11月11日 3

 立地でいえば、オカルト研究会が入っている旧校舎は、本校舎と禁忌の山に挟まれている形になる。本来であれば旧校舎から本校舎を経由して学生寮への帰路につく。

 かつては人で溢れていたが、今は見る影もないほどの廃墟と化した旧校舎は、その建物のみならず、かつてグラウンドであった周辺の土地ですら電気が通っていない。

 そもそも、旧校舎が廃校になるタイミングで外灯や照明は撤去されている。

 人工的な明りや月明かりなどの自然光が差し込まない夜というものは、想像しているよりも暗い。旧校舎には、伸ばした手の先すら見えなくなる程の闇が訪れる。

 冬至へと進む季節。

 秋の夕暮れが訪れたかと思うと、瞬き程度の経過で夜のとばりが落ちる。

 夜が訪れれば必然、一面を暗闇が支配する。

 普段であれば夜の闇から逃げるように、文明の明かりが眩しい本校舎に向かい、更に、人の気配の集中する学生寮へと帰還する。

 そこでやっと安堵の息を吐く。

 闇を恐れる人類が作り出した照明と、己以外の人間がいることが確認できる社会構造の中に入ることで、やっと心の底から安心することが出来る。

 

 しかし今は違う。

 オカルト研究会の部室を出発した蒐は眩しい人工の明かりを背に受けながら、大自然が産み出す漆黒の闇が手招きする森を突き進んでいく。

 足を進めるほど深い闇が訪れる。

 黒いカーテンをひたすらに掻きわけて進んでいる感覚。

 手の先はおろか、足元さえ見えない。

 直進しているのか、蛇行しているのか、そもそも踏み込む先に地面が続いているのかわからない。

 禁忌の山の入り口への道は、先日の出来事で知っていた。

 だからこそ今回は迷うことや、恐怖に包まれることはない。

 しかし、風を切る音や木々がこすれる音、鳥の鳴き声も何も聞こえない。

 心臓が血液を循環させる鼓動音と、酸素を肺に送る己の呼吸音だけが響く。

 闇に視界が奪われ、自らが発する音しか聞こえない。

 五感の内の、たった二つの機能が満足に行使されないだけで、大きな不安に襲われた。


 やがて、まだ辿り着かないのかと心の中で愚痴り始めたころ、厳重に施錠されている門に辿り着いた。

「はあ、はあ、やっと着いたか」

 時間にしてどれほど経過しただろうか、時計を持っていない蒐に確認する術はない。

 そして、ここまで足を運んだはいいが、あの吸血鬼を呼ぶ術を何も考えていなかった。

 蒐が考えを巡らせていると、青行灯が出てきた。

「以前は迷い込んだ挙句の到着、正しい経路は帰りに通っただけ。旧校舎から禁忌の山への行きの行軍は今回が初めてですが、ここまで陰気な道とは驚きました。道中、ご主人様の心労がバリバリ伝わってきましたわ。可愛らしすぎて、辿り着いたら熱い抱擁を見舞いましょうかと考えましたが、そのような雰囲気ではないですね」


「夜の森なんやから当たり前や、こんな場所で乳繰り合うとこなんざ見たくない。むしろどんな胆力してんねん。あと行軍は大げさやろ散歩程度やこんなもん」

 青行灯に続いて強い方言の喋り声が聞こえた。それは頭上から響いてくる。

 夜の闇で視界が極端に狭まっていてその姿は確認できないが、以前のように門の上から見下ろしているのだろう。

 蒐たちが認識できていないことを察したのか、ナーシェは門の上から飛び降りてきた。

 近くで見るナーシェは、腰の位置の両脇からスリットが入ったワンピースを着ている。体にぴったりとフィットしていて美しいボディラインと華やかな雰囲気を演出していた。

「久しぶりで早速悪いんやが、あんたらには色々言うことがある。でもまずはそうやなあ、次からは灯りくらい持ってきたらどうや。気配を感じて遠くから見てみたらおまえ、暗すぎておっかなびっくり、蛇みたいに右往左往して歩いてるやんけ」

 ナーシェは笑いをこらえながら蒐を指さす。

「しゃーないけどな、ここには人が近づかないように魔除けと人除けの術が施してある。本来なら恐怖心や不安感に煽られて引き返すはずなんや。連日ってわけでもないが、度胸試しで来訪する人間バカが少なからずおるからな。その対策や」

