第19話 愛した事が「罪」だなんて、言わせない

「『血晶関連自殺』と思われる事件は、○○市の駅構内で血晶のアクセサリーを身に着けていた女子学生が突如自殺を図るという衝撃的な事件後、全国各地で多発しています。SNS上では、「心中」「この世界にサヨナラを」という言葉が連日、日本のトレンドの最上位にランクインし続けるという、異常事態が続いています。警察庁の発表では、発端になったとみられる女優の連続自殺事件以降、感化されたとみられる自殺、または心中による死亡者数は、最低でも60人に上るとの見解を示しています」

スマホで、ネットのニュースを検索してスクロールしていくと、そうした記事を幾つも茜は目にする事が出来た。記事の中には、名前も知らない、彼ら、彼女らがネットに残していった『遺書』とも呼ぶべき書き込みの一部が掲載されている物もあった。

「二人で、同性カップルだからと誰にも差別されずに幸せを掴める、優しくて自由な世界に旅立ちます。この世界にサヨナラを」

「空っぽの自分に、これ以上、惰性以外で生きる理由や、生きていく価値があるのか、もう分からない」

そんな書き込みは、画面を切り替えて、SNSで「心中」「血晶」「この世界にサヨナラを」と検索してみれば、今もリアルタイムで溢れかえっている。その書き込みをした人が、本当に命を絶つつもりなのか、それとも、時世に乗った、悪質ないたずらなのかは、茜には分からない。

しかし、それらの書き込みの中に、茜は何人もの、自分の鏡映しの姿を見るような心地がして、苦しくなる。

再び、ネットのニュースの記事に戻ると、「自殺の扇動か?悪質、危険なアカウントも複数確認・・・。自殺教唆として、処罰される可能性も」との記事も目に留まった。SNS上で、精神的に追い込まれている人々を集めて、自殺へと唆すような書き込みを繰り返しているアカウントが複数、確認されるようになり、しかも、中には摘発を回避する為に複数のアカウントを持って、人々を「死」に扇動している人間が何人もいるらしい。

「死への、扇動・・・」

茜は、小さく、そう呟いた。

椛の大切な幼馴染である沙耶も、今や、「死へ誘う者」「死の扇動者」となってしまった。

駅の構内で、微かに茜の頬についた、あの少女の血液の生温かさは、いくら体を洗っても落とせる気がしなかった。

茜は、そっと、椛の席の方に目を向ける。椛は、沈痛な面持ちで、ぼんやりと窓の外を見つめていた。かつては、椛の周りに何人もいた取り巻きの女子達も、今は椛にどう声をかけたら良いのか分からないらしく、遠巻きに様子を見ているような状況だった。

彼女らは、茜と椛が、凄惨極まりない、駅でのあの鮮血の一幕を目撃していた事は知らない。沙耶が、死んだあの少女を、血晶で操って、死に追いやった可能性がある事も知らず、ただ、大事な親友の沙耶の失踪に、椛はショックを受けているだけとしか、考えていないようだ。

あれから3日程は、椛はずっと、茜の家に帰ってきて、実質泊まり込んでいるような状況になっていた。茜の動揺を気にして、という建前ではあったが、椛自身もきっと、あの霧島家の部屋で一人、夜を過ごすのが不安なのだろう。


とりわけ、今日は、椛が緊張感を高めずにはいられないのも当然だった。

今日が、沙耶と彼女の「償いの日」だったから。中学時代に、椛が沙耶の思いを断ったその日だ。

今日は晩秋で、朝から、冬が早くも到来したように乾いた冷たい風が町中を吹きすさんで、色あせた落ち葉達を払っていた。天気予報では、例年よりもずっと早くに寒波が到来して、本格的な冬が来るとの事であり、ところによっては早くも雪がちらつくかもしれないとまで言われていた。

1日の授業が終わり、放課後を告げるチャイムが鳴っても、椛は席を立たなかった。

沙耶は、今日、また何かを茜と椛の二人に仕掛けてくるに違いないという確信があった。外に出たくないという気持ちは当然だろう。

放課後の教室の喧騒の中、断片的に幾つもの言葉が飛び交ってくる。

「ねえ、○○町の高校でも、自殺者が出たって知ってる?血晶のネックレスをつけて、自分ちのマンションから飛び降りたって・・・、周りも、全然、自殺するような子には見えなかったって言ってるらしいけど」

