10月27日 2

 午後の授業が終わった。丸腰は暗幕を調達するために教室を飛び出していった。巣南はクラスメイトに捕まり、『性転換クラシックメイド書道占い喫茶』の用意に駆り出されている。恐らくしばらくは付き合って上手いこと抜け出してくるだろう。裏方の仕事は少ないだろうから、すぐにオカ研に合流できるはずだ。蒐はすでにメイド服の試着を終えていて、給仕方法やメニューについてもすべて頭に入っているため、特にやることはない。メイド服着用を勧められるのを丁重に断る巣南を横に、こっそりと教室を抜け出した。


 一年生の校舎を裏口から抜けて、学園の北側―――禁忌きんきの山方面―――に歩いていく。校舎の裏口から旧校舎へと続くその道は、校舎からは小高い丘のようになっている。そのため校舎から旧校舎は見えない。なだらかなスロープも伸びているのだが、獣道けものみちと云われても仕方ない程度の舗装である。蒐は迷わずその獣道を歩いていく。毎日歩いていれば自然と道が整うだろうと思い半年経過したが、決してそんなことはなかった。

 しばらく歩くと辺りが少し開けた場所に出る。旧校舎はそこにある。周りには旧校舎を囲むように木が生えている。そのため昼間でも旧校舎は薄暗い。そのまま昇降口に入る。昇降口の靴箱には三つの室内靴が用意されている。蒐、丸腰、巣南の私物である。そして他の靴箱には来客用のスリッパが用意されている。いつ人が来てもいいようにオカルト研究会が用意したものだった。残念ながら使われたことはない。そしてやはり電気が通っていないため建物内は薄暗い。

 旧校舎は三階建てである。一階は職員が使う部屋しか割り振られていなかったようで、各部屋の中にあったであろう備品はほとんど無くなっている。旧校舎が使われなくなってから人の手が入っていないため埃が積もっている。二階と三階も同様であった。二階と三階は生徒たちが一日を過ごす教室が中心となっていたが、今その教室に机や椅子はない。やはり埃だけが積もっている。ではオカルト研究会はどこにあるのか。一階の一番端。用務員や休憩する教師たちが利用する宿直室と呼ばれる小部屋。程よい大きさで寝転がれる座敷もあり利便性のいいその部屋を、オカルト研究会の部室として使っている。定期的に虫よけの薬を部屋の周囲に撒いているため害虫の心配もない。慣れれば過ごしやすい場所である。

 薄暗い廊下を歩いてオカルト研究会の部室に到着した。部室に入ると長机とパイプ椅子。小上がりの座敷、その真ん中にちゃぶ台。いつもと違うのは、昨日巣南が買ってきた蝋燭ろうそく燭台しょくだいが長机の上に置かれていることだった。

 部室に来たのはいいが、一人で作業を開始するわけにはいかなかった。百物語を言い出した巣南すなんの美的感覚に、部室の装飾を委ねることを蒐は決めている。登校する際にも意見は共有するように言われている。ここで蒐にできることと云えば、部室に置いてある百物語の雰囲気にそぐわない備品たちを、外に出しておくことぐらいだろう。蒐は考え出してすぐに作業に取り掛かった。


 長机とパイプ椅子を部室の外に運んだタイミングで巣南がやってきた。空のペットボトルが入った袋を両手に持っていて、小脇に電池式のランプを抱えていた。ペットボトルに水を入れて部室に置いておくことで、火事が起きた際の対策にするらしい。旧校舎は水道が通っていないことを考えてのことだった。ランプは暗幕で部室が暗くなるから、そのための明かり代わりである。発案者だけあって安全性の配慮は人一倍考えているようだった。

