第4話 独りぼっちの茜

翌日、登校した茜は、昨日の昼と同様に、またしても騒然となっている校内の様子を見た。廊下ですれ違う生徒らの話は、昨日の夜に起きた、例の、△△という女優の、後追い自殺に関する話題で持ち切りだった。

「ね、ねえ・・・。もう見た?あのニュース・・・事務所が、遺書の全文を公開したって言ってるけど・・・」

「嘘でしょ・・・、一日の間に、同じグループの卒業生の子が、二人も自殺して、それも・・・まさかあの二人があんな関係だったなんて。匂わせも全然なかったし、ずっと隠してたんだろうね・・・」

とりわけ、女子生徒らの話し声は止まない。小鳥たちの群れの囀りを延々と聞かされているような気分になってくる。

その内容は、立て続けに二人の若い女優の自殺が起きた事自体への衝撃と、そして、その二人が、グループに在籍していた頃から恋人の関係にあった事で、更なる驚きを受けているようだった。

朝、学校を出る前にテレビで流れていたニュース番組でも、「恋人の後を追ってか・・・衝撃の自殺。公開された遺書からは、○○さんと、△△さんは、同性愛者であり、同じグループにいた頃から密かに交際していた事が判明しました。二人と交友のあった元メンバーも、『そんな関係だったなんて、想像もしなかった』と驚きを隠せていない様子です」などと、この、「後追い自殺」を煽情的に報じていた。

「同性愛者だったって・・・、じゃあ、この二人、アイドルやってる間も、男のファンは嫌いだったり、他のメンバーの事も、そういう目でやっぱ見てたりしたのかな。死んだのは可哀想だけど・・・」

ポツリと、男子生徒らの会話からは、そんな呟きも漏れ聞こえた。

「そんな事言うなよ・・・二人共ずっと、周りに気を遣って隠してたんだろ。苦しかったんだろうな」

そう言って諫める声もあった。

茜は、そもそも恋をしたいなどと思った事もなく、色恋沙汰に関心は薄い。ただ、同性間で付き合っているのを隠していた事を、まるで腫れ物のように扱う空気には、説明の出来ない違和感を覚えた。

仮初の、学校にいる時間だけの居場所としての、「仲良しグループ」に、今日も身を置く。話を振られたら、適当に相槌を打ち、後は聞き役に徹する。そこにいてもいなくても大差ない透明人間として。

そして、茜の、形だけは属しているこのグループでも、例の二人の女優の連鎖した自殺に関しては、単に、「可哀想」と同情するものが大勢を占めていた。

「仕事が来ない事で悩んでいた様子だったとか、そんな感じの発表だったけど、そんな理由だけじゃ、やっぱりなかったんだね。報われない恋に苦しんでの自殺だったんだ・・・」

「亡くなった二人、美人だったし、何も女同士でどうせ叶わない恋とかに走らなくっても、きっと幸せになれてたのにねー」

「報われない恋」・・・その言葉に、またしても茜は、得も言われぬ違和感を覚える。彼女らの会話には「同性愛者は不遇な存在であり憐れむべきもの」という考えが、疑う余地もない大前提としてあるように、思えてならなかったから。

『あの二人の女優さんの死から、皆、急にその話題ばかりになってるけど、誰もが、報われない愛とか、禁断の愛だとか、そんな言葉で飾って、悲恋の末の心中みたいなお話にしてしまおうとしてるみたい・・・。二人の、本当の気持ちを胸に刻み付けてる人は、いるのかな・・・』

話が回ってこない限り、茜はスマホを片手に聞き役をやっている。画面には、昨日の女優の、△△の死について、事務所から公表された遺書が映し出されている。

自殺した△△本人から、「死後に遺書を公表してほしい」という強い訴えがあったからだ。

その遺書に、茜は惹きつけられるものを感じていた。

『仕事の事だけでなく、○○ちゃんは、『このまま、一緒にいても私達は家族にもなれないし、どちらの為にもならない。仕事も少ない私では、△△の人生の、足手まといにしかきっとならない。別れた方がお互いに幸せなのかもしれない』とまで言っていた。いつまでも隠す事は出来ないのは分かっていた。公表したら、社会からどんな反応が返ってくるかも怖かったし、私にも、世間の目から○○ちゃんを守れる自信がなかった。

今はもう、○○ちゃんの遺した最期の言葉のままに、こんな世界にはサヨナラを告げて、向こうの世界で、○○ちゃんと、誰の目も気にする事なく結ばれたいという気持ちしかない』

