綺麗な黒髪をなびかせる姿は、落ち着きのある大人の女性の姿を思わせる。

「三ノ女先輩は素敵ですよ、今日の服もよく似合ってます」

「ありがとう。無理に言わせた格好になってしまったかな。よくできた後輩だよ、君は。瑞穂にも言ってあげたのかい? それで、何の話をしていたのかな」

 一瞬言っている意味が分からなかったが、はっとして横目で巣南を盗み見る。彼女は唇を尖らせていた。

「え、ええと、屋敷の中で猫を見たんです。小さい黒猫です。毛並みが良かったから飼い猫なのかなって話してたんです」

「猫は飼っていないよ。秘書ちゃんが飼いたいと言っていたけれど、許可は出していない。屋敷に入り込んでいるのであれば野良猫だと思うけど、それだと毛並みがいいというのは妙だね。近隣には人が住んでいるような家は無いから、飼い猫という線もまず無いだろう」

「ただ迷い込んだだけかもしれませんけどね。次見つけた時に注意深く観察してみましょう」

「そうしよう。今までで感じたことは、その黒猫だけかい?」

 三ノ女の問いに二人は頷く。その様子に落胆する素振りもなく三ノ女は先行して執務室の外へ歩き出した。

「次は母の部屋に案内するよ」

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