第27話 彼女の宣戦布告

夜になっても、パトカーや救急車などのサイレンの音は鳴りやまず、教室の窓の、遠い向こうで響き続けていた。「死への行進」に参列する人々は、SNSに写真で拡散された、沙耶の怨念を込めた「邪印」の力で、この周辺でも増え続けているようだった。

夜、学校の一角の教室を用いて、教育委員会による緊急会合が開かれていた。そこには、校長や教頭、教員、委員会の役職のある保護者らと共に、放課後の学校を震撼させた、あの女子生徒の錯乱事件の、一部始終の目撃者となった茜と、椛の二人も同席させられていた。

自分の学校の生徒であり、地元の名家としても有名な柊木家の娘である柊木沙耶が、ネット上で、他人に自殺の教唆を行っていたというだけでも大事件である。しかし、そればかりか、血晶の「聖刻」だの、「邪印」だのという現実離れした話を聞かされ、沙耶はダイレクトメールに自分の「邪印」の写真を送り付けた。そして、血晶を源とした邪悪な力で、写真を見た女子生徒を操り、あの自殺騒動を起こさせた、などという話を、茜、椛の二人から聞かされたのだから、教育委員会の保護者ら‐その中には、委員会の重鎮でもある、椛と、沙耶の両親の姿もあった‐も、教員らも一同、理解が追い付いていない表情だった。

「す、すると、君たち二人が言ってるのが悪ふざけでも与太話でもないとするなら・・・、本当に、その、流行っている宝石の「血晶」とやらには人の心を操作する魔力があって、その力を悪用して、今日の学校での事件だけでなく、人々を自殺に走らせてるっていうのか・・・?本気で君は、そう言ってるのか・・・?」

校長は、長机に肘をついて、禿げた頭を抱え込み、そう言った。憔悴しきった表情で、更に、およそ現実とは思えない話を聞かされ、混乱するしかない様子だ。

椛は、教員たちにも、自分と茜の血晶が変形する瞬間、操られた少女から邪気を吸収し、浄化する瞬間を見られた以上は、もう全てを打ち明けるつもりでいた。

校長に向かって、椛は話す。

「先生は、今日あった事、ニュースで流れている光景を見た上でも、まだ僕と穂波さんが、出来の悪い作り話をしているとでも思われますか・・・?沙耶が大変な事件を起こしているのは事実なんです。SNSで、「邪印」の力を無尽蔵にばら撒いて、世間の人々を洗脳して、自殺へと追いやっています。それを止めるには、沙耶の「血晶」を破壊して・・・、憎しみの源から断ち切るしかない」

周囲では、「信じられない・・・」「こんな話、明日、何と言って保護者会でも発表すればいいんだ」「傷害事件を起こした女子生徒は魔法の力で操られていました、なんて発表出来る訳ないだろう」などと、「血晶」の魔力によって起きている、この現実を未だに受け入れられない大人達の、ひそひそと話す声が聞こえてきた。

沙耶の「邪印」の力で錯乱した女子生徒に、頭部を殴打された養護教諭は、頭部外傷で重態ではあったが、一命は取り留めたとの事だった。また、沙耶に操られた女子生徒は、浄化された後、昏睡状態のようになって、まだ目を覚まさないという。

あの一件を見ても、沙耶の行動はより大胆不敵に、過激さを増してきている。彼女を止めて、この地獄を終わらせるのに、最早一刻の猶予もない。

「ひ、柊木さん・・・、貴方がたはどうですかな。霧島と、穂波の言っている話を信じますか。貴方がたの娘さんが、不思議な魔力のようなものを使って、人々を操って、自殺へと追いやっている。今日の、女子生徒の錯乱と、傷害事件も彼女が生徒を操って起こした、という話を信じますか」

校長の横に座っている教頭が、額に滲んできている冷や汗をハンカチで何度も拭きつつ、恐る恐る、沙耶の両親に尋ねた。沙耶の両親‐柊木夫妻は、委員会の中でも発言力を持っている重鎮で、教頭と言えど、うかつに物を言えない相手だ。ましてや、今回の話の流れでは、二人の娘の沙耶が、世間を大混乱に陥れている「集団自殺」の発端となった、いわば「犯人」であると椛が主張しているのだから、教頭が萎縮した様子なのも無理はなかった。

