11月11日 1

「ありがとう。君たちならそう言ってくれると思っていたよ。全然心配なんてしていなかったけど、実際に言葉にしてもらえるのがこれほど安心するとは思わなかった。柄にもなくボクも緊張していたんだろうね。家に学友を招くなんて初めてのことだからさ」

 翌日、全ての授業を終えた後の放課後のオカルト研究会部室。丸腰は予定が入っているらしく、昨日に続いて不在だった。

 その代わりといっては華やかすぎるが、三ノ女飛鳥さんのめあすかが我が物顔で、座敷に上がってお茶を飲んでいる。

 その佇まいに一切緊張している様子は見られない。

 一日の授業が終わった後の放課後、すぐに部室に向かった蒐と巣南だったが、三ノ女は先に部室で待っていた。

 靴を脱ぎ座敷に上がり、壁に体重を預け、人魚のように足を投げ出して外の景色を眺めているようだった。そこに年頃の少女らしい無垢むくな眼差しは微塵もないが、だからといって考えが読み取れるほどわかりやすい表情もしていない。

 ただ無表情に、外の風で揺れる木々達を眺めている。

 それだけのことがやけに絵になる風景だった。

 それはまるで、三ノ女がここにいるのが当たり前かのように、またはこの部室が最初から彼女のモノだったと言わんばかりの錯覚を起こさせるかのように、蒐の目には眩しく見えた。


「寄名君、どうしたの? なんだかボーっとしてない?」

「え? ああいや、何でもないよ」

「体調でも悪いの? これから明日の予定を決めるんだからしっかりしてよね」

「うん、ごめん。大丈夫だよ」

 絵画のような景色を連想していた蒐だが、巣南の声で覚醒した。

 明日は三ノ女の家に行くというのに、この体たらくでは失礼にもほどがある。集中しなければ。

「今日は青行灯はいないのかい?」

 蒐たちが部室に来たことに気づいた三ノ女は起き上がり、二人に向き合って話しかける。

 蒐と巣南も座敷に上がり、三人でちゃぶ台を囲む形となった。

「青行灯なら身体の中に居ますよ。俺が受け取った情報や考えはすべて共有されるので、この状態で問題ありません。なんなら外の会話なんかも聞こえてるみたいですからね。『私が出ると専門的な話が長くなって会話のテンポが悪くなってしまいます』ってさっき言ってたから、今日は出てこないんじゃないかな」

「なるほど、本当に普段から君の身体の中に居るんだね」

「はい、青行灯曰く俺の身体の中に百鬼夜寮ひゃっきやりょうとかいう怪異寮を作ったらしいです。どういう意味かとか、理屈は全く分かりませんけどね。身体の中に居るときはその寮で寮母の業務をこなしているとか言ってました」

「へえ、君の身体の中に住み着くだけで飽き足らず、自分の領域を作って他の怪異の衣食住の世話もするというのか、随分と欲深いんだね。それともそれを許してる寄名君の器が大きいのかな」


「いえいえ、そんなことないですよ。俺には何が何だかわからないだけです。知らないことに甘えて全てを許しちゃってるんですよ。だから悪いのは俺のほうなのかも。怪異に理屈を求めてはいけないって青行灯も言ってたし、彼女のやりたいようにさせてるんです。悪いことをするような存在でもないですからね」

「知らないことは悪いことだと自覚してるだけ及第点だよ。無知は罪であるというソクラテスの言葉があるけど、ボクはあれは真理だと思ってる。知らないから許されることなんてないからね。知る努力さえ怠らなければ回避できる惨劇はたくさんある。だから学び続けることは大切なんだ」

「素敵な考えですね」

 三ノ女の言葉に巣南が素直な感想を述べる。


「ありがとう瑞穂。学年トップの成績の君に言われると嫌味かなと思ったけど、その表情と声色から見るに、素直な感想のようだ」

「嫌なこと言わないでください。飛鳥先輩だって成績はトップでしょう?」

「そうなのかい? あの掲示板に張り出されるシステムが好きじゃなくて試験結果はいつも見ていないんだ。順位のために勉強してるわけではないからね」

「いつ見ても飛鳥先輩がトップですよ。でも順位のためにってのは私も同じですね。私の場合は勉強が習慣になってるだけですけど」

「それは良い習慣だ。人生は有限だからね。そして、その人生の中で自分のために使える時間は驚くほど少ない。その少ない時間を何かを学ぶために使うのはとても有意義だ。今の若者はそんなことも知らず、一日をボーっと日和見ひよりみで過ごす人間がとても多い。学校で学ぶことや、一見自分の人生に関係のなさそうなくだらない知識でも、どこかで必ず役に立つものだ。それが習慣となっているのは素晴らしいよ」

「ありがとうございます。そんなストレートに言われると照れますね。寄名君も見習って、少しは勉強しないとね」


 照れ隠しの矛先として蒐を利用する巣南。成績が良く、おまけに学園のアイドルやマドンナと呼ばれている女性に囲まれた男には頭が痛くなる話だった。なぜ成績の話になってしまっているんだろう。若者が若者に対して説教をしても、威厳が伴ってない見た目や年齢では説得力がない。言動は達観気味だが、三ノ女は可愛らしい容姿をしているのだ。