文章自体は柔らかい。しかし、そこに含まれている文意は、明確に、この社会やら世間といったものに対する、憎しみがあった。

『この二人は、叶わない悲恋の末に死んだ、可哀想な二人として同情されたかったんじゃない。同性愛を否定してくる、こんな社会への絶望と、憎しみで死んだんだ』

同性愛という、禁断の愛の末の自殺などというセンチメンタルな話で片付けようとしている、周りの生徒達はきっと、気付いてはいないだろう。この二人が伝えようとしていた、社会への絶望と憎しみに。

望まない形のまま二人は、皆の中で「特別な存在」に、なってしまった気がしてならなかった。

自分は空っぽだと思っている茜にも、命を賭してでも、この二人のように何か伝えたい物はあるだろうか。

ふと、あの人のアカウントを覗いてみたくなって、茜はSNSのページを開く。

探してみると、あった。今日、公表された、女優の遺書について、あの人がコメントを残していた。

「昨日、続けて二人、女優さんが命を絶って、公表された遺書を見て、世間は、同性愛という禁断の愛の末の自殺なんていう話に仕立て上げて、安い同情を誘おうとしているみたいだけど、僕から見たら全然違う。同情や憐れみなんてほしくなかった。あの二人は、自分達の死を通して、社会が、同性愛に対してそれ程に恐ろしい存在なんだって事を訴えたかったんだって思うし、こんな社会で生きる未来に絶望したから、死んでいったんだ。同性愛者を腫れ物扱いして、いない者のように扱いたがる、こんな社会に。これは、抗議の自殺だ」

あの人は、茜の心を見通しているように鮮やかな意見を述べていた。すぐ近くで話している子達よりも、顔も見えないあの人の方が、ずっと、茜と気持ちを通じ合わせているように思われた。どんな言葉を返されるかと思うと緊張して、返信してみた事はないけれど・・・。

「あの二人については、自殺は可哀想だと思うけど。でも気持ち悪いものは気持ち悪いだろ」

「うわ、めんどくさ・・・。被害妄想拗らせすぎ。」

そんな心無いリプが幾つも飛んでいたが、そういったものは、一切目に入れない事にする。あの人の意見に賛同するリプも、いくつも集まっていた。

「同性愛者の人達の苦しみを、どうにか訴えようとしていたのが、あの遺書読んでも分からないの?このニュースの後でも、気持ち悪いものはしょうがないとか言える神経が信じられない」

などのコメントだった。

その反響を見ながら、茜はこのアカウントの主に心酔していた。

『やっぱり、凄い、この人は・・・。私の気持ちが見えてるみたい。支持してる人もここには沢山いる』

もう、茜には周囲の話し声など殆ど入っていなかった。どうせ、彼女らの話など、これ以上聞く気もなかったから。

あの人の口癖なのか、よくSNS上に書き込む言葉があって、その言葉を、茜は気に入っていた。

「三島由紀夫先生が言っていた。自分の為だけに生きて、自分の為だけに死んでいける程、人は強くないって。僕は、何の為ならば死ねるのかを見つけ出さないといけない」

茜はあまり難しい本は読まないから作家に詳しくはないが、流石に三島由紀夫が日本文学の巨匠である事くらいは知っている。

これがきっと、あの人にとっても大事な、自分への課題なのだろう。茜はそっと、周りの生徒らに聞こえない程度の小さな声で呟いた。

「話してみたいな、この人と・・・。ネット上じゃなくて、現実で」


椛は、教室内で飛び交う、自殺した二人の女優についての、感傷的で、憐れみを過剰に含んだ、他の生徒らの薄い話の数々に辟易としていた。落ち着いて本も読む事が出来ない。椛は本を閉じて、鞄に仕舞い込もうとした。

椛の席に、沙耶が近づいてくるのが見えた。何処か、今日は気分が良さげに見えるのは気のせいだろうか。

「また、三島文学?飽きないわね」

彼女はそう尋ねてくる。椛は、本を置いたまま頷く。

「さっきの椛の書き込み、見たよ。厭世哲学者さん・・・何だか、機嫌良くなさそうね」

椛は、周囲を見回す。椛と沙耶の二人は、並んでいるだけでも、周りの生徒の注目を浴びやすい。話を聞かれないように、細心の注意を払わなくてはならない。

「そっちは逆に何だか、いやに機嫌が良さげだね・・・沙耶。クラスの中は、こんな感じで、朝からのあのニュースで皆、感傷的な空気になってるっていうのに」

「そうかな?私はいつも通りだと思うけど。椛は、あの、同性愛の女優の二人が自殺したのが、悲恋の末の自殺だみたいに扱われてるのが納得いってないから不機嫌なんでしょう?」