話をふられた沙耶の両親は、二人共絶句した様子で、いつもの尊大さは何処かへ吹き飛ばされて、全身の血を抜かれたかと思う程に蒼白な顔色だった。まだ、この緊急会合が始まってから、夫妻は一言も発していない。椛の両親も沈痛な面持ちで、沙耶の両親を見つめている。

やがて、沙耶の父親が口を開く。

「沙耶が、ネットで、赤の他人に自殺を唆していたという話だけでも、私も妻も衝撃を受けているし、本当はまだ受け入れきれないでいるんです。ましてや、血晶?の魔力なんて非現実的なもので、沙耶が、これだけの事件を起こしていると言われて、私達がすんなりと信じられるとお思いですか?」

普段の尊大さはなく、言葉をつかえさせながら、怒りをこめた声で彼は言った。

先日の警察署での、椛の話で、「沙耶がネット上で自殺教唆を行って、他人を死に追いやっている」と聞かされた時も、沙耶の両親の衝撃と動揺は相当な物だった。ましてや、これだけの大混乱を社会に引き起こしている「集団自殺」の元凶にも沙耶がなっているという事実を、彼女の両親がすんなりと受け入れられる筈もなかった。

沙耶の母親も、口火を切った。

「私だって、そうです。沙耶が、社会への復讐だなどと言って、一部のネットでの知り合いに自殺を唆していたという話だけでも信じ切れていないのに、こんな、沙耶が、血晶の魔力で人を操って、あれだけ沢山の人を自殺させているなんていう荒唐無稽な話を聞いて、はいそうですか、なんて信じられる訳ないでしょう?こんな話を信じて、私達を、大量殺人鬼の親にしたいんですか?」

二人の怒りの滲み出た反応に、教頭は「いえ、そんなつもりは、私どもには決してありません・・・!」と言いながら、あたふたするばかりであった。

そして、その怒りは間違いなく、椛にも向けられていた。沙耶が血晶の魔力で人を操って、集団自殺を引き起こしているという話をしてからずっと、沙耶の両親の鋭い視線が自分に突き刺さっているのを、椛は感じていた。

どうして私達が、「殺人鬼」の親扱いされなければならないのかという、追い込まれた沙耶の両親の、やり場のない怒りの矛先に、自分がされている事を。

沙耶の母親は、なじるような口調で、言葉を続けた。

「大体、血晶が魔法みたいな力を持っていて、それで人の心を自由に操れるなんて御伽話みたいな事、椛ちゃんと、穂波さんが言っているだけでしょう。私達の娘を殺人鬼扱いする前に、そんな現実離れした話を平気でする二人の正気を確かめた方がいいんじゃないでしょうか⁉」

椛の隣の席で話を聞いていた茜も、その言葉が飛び出した時には、流石にもう黙っていられないという様子で、声を上げた。

「ちょ、ちょっと待ってください!私も椛も、嘘なんて言っていません!本当の事なんです!」

茜の声に、沙耶の母親は鋭い視線を二人の方へと向ける。

「大体、私は、あの夜に警察署で話を聞いた後だって、本当は貴女達の話を信じてはいなかったわ。私達の沙耶が、人を傷つけたり、人を自殺に扇動したりする筈がないもの。あの時だって、沙耶を貶める為に、お巡りさん達にもあんな作り話をして、嘘をついたんでしょう!」

