第一章:ドッペルゲンガー

 最初に思い出したのは幼少期の記憶。小学校に上がる直前のころだったと思う。私には両親がいなかった。母親の顔も父親の顔も思い出せない。覚えているのは葬式後の火葬場での出来事。火葬場の駐車場で喪服に身を包んだ人たちが―――おそらくは親戚たちだろう、ほとんどが知らない顔だった―――集まって、難しい顔をして話していたことくらい。いや、話していたという表現は優しすぎる。私を引き取るかどうかで大きな声で揉めていた。

「うちは今度孫がまた産まれるから無理だ、千尋さんのところはどうかね」

「私は息子一人だけで精一杯ですよおばあさん、さらに子供が増えたらとても生活していけない。正孝君のところは今度引っ越すんでしょう?」

 親族のまとめ役のようなおばあさんが、すぐ横にいる妙齢の奥方に提案していた。その奥方は引きつったような笑顔を浮かべながら逃げるように、対面でタバコを吸っている恰幅のいい男に投げかける。

「ほら、せっかく引っ越すんだったらついでに……って言い方は悪いけど、家族が一人増えるのもいいんじゃない」

「勘弁してくれよ、犬や猫を飼うのとは訳が違うんだ。女の子一人育てるのがどれだけ大変か、女性である君が一番理解しているだろうに。そもそも子供がいたなんて初耳だぞ」

 両親は親戚付き合いをしてこなかったらしく、私の存在は認知されていなかった。

 

 私は忙しい両親の帰りをいつも待っている子供だった。忙しそうな母と父を悲しませたくなかったし、負担にもなりたくなかったから明るい子供になっていった。その日は久々に家族三人で出かける日だった。一泊二日の小旅行。久々に母親や父親に甘えられる日になるはずだった。ホテルに向かう車が事故に巻き込まれるまでは。

 私は一人で駐車場の端にポツンと取り残されている。葬式の進行や火葬場の手続等をしてくれた人もいるのだろうが、何も覚えていない。告別式も泣くことはおろか、魂が抜けたかのように部屋の隅で呆然としていたし、火葬場では空に向かって一直線に登っていく煙を只々見つめていた。最初は話しかけていた人もいるような気がするが、生返事すらしない私を気味悪がってか、両親が炭になってからは誰も私に近寄ってくることはなかった。

 

 焼けるような日差しの中で、死神のような黒い服を着ていることに実感が湧かなくて、これが現実なのか夢なのかわからなかった。

 そのあとも話は平行線だったらしい。ああでもないこうでもないと大人たちが責任と無責任を押し付けあっている。幼い私に難しい話はわからなかったけれど、しきりに横目で同情と憐れみの視線を向けられれば嫌でもわかる。


 私は、

 誰からも望まれていない私は、

 あのとき家族と死ねばよかったんだ。


 小さな民宿を経営している遠縁の女性に引き取られた。この女性も両親と同じく親戚付き合いに明るくなかったらしい。女性の名前も民宿の名前も憶えていない。

 息つく暇もなく、火葬を終えた後は引っ越しの準備に追われた。女性は免許も車も持っていなかった。引っ越し業者をすぐに手配して、引っ越し業者のトラックに女性と私も同乗し両親と住んでいた家に戻る。大好きだった家なのに今はもう誰もいない。旅行に行く道での事故だったためか、家は確りと片付けられていた。几帳面な両親だったのだろう、生活した匂いや気配すら残っていなかった。たった数日で取り巻く環境が激変したことを嫌でも告げられているようだった。

 大きな家に住んでいたはずなのに、持っていくものは少しの着替えだけだった。この家の思い出はたくさんあったはずなのに、数えてみれば必要なものは驚くほど少ない。私がこの家にいた証がなくなったみたいだった。入学のために買った勉強机も、部屋に置いていたベッドやおもちゃもすべて不要と言われた。


 後日、私の住んでいた家や家財全てが売られたことを知った。


 民宿は御世辞おせじにも繁盛しているとは言えなかった。そもそも女性は小説家だったらしい。コネも仕事も才能もなく、売れない文章を書き続ける女性は実家から勘当されていた。住む家も金もない、そんな女性が生きていくための選択肢は決して多くはない。身体を売りながら日銭ひぜにを稼ぎ、やがて寂れた民宿にたどり着いた。自分は物書きをしている、大作を作るために集中したい、長期の宿泊をしたいと告げ民宿に泊まることになった。期間は大作を書き終わるまで。身体で宿泊料稼ぎながら売れない文章を書き続けた。まっとうな客商売であれば実績のない小説家を何の担保もなしに泊まらせはしないだろう。


