11月11日 4

 問いには答えず、ドッペルゲンガーは目の前から姿を消した。

 続いて青行灯も姿を消す。

 突飛な発言が目立つ彼女だが、礼儀作法には一家言いっかげんあるらしい。追いかけて教育しようという魂胆が透けて見えていた。

 蒐の心が騒がしいのは恐らく、身体の中に戻ったドッペルゲンガーが走って逃げ回っているからだろう。彼女は奔放な少女のようで、一見しただけでは怪異とはわからない。

 任意の姿に化けられるとのことだったが、確認は後日になりそうだ。

 これからは青行灯のみならず、ドッペルゲンガーも呼び出すことが出来る。

 青行灯は予期して怪異寮を作ったのだろう。

 これから先、怪異と関わるたびに身体の中に新しい怪異が住み着いていくのだという未来を予期して。


「話は終わったか」

 離れた場所で静かにしていたナーシェが声をかける。相変わらず黙りこくって考え事をしていたみたいだが、一連の会話劇は見守るように聞いていたらしい。

「ドッペルゲンガーや気絶女のことは十分わかった。おまえの中枢真核ちゅうすうしんかくについて気になることも多いが、今は棚上げしとこう。わい一人だけじゃどうせ正解に辿り着けへんからな。ただ、こんな寸劇見せるために、あんたらここに来たわけちゃうやろ。もうええ時間やで、そろそろ目的を言いや」

 ナーシェの言葉で当初の予定を思い出す。

 三ノさんのめ飛鳥の件で助言を求め、この乱暴で優しく手持無沙汰で暇な吸血鬼に会いに来たのだった。

 蒐は昨日と今日で起きた三ノ女との一幕をナーシェに説明した。


「なるほどな。三ノ女家で継承試験が実施中なんは知ってるわ。次期当主がまだ若い小娘で、あの学園の生徒ってこともな。なんや頑張ってるみたいやが、まだ手こずってんかいな」

 小さく可愛らしい口からは想像も出来ないくらいの、興味なさげに吐き捨てるような言い方だった。

 口調から察するに、三ノ女家の事情を知っているらしい。

「そうみたいなんだ。だから助言を求めに来た」

「助言ったってなあ、話聞くかぎり簡単な試験内容やんけ」

 ナーシェは完全に興味を失ったのか、頭を掻きながら欠伸をする。

「その簡単な試験の対策が絶望的だから、一縷いちるの望みに賭けてここにやってきたんだよ」

「んなもん期待されてもなあ、そもそも、あの小娘自身の力で突破できないなら、その程度の器ってことやろ。武芸は他の追随を許さないほど達者ってのは知っとるが、呪術のセンスや怪異の知覚についてはからっきしなんやろ」

「その通りだ」

「塗り壁が邪魔をしてる言うてもなあ。名が知れ渡ってる怪異なんや、史実や文献で弱点はわかる、突破は簡単やろ。確かに三ノ女麻衣は塗り壁を使った盾、塗盾壁とじゅんへきを使ってたから小娘の予想は的を得ているとは思うで。低級怪異を使役してる割には強固な盾やった。先代は三ノ女家には珍しく武術より呪術に秀でた女やったからな」

 三ノ女飛鳥の母親は三ノ女麻衣という名前らしい。


「先代当主のことを知ってるのか?」

「知ってるで、ここは三ノ女の土地やからな。禁忌の山も三ノ女の管轄や。歴代当主が代々この山を管理してる。わいらは故あってよその土地からここに移ってきたんやが、その時に顔合わせというか殺し合い的なことをしてな。ちなみに小娘にも一度会って殺されかけたことがあるで。小娘とはその一度きりやけど、先代とは交流があった。わいらはよそから来た怪異やけど、事情を説明したら無害と判断されてな。それからは定期的に近況報告をする関係になった。ここ最近はすっかり見なくなったんやが、亡くなってたんか。病気言うてたからなあ」