沙耶の母親は追い込まれた末に、完全に冷静さを無くしていた。恥も外聞も捨てたように、大声を出す。

自分の娘を嘘つきとして面罵された事に、椛の両親も声を上げる。

「待ってください、柊木さん、一旦落ち着いて!私達だって、おおよそ信じられない

話ですが、うちの娘と穂波さんの話の全てを、二人のただの作り話だと決めつけるのは違うのではないですか!二人の話も聞いてあげなくては・・・」

そう言って、どうにか宥めようとした椛の母親にも、沙耶の母親は、椅子から立ち上がって、声を荒げて反論した。

「これが落ち着いていられますか!沙耶を大量殺人犯扱いしてるんですよ、お宅の椛ちゃんと、あの穂波さんとかいう娘は!この前の警察署での二人の話だって、私はずっと、そんな事を沙耶がする筈ないって疑っていました。穂波さんと椛ちゃんがどんな関係かは、私の知った事ではないですが、二人に虚言癖がないかを確かめた方がいいんじゃないでしょうか?」

喚くようにそう言う彼女は、「よさないか!はしたない」と沙耶の父親に宥められ、何とか椅子に再び腰を下ろすが、その目はまだ、やり場のない怒りを内包したままだった。

椛と茜の周りで、険悪な空気が広まっていた。沙耶の母親が、先日の一件から抱いていた、椛への不信感が爆発したようだ。彼女は事実を受け入れられずに、椛と茜が嘘をついて、沙耶を貶めていると怒りをぶつけてきた。椛の両親も、娘に虚言癖があるのではなどと言われたのだから、次第に沙耶の両親に対する目線が険しくなってきていた。完全に、話が霧島家と柊木家の、家と家が対立する構図になりつつあった。

学校側の人間も、地元の名家同士の衝突に、口を挟む事も、何も出来ない状況だった。

『今は家同士で喧嘩している場合じゃないのに・・・』

椛は、現実から逃げ回って、自分と茜に怒りをぶつける事しか出来ない沙耶の両親への苛立ちを懸命に堪える。机の下に隠した手を握りしめて、爪を掌に食い込ませる。

ここで、自分と茜が嘘ではないと、血晶には本当に魔力があるのだと、沙耶の両親にいくら言い聞かせても、尚更、特に沙耶の母親は怒りを加熱させ、取り乱すだけだろう。しかし、このままでは、大人達は、社会を壊そうとしている「集団自殺」が沙耶の力で起こされている事を認めないまま、終わってしまう。

この期に及んでも、大人達は誰も、二人の味方に立ってくれる者はいないようだった。

「それなら・・・、あの子が混乱して、先生を襲ったのを見ていた先生方は、どう考えますか⁉先生方は、あの場面を見ても、血晶に魔力があるんだと信じられませんか?」

椛は、あの女子生徒が錯乱した場面に居合わせた教員らにも、意見を仰ぐ。

しかし、彼らから返ってきた答も、役に立つものではなかった。現場に居合わせた一人の、年配の男性の教員が答えた。

「あれは・・・、あの時、あいつが落ち着いたのも単なる偶然だろう。やはり、邪印だか何だか知らないけれど、只の石ころの血晶に人を操るなんて力がある訳ない。何か刃物みたいな物を霧島が突然取り出したのも、きっと何かのトリックを使ったんだ。そうだろう、霧島?」

椛は、その返事に愕然とした。あの場を目撃していた大人達さえも、「ただの偶然」だの「トリックを使った」だのという言葉で、理解を越えた現象を解釈し、片付けてしまおうとしていた。大人達は、「常識」、「科学的にあり得るか」という枠組みに囚われ、その枠に収まりきらないものに対しても、何か無理やりに理屈をつけて、どうにか押し込んでしまおうとする事を、椛は知らされた。

沙耶の母親は、教員の言葉に乗るようにして、椛を攻撃してくる。

「そうよ、放課後の事件だって単なる偶然。血晶なんてあんな石ころも、ましてや、うちの沙耶も関係ないわ。きっと、錯乱した生徒は元々頭のおかしい子だったのよ。突然に落ち着いたのも、血晶の魔法の力なんかじゃない」

まずい・・・と、椛は手を更に握りしめる。大人達は、椛と茜の訴えを取り合わずに、「二人が作り話をしている」と決めつけて、話が動いている。

沙耶の母親は、更に口調を強めて、言葉を続けた。

「うちの沙耶をなんで、椛ちゃんがそんなに貶めたいのかも分かったわ。きっと、沙耶の事が気持ち悪かったんでしょう。同性なのに、一方的に恋心を持たれたから。そうに違いないわ。あんな馬鹿げた作り話までして、沙耶を狂った殺人鬼に仕立て上げようとして」

