大卒のオジーレン
神戸大学卒業から18年後。大阪のパン工場。
オジーレンは、秘伝のパンレシピを収集するため――アルバイトとして働いていた。
「……まだ3年か」
その日は給料日。給与明細の勤務年数が示すのは、オジーレンが働き始めてから――いつの間にか3年の月日が経過していたという事実だった。
「何いってるんですか先輩。3年は長いですよ」
オジーレンの独り言を聞いていたのか――後輩がぼそっと小声で言った。
オジーレンは後輩のツッコミを聞いているのかいないのか、どこか遠くを見つめている。
そして2人で業務開始の準備をしていると、やけに機嫌が良さそうなリーダーがやってきて、オジーレンに話しかけた。
「よう、オジーレン! 今日は待ちに待った給料日だな。仕事が終わったら、みんなで飲みに行こうぜ」
「別に……オジーレンは給料日なんか楽しみにしてないで」
「……」
オジーレンがリーダーに答えると、気まずい沈黙が両者の間に流れた。
「あ、リーダー。そいつ誘うのは辞めといたほうがいいですよ」
オジーレンとリーダーの会話に割って入ってきたのは――彼らより一回りも二回りも若い後輩だ。
「後輩くんは、どうしてそう思うんだ?」
「そいつ副業してるらしいし――どこか俺たちと違うんす。オジーレンに俺たち底辺の気持ちはわからないですよ」
後輩はオジーレンと価値観の違いから、幾度も言い争いを経験し、彼らの間にはお互いに『こいつは理解不能だ』という一つの確信が存在していた。
オジーレンはその態度に腹をたてるわけでもなく無表情で立っていたが、そのうち口を開き――反論のようなものを語り始めた。
「イヤッ。オジーレンの趣味は人間観察やねん。他の人の気持ちを理解するのは得意やで」
オジーレンの言葉を聞いたリーダーと後輩は驚いたような表情を浮かべ――顔を見合わせた。
「オジーレン」
リーダーは再びオジーレンに向き直ると、諭すように、あるいは冷たく見放すように言い放った。
「その発言がもう、人の気持ちを理解してないんだよ」
***
オジーレンは、店番をしながら考えていた。
『オジーレンは人の気持ちがわからない』
会社の人達に何度も言われた言葉を思い返す。
オジーレンは、人の気持ちを理解するのは得意だという自負があった。
そればかりか――人間観察を極めすぎるがあまりに、人の心を読む魔法を習得したとまで思い込んでいた。
(周りの人間は何もわかってへん)
オジーレンが心の中で憤っていると、店のドアの鈴が鳴り、一人の女子高生がお店に入ってきた。
「いらっしゃいませやで」
オジーレンが女子高生に挨拶をすると目があって――彼女はオジーレンに対し軽く会釈をした。
(あの女子高生の気持ちを透視するで)
オジーレンは集中すると、女子高生の思考をトレースし始めた。
『あの店員さんかっこいい。お付き合いしたいな』
オジーレンの魔法によって、確かにそう――女子高生の心の声が聞こえた。
(見えたで。あの女子高生はオジーレンと付き合いたがってるんや)
妄想に歯止めが効かなくなったオジーレンはニヤけを抑えられずに女子高生に話しかけ始めた。
「ぶっちゃけ見た目はそんな好みやないけど、付き合ってやってもいいで」
「え?」
まさか店員が話しかけてくるとは思わなかったのだろう。不審に思う女子高生に対して、オジーレンはカウンターを飛び出しにじり寄っていく。
「オジーレンのこと見てイケメンだと思ってたよな?」
「思ってないです。やめてください!」
オジーレンと女子高生が言い合っていると、店の奥から慌てた様子で後輩が現れた。
「ちょっと何やってるんすかオジーレン先輩!」
「イヤッ! お前らオジーレンが女子と上手くいきそうだからって邪魔すんなや!」
暴れるオジーレンを後輩が――なんとか必死に押さえつける。
「もう許さへんお前ら! 服従させる魔法を使ったる!」
オジーレンがそう叫ぶと、オジーレンの手に天秤が現れた。
「お前らわかるか? これは『服従の天秤』――天秤に自身と対象の学歴を乗せて測って、学歴が高い方が相手を半永久的に操れるようにする魔法や」
「オジーレン! 馬鹿なことはやめるんだ!」
リーダーも騒ぎを聞きつけやってきて、オジーレンを止めようと必死に叫ぶが、オジーレンはもう止まらなかった。
「お前ら高卒共は全員おじの操り人形にしたる!
オジーレンが魔法を発動すると、オジーレンの身体から学歴が浮かび上がり
――天秤の片方へと置かれた。
続いて、後輩の身体からも学歴が浮かび上がると――天秤の反対側へと置かれた。
オジーレンは勝利を確信し、勝ち誇った顔で後輩の顔を見た。
しかし、後輩の瞳は死んでいなかったのだ。
「オジーレン。学歴を天秤に乗せたな?
……お前が自分の学歴に自信を持っていてよかった」
普通ならば高卒の後輩は絶対に大卒のオジーレンに勝てるはずがない。
「なっ、なんでや? 天秤が高卒の方に傾いていくで――!?」
「お前は見誤ったんだオジーレン」
「あ、ありえへん! おじは新しくパン工場に入ってきた奴は全員高卒だって
――夜中に事務所に忍び込んで履歴書まで確認したはずやのに!?」
「そうだ。履歴書にも書いてないんだ」
「ま、まさか……」
ここに来てオジーレンは一つの可能性に至ったようだ。
「そのまさかだよ。俺は東大卒。学歴を詐称していたんだ」
「そっ、そんなアホな! オジーレンの人間観察によればお前の言動はすべて高卒! わずかな大卒の片鱗さえ見せへんかった!」
「苦労したよ。高卒のフリをするっていうのも」
「なんでそんな馬鹿なことを!?」
「そうだな。馬鹿みたいだ。でも、お前に勝てる」
天秤は後輩の学歴の方に完全に傾き、今――勝者は明らかになった。
同時にオジーレンの瞳はその輝きを失い、身体から力がふっと抜けていく。
服従状態になったオジーレンに対し、後輩はその引導を渡した。
「オジーレン、自害しろ」
DEAD END
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