「話が逸れてしまったね。寄名君は少しずつこちら側のことについて知っていけばいい。ただ、自分の能力を開けっ広げに公表してしまうのはよくない。能力を伝えるというのは弱点を教えるということだ。青行灯についてはもうボクが見てしまっているから仕方ないけど、彼女が何をしているかについては秘密にしておいたほうがいいかもね。それに教えられたら、こちらも教えないとフェアじゃないだろう? 日本を代表する貴族同士、君とは対等で居たいんだ」

 貴族と言われても蒐にその記憶はない。気が付いたら怪異が視えていただけの少年が、そのまま成長して高校生になっただけだ。

 とはいえ三ノ女の言うことは理解できる。

 多弁は銀、沈黙は金。 喋りすぎれば自分の喉を締め付けるだけだ。

 そうはいっても、蒐は家に招かれている立場だ。

 決して三ノ女の意見に反するわけではないし、彼女の言う対等の関係というのがどういうレベルなのか、どういう関係なのかも想像つかないが、日本を代表する貴族の家を訪問するというのであれば、蒐もある程度の秘密を公開しなければフェアじゃないだろう。


「さて、昨日言った通りなんだけど、色々と事情があって明日はボクの家に誰もいない。家族はおろか使用人でさえね。本来なら使用人にお願いして君たちを学園まで迎えに行きたいところなんだけど、申し訳ないが歩いてボクの家まで来てほしい。ボクも直前まで君たちを出迎える準備がしたいからね。屋敷までの地図もこうして持ってきた」

 三ノ女は豊満な肉体をした女スパイよろしく、制服の胸元に手を入れたかと思えば、中から一枚の折りたたんだ紙を取り出した。その紙を蒐に渡す。ほのかに人肌ぐらいの体温が残っている。

「地図は一枚だけだ。失くさないように。明日は二人仲良く家まで来ることだね。あとボクの家の門に守衛室が併設されているんだけど、当日は守衛もいない。守衛室の近くにインターホンがあるはずだ。到着したら押して知らせるように。不慣れだから門を開けるまで少し待たせるかもしれないけれど、そこは許してほしい。それと昼ご飯はこちらで用意しようと思ってる。だから十一時に屋敷に着くようにすることだね」

 三ノ女はまた制服の中に手を入れてごそごそとしている。まだ何か胸元に隠してるのかと思ったが、何も出てくることはなかった。

(ご主人様、あれは下着のズレを直していたのです。男の子である以上は仕方ないと理解していますが、あまり野暮なことは考えず、凝視もしないように。女性は殿方からの視線には一層敏感なものです。年上の女性には細心の注意と敬意を払いましょう)

 思いがけず三ノ女の胸元を注視していたらしい。

 それに気づいた青行灯に諭されてしまった。


「ああ、手土産なんかは必要ないよ。君たちを招くことは家族や使用人には内緒だからね。それにボクの要件を手伝ってもらうんだ。もてなすのはボクのほうさ」

 伝えることは全部伝えたのか、三ノ女は立ち上がった。

「さて、何か質問はあるかい?」

「学園から飛鳥先輩の家までどれくらい時間がかかりますか?」

「学園寮からか……歩きだと一時間弱といったところかな。靴擦れしないように履き慣れた靴にするんだよ瑞穂、舞い上がって気合の入った服を魅せるタイミングは今じゃないよ」

 三ノ女の指摘に顔を赤くする巣南。君の考えなんかお見通しなんだよ、とでも言わんばかりの台詞。お互いのことを深く理解していないと出てこない台詞だろう。巣南はよほど三ノ女に気を許しているみたいだ。

 仲がいいという話は聞いていたが、ここまで主従関係が分かりやすいのは珍しい。

 目の前には勝ち誇った顔の三ノ女と、頬を赤らめ俯きがちになっている巣南という、二人の関係性が良くわかる構図が広がっている。

 巣南はどうあっても三ノ女に頭が上がらないみたいだ。芯の強い彼女からはおよそ考えられない光景。過去、二人の間に何かあったのだろうか。

「大丈夫ですよ、三ノ女先輩。ここまで丁寧に説明してもらいましたからね。明日を楽しみにしてます」

「そうかい。では……また明日。二人が来ることを楽しみにしているよ」

 何か伝え忘れはないかと一瞬考えるそぶりを見せたが、その後はさっぱりとした挨拶を交わして、三ノ女は部室から出ていった。


「じゃあ、私も行くわね。飛鳥先輩を門まで送っていくわ。明日は朝十時に寮の前で待ってるから遅れないように」

 三ノ女を見送ってすぐ、巣南は手早く帰りの準備を済ませていた。そのままオカ研の扉まで歩きだす。

「寄名君、今日は早く寝るのよ。寝坊なんかしたら許さないから」

「ああ、わかってるよ。先輩を待たせるわけにはいかないからな。それに、ちゃんと待ち合わせの時間を言えるようになったんだな。これからは巣南さんのことも待たせないように頑張るよ」

 蒐は文化祭前後の会話を覚えていた。

 その予想外の言葉に、扉に手をかけていた巣南は思わず振り返った。

 赤くなった顔がバレてしまうかと心配だったが、窓を背にした蒐からは完全に逆光になっている。おまけに電気の通っていない放課後の部室は薄暗く、その顔色までは分からない。

「そ、そう。じゃあとりあえずまた明日ね」

「ああ、また明日」

 恥ずかしそうに視線を外した巣南に、蒐は優しく声をかけて見送った。

 仲のいい先輩に追いつこうと走り出した足音が、やけに軽快に聞こえた。

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