沙耶の事が、気持ち悪い・・・?そんな事は、椛は思った事などない。沙耶の思いを断ったのは自分の信条によるものであって、彼女を忌避した訳では決してない。沙耶の事も、彼女の椛への思いも「気持ち悪い」などと思った事は一度もなかった。

だから、椛は思わず、沙耶の母親に対して声が大きくなる。

「沙耶のお母さんは、昔から知っているし、よくしてもらった人だから、喧嘩はしたくありません・・・。だけど、これだけは言わせてください。僕は・・・、沙耶に対して、そんな気持ちは持った事ない!沙耶の告白を、気持ち悪いだなんて・・・!!告白は断っても、ずっとあの子は僕の大切な幼馴染です!」

そして、こう付け加える。沙耶の両親が恐らくは抱いているであろう感情の、その核心を貫く心持ちで。

「女同士で告白なんかされたんだから、気持ち悪いと思うのが当然だと考えている、沙耶のお母さんこそ、沙耶の事を気持ち悪いと思ってるんじゃないんですか⁉沙耶が家から飛び出して行った日、貴女と沙耶のお父さんの二人が言っていた事、それに、警察署で、沙耶に僕と茜が襲われた話をした時の、貴女方二人の反応。それらを思い出しても、僕には、そうとしか思えません」

「椛、いい加減にしろ!!家同士で親交を続けてきた柊木家のご夫妻に向けて、何と言う無礼なことを!謝りなさい!」

椛の父が、ガタリと音を鳴らして椅子から立ち上がり、椛の言葉を制するように怒鳴った。しかし、自分の家と、柊木家の家同士の付き合いの事など、今はもうどうでも良かった。大切なのは家などではなく、沙耶の名誉を守る事だ。

沙耶が、同性を愛する人間である事を打ち明けられる家だったなら、両親が沙耶を尊重して、味方に立ってくれる家であったなら、沙耶は、死を望まなかったかもしれない。結果的に家も学校も、椛も茜も恨んで、半ば憎しみを片端からぶつけるような社会への報復に走りはしなかったかもしれない。今も、椛の傍で笑顔で歩いていたかもしれないのだ。

これ以上、沙耶の名誉が、追い打ちのように傷つけられていくのは見たくなかった。それを傷つけるのが、沙耶の両親であろうとも。

「いいえ、父さん。僕は謝りません、父さんにいくら命令されようと。あのお二人は、沙耶を理解してこないままに、無自覚な言葉で傷つけてきて、沙耶が本当は同性愛者である事を知ったら、頭がおかしいと罵ったんです。僕じゃなく、あのお二人こそ、沙耶を貶めている」

「なんだと!!」

いくらか冷静を保っていた沙耶の父親も、椛の言葉に、堪忍袋の緒が切れたように、声を荒げた。

この状況で、教員らは、椛と沙耶の両親の衝突に、周りで狼狽えているばかりで全くの役立たずであった。

「古い付き合いの霧島家の娘だからと言わせておけば、図に乗って!!じゃあ・・・君は、あの沙耶が何もおかしくないというんだな!勝手に君への恋心を拗らせた挙句に、君への執着から犯罪紛いの盗聴までやっていたような、あんな子をまだ庇うんつもりなのか!!それじゃあ、君も狂ってる!」

その言葉に今まで、沈黙を保っていた椛の母親も声を上げる。

「ちょっと待ってください!いくらお怒りであるとはいえ、狂っているとはなんという言い方です!私達は、霧島家の人間として恥ずかしくないよう、椛を全うに育ててきたつもりです!狂ってるなんて言われる筋合いはありません!」

負けじと沙耶の父親も言い返す。

「その全うに育ててきた結果がこれですか!霧島の家には本当に、失望させられましたよ。私達を公然と侮辱するような子が全うだとは!」

椛を置いてけぼりにして、家同士の罵り合いになっている。こんな事をしている場合ではないのに、大人ではない、曖昧な立ち位置の自分に、それを止める力はないのが歯がゆい。