 しゅうと巣南は二人で校舎に戻り、水道の水をペットボトルに注いだ。そのまま部室にとんぼ返りする。ペットボトルはかなりの重さで、それだけで汗をかいた。重労働は手伝うと宣言した手前、巣南に負担をかけさせたくなかったため、蒐がほとんどのペットボトルを運んだ。部室に戻ると丸腰が暗幕を持って待っていた。三人揃ったため巣南をリーダーとして部室の飾り付けが始まった。蒐と丸腰は本棚や残りの備品を外へ運ぶ。さらに追加の指示で丸腰は水を入れる和風の器を用意するように命じられ、軽口か文句かわからない言葉を吐いたまま、校舎方面へと消えていった。巣南と蒐は窓を暗幕で塞いだ。外光が差し込まなくなったため部室が一気に暗くなる。巣南が持ってきていたランプで部室内を照らす。思ったより心許ない明かりを頼りに、大量の蝋燭を燭台や行灯に乗せ、部室内に順不同じゅんふどうに配置していく。これらの作業を経て、部室はかろうじて怪談を行うに相応しい様相となった。火を付ければ文句なしの百物語の舞台となるだろう。そこに丸腰が帰ってきた。木製の桶を四つと消火器を持ってきていた。桶は室内の四隅に、消火器は部室を出たすぐの場所に設置した。百物語のための部室の装飾がこれで終わった。暗幕で外の様子が見えないからわからないが、恐らく日は落ちているだろう。

「やっと終わったわね」

 巣南が座敷にへたり込んだ。肩で息をしている。巣南は成績優秀者ではあるが運動神経は並である。かくいう蒐も座敷に座って休んでいた。この男も運動神経は平均的である。お互い慣れない作業をしたせいか、顔に疲労の色が窺える。丸腰はすでに居なくなっていた。

「これは、一日余裕を持ってやるべきだったわね、予想以上に疲れたわ。明日の文化祭がちょっと憂鬱になってきた、午前中は休めないかしら」

「さすがにそれは無理だろ。午前中はちょっと頑張って、昼に少し休憩してから百物語をやればいいさ」

「そうね、それがベストって感じね。それにしても今何時かしら。いつも思うけど、この部室には何で時計がないのよ。いつも時計を持ってこようとして、旧校舎に向かうと何故か忘れちゃう私も私で嫌になるわ」

 巣南は文句と反省を同時に行う。確かに時計はあったほうが便利だと思うが、なぜだか置きたくなかった。部室の窓から覗く日差しを見て、時間を察する感触が蒐は好きだった。この目で夜に切り替わる景色を確認しないと安心できないというのもあった。油断していると視たくないものまで視えてしまう。夜の入り口は蒐が覚悟を決める時間でもあるのだ。

「時計はまあ、いいじゃないか。日が沈んだら活動終了っていうルール、というか暗黙の了解があるんだから」

「それは暗くて周りが見えなくなるからでしょう、時計の有無とは関係のない話だわ。目安としてわかりやすいのはいいとしても、やっぱ時間が確認できないのは不便よ」

「そうだな、うん。考えておくよ。とりあえずそろそろ帰ったほうがいいな。流石に暗くなってきた」

「そうね、帰りましょうか。丸腰なんていつの間にかいなくなってるし、ここでゆっくりしてたら帰れなくなりそう」

 蒐と巣南は立ち上がって帰り支度を始めた。


 蒐と巣南は寮の前まで帰ってきた。オカルト研究会の部室からここに至るまでは会話らしい会話はなかった。完全に日は沈んでいるが、文化祭前日ということもあり学園内はとても活気がある。今も準備にいそしんでいるクラスがたくさんあるのだろう。蒐たちのクラスも教室の明かりが点灯しているのが確認できる。そこまで何を準備してるのだろうか。巣南はそんな蒐の視線に気が付いた。

「まだ準備してるのね、私が出るころにはテーブルの配置は終わってたし、教室の模様替えも終わりが見えてたのに。きっと興奮冷めやらないまま残って騒いでるだけよ、あれ」

「今日は何も手伝ってないから悪いことをしたなと思ったけど、そこまで大変じゃなかったんだな」

「もともと軽食喫茶なんて、大がかりな出し物でもないわ。提供する食事も市販のクッキーやお菓子だし。裏方、飲食、書道占いのスペースを区切った後は細かい道具を揃えて配置するだけよ。忘れ物や心配事なんて文化祭当日にならないとわからないし、深く考えるだけ無駄ね。だから準備に時間はかからないわ。本番もアドリブで乗り切るだけだろうからね」