「聞いた・・・。それもヤバいし、隣の市の学校じゃ、生徒同士の心中まで遂に起きてしまったって、もっとヤバい事起きたらしいよ・・・。しかも、女子同士で。親戚がそこの生徒だけど、もう学校は大騒動らしい。やっぱり血晶のアクセサリーを二人共持ってて、『自由に愛し合える社会、世界に生まれたかった。向こうの世界で幸せになります。あの方の導きに従って。この世界にサヨナラを』って・・・、遺書らしいメモにはそれだけしか書いてなかったって」

「それも知ってる!ヤバいよね、あの事件。何も、死ななくても良かったのに。にしても、あの方って一体誰の事なんだろ・・・」

「何か、ここ最近、この醜い世界からサヨナラしようみたいな事言って、唆してる人がいるらしいよ、ネット上で・・・。その人の事なんじゃない?」

沙耶が消えてから、たった数日の間に、茜の周りの世界は、その崩壊を加速させているように思われた。今まで絶対的な物のように保たれてきた社会の秩序は、波打ち際の浜辺で作った砂の城のように、こうも脆く、崩れ去ってしまうのかと、驚く程に。

そして、その世界の崩壊に加担している一人が、沙耶らしい事は、茜と椛の間では明白だった。

昨日、椛から送られてきたメッセージの、スクリーンショットの写真を見て、茜は戦慄を覚えた。それは、沙耶から、椛だけに送られてきたメッセージで、こう書かれていた。

『親愛なる椛。そして、裏切り者の椛へ。この間の駅での、鮮血のショーは楽しんでもらえた?他にも何件か、この街で苦しんでる子、人生に迷っている子達を、私は解放してあげた。皆、私の言葉と『邪印』の力に誘われて、笑って、この世界にサヨナラをしていったわ。その全ての場面を椛にも、あのおさげの冴えない女にも見せてやれなかったのは残念だったな。

でも、私の憎しみはまだ、これくらいじゃ消えない。私を踏みつけた社会への憎しみもだし、そして、裏切り者の椛と、私から椛を奪った、穂波茜への憎しみもね。明日は、『償いの日』。まさか、忘れてはいないよね?明日は、楽しみにしているといいわ』

この数日の間に、茜と椛の暮らしているこの街の周辺で相次いだ、原因不明の自殺。いずれも、共通項は、学生や若者ばかりで、そして血晶を持っていたという事のみ。

彼ら、彼女らのスマホは皆、まるで命令されたかのように、自殺の前に叩き壊されていた為、その内容を確認する事は出来なかった。しかし、沙耶の言っている事が本当ならば、沙耶はSNS上で、彼ら、彼女らに何らかの接触を図って、操り、自殺に扇動した可能性が極めて高い。

沙耶は、今や直接、手を汚さないだけで、やっている事は最早「殺人者」と変わりなかった。

席を立たず、物思いに沈んでいた椛の席の傍に行き、茜は声をかける。話は勿論、昨日のメッセージについてだ。

「どうしよう・・・、椛。もう、今の柊木さんを私達で止めるのなんて・・・。この事、柊木さんの事、やっぱり誰かに相談した方が良いのかな?先生や、場合によっては、警察にも・・・」

しかし、茜が声を潜めて行った提案に、椛は首を横に振る。

「僕だって、大人に相談するのは考えたよ。これは、僕と茜だけでどうにか出来るレベルの問題じゃなくなってる事くらい分かってる。でも、沙耶と血晶と、自殺の関係について、どうやって話したら信じてもらえる?沙耶の血晶に不思議な力で操られて、皆が自殺に誘われてるなんて、そんな与太話を、先生達や、まして警察が真剣に取り合ってくれる訳ないよ。沙耶が、連続自殺に関わってるっていう明らかな証拠を出せないんだから。大人に話したってどうする事も・・・」

椛も、額に手をあて、前髪をかき上げるようにして、苦しそうにそう言った。茜もそれを聞いて、言葉に詰まるしかない。自分と椛は、血晶が様々な不思議な力と、可能性を秘めている事を知っている。しかし、大人達はそうではない。血晶が、人間の精神に付け入り、操る事が出来るなど真剣に話したところで、誰が信じるだろうか。