しかし、現実を否定して、浅ましく逃げ続ける大人達のこの醜い内紛は、皮肉な形で突如、休戦させられる事となった。

椛のスマホに、着信が入った音が鳴る。

「え・・・?」

スマホを、不審に思って椛は手に取る。今、両親と、それに茜はすぐ近くにいるのだから、この3人からではない。最近、茜以外の同級生とは、スマホでの連絡も殆ど取り合ってはいない。こんなタイミングで、かけてくる人物と言えば・・・。

そこに表示されていた発信主の名に、椛は息を呑む。

「柊木、沙耶・・・。それも、アプリのビデオ通話になってる?」

椛が口にした、着信画面の名前に、混乱を極めていた、緊急会合の場は、一瞬にして静まり返る。

「い、今、なんていった?沙耶からの、電話・・・?」

大喧嘩の一歩手前だった沙耶の両親が、固まって、椛の方を向く。椛は頷く。

あの森林で、血晶で武器を形成する沙耶に襲われてから、顔を見るのは、画面越しにも初めてだった。画面に触れる指が震えてくる。

通話画面を開くと、クスクスという、女の笑い声が聞こえてきた。

「久しぶり・・・という程でもないかしらね。椛。それに、どうせあの女・・・、茜も隣にいるんでしょ?何だか・・・見えた範囲だと、随分と人が多いところにいるのね」

その声をより大きく響かせる為に、画面の下のスピーカーのマークを指で押し、音量を最大限にする。

画面の向こうは薄暗い。薄っすらと見える光景からは、座席の影や窓などが見えて、暗い車内にいるように思われた。

そして、その中に沙耶の姿が映る。まず、驚いたのは、髪の色が、色素を抜いたように銀白色になっていた事だった。

「・・・髪が白くなったね、沙耶。それに、失踪中の身にしては、随分といい服を着ている。それも、あの紅羽とかいう君の仲間の物かい?車の中みたいだけど、その分だと、紅羽に車も提供してもらってるんだ」

「ええ・・・、ご明察の通り、ここは紅羽の車の中。家出中だけど、彼女が、私の必要なものは全部与えてくれるおかげで、私は、自分の使命に没頭できる。覚醒した邪印の力を使ってね。この髪は、その時に色が変わった」

胸に焼け付くような痛みを感じる。そっと制服の上から触れると、「聖刻」のある場所の肌に触れている血晶が、熱を発している。画面越しでも血晶が警告を発する程、沙耶の「邪印」が秘めた邪気は強烈で、濃くなっていた。

「な、何だ、この冷気は・・・」

教員も、保護者会の人々もぞっとした様子で、腕を摩り始めた。血晶と何の関係もない彼ら、彼女らも分かる程、沙耶の出現で空気は一変した。

「君の使命っていうのは、あの、社会を騒がせてる、集団自殺の事・・・?」

「ええ、そうよ。もう、私が作り出した、あの美しい景色を、椛には堪能してもらえたかしら?皆、この汚い世界からサヨナラをしていったわ。中には、自分を差別して、苦しめた人々を死ぬ前に、復讐で手にかけてから、命を絶った人もいた。私のおかげで、苦しんでた人達は皆、最後は笑顔でこの世界にサヨナラを告げていったわ」

椛は、机をがんと拳で殴る。その音に、隣で、茜がビクリと体を震わす。

「君が今、目の前にいなくて良かったよ・・・。もし、君がここにいたら、僕は・・・、今の言葉を聞いたら、君を殴っていたかもしれない。僕が、最も嫌い、憎んでる事を平気で続けている君をね」