 田舎の海沿いにある小さな民宿は年老いた老夫婦が経営していた。漁師の夫とそれを支える妻が二人三脚で経営するといえば、慎ましやかで穏やかな暮らしを想像するだろう。しかし現実は甘くなかった。行楽地でもないため観光客が訪れることも少なく、地元の住民が泊まりに来ることもない。電車も走っておらず、繁華街からも離れているため交通の面でも不便だった。女性の目から見ても民宿は経営難に見えていたし、事実民宿は経営難だった。まともなサービスもできず、風呂トイレは共同で朝夕の二食付き、栄養はあるのだろうが質素な食事が出るだけだった。そんな民宿に訪れるのはよほどの物好きか、社会から外れた人間だけだろう。そのため民宿側も長期的に利益をもたらす、身元不明自称小説家の女性が泊まることを了承したのだった。


 拙い大作を書き始めて数年が経った。民宿は経営難が続いている。覚えている限り数か月は女性以外の客を見ていない。老夫婦も食事を用意してくれているが、質素な食事が更に貧相になっていった。

 ある日、老夫婦は音もなく消えていた。老夫婦が経営する民宿には従業員がいない。老夫婦に用事があり、朝食の用意がないことは度々あった。過去には丸一日不在だった時もある。しかし予定が入り接客ができないときは、決まって老夫婦からの連絡があった。今回のように連絡もなしに不在になることは珍しい。

 だが女性は、このようなこともあるだろうと事態を楽観視していた。女性はこの数年間で民宿のすべてを熟知していた。老夫婦の住む部屋にも訪れていたし、民宿の備品が置いてある倉庫にも抵抗なく入っていた。食材の仕入れルートさえもすべて知っている。老夫婦のサービスがない時は女性が台所に立ち、自分の食事を用意していた。今回もそのように対応するだけだった。

 しかし数日間、老夫婦の姿が見えないことにさすがの女性も嫌な予感がした。きっと違うだろうと思いながらも、小さな民宿の隅から隅まで老夫婦を探す。だが見つけることはできなかった。

 きっと予定が長引いているのだろう、現実から目をそらすかのように女性は高を括っていた。

 しかし老夫婦は何日たっても帰ってこなかった。その時初めて、老夫婦が夜逃げしたことを悟った。代表者がいなくなった会社は破産の申し立てができない。関係者や近親者がいるだろうかと考えても、老夫婦にそのような間柄の人物を見たことはなかった。

 ここで女性は、自分のことを従業員と偽って民宿の経営権を買い取った。この数年間、社会の喧騒けんそうから離れて自分勝手に好きなことを続けてきた女性は、民宿での暮らしが気に入っていた。民宿が無くなるくらいだったら、自分が経営してやろうと思い立ったのだ。こういった状況を予想してこなかったわけでもない。経営難が長く続いていたのだろう、経営権と言いつつも大した金額ではなかった。


 そしてその直後、女性は遠戚の子供である私を引き取ることになる。

 最初こそ、一言もしゃべらず暗くて気味の悪い私を引き取るのを嫌がっていたが、私の両親がある程度の蓄えと資産を持っていたことを知るととても喜んで引き取ったそうだ。女性は家や資産を全て私に相続する手続きをし、保護者としてその資産をすべて管理した。寂れた民宿は復活こそしなかったが、当面の生活が苦しくなることはなくなったのである。贅沢な生活をしなければ、働かなくてもかろうじて生きていけるほどに。

 女性はまた、決して完成することのない大作とやらの執筆に精を出した。幼い子供がいることなど眼中にないらしい。子育てを放棄したのだった。


 義務教育が始まった。小学校入学から中学校卒業までの私にまともな思い出はない。同居している女性とは理解しあえなかったしまともな会話もなかった。何かを買ってもらったことはない。遊びに行ったこともない。通っている学校の場所すら知らないだろう。

 両親の事故以前の私は活発で明るい性格だった。しかし事故以降の私は正反対の暗く陰鬱とした子供であった。おそらくあの時、活発な私と陰鬱な私は完全に精神が分かれてしまったのだろう。それほど快活だったころの面影がない子供だった。

 そんな私は学校では悪い意味で有名で、そもそもが田舎にある学校であったためか、噂が広まるのも一瞬だった。民宿に住んでいること、親がいないこと、なのに成績が良くて鬱陶しいなど散々なことを言われながら日々を過ごした。楽しい思い出など数えるほどもないだろう。