「でも・・・、柊木さんの言ってることが本当なら、あんなやり方絶対間違ってる。あんなの、解放なんかじゃない。今の柊木さんがやってる事は・・・」

「分かってる、でも・・・それ以上は、言わないでほしい・・・。ごめんね、茜」

先に制するように、椛にそう言われ、茜は口を閉ざす。

柊木さんがやっている事は、「殺人」と変わらない。そう言いかけたが、茜は、その言葉が、椛をどれ程追い詰めかねないか、瞬時に察した。

『僕は、自分の大切な人が傷つくのも、誰かを傷つけるのも見たくないんだよ・・・』

いつになく、悲痛な声の、椛の言葉が蘇る。彼女は、自分の外から理不尽にもたらされる死という物は、強く嫌悪している。病気や事故もだし、そして、人の手で傷つけられ、命を奪われる行為は、最も嫌悪している。

椛はじっと、そのまま口数少なく黙り込んでいた。何かを考え込んでいる様子だ。

そして、何か、意を決した表情で、椛はこう言った。その端正な顔立ちの中に、今までとは違う、悲壮に近い色を見て、茜の胸を不安がよぎる。

「今日は『償いの日』・・・。沙耶はきっと、何かを僕に仕掛けてくる。あの子は、僕と茜の関係を裏切りだって呼んでいるから、絶対に僕を許さないし、狙ってくるよ。裏切りを償わせる為に。沙耶が何を僕にする気かは分からないけど、それに、僕は・・・、茜を巻き込みたくはない」

「え・・・?」

「今日は、完全に行動を別々にしよう。茜は、少なくとも今日が終わるまでは、絶対、僕の傍にはいない方がいい。ここは学校だから、流石に沙耶も手を出してはこなかったけど、外に出れば、何処で狙っているか、いつ襲ってくるか分からない。茜は、早く自分の家に帰って、絶対、家から出ないで。沙耶には僕一人で会ってくるから」

沙耶がどんな危険な行動に出るか分からない中、椛は一人で、彼女に向き合うつもりなのだ。

「なに・・・言ってるの?昨日の、柊木さんのメッセージ見たでしょ?あんな精神状態の柊木さんと一対一で会ったりしたら、何をされるか本当に分からないんだよ?それなのに一人で、柊木さんが来るのを待つつもりなの?」

「今度の事は、沙耶に責められるべき相手は僕だけなんだ。茜は悪くない。茜は僕の血晶に選ばれて、導かれただけで、悪意なんてなかったんだから。でも、今の沙耶は、完全に茜にも憎しみを燃やしてる。茜を巻き込みたくないんだ」

気付けば、段々と二人共、声が大きくなってきていた。言い争いのようになっていた二人に何人かのクラスメイトが、何事だろうと目を向けている。これ以上、ここで話すのはまずいと思い、茜は、椛の手を掴む。

「ちょっと、人のいないところで話そう!」

自分にこんな行動力があった事に、茜自身が驚いている。椛を離したくないという一心だけが、茜をここまで必死に突き動かしていた。

階段の踊り場まで移動してくると、天気予報で言っていた「晩秋から、既に冬本番の寒さの到来」という通り、暖房の効かない廊下の冷気が体に沁み込んでくるが、寒さを気にしている余裕などなかった。踊り場の壁の高い位置に付けられた窓から差し込む日光が、徐々に夕の色に染まる中、二人は向き合った。

「私は嫌だから。自分だけ安全なところに隠れて閉じこもって、今の状態の柊木さんと、椛を二人で会わせるなんて!」

「お願い、茜。今日だけは、僕の言う通りにして。沙耶の出方次第では、僕は・・・、茜がいたら守り切れないかもしれないから。茜にまで危害が及ぶのを。沙耶は血晶の何らかの力を持ってるし、どんな手を使うか確かに分からないけど、だからこそ茜を巻き込みたくないんだ。茜が傷ついたら、僕は・・・」

いつかは、茜の中に母性を見出して甘えてきたかと思えば、今日は、茜に、駄々っ子を宥めるように接する椛の方がまるで母親のようだ。

しかし、今は、駄々っ子と思われようが何だろうが構うものか。絶対、椛一人では行かせない。

椛にとって、本当に重大な局面が迫っているというのに、言い回しを変えれば「茜は関係のない事だから」と言われて、締め出されたような、そんな気持ちがして、嫌だった。まだ、椛と自分の関係は、血晶の刻印による、ただの「契約関係」以上の物にはなれない。彼女にとっては、事情はどうであれ、結局、優先されるのは沙耶との関係なのかと、思い知らされるような気がして、椛に縋り付く。