「そうだったのか。確かに想定以上に辿り着くのが遅くて不安には感じたな」

「せやろ、ここまで辿り着かせないことが目的やからな。実際は全く時間は経ってない。恐怖心を煽って体感時間を麻痺させてるだけや。仕組みとしてはまず、オートで起動する人除けの術でこの山から認識を逸らす。ただ、一般人の中でも勘がいい奴、呪術的素養のある奴なんかは術が効かへん時がある。そんな時は魔除けの術が発動する。この術は怪異を寄せ付けなくなるのと同時に、人間相手には心の奥底にある根源的な恐怖……今の米国風に言えば狂気とでもいうんか、そういうのを想起させる。その二重の守りで人が寄せつかないようにしてるねんや」

 わいの上司お手製なんやで、と説明を促してもいないのに流暢に語りだした。前回の一件から薄々と感じていたが、このアルビノの吸血鬼は意外とお喋りなのだろう。

 禁忌の山に住んでいるくらいだ。人と話す機会が極端に少ないのかもしれない。

 以前も、待機や監視ばかりで暇していると言っていた。

「弱点は、仕組みがばれてしまうと機能しないってところやな」

「それは…俺たちに話してしまって問題ないのか?」

「問題あらへんやろ、あんたらが無害なのは承知してる。怪異がらみで来られる度に神経すり減らしたいならまた術を増やすが……」

「いや、是非ともこのままでお願いしたい。次は普通に歩いてこれるってことだよな?」

 ナーシェは目線だけで肯定する。

 面倒見もいいみたいだ。

 もしかすると、いつでも気軽に来いと言っているのかもしれない。


「お久しぶりです、ナーシェ様。お気遣いいただいてありがとうございます。色々と言いたいことがあると仰っていましたが、他にも警告があるのですか?」

「ああそうや、次はな、あの一件について何の報告も受けとらへんってことや」

 ナーシェは蒐と青行灯を睨む。

 進行役として声を出した青行灯だったが、バツが悪そうに目を背けた。

「利用するだけ利用して事後報告がないのはいただけへんで、社会人なら始末書ものや。社会人じゃないから知らんけどな。このまま二度と顔出さんのかと思ったわ」

「それについては、弁明のしようもない。こっちの落ち度だ。申し訳ない」

 言い訳ではないが、あの後すぐに中間考査の試験期間が始まってしまい、成績不良生の蒐には報告に行けるほどの余裕がなかった。

「んで、ドッペルゲンガーとあの気絶女はどうなったんや」

「ドッペルゲンガーは消滅したと思ったけど、青行灯曰く俺の身体の中に住むようになったらしい。巣南さんは無事だけど怪異が見えるようになった」

 あの日起きた出来事を簡潔にまとめると、たった二言になった。

 もう少し劇的に伝えたいと思ったが、結果報告である以上、過程は省いたほうがいいだろう。

「気絶女は怪異が見えるようになったんか……薄々そんな予感はしとったがそうか、もう平穏な生活は望めへんな」

 含みのある言い方だった。

「ドッペルゲンガーについては、青行灯に聞いたほうがええか?」

「そうだな、俺も、ドッペルゲンガーがどういう仕組みで俺の中に住んでいるのかわからない。何でこのような結果になったのかも」

 成り行きを見守っていた青行灯だが、蒐とナーシェの話を促す視線を浴びて、事情を説明し始めた。


「本来であれば巣南様がいるところで説明することが筋だとは思いますが、ナーシェ様にはすでに礼を失しています。話すしかありませんね。ドッペルゲンガーについて話すにはまず、ご主人様の体質……魔術師について説明する必要があります」

「んな基本的なもん知っとるわ」

「ナーシェ様がご存じでも、ご主人様はその知識がありませんので……ご主人様、以前、世の中には呪術師と魔術師がいると説明しました。そして寄名家は魔術師の家系だということも。魔術師とはギリシャの神々が、神代から人間の時代に移ろいゆく転換点で子孫たちに力の一端を分け与えることで誕生しました。神一体につき人間一人にその力を継いだのです。故に魔術師は一子相伝。ここで大切なのは次世代にその力を継ぐ方法……いや、何を継ぐのかです」

「何を継ぐのか?」

「はい、三ノさんのめ家が次期当主に宝剣を継ぐように、魔術師も次世代の子孫にあるモノを継ぎます。そのモノを中枢真核ちゅうすうしんかくといいます。ご主人様も中枢真核を持っているのです」