 ただ、この時期に学んだこともある。一つは、頭が良くなればまともな大人になれるということ。だからこそ、たとえ嫌いな学校であろうと真面目に通い、良い成績を収めることだけを考えた。何もない大人にはなりたくなかった。学力さえあれば、いい学校さえ卒業できれば、両親のような幸せな暮らしができるのだろうと私は信じていた。


 二つ目は、家事をすべて覚えた。炊事洗濯掃除をすべて覚えた。女性は家事をしない。たまに用を足しに部屋の外に出てくるだけで、それ以外は机と向き合っている。おそらく腱鞘炎になっているだろうが、痛みが気にならないらしく一日中執筆作業を続けている。その異常さは引き取られたばかりの私に食事を作らせるほどだった。

 その食事さえも私が女性のもとへ運んでいる。決められた時間に私が用意した料理を食べる以外に会話のタイミングすらない。まともな会話が成立することさえ稀だ。女性の声さえ憶えていない。民宿ではそのような生活を送っていた。そのおかげか家事全般はすべてそつなくこなせるようになり、最初は彼女が管理するはずだった資産も私がすべて管理するようになった。


 最後は容姿について。母親は美しい人だったのだろう、葬式に集まった親戚一同の女性陣はみんな美しかった。例に漏れず執筆を続ける女性も、やせ細ってはいるが美しい容姿をしていた。私もその遺伝子を確実に受け継いでいる。綺麗で艶のある黒髪、大きな二重の瞳、歯並びの整った愛くるしい唇。身体の成長も早く、中学校に上がるころには、私の容姿は幼さの残る顔を除けば大人と大差なかった。中学校に上がると途端に色めき立つ生徒が増える。

 私は告白されることが多かった。

 私をいじめていた男子からも告白をされたことがある。丁寧に断りを入れた次の日、いじめの対象になることもあった。告白を受け入れようが断ろうが、見た目が美しかろうが醜かろうが、私をとりまく環境に変わりがないことも同時に学んだ。私は変わらず、良い成績、良い印象、良い評価を得ることだけを目的として学校に通った。中学校卒業の日が近づくにつれ私はある計画を実行しようとしていた。やがて運命の分岐点に立つ。高校進学だ。


 学校の教師は良い人達だった。家庭環境にも理解があり、品行方正に努めていたおかげか、多くの教師たちの信頼を勝ち取っていた。私はそこで担任や生徒指導の教師に日本で一番の進学校、尾咲学園おざきがくえんに行きたいと提案をした。

 家の資産は私の管理下にあるため、入学費用は問題ない。

 学費に関しては奨学金が適用される成績だった。

 奨学金がなかろうが資産を全て売り払えば学費すべてを賄えるほどの蓄えもある。保護者も理解していると嘘の報告もした。

 そのときの私は今の生活と今の自分を変えるために必死だった。遠方から来る生徒のために学生寮も完備されている学園であれば家に帰る必要がない。現状をリセットするために、

 誰も私のことを知らない環境に身を置きたかった。


 そのあとは順調だった。試験も滞りなく進み、合格発表の日を待った。保護者である女性にも、大した考えもなく近場の高校を受験している学校の同級生達にも、私が遠い新天地で新たな人生を迎える準備をしていることを告げることはなかった。

 結果は合格だった。

 その日初めて夜に外を出歩いた。民宿の近くの海岸沿いを歩く。未来のことを考えるととても清々しい思いだった。

 こんな気持ちは初めてである。表情が徐々に明るくなっていくのが分かる。夜の空に今までの暗い自分が溶けて消えていくのが分かる。鼻腔をくすぐる春先の匂いと寒さの残る冬の景色が折り重なる。季節が変わる瞬間に自分の中の何かが変わっていく実感がある。かじかむ手も吐息の白さも愛おしい。服を着たまま海の中に入る。水にぬれた服は重いが、やけに安心する重さだった。冷たい海水に包まれているはずなのに、やけに温かくて優しい。

 きっと赤ん坊を守る子宮や胎盤とはこういうものなのだろう。


 私、巣南瑞穂すなんみずほという人間は、この日初めて産まれたのかもしれない。


 学園への入学が迫る。入学式の少し前に、民宿から出て学生寮に入る。学園から配布された資料を除けば、寮に持っていくのは当面の着替えだけだった。年頃の女の子ならもっと荷物があるだろうけど、私には年頃の女の子の感性というものがどういったものなのか見当もつかない。カバン一つ分の、驚くほど少ない荷物。幼少期に民宿に引っ越した時から、私は何も成長していないのかと錯覚する。

