11月12日 1

 眩しい日差しの中、冬特有の乾燥した空気を吸いながら蒐と巣南は山を登っている。

 それぞれの学生寮に挟まれた中庭で待ち合わせた二人は、合流してすぐに三ノ女家へと歩き出した。

 巣南は足首まで丈のある長袖の無地の黒ワンピースに、白ジャケットでシックにキメていた。目的地が山奥にあるということで運動靴を履いている。一体何が入るのかわからないミニバッグを申し訳程度に持っていた。

 反対に蒐は学生服を身にまとっている。遠出ということで制服の上からネイビーのロングコートを着ている以外は、平時と変わらない出で立ちだった。私服が見れると期待していた巣南は拍子抜けした気持ちを悟られないよう努めたが、巣南の恰好への感想もないまま挨拶もそこそこに歩き出した時は、さすがに唇を尖らせた。

 とはいえ無言の抗議に気づかれても困るので、細心の注意を払って死角に隠れて実行したところに巣南の奥手な性格が垣間見える。


 三ノさんのめ邸は尾咲市の西部の山奥に居を構える。向かうためには尾咲市の中心の山の頂上にある尾咲学園を下山し、閑静な住宅街を通り抜け、三ノ女の所有している西の山に向かい、やがて見えてくる山道を登る必要がある。

 山道とはいえ三ノ女家の私道のため、一流家庭の名に恥じず、歩道は整備や手入れが行き届いていて歩きやすい。その代わり山である以上、道のりは長く傾斜もある。

「山奥にあるのは知っていたけれど、これほど鬱蒼うっそうとした山の中にあるとは思わなかったわ。これ、手入れされてる道から外れたら遭難できるわよね」

「遭難できるって表現は不吉だな。でも確かに私道から外れた森は昼間なのに夜みたいに暗く見える。むしろ、木が生い茂っている場所を陽射しが射しこむように無理やり刈り取って、道を作った感じだな」

 道中、学園生活やオカ研のこと、試験や丸腰のことなど様々な話題が転々とはしていたが、二人の会話は存外盛り上がりを見せていた。しかし、だんだん人工物が減っていく風景を前に口数は減っていき、西の山のふもとに辿り着いた時には完全に言葉を失っていた。

 尾咲市の西の山、三ノ女家所有の山は空を覆い隠すように密集した木々が生えていて、日差しが遮られ驚くほど暗い。禁忌の山は怪異の手によって人を惑わす術式が組み込まれていたが、こちらは人を寄せ付けない天然の要塞のような雰囲気だ。

 昼間とはいえ迷い込んだら前後不覚になり遭難してしまうだろう。

 三ノ女邸に続く道は蒐の予想通り、太陽光が射しこむように木々が伐採されている。設計者の意図かどうかはわからないが、その道は暗い森を照らす光の柱のように見える。


 身を包むほどの大自然の神秘性に触発されたのか、暗がりの道中で目的地が未だ見えない不安からなのか、二人は自然と継承試験や怪異のことを話題にした。

「今日の飛鳥先輩のお手伝い。上手くいくと思う?」

「どうだろう。正直自信はないよ。何の役に立たず終わる未来も想像してる」

「寄名君もそうなのね。私もよ」

 巣南は優雅で凛とした歩き方や口調ではあるが、発言内容はえらく弱気だ。

「そもそも、私には特殊な力があるわけじゃないし。青行灯が言うところの怪異が見えるだけの人間なのよね、きっと。知っておくことはいいことだけど、見えるだけなら別に無理に関わらなくてもいいと思うわ」

「そうだね。青行灯が言ったことは、人生においてそういう選択肢もあるよっていう事だと思う。卒業後の進路を決める時の参考資料の一つにでもなればいいって感じで。今日はその参考資料の一つだよ」

「まるで優等生の回答ね、ぐうの音も出ないわ。趣味も特技も無い今の私のままでは、貴方たちの世界に寄り添って生きていくことになるのかもね。既にそれでもいいかもって思ってる私もいるし」

 言いながら巣南は外側に向けた手を合わせて大きく伸びをする。ここまで休むことなく歩いてきたから疲れたのかもしれない。

 だが、この山道の中で一休みしようという提案は議論する余地もなく却下されるだろう。


 タイミングがいいと思い、蒐は昨日の放課後、オカ研の活動後にナーシェとした会話を巣南に説明した。

「正直かなり複雑な気持ちだわ。それって、もう一人の私が貴方の中に住んでるってことでしょう? 寄名君を信じてるけれど、変な想像でもされたりしたら嫌だわ。でも他の姿にも変われるのよね、何とかして私の姿をやめてもらえないかしら」