沙耶は、明らかに椛が怒りと、苦痛を感じるのを見て、楽しんでいた。うっとりとした様子の声で言う。

「ああ・・・、いいわ、その表情。ビデオ通話越しなのが勿体ないけど。私の為に苦しみ、怒り、私の事を考えずにはいられないでいる、今の椛が好き・・・」

愉悦に浸ったように、沙耶は言う。

画面を見ていた椛の前から、スマホが瞬時にして消えた。スマホを取ったのは、沙耶の両親だった。血相を変えて、二人は、画面に映る沙耶に話しかけている。

「沙耶・・・!どうしたんだ、その髪の色は。早く、そんなところにいないで、うちに帰ってきなさい!!」

「そうよ!ねえ、沙耶!私達に言って。沙耶が、沢山の人達を操って、死に追いやってるなんて、そんなの嘘よね?霧島さんと穂波さんがぐるになって言ってるだけの、下らない作り話よね?お願い。全部、嘘だって言って、沙耶!」

しかし、二人の必死の呼びかけに対して、スマホから返る、沙耶の声は、うって変わって、冷ややかだった。

「何だ・・・、どういう集まりでそこにいるのか知らないけど、折角椛と話していたのに。貴方達にもう、用はないの。さっさと消えてくれる?」

「沙耶、いいから答えなさい!貴女が、不思議な力で、人々に集団自殺をさせているなんて話は・・・」

「本当の事よ。そこに椛もいるなら、聞いたでしょう、私の血晶の力で、私は、この世界に絶望してる人達に死の救済を与えてあげてるの。皆、喜んで自殺していったわ」

沙耶の両親は、冷え切った沙耶の声で返される内容に、表情を強張らせる。

沙耶の母親が、泣き出しそうな顔で、椛のスマホに向かって叫ぶ。

「な、何を馬鹿な事言ってるの・・・!沙耶、悪い冗談はやめなさい!!」

「・・・悪いけど、私はもう、貴女達のお説教を聞く気はないわ。私が見たいのは、この醜い社会が崩壊していく様と、それを見て絶望し、もがき苦しんでいる貴女達、そして、椛や、穂波茜の顔だけ」

沙耶の父親も、画面の向こうにいる沙耶を怒鳴りつけた。

「いい加減にしないか!!こんな、悪ふざけを止めて、さっさと帰ってきなさい!そして、お前が、もしも本当に、霧島さんや穂波さんの言うように、差別をしてくる社会への復讐なんていう理由で、自殺を赤の他人に唆したのなら、ちゃんとその罪を償うんだ!」

しかし、二人がいくら、親としての言葉をぶつけても、沙耶には全く効いている様子はなかった。返ってくるのは、彼女の乾いた、冷たい笑い声だけだった。

「帰る・・・?あの柊木の家に?そちらこそ、ふざけた事を言わないでよ。あんな、私をずっと抑圧してきただけの牢獄に、今更自分から入るような馬鹿な真似、する訳ないでしょう。同性である椛を愛しただけで、私を狂人扱いするような、あんな家に。それに、まだ誤解があるようだけど、私は死を、誰にも強制したりなんかしてない。私はそっと、血晶の魔力で背中を押してあげただけ。私と同じようにこの世界に苦しんで、嫌気が差していて、サヨナラしたいけど、最後の一歩が踏み出せないでいる人の背を押して、進ませてあげただけよ。皆、最後は自分の意思で死んでいった・・・。まだ信じられないなら、私の力、父さんと母さんの二人にも見せてあげようか?」

椛と茜は、横から、沙耶の両親が見ているスマホを覗き込む。

すると、沙耶が、ブラウスのボタンを上から外していくところだった。瞬時に沙耶が何をしようとしているのか悟った。あの服の下、沙耶の胸元に刻まれているものこそは・・・。

「柊木さんのお母さん、お父さん。スマホから離れてっ!」

その声を上げたのは、茜だった。茜は、半ば、沙耶の両親を押しのけるようにして、スマホの画面に血晶をかざした。茜の血晶がかざされるのと、画面の向こう・・・車内の暗闇の中、沙耶の白い胸元の肌の上に、雪原の上に一滴の墨でも落としたように黒く刻まれている「邪印」が現れるのは、ほぼ同時だった。

次の瞬間、

「きゃあっ!!」

教室内の全ての物を紅く染め上げる程の、紅い閃光が迸った。茜は血晶諸共に、弾き飛ばされる。

「大丈夫⁉茜」

茜が机に頭をぶつけそうになった、危ういところで、椛は、彼女の背中をしっかりと受け止めた。先程の紅い閃光に、教室内の皆が・・・、椛の後ろにいた、沙耶の両親も、茫然自失といった表情で固まっていた。