 決して完成しない大作を何年も書き続けていい気になっている女性と、その女性の生活のために何年も身の回りの世話を続けた私。比べてみればどちらも大差ない人間なのではないのだろうか。私は惨めな気分になった。

 女性についてどうなったかはわからない。高校の合格発表から入学に至るまでの間、会話は一度もなかった。

 私に興味がないのか、現実と妄想の区別がないのか知らないが、頑として机と向き合うことを辞めず、一ページも進まない大作とやらを書き続けてる。まともに育ててくれた覚えがないとはいえ、仮の親に無断で出ていくのはほんの少し心が痛んだ。もう会うことはないだろうと考えながら『寮に入ります』と書置きだけしてきた。

 私がいないと生活もできないどうしようもない人だったけれど、住んでる家から子供が消えれば流石に気づくだろう。今まで生活の手助けをしてくれた人間がいなくなれば、否が応でも生きるために現実を直視するはずだ。家事もできず資産をすべて失った女性が、どうやって生活していくかはわからない。

 まったく、まともに働きもせずいい大人が時間ばかりを無駄にしている。全ては彼女の招いた事態、自業自得だ。私は女性のことを考えるといつも感情的になる。やはり、ひどく惨めだ。


 高校生になった。暗く惨めな私など最初から存在しなかったかのように、私は明るくなった。私を知っている人はいない。寂れた民宿で惨めな生活を送っていたこと、ずっといじめられてきたことを知っている人はいない。

 両親が死ぬ以前の明るく活発で快活な自分に戻ることができた。積極的に周りの人に話しかけた。成績が優秀で見た目も悪くない私はすぐに人気者になれた。今までの自分が嘘みたいだった。友達もすぐにできた。親友と呼べる人はまだいないけれど、毎日の生活を楽しいと思えるのは初めてだった。

 好きな人ができた。彼は寄名蒐よしなしゅうという同じクラスの大人しい男の子だ。文学少年然としているがとても整った顔立ちをしていると思う。成績も運動神経も平均的で目立つタイプではないが、纏う雰囲気からとてもやさしい性格というのが分かる。

 彼は友人とオカルト研究会という少し変わった活動をしているようだった。私は積極的とまではいかなくても彼に話しかけるようにし、ついにオカルト研究会に入部することになった。


 やがて秋になった。楽しい日々が続いている。今日は文化祭だった。オカルト研究会の出し物として百物語ひゃくものがたりを提案した。生徒や一般の客を呼んで、その人たちの身に起きた怖いことやメジャーな怪談などを話してもらうのだ。結果は、目論見とは少し違うが大成功だった。思い出に残るとても楽しい一日になった。

 本当は文化祭が終わってから彼に告白するつもりだった。しかし百物語の演出を施しているオカルト研究会の部室は、暗い暗幕や滴る血を模した装飾、たくさんの蝋燭ろうそくを床に配置しているなど、色恋が起きるような空間ではなかった。どうしてもそのような雰囲気にならずタイミングを逃してしまった。恋愛経験が皆無な私には恋愛はスピード勝負だということがわからなかった。今日という日は二度と訪れない。でもチャンスはまだある。今はぎこちない恋心を楽しもうと思いながら文化祭を終えた。


 寮に帰ってきた私は部室に忘れ物をしたことに気づく。文化祭の翌日から学園は休日に入る。休日の学園は施錠されてしまうため入ることができない。

 今すぐ必要というわけではなかったが、それが忘れ物を取りに行かない理由になることもなかった。文化祭の熱で浮かれていたのだろう、私はまだ今日という一日を終わらせたくなかった。

 今まで一度もイベントというものを経験したことがない私には、文化祭は本当に楽しかったのだ。寮から学園は同じ敷地内のためそれほど遠くない。私は学園に向かうことにした。

 日中は活気と賑わいを見せていた学園であったが、夜は真逆の姿を見せるらしい。明りはおろか、人の気配さえも皆無である。

 自分の足音が大きな校舎に反響している。それだけで年頃の女の子を怖がらせる舞台装置としては十分だった。懐中電灯を持ってきていないことを後悔した。一日中怖い話をしていた影響もあるだろうか、次第に速くなってきている鼓動を感じる。

 背筋が凍るほどの深い闇と静寂。無意識に早足になる。早く忘れ物を取りに行って部屋に戻ろう。それだけを考えて夢中だった。早足は小走りに、やがて駆け足になっていた。もうすぐオカルト研究会の部室につく。部室についたら私は扉を開け―――


「目が覚めた?」

 長い夢から現実に引き戻される。目の前には私が佇んでいる。

 あぁ、そっか……

 私はずっと、走馬灯を見ていたんだ……

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