 巣南は自分の教室を見上げて突き放すように言う。その視線は冷たい。彼女は時折、一歩引いた目線で物事を見るときがある。その時の言葉はとても現実的で冷酷だ。

「なんか、やりたくなさそうな言い方だな」

「そんなことないわよ、戸惑っているだけ。今までこんなに大勢の人と密に過ごしたことなんてないもの。頑張ってみんなとコミュニケーションを取ってはいるけど慣れそうにないわ。一人の癖が染みついちゃってるのね」

 ここではない、どこか遠くを見るような目で巣南は呟く。過去を振り返っているようだった。蒐は巣南の過去を何も知らない。尾咲学園に入学してからのキラキラとした彼女しか知らない。だから時折見せる冷たい、複雑な感情の混じる表情が、その美しい容姿も相まって彼女に深い影を落として見える。

「なるほど、なんとなく巣南さんがオカ研に来た理由が分かった気がするよ。居心地よさそうだもんな」

「なによ急に、人のこと知った気になってるのやめてよね。そんなに居心地よさそうに見えるかしら私」

「見えるよ、オカ研にいるときの巣南さんはいつも、とてもリラックスした表情をしてるからね。教室にいるときより楽しそうだよ」

「地味に人のこと観察してるのね、あまり良い趣味じゃないわよ。それに恥ずかしいから、あまり見るのはやめなさい」

 巣南は恥ずかしそうに顔を赤くしていた。頬に手を当てて羞恥心で上がった体温を冷ましている。そのあとは顔を隠すように吐息で手を温めていた。

「ちょっと暑くなってきちゃった。汗もかいちゃったし、風邪を引いちゃうといけないから先に帰るわね。さよなら寄名君、明日を楽しみにしているわ」

「また明日巣南さん、ゆっくり休むんだよ」

 巣南は最後に微笑んでその場を後にした。蒐も寮の自分の部屋に帰った。


 寮の自室に戻り食事や風呂も済ませた。あとは明日に備えて眠るだけ。だがその前に百物語のネタを仕込まないといけない。このままでは何も武器を持たずに戦場に向かうこととなる。

「とはいえ、ネタには困ってないんだよな……」

 そもそも本当に怪異が視える体質なのである。作り話よりもリアルに怪異譚を話すことが出来るという点では大きなアドバンテージがある。どこか遠く他人事に感じる語られつくした凡庸な話よりも、身近で臨場感があり今までにない切り口で語ることが出来るだろう。しかし困った点があるのも事実だ。

 一つはリアルすぎて怖いどころではなくなる場合。例えば、今まで見てきた怪異の外見や特徴を生々しく語るとして、その醜悪しゅうあくさや気持ち悪さ、目にした時の感想をそのまま語ってしまうと相手を怖がらせるのではなく不快にさせてしまう可能性がある。

 二つ目は感覚が特殊過ぎて引かれてしまう可能性だ。怪異を見た時や気配を感じる時は、怪異の種類にもよるが、背筋が冷える、重力が増したと錯覚する、恐怖で汗が止まらなくなる、背骨をゆっくり抜かれていく等々、気持ち悪い感覚で身体が満たされる。身動きが出来ない状況で、間近でゴキブリを見た時の感覚が一番近いのだろうと思う。それを百物語で伝えるのは何か違う気がする。


 最後は、果たして理解してもらえるのかという点。不快にさせず場を引かせてしまうこともなく話し終えたとして、その内容を理解してもらえなければ意味がない。世間一般に知れ渡っている妖怪話、怪奇譚というものは大衆にウケるようにある程度脚色されているものがほとんどであり、フィクションが多く、体験談ですらないものがほとんどである。蒐のどこかリアルだが非現実的すぎる話は展開が飛躍しすぎていて人によって大きく解釈が分かれそうだ。

 この三点を意識して、今までの体験を伝えるべき物語として新生させる必要がある。

「何の話をするかなぁ」

 蒐は椅子に座り考え始める。もうすぐ消灯時間。物語を作り終えるまで眠れることはなかった。

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