 中枢真核、上手く思い出せないが、その言葉は何だか聞き覚えがあった。

「中枢真核は身体の器官の一つで体内にあります。継ぐというより移植といったほうが正しいかもしれません。中枢真核は人体の心臓、心臓の四つある部屋の更に中心に五つ目の部屋として鎮座しています」

「んで、こいつの身体の中にも中枢真核があるから魔術師や言うんやろ? 魔術の一つも使えん見たいやけどな」

「ええ、それは仕方ないのでしょう。色々と事情もあるみたいですので」

 怪異が見えるだけの一般人として育ってきた蒐には、魔術なんて縁のない話だった。

「そうだな、昨日急に魔術師だなんて言われたくらいだから」

「この学園に来た時、寄名の人間が人畜無害そうな顔して歩いとるから監視しろって言われてたんやが、ホントに一般人と変わらん知識しかないとは思っとらんかったわ」

「だからこそ、基本は押さえておきましょう。とはいえ今は簡潔に説明します。中枢真核は器官であり象徴であり情報です。その一族の歴代の魔術師たちの修練や研究成果、習得した魔術、魔術師として生きてきた全ての情報が刻まれています。だからこそ魔術師は時代を経ることに力が強くなり、中枢真核自体も移植を繰り返すたびに丈夫で強固になっていきます」

「なるほど、俺の身体の中枢真核に刻まれている歴代の魔術師たちの力によって、青行灯が体内に住み着けたっていうわけか」

「いいえ、違うのです」

 青行灯が語った内容を上手いこと消化できたと思っていたが、違ったようだ。


「中枢真核に外部からの力が入り込む余地はありません。例外はあるでしょうが、私のような雑魚怪異では中枢真核に影響を与えることなど不可能です。ならば何故、私がご主人様の中に住み着けたのか……そもそもが住み着くという言葉自体がおかしいのです」

「確かに、人間に怪異が取り憑くことで呪術師となる。契約する場合がほとんどやけどな。他にもあんたらと似たような呪術師と怪異の関係性を視たことはある。だが寄名の力は別もんや。怪異側がそういう性質でも無い限り、人間の身体の中に住むなんて芸当は不可能。人間と契約した怪異は霊体化して姿を消すか、現世への影響力が強すぎて霊体化できない存在であれば人目につかない場所に身を潜めることが基本。契約者の体内に入り込んで好き勝手するなんてのはありえへん。物理的にもな」

「ナーシェ様の言うとおりです。ではなぜ不可能が可能になったのか。それはご主人様の中枢真核の中に異物が混じっていたことが原因です」

「異物? ただでさえ名家で歴史も古い寄名家の中枢真核に異物なんて入り込むんかいな」

「異物というより異質といったほうが正しいのかもしれません。よほど強い攻撃を受けたのか内部から崩壊したのかは定かではありませんが、ご主人様の中枢真核は異質でした。これは紛れもない事実。ご主人様の中枢真核には空虚な空間が出来ておりました。木の根元にできる虚のようなものです。まるでブラックホールのような暗黒の分解世界。その虚に誘われるように近づいていった私はその空間に入ることができました。虚の中は現実世界のように青空が広がり、大地が続き、森が生い茂り、川が流れる。生物だけが存在していない地球に似た空間。極小の天体がご主人様の身体の中にあるのです。私も最初は目を疑いました。視野を広げれば海や、大陸も見つかるのではないかと錯覚するほどです。その後はご主人様も知っての通り。虚と現実世界を自由に行き来できるようになった私は、その空間で生活するために住居を建てて暮らし、さらに巣南様の一件後、ドッペルゲンガーが虚の中で呆然としている姿を発見しましたので、住居を怪異寮『百鬼夜寮』に増築。ドッペルゲンガーを招き入れ、今では良妻寮母として大活躍なのです」

 終盤に近付くにつれ熱の入った演説に力が入り、最終的に青行灯は身振り手振りを交えた後ガッツポーズをしていた。

 蒐は一仕事終えて満足そうな表情を浮かべる青行灯に拍手を送る。

 ナーシェは話を聞いた後、何やら考え込んでいた。


「事の成り行きは以上です。ドッペルゲンガーも私と同じように虚と現実世界を自由に行き来できますよ。恐らく虚に住む怪異はご主人様の許可があれば自由に行き来できるのでしょう」