「私だって同じなの!前に椛が言ってくれたみたいに、自分の大切な人が、傷つけられるのはっ!椛が、私が傷つけられるのは嫌だって思ってるのと同じなの!黙って、私だけ安全なところから見てるなんて出来ない。一緒に行かせてよ!」

そう言って、椛の両腕を掴む。茜が、内面の熱を見せる事は滅多にある事ではないから、椛は明らかに戸惑っていた。

返事をためらい続ける椛を見ているだけでも、茜は、どんどんと暗く、不安な気持ちにさせられていく。私達は、血晶の「契約」以上の、特別な関係になれたんじゃなかったの?という、椛への問いを何度も繰り返しながら。

だから、思わず、こんな言葉が口から零れ出る

「私じゃ、そんな頼りないかな・・・?私は、やっぱり椛の足手まといにしかならない?柊木さんの事、一緒に向き合うのに・・・」

「それは違うよ!そんな意味で言ったんじゃない」

滅多に声を荒げない椛も、口調に珍しく苛立ちが混じる。それ程、彼女も心の余裕を無くしているのだろう。

椛はいつにない荒々しい仕草で、茜の手を払い除けると、今度は、茜の肩を両手で掴んできて、懇願するように言った。

「お願い・・・、僕の話を聞いて。茜の気持ちは、分かるんだ・・・。僕の身を心配してくれてる事も。でも、これは、僕と沙耶だけで決着をつけるべき問題だから、茜を巻き添えにはやっぱり出来ない。沙耶をこのまま・・・血晶の力で人を死に誘う、殺人鬼にしておきたくない。僕は誰とも恋はしないって言ったのに、沙耶の思いを裏切ったから。茜を特別だって思った事で・・・。もっと分かりやすく言うなら、茜を好きだって思った事でね。茜は何も悪くない。僕が、茜を愛してしまったのが罪で、裏切りだったんだ。だから、沙耶への償いは、僕一人に行かせてほしい」


愛してしまった事が罪で、裏切りだった・・・。

これ程に、歓喜と哀しみという相反する感情が、しかし何の違和感もなく共存している、そんな愛の告白が、人生初の‐そして、きっと最期の‐告白の体験になるなどとは、茜は思いもしなかった。

「じゃあ・・・」

声の震えを押さえながら、茜は、声を絞り出すように言った。肩も震えている。少し俯いた視線の先、踊り場の床にこびりついたシミが、何故か、潤んで見えた。

「私が椛と出会ってしまった事も・・・血晶の刻印の契約だけじゃなくて、それ以上の特別になりたいって、願った事も、罪なの?私が、椛と出会わなければ、椛は・・・、柊木さんへの罪を、犯さずに済んでいたの?」

茜の言葉に、沙耶が息を呑む音が聞こえた。俯き気味になっている茜からは、椛の表情は伺えない。

椛は、必死に茜は悪くない。自分が茜を特別だと思った事、愛してしまった事、それが、沙耶への裏切りであり、罪で、責められるのは全て自分だと言ってくれている。しかし、茜はそうは思えない。茜が、愛されたいと望んだ事、特別になりたいと願ってしまった事は、間違いなく椛の心を動かしていた。茜がそう願わなければ、ただの契約の関係だけで、それ以上の感情は二人の間に芽生えなかったかもしれないのだ。

しかし、実際には、椛も、茜もお互いに、血晶の刻印の事はきっかけに過ぎず、それ以上の特別を求めてしまった。

特別を、もっと平たくいうならば、互いに愛を求めて、椛と茜が一緒にいる限り、二人は今も、沙耶への裏切りの罪を重ねている事になる。それでどうして、茜は何も悪くないなどと言えるだろうか?

「待ってよ、茜!!それは違っ・・・」

椛が、茜に何か言おうとして、しかし、途中で言葉を切った。

茜の足元の床に、小さな雫が落ちていた。それを、見た時、茜は、自分が泣いている事に初めて気がついた。

ああ、自分は、誰かとの心の触れ合いで、泣ける人間だったんだ、と、何処か酷く冷静にそれを見ている自分がいた。誰かと泣いたり笑ったり、そんな経験が自分には、家族とも、学校限定で言葉を交わすだけの薄い友人達とも、驚くほど何もなかった事に今更気付く。