「な、何だったの・・・今のは・・・?」

沙耶の母親がそう呟く。椛の腕の中にいた茜が、手を押さえて呻く。

「痛い・・・!」

茜の右の掌に、紅く火ぶくれが出来ていた。彼女が、沙耶の両親を守ろうとして、血晶をかざしていた手だ。

床には、茜の「樹枝六花型」の血晶のネックレスが落ちている。その血晶を見た時、椛は驚愕した。

その真紅の宝石の中には、漆黒のもやが渦巻いていて・・・、それが消え去った時、茜の血晶に、今度は大きな亀裂が走った。

「私の血晶が、割れてる・・・!」

茜は、悲痛な声を上げて、まだ熱を残しているらしい血晶を拾い上げた。かろうじて形は保っているものの、刃物で切りつけたように、彼女の血晶の表面には、斜めに一筋の大きな亀裂が走っていた。椛は、手の先に意識を集中して、茜の掌の上の血晶に触れてみる。

「血晶の魔力が、殆ど無くなっている・・・!!まさか、沙耶と対峙したあの瞬間だけで、ここまで力を消耗して、破壊される寸前までになるなんて」

椛は戦慄が走った。たった一度、沙耶の「邪印」の力が発動するのを食い止めようとしただけで、「聖刻」を持っている茜の血晶まで、危うく砕け散る寸前まで消耗した。今の沙耶の、憎しみを源泉にした「邪印」の魔力はどれ程の質量なのか、想像もつかない。

「邪魔しないでよ・・・、穂波茜。折角だから、あの二人も、死に誘ってあげようとしていたところだったのにさ」

衝撃的な光景にその場にいた教員や、保護者会の皆が絶句していた。スマホの画面から、沙耶の声だけが、教室内に響いていた。

「一体・・・、君はどれ程の力を、その血晶の中に持ってるんだ・・・!!」

椛は、スマホを手に取ると、画面の中の沙耶に叫ぶ。沙耶の胸元の「邪印」は白いブラウス越しにもはっきり分かる程、紅く怪しく光り輝いていた。椛の胸の「聖刻」が反応して、警告を発するように熱くなった。その、「聖刻」が放っている熱量からも、どれ程の邪悪な力を、覚醒したらしい沙耶が秘めているのか、すぐに分かった。

沙耶の両親も、得体のしれぬ途方もない邪悪な気配が、さっき、自分達を飲み込もうとした事は分かったらしい。立ち上がる気力も無くしたように、怯えたような表情で二人は床に転がったままであった。

「今の私の力は、椛と穂波茜の二人が束になってかかっても勝てるかどうかは分からない。さっきので分かったでしょう?今の貴女と穂波茜はもう、私の敵ではないと。誰も、私の死への誘いに抵抗する事は出来ない。それでも、まだ私を、椛は止められると思うの?」

今日、沙耶の「邪印」を見て錯乱した、女子生徒の邪気を浄化するだけでも、茜と力を合わせてやっとだった。その力の源である沙耶と、直接対峙する事になれば、どれ程の邪気に飲まれるか分からないし、「聖刻」を手にしている今の自分と、茜であっても、その力に抗えないかもしれない。血晶を砕かれて、沙耶を止められないまま、死ぬ事になるかもしれない。

それでも・・・、沙耶のこの暴挙を、自分の世界への憎しみに、人々を巻き込んでいるだけの蛮行を、黙って見ておく事は出来ない。椛は唇を、噛み切らんばかりに、強く噛み締める。