 あの女は強かった、惜しい女を亡くしたでとナーシェは続ける。

 どことなく悲しい表情をして、遠くを寂しい目で見ているのは気のせいではないのだろう。先ほどの興味なさげな仕草はただの強がりかもしれなかった。

 しかし三ノ女に殺されかけた事実もあり、心中複雑なのかもしれない。

 プラスして、ではなくという複数形を使ったり、命令や上司という今までの発言からも、ナーシェに仲間がいることは明白だった。

 気になるが今は三ノ女家について聞かなければ。


「先代について知ってることを教えてくれ」

「大したことは知らへんで、さっきも言った通り三ノ女麻衣は呪術に秀でた女やった。武術もそりゃたくみやったがな。呪術に関しては天賦てんぶの才とか自称してたわ。見た目に関しては小娘が少し老けたような容姿、性格は小学生が大人になったような感じやったわ」

 会話は終了。続く言葉が出てこないらしく、ナーシェは難しい表情を浮かべていた。

「他には何かないのか?」

「何か言われても、一回の戦いで百回近く殺された以外は、接触してたんは短い近況報告の時だけや、その程度の関係でぽんぽん特徴や習性が浮かぶかいな。わいは漫画や映画に出てくる便利なお助けキャラやないで」

 ナーシェの言うことはもっともだ。

 わかったことは先代が塗り壁を使役していたこと、呪術に秀でていること、三ノ女飛鳥は母親似ということ。

 一方的で身勝手ではあるが、期待が大きかった分、肩透かしを食らったのも事実だった。

「確かにナーシェの言うとおりだ。勝手に期待をしていたよ。ここに来たら素晴らしい助言がもらえるってね。でもそういうわけではなかったみたいだ。監視ばかりしていても、対象の人となりがわかるわけじゃないんだな」

「ちょっと待て、なんやその言い方」

 聞き捨てならないという視線で口をはさむナーシェ。

「何でも何も、言葉通りの意味だよ」

「自分、随分棘のある言い方するやないか」

「でも、何もわからないのは事実だろう?」

 蒐の攻撃的な物言いに、ナーシェの顔に次第に青筋が浮かんでくる。

 胸の前で腕を組んで、手を出すのを我慢しているようだった。

「事実やが……そんな子供じみた挑発されても、出ないものは出ないで」

「思い出せないだけでもなく?」

「思い出せへんだけでもなくや」

 今にも飛び出してきそうな吸血鬼は、見え見えの挑発や煽りを一蹴する。

「しばらく会わんうちに、えらい馴れ馴れしくなったやないか」

「わかった、ほんの悪ふざけだ、すまない」

 蒐は降参するように両手を上げた。

 その様子を見てナーシェは、子供の相手で疲弊した大人のように眉間に手を当てる。

「ただまあ、なんや、一つ言えるとしたら」

「言えるとしたら?」


「そもそも前提が間違うてる。恐らく小娘は焦りからか視界が狭まってしもてる。確かに塗り壁が原因というのは一理あるし確定なんやろが、試験をパスできないのがと考えてしもうてる。継承試験は先代当主が次期当主に対して試験内容を考えるんやろ? さっき言ったように先代当主は天才的な呪術センスを持っていた。あー……ワイが言えるのはここまでやな。ほぼ答えみたいなもんやろ。今までの話を踏まえれば、試験にも呪術が使われているかもと思わへんか? 呪術師の家系であるということを念頭に置いて調査を進めていけば謎は解決すると思うで」

 蒐は先日から怪異に触れ続けている影響か、明日の探索の指針を怪異寄りにしていた。呪術という想像のつかない未知の現象がその先の思考を停止させ、怪異だけが邪魔をしているという先入観を与えていたのだ。

「呪術言うても無数にあるが、試験内容は部屋を見つけるだけやろ。どうせ隠蔽いんぺいや認識阻害や転移なんかの人体に無害な呪術が働いてるだけやと思うで。隠蔽や認識阻害といった支援系の呪術は、絡繰りや些細な違和感に気づくことさえできれば突破できる。転移系は起動するんに詠唱や手順がある。そんで、どちらであっても解呪するには術式を解明してしかるべき手順を踏まなければならないってところやな。さすがに敵対者を迎撃するような仕掛けはないはずや、確かあいつは屋敷の調度品を大切にしてたからな」