「大丈夫だよ、身体の中にいるときの怪異たちの行動は、俺にはわからないんだ。怪異側には俺のモノローグや見ている景色なんかが筒抜けなんだけどね。表に出てこない限りは干渉できないから問題ないよ。もっと俺のことを信頼してほしい」

「昨日、飛鳥先輩に言われたの。この年代の男はみんな飢えているから気を付けるようにって。旧校舎は離れた立地だし薄暗いから気を付けなさいって」

 とんだ風評被害だった。昨日仲睦まじく帰宅している時に三ノ女にくぎを刺されたらしい。旧校舎という怪しげな場所で密会じみた部活動をしていれば、あらぬ誤解を受けるのも仕方ないのかもしれない。

「言いがかりだ……徹底的に抗議するぞ俺は。とはいえ普段は丸腰もいるし、何ならナーシェが監視している時もあるんだ。万に一つもそんな展開にはならないさ」

「そのナーシェさんにもお礼を言わないとね。助けてもらったんだし」

「扱いは雑だったけどな。」

「でも話を聞く限りは優しい怪異っていう印象があるわ。あとドッペルゲンガーね。彼女は私の言うことは聞かないのかしら」

「どうだろう、愉快な性格してるからな。その時の気分によるんじゃないか」

「聞き分けのない歳の近い妹みたいなものと思えばいいのね、わかったわ」

 やがて開けた空間に出たかと思うと三ノ女邸の門が目の前に現れた。


 三ノ女邸の門の脇には大きな平屋が建っていて、その先は三メートル弱の高い壁となっている。壁はそのまま四方を囲んでいるみたいだった。まっすぐ伸びた先が見えないことから、とても大きな敷地であることが窺える。

 両開きの鉄製の門の前に佇みながら、併設されているという守衛室を探した。時間がかかってから、一世帯は優に住めそうな大きな平屋が守衛室だということに気づいた。

 二人はそこで初めて、文字通り住む世界の違う人種の豪邸に招かれたのだと悟り、守衛室に場違いのように設置された小さなインターホンを見つけた。

 一般家庭に広く普及されているカメラ付きのインターホンに、微かな親近感を感じてようやく緊張がほどけた蒐は、呼び出しボタンを押した。

 風で木々が揺れる音だけが聞こえる山の中に、無機質な機械音が鳴り響いた。やがて静寂が訪れる。すぐに反応が返ってくるかと思ったが、しばらく待ってみても音沙汰がない。

 もう一度押そうかと迷い始めたころ、電子機器特有のノイズの後に、三ノ女の声が聞こえてきた。

「やあいらっしゃい、待たせたね。来客対応なんて久しぶりで、自分の家なのに迷ってしまった。今、門を開ける。そのまま真っすぐ進めば屋敷本館の玄関に着くから、着いたら扉についているドアノッカーで知らせてくれ」

 その後「ええとこうだったかな、こっちのボタンかな」という声と共に鉄製の門がスライドをはじめ、音もなく開いていった。

「行きましょうか。汗かいちゃったし、少し休憩したいわ」

 呆気に取られていた蒐を尻目に、巣南は颯爽と広大な敷地の中へ歩いていった。


 門が開いた先にはまっすぐレンガ造りの道が伸びていて、正面には大きな噴水が見えた。更にその向こうに『凹』の文字をそのまま形にしたような建物が見えた。『凹』のへこんでいるところに玄関があるようだ。三ノ女の話では、あの建物が本館なのだろう。敷地内はどことなく欧州テイストの大きな公園のような雰囲気がある。和風な造りを想定していただけに、思わず見入ってしまった。

 来客が多いのだろう。門は大きく開く造りとなっており、入ってすぐ左側には数十台は停められる駐車スペースがあった。確かにここまで来るための私道は舗装された道路のようになっていた。家に誰もいないという三ノ女の発言は正しいのか、一台も車が停まっていない。