掌で、急いで目尻を、頬を拭う。

「もういいよ・・・。椛の、分からず屋・・・!!勝手に、自分一人で罪を全部背負った気になって、柊木さんに殺されでも、何でもしたらいいじゃん!!もう、知らない!!」

そんな言葉を叫んでしまい、茜は、肩を掴んでいた椛の手を振り払い、出した事もないような大声で、そう叫んだ。椛が一番嫌う事の一つ・・・、『理不尽に命を奪われる事』。それを口にしてしまった自分を恥じながら、茜は、背を向けると、椛を階段の踊り場に残したまま、駆け下りていく。椛の表情は見たくなかったから、絶対に振り向かずに階段を降りていった。

『私の馬鹿・・・!!柊木さんの事、一緒に背負いたかっただけなのに、私は椛を説得出来ずに、駄々をこねたようになって困らせだけで、挙句に酷い事言っちゃった・・・!椛は、私の事を愛してるって、言ってくれたのに』

そう思った瞬間、胸元に刻まれたあの血晶の「刻印」が、急激に、焼かれるような熱を帯び始めた。階段を駆け下りる足が止まり、胸を押さえて、手摺にしがみつく。そのまま、冷たい床の上に膝を突く。呻き声が漏れる。

「くっ・・・苦しい・・・!」

シャツの上から、手で胸元を押さえ込む。服越しにも、掌に熱がはっきりと伝わってくる程になっていた。椛への、自分の感情の高ぶりに血晶が反応している証拠だ。

焼き印を押されているような熱に耐え、荒い呼吸をしながら、茜は、ふと、夕明かりの差し込む、廊下の窓を見る。

窓の外を見れば、いつの間にやら、チラチラと、何か、小さく、夕陽を浴びて光り輝く物が舞い落ち始めていた。それは、強くなり始めた風に吹かれて、宙を舞い上がり、まるで空中に、結晶の粒がばら撒かれ、花びらのようだ。

「あれって・・・、もしかして、風花(かざはな)・・・?」

刻印から、体中に広まっていた熱が少し引き始めて、立ち上がる気力の出てきた茜は、ふらふら、階段の残りを降りて、廊下の窓に引き寄せられていった。窓硝子にそっと、額をつけると、氷のように冷たく、前髪越しに冷気が頭に伝わってきて、頭を冷やすのに丁度良かった。

風花(かざはな)・・・。昔、そんな美しい自然現象があると、茜はテレビ番組か何かで聞いた事があった。確か、良く晴れた雪の日、日差しの中を、乾いた風に舞う粉雪の結晶達が、日差しを浴びて光り輝き、まるでそれが花弁のように見える現象だった。

「やっぱり、風花だ・・・。今、降ってるのは、これの名前の由来になった、本物の「結晶」ね・・・。でも、まだ秋なのに、こんなに早く雪が降り出すなんて」

椛は、制服のシャツの下に隠している、ネックレスの先の血晶に触れる。

自然界に存在する、雪の結晶と酷似した形を自然に形成するから、という理由で、駄洒落のようなネーミングセンスで、この宝石に付けられた名前が「血晶」だ。

まだ、熱を微かに残すそれを、シャツの下に、指先に感じる。シャツに触れた指先を見ると真っ赤に染まっていて、急いでハンカチでふき取る。刻印が反応して、また深く刻まれたらしく、リボンの下のシャツにはまた血が滲んでいた。

まだ、大粒の「雪」にもなり切れない、儚い結晶達は、ふらふら、落ちたかと思えば風に乗ってまた舞い上がって、本当に空から花弁が降り出したかのように、眩く、晴れた夕空の下で輝いていた。

「ねえ、見て、すごく綺麗!!」

「朝から半端なく寒いなって思ってたら、まさかまだ秋なのに、もう降り出すとはね、異常気象じゃない?でも、確かにこんな綺麗なの、初めて見たかも」

スマホのカメラに、窓越しにおさめている生徒達の姿もあった。

輝く時間も、空から生まれた花でいられる時間も刹那の時間の、風花たちに皆が、注目をしている。きっと、あの結晶達は、程なくして地面に落ちて、その形を失い、その短い花の命を終えるだろう。ひと時の、花としての栄華の時間だけを思い出に。

「人の命も、風花みたいに終わっていくのが、良いのかもしれない。一瞬、だけど、忘れられない記憶を多くの人々に残して、それで後は、儚く散って・・・、降り積もった雪みたいに薄汚れて残る事もなく、綺麗に消えていく。そんな生き方が・・・」