「ここまでと言っておいて随分と親切だな。それに他の情報も知ってるじゃないか」

「喋ってるうちに思い出したんや。あー、あとなんや、小娘のことを心配してたな」

「心配?」

「せや、あいつは一人娘を残して逝くことを心配して薬で延命を続けてたんや。せめて大人になるまでは見守りたいってな」

 蒐は三ノ女麻衣について全く知らない。その姿さえ見たことがない。

 だが目の前の吸血鬼が彼女のことを話すときは、決まって穏やかな表情になる。

 きっと慈愛に満ちた人格者で、常に周りを明るく照らす太陽のような温もりを持った人物だったのだろう。

 そしてナーシェが言っている彼女の娘に対する献身は、学生であるうちは家業の重圧など感じず、伸び伸びと学生生活を楽しんでほしいという母としての親心と愛情なのかもしれない。


「ナーシェ、質問があるんだけど、三ノ女先輩……三ノ女飛鳥が怪異や呪術を感知できないのを、三ノ女麻衣は知っていたのか?」

「そのはずやで、というか三ノ女家のやつらは基本的に怪異も呪術も感知できへんのや。感知できるのは専用武器を手にしているときだけやな。三ノ女家の云う専用武器については少し複雑やから解説はせえへんで。わいも完全に理解できてへんからな。んでその三ノ女家の歴代当主の中でも、小娘は群を抜いて感知する能力が低いみたいや。ゲームでいえばスキルツリーを全部武術や膂力りょりょくに割り振ってると思えばええ。腕っぷしは立つが搦め手に弱いってところか。仮に当主になった後でも、宝剣を含め、専用武器を握っていないうちは感知も知覚もできんはずやで。もしかすると専用武器を持っていても無理かもしれんな」

 蒐は今までのやり取りで一つの結論に辿り着いた。

 それは宝剣が置かれている部屋がどこにあるか、それがどういった仕組みで隠されているのかを導き出したわけではない。

 怪異や呪術に長けていない三ノ女飛鳥に対して、今回のような複雑な試験を用意したのはなぜだろうという疑問。その疑問に、やや突飛ではあるが一つの明確な答えが浮かびあがったのだ。三ノ女麻衣の娘に対する愛情に間違いがなければ、この少々飛躍した推論は間違っていないと思う。

 とはいえ、部屋を見つけるという点に関しては難易度がそのままのぶっつけ本番であることに変わりはなかった。


「なんや悟ったような顔してんな」

「ああ、ナーシェの言葉で一つの疑問が分かったような気がしたよ。試験を乗り越えられるかはわからないけどな」

「そうかい、力になれたならええわ。お前にも小娘にも借りを作っておいて損はないからのう。にしし、んじゃもう遅い、そろそろ帰りや。明日は気張るんやで」

 ナーシェはくるりと背中を向ける。山の中へと帰ろうとしてるのだろう。

 跳躍するために数歩踏み出した彼女は、すでに夜の闇に紛れてしまいその姿がおぼろげになっている。

 蒐は彼女の姿が完全に消える前にその背中に声をかけた。

「ありがとう、世話になった。あと、今日はいきなり押しかけて悪かった。今度から来るときは何か手土産を持ってくるよ」

「それは殊勝な心がけやな。灯りも忘れんことやで。あと手土産はチョコミントドリンクで頼むわ。あれ美味いのに手に入れるのがむずいんや」

 言い終わるころには、その背中は完全に闇の中に消えていた。すぐに地面を蹴るような音がしたかと思うと、門の向こうに何かが着地する音と、さらに続けて遠ざかっていく足音が聞こえた。

(明日のことについて何か閃いたようですね、ご主人様)

 青行灯が身体の中から直接語り掛けてくる。

 蒐の感覚や考えは青行灯に共有されているのだ。

「ああ。といっても三ノ女家の事情に少し触れただけだけどな」

 学生寮へ帰還するために蒐は踵を返す。

 行きの道では、月明かりさえ届かない無数の闇のカーテンのような、一寸先の道も見えない森を抜けてきたが、帰りの道では月明かりも届いていて蛇行することなく歩くことが出来た。ナーシェの言っていた人除けや魔除けの仕組みを理解した影響であろう。

 まだ禁忌の山と旧校舎の中間地点だが、微かに本校舎の一部が見える。すでに明かりが消えているようだ。

(ご主人様急ぎましょう。正確な時間は分かりませんが、学生寮の門限を過ぎてしまうかもしれません)

 蒐は新鮮な景色を楽しみながら歩いていたが、青行灯の忠告で慌ただしく走り出した。

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