 右側には学校にある体育館のような大きな建物がある。本館の端からそのまま道が伸びていて繋がっているようだが、外観だけでは何に使われているのかわからない。

 本館のさらに奥にも建物が見えるが、その全貌はここからではよく掴めない。

「ちょっと寄名君、そんなじろじろ見渡してちゃ失礼よ。田舎ものじゃないんだから」

 巣南の声にはっと我に返る。彼女は正面から蒐を見据えて仁王立ちで睨んでいた。

「驚く気持ちもわからなくはないけど、しっかりしてよね。さあ行きましょ」

「ああ、そうだな。あと俺は田舎者で間違いないぞ」

 蒐の小さい抵抗は先を歩く巣南の耳に届いていない。幻想的な庭園を想起させる三ノ女家の敷地は、迷いなく歩く彼女の姿をとても美しく魅せていた。


 本館に辿り着いた。木製の大きな玄関を中心にして、一面真っ白な壁で左右対称で嵌められた窓。建物は恐らく二階建てだろう。

 木製の両開き扉には真鍮のドアノッカーが二つ付いていた。ドアノッカーを握りノックをする。

 金属特有の硬く甲高い音が響き渡り、どたどたと人が走る音が聞こえたかと思うと、がちりと鍵が外れる音と共に、鈍い音を立てて大きな扉が開いた。

「やあ、いらっしゃい。ここまでの道中は疲れただろう。慌ただしい出迎えで申し訳ないが、入ってすぐに食事にしよう。お腹は空いているよね?」

 出迎えた三ノ女は矢継ぎ早に言葉をつなげた。幼い子供のように友人が来たことで興奮しているような様子だった。

「おはようございます三ノ女先輩。今日はお世話になります」

「おはようございます飛鳥先輩。まずは少し落ち着いてください、お腹も空いています。何かお手伝いできることはありますか」

「ああ、おはよう。とりあえず食堂に案内しよう。腕によりをかけて昼食を作ったんだ。空腹を満たしながら今日の作戦会議と行こうか」

 三ノ女は先導して屋敷の中へと入っていき、巣南はその後に続く。しばらく屋敷内を見渡していた蒐は、屋敷の隅にいる黒猫と目が合った。

(猫? なんだろう、じっとこっちを見ている)

 しばらく見つめあっていた一人と一匹だが、黒猫はそのまま屋敷の奥へと消えていった。


 中世貴族が住む世界を思わせる食堂には、ドレープ付きのカーテンが備えられた大きな窓、真っ白いテーブルクロスが敷かれた長テーブル。その周りをアンティーク調の椅子が並んでいる。

 いったいどんな豪華な食事が用意されているのか、テーブルマナーを一切知らない蒐はハラハラしていたが、三ノ女が最初に持ってきたのはカセットコンロだった。飛び切りの笑顔で「オカ研で見つけた時に驚いたんだ。これなら私にも使えるってね」と言いながら慣れない手つきでガス缶を装着した。その時点で蒐は嫌な予感と疑念に包まれた。そしてその予感は当たっているのだろう。三ノ女飛鳥は料理をまともにしたことがないか、下手くそだと。

 やがて三ノ女は併設されているキッチンに消えた。今度は違う意味で何を食べさせられるのだろうとハラハラしたが、それは杞憂だった。

 そのままニコニコした顔で鍋を持って戻ってくる。可愛らしいミトンを腕にはめていた。鍋をカセットコンロに置いて蓋を開ける。中身は水炊きだった。出汁を取っていないらしく本当に食材を入れただけではあったが、変に味付けをしていない分安全に食べられそうだった。

 横目で見ると巣南も終始何を食べさせられるのかといった緊張した表情をしていたが、この水炊きを見て肩の力が抜けたようだった。

「初めて料理を作るからね、失礼があってはいけないと思って鍋にしたんだ。これなら何を入れてもおいしく食べられるだろう? それに刃物の扱いには心得がある。全ての食材が一切の迷いがなく、美しい太刀筋で食べやすい大きさに両断されているはずだ。もう十分に煮えていると思うから食べてくれ」

 三ノ女はいわゆるお誕生日席と呼ばれるテーブルの正面に座る。そのまま手を合わせて「いただきます」と号令をかけた。

 二人は三ノ女にならって所作を真似るが、その後巣南は申し訳なさそうに三ノ女に声をかける。

「あの……飛鳥先輩。食事に付けるポン酢やタレはありますか」

「??? ポン酢やタレとはなんだい?」

 三ノ女は本当に意味が分からないといった顔で巣南としばらく見つめあっていた。

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