風の中に踊る、花弁にしか見えない、淡く脆い結晶達を眺めながら、そんな事を茜は思っていた。

朝から、ネットで、テレビで、新聞で劇的に報じられ、世間に鮮烈な記憶を刻み付けて、この世界から去って行った、「血晶関連自殺」とされた、人々の命。

彼らの命も、純潔のまま、綺麗なままで儚く消えて、空に還っていったのだろうと思うと、風に乗って、晩秋の夕暮れの晴れた空に舞い上がる風花たちが、彼ら、彼女らの魂が天に還っていく前の、最期の別れを、この世界に残る人間達に告げにきたようにも感じられた。

‐儚くも鮮やかで、忘れられない、風に舞う氷の花の景色。

それに、茜は、ささくれだっていたさっきまでの気持ちをひと時でも鎮められたような心地がした。

出来る事ならば、このひと時の風花を、隣で椛にも一緒に見ていてほしかった。

自分などよりも、ずっと、沢山の難しい文学書を読んでいる椛ならば、風花と、人の命を結びつける事は造作もなく考え着いただろう。彼女が何を語るのかを、聞いてみたかった。


茜はぎゅっと、冷え切った窓枠を手で握りしめる。椛はどうして、自分を追って来てくれないのか。そんな思いと、そんな事を考える自分自身の面倒くささに呆れる気持ちを両方、込めながら。

そんな時、茜のスマホの着信音が鳴った。スマホを急いでポケットから取り出し、画面を見つめる。

「さっき、沙耶から、今日の場所を指定するメッセージが届いた。今から会いに行ってくる。勿論、僕一人で。あの子との決着をつける為に。絶対、死なないで帰ってくるから、心配はしないで。茜は、絶対に来ては駄目だから。茜を守る為には、こうするしかないんだ。ごめんね」

何処に呼び出されたかは、勿論書かれていなかった。茜への「絶対に、来てはいけない」という椛からの意思表示である事はすぐに分かった。

茜は急いで着信時間を確かめる。メッセージが来てから、まだ数分程度しか経っていなかった。それを見て、茜は、まだ、椛は遠くには行っていない筈だと思った。

『今から、椛の後を追えば、柊木さんが待つ場所に、私も行き着ける・・・!』

どれ程、椛に『茜を傷つけたくない』『安全な場所に隠れていて』と言われようが、今度ばかりは、彼女に譲る気はなかった。

あんな成り行きで聞きたくはなかったけど、椛は、茜の事をはっきり「特別な存在」で「愛している」と告げてくれたから。その彼女を、今の沙耶に、危険を承知で一人で会いに行かせるなど、出来る訳がなかった。

『私だって、椛を守りたい・・・!こんな私の事を、人生で初めて、愛してるって言ってくれた人である椛を、ほっとける訳ないし、それに・・・、椛と私の関係が柊木さんに対する裏切りだから、椛を苦しめ続けていいし、椛に『罪』を償わせようなんて柊木さんの考え方、やっぱり絶対におかしい!椛が私を愛してくれた事、私が椛の特別になりたいと願って、椛を愛した事。そのどっちも、柊木さんに『罪』だなんて言わせない!』

椛は、自分が約束を裏切ったから沙耶を壊したと、自分を責める気持ちに完全に囚われてしまっている。罪を償わねばならないと。

だから、あそこまで強情に茜を遠ざけてでも、沙耶の呼び出しに応じて、一人何処かへ向かっている。どんな危険が待ち受けているか、分からないというのに。

それは違うと、椛に教えたかった。今の沙耶のやり方が間違っていて、茜との関係の為に、これ以上、椛が罪の意識を負わなくても良いのだと。

茜は教室に急いで駆け戻ると、校庭の方角に面した窓際に行き、校庭に、椛の姿を探した。すると・・・いた!

校門の手前の木の下で、人目を忍び、寒さに少し身を竦めるようにしながら、誰かと連絡を取っている、見慣れたショートヘアの、彼女の姿を。

通話の相手は、最早聞くまでもないだろう。沙耶から、何か指示を受けているのに違いなかった。

急いで、鞄も、机の上の教材も何もかもそのままにして、茜は学校指定のコートだけを着込むと、階段を昇降口まで一息に駆け下りた。昇降口に向かう途中、かつて、茜が「透明人間」として属していたグループの女子達に出会った時には、彼女らは、一様に目を丸くした。こんな、何かに、誰かの為に必死になっている茜の姿を彼女らは見た事がないのだから、当然だろう。

周りの生徒らの視線も全て無視して、茜は、椛の姿を見失わないように、靴に履き替えると、校庭へと飛び出していった。

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