「以前、巣南さんと話していた時に出てきたことがあったね。あの時は呆気にとられているうちに消えてしまったんだけど……そうか、青行灯と同じように自由に出てこれるのか」

「はい。あの方は巣南様を模して産まれているので、基本形態は巣南様の姿となっているようです。あの姿で寮の家事全般を担ってくれています。当世でいうメイドさんですね。ですがドッペルゲンガーとしての力も健在で、任意の対象に化けることが出来るそうですよ。試しに呼んでみてはどうです?」

「試しに? どうやって呼んだらいいんだ?」

「私の時と同じです。名前を呼んでいただければ反応が返ってきます」

 青行灯の言葉の後、蒐は眼を閉じて胸のやや左側、中枢真核とやらがある部分に手を当てる。

「……ドッペルゲンガー、出てきてくれ」


(う、うへええええええええ!!!!!!!)

 ぎこちない号令に、悲鳴と嬌声が入り混じった叫びが返ってきた。

 脳に直接響く叫びが小さくなり、やがて叫び声は身体の中からではなく外、耳を媒介して聞こえてくる。

 ドッペルゲンガーが身体の中から出てきたのだ。

 目を開けると、おっかなびっくりといった表情の、巣南瑞穂の姿をしたドッペルゲンガーと視線が交わる。

「と、突然でびっくりしましたご主人様。それに呼び出すのがこのような辺鄙で真っ暗な場所、ファーストコンタクトであれば最悪のシチュエーションですよ」

 怒っているとアピールしたいのか、胸を張って両手を腰に当てて、鼻息を荒くしている。

 目の前のドッペルゲンガーはころころと表情を変え、はきはきと喋る。その動きも身振り手振りも交えて活発だった。

 文化祭の一件で見たドッペルゲンガーとは別物なのだろうか。

 あと、巣南瑞穂の姿で変な動きや表情はしないでほしい。

「ドッペルゲンガー、まずは挨拶をしなさい」


「そうでした。ご主人様、こうして面と向かって言葉を交わすのは初めてですね。私はドッペルゲンガー。呼び名が長いとお思いでしたら、ゲンガーだけでも結構です。ちなみに私のお勧めは、名前の真ん中を拾い上げてペルゲンです。可愛いと思いませんか?」

「ゲンガー……」

 騎士が王に忠誠を誓うように、ドッペルゲンガーは跪いて挨拶をする。

 その姿を前に、蒐は間の抜けた声で名前を呼ぶことしかできなかった。

「はい、ご主人様。これからは用があれば何なりとお申し付けください。普段は百鬼夜寮のメイドとして生活していますが、ご主人様の命が最優先事項ですので。それと疑問に思っているであろうことを解消しましょう」

 ドッペルゲンガーは立ち上がる。

「私は、以前の文化祭の一件で出会ったドッペルゲンガーです。貴方の最後の言葉によって虚の中へと招かれました。突然の出来事で驚きましたが、成仏する前のロスタイムとでも思って生活しています。巣南瑞穂から産まれたこともあって家事はすべて完璧ですからね。あと私の性格ですが、あの日、ご主人様のご学友である彼女が私に押し付けていた人間性や負い目を背負う覚悟を決めたことに伴って、私は生まれ変わりました。私を生み出した巣南瑞穂が元来持っている性格になったのです。要するに、不幸な事故が起こらず幸せな家庭でたくさん愛情を注がれて育った世界の巣南瑞穂。それが今の私です。彼女はもともと明るい女の子だったんですよ」

 その場でくるくると踊るように回り、ドッペルゲンガーは邪気も屈託もない笑顔を見せながら話す。

 それは尾咲学園の生活で見せたことのない巣南瑞穂の姿だった。

 有り得たかもしれない世界で、この眩しい姿を見せていたのだろう。

「そうだったのか、よくわかったよ。今度巣南さんにも挨拶をしてほしい、君のことをとても知りたがっていたから。あと純粋に聞きたいことがあるんだけど」

「はい、なんですか?」

 蒐は視線をドッペルゲンガーの頭からつま先へとゆっくりスライドさせていく。その後、視線を元に戻す。

「その服装は、個人的な趣味なのか?」

 ドッペルゲンガーは巣南瑞穂が通っていた中学校の制服を着ていた。

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