椛が、沙耶に自分の意思を伝えようとした時だった。

「私にも柊木さんと、話をさせて、・・・椛」

一瞬にして、血晶から力を消耗してしまった茜がフラフラと、立ち上がり、椛のスマホに近づいてくる。

「茜!無理したら駄目だ!君は今、かなり消耗しているんだから・・・」

しかし、茜は椛の手からスマホをさらうと、画面の向こうにいる沙耶と、真正面から向き合った。

「私達は・・・、絶対、柊木さんの、思い通りにはさせない、から・・・」

力の消耗の為か、茜の声は酷く苦し気だった。それでも彼女は、必死に声を絞り出して、沙耶に言った。

「言うわね、穂波茜。たった一回、私の死への誘いを払い除けただけで、殆ど血晶の力を使い切ってしまった貴女が、私を止められるって言うの?邪魔をするのなら、私は、容赦なく貴女を殺すよ。でもまぁ、死にたがりの貴女にとってはそれもご褒美か」

「私は、無駄死にする為に、柊木さんの前には立たないよ。私と椛は、二人の誓いの元に、私達の物語を終わらせる。絶対、柊木さんに殺されたりしない」

その茜の言葉に、今までずっと、挑発的で余裕な態度だった沙耶が初めて、声の調子を変える。苦々しい声色に変わって、沙耶は言った。

「腹が立つ女ね・・・。この、私の大切な椛を奪った泥棒猫が。貴女のその余裕は何?私からも椛を奪っただけじゃ飽き足らずに、私が、この世界に嫌気が差してる人達と共に、美しい終わりを迎える事まで、邪魔をする気?何処まで、私について回って邪魔をすれば気が済む訳?」

しかし、茜は引き下がらずに、スマホの中の沙耶に向かい、言葉を続ける。

「柊木さんの思い通りには終わらせないよ。貴女のやり方は、こんなの間違ってる。柊木さんがやっている事は、美しい終わり方なんかじゃない。柊木さんが、好きになる相手の事とかで、沢山辛い気持ちを抱いてきたとしても、だから、こんな事をするなんて、それは、自分を受け入れてくれなかった世界を壊してやりたいっていう、ただの八つ当たりだよ。柊木さんがやってる事は、椛を苦しめ続けているだけ。こんな事を柊木さんが続けて、椛の苦しんでる顔をずっと見ていたって、その先に一体何があるの?」

茜の言葉は、沙耶の逆鱗に触れるものだったらしい。スマホの画面に映る、沙耶の表情は・・・、怒りに染め上げられていった。そこに、かつての「学校のアイドル」扱いの沙耶の面影は一片もなく、白髪の悪鬼がいるだけだった

「・・・本当に、ムカつく。なんであんたなんかに、私が説教を聞かされなきゃいけないの⁉急に割り込んできただけの、あんたなんかに、私の椛への気持ちの、何が分かるの・・・!!もしも、椛と一緒に、『聖刻』の契約とやらで、私の計画を邪魔しに現れたら・・・、その時は、必ずこの手で殺してやるから。それも、椛の目の前でね。あんたの血晶も砕いて、手も足も切り落としてやる」

そして、沙耶は、鬼の形相のままで、画面越しに茜を睨みつけて、こう言った。

「今日、椛に連絡した理由。それは、今から言う事が本題・・・。これは、あんた、そして、誰よりも椛。二人への、宣戦布告よ。もう既に世間は、私の力で沢山の人がこの世界にサヨナラを告げた。それでもまだ私の、汚い世界との戦いは終わってない。もうじき、舞台を作り上げるわ。私と、あんた達二人の最期の場に相応しい、とっておきの晴れ舞台をね」

椛も、スマホに飛びついて、沙耶に問いかける。

「待って!僕たちの、最期の晴れ舞台・・・?それは一体、どういう意味?答えて、沙耶!!」

その問いには答えずに、椛に向けて、沙耶はこう言った。

「それはまだ内緒。お楽しみは後に取っておくものよ。今日はこのあたりで失礼するわ、私の親愛なる椛。また、連絡するわ」

そう言って、彼女は通話画面から消えた。

黒く、何も映さなくなったスマホの画面を二人でしばらく見つめていた。

はっと我に帰って、椛が周囲を見回すと、そこには、常識の範疇を越えた状況に、ただ茫然となって立ち尽くし、こちらを見ているだけの大人達の姿があった。今晩の出来事で、結局、大人達は最後まで無力だった。

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