沙耶には、椛の考えている事は何でも筒抜けのように伝わる。

「あの二人の死が、安い感傷や、憐れみの対象になって、この社会に正しく伝わってないように感じるのが嫌なんだ。クラスの皆も、あの二人の、未来へ感じていた絶望や、社会への恐れや憎しみも、きっと何にも理解してない。皆、あの二人の事なんて今まで話題にもしてなかったのに、今度の事件があった途端に、突然、悲劇のヒロイン扱いで二人が可哀想だのなんのって、注目の的にしてるけど・・・」

「さっき、先生から聞いたのだけど、今度の女優の自殺の件、学校内でも多感な年代の生徒らが影響されるといけないからって事で、放課後に緊急で全校集会を開くそうよ」

沙耶は、クラスメイトからだけでなく、教師達からも信頼はある為、先に全校集会のの話も聞かされたのだろう。椛は、鼻で笑いたい気分になった。

「自殺なんてしてはいけません、命は大事にしましょう。生きていれば、きっといい事、楽しい事が沢山ありますからっていう、マニュアル通りの言葉を聞かせるだけでしょう、どうせ。学校は今度の事件で影響受けた子が、私も死にたいとか言うんじゃないかって恐れてるんだろうけど。本当にこの社会が嫌いな人間は、事件なんか関係なく、昔からずっと、死んだっていいと思ってるよ。僕も、沙耶もね・・・」

そこまで話したところで、椛の胸元に、ピリッとした痛みが走り、椛は手で、制服のリボンの下を掴み、痛みを堪えた。肌に走った痛みはすぐに遠のいていった。

「もしかして、昨日の痛み、まだ残ってるの?」

それを見た沙耶が、眉をひそめて、心配してくる。

「いや、大丈夫・・・。もう、痛みは引いたから・・・」

昨日、廊下で偶々、すれ違った、大人しい印象を与える、二つ結びのおさげの同級生。彼女とすれ違った時に、突然、胸元の肌を焼かれるような痛みが走ったので、家に帰るなりすぐに、椛は制服のシャツの胸元を緩め、洗面所の鏡で痛みの場所を見た。

そして、言葉を失った。

両鎖骨の合間、丁度、ネックレスをかけると、血晶が肌に当たる位置に・・・薄く、自分が持っている、「角板付樹枝」型の血晶と同じ模様に、火傷の痕のように薄っすらと紅く腫れた線が走っていたからだ。

椛も、血晶に関する都市伝説を知らない訳ではない。運命の相手と出会った時、それを知らせるように、お互いの血晶は反応し合って、持ち主の体に血晶と同じ紋様を浮かび上がらせる・・・。

『でも、そんな事、現実にある筈が・・・!じゃあ、あの、おさげの大人しそうな子・・・穂波さん?って言ったっけ。あの子が、僕の運命の相手だっていうの?血晶が意思を持ってるとか、色々巷では噂されてるけど、あんなのただのくだらない噂だ・・・!』

この血晶の紋様の事は、沙耶にも言うつもりはなかった。あんな都市伝説に気持ちを振り回される人間の方がどうかしている。自分と、彼女-確か、穂波茜は、ろくに言葉も交わした事もないし、お互い面識もありはしない筈なのに。

確かに不思議な傷だが、いずれ消える筈だ。椛は自分にそう言い聞かせて、話題を変える。

「僕の事はもういいよ。沙耶が、あんな事件があった後なのに、機嫌が良さげに見えるのはどうしてなのか、教えてくれてもいいんじゃない?」

「ああ・・・。そうね、椛は、私が、異性を愛さない人の事を、異常だと踏みつける、私の家の事も、それに自分の生きてる社会の事も、大嫌いだって話をしたのは覚えてるわよね?」

「勿論だよ。沙耶は、両親さえも憎んでる。沙耶の両親が‐同性愛者の事を侮辱したから」

「そう。もう、親にも、勿論学校のクラスメイトにだって、私のこの秘密は話す気はない。家も学校も、そして社会も、同性愛者は何処か遠い世界の存在で、自分の傍には居る訳ないなんて思ってるし、だから平気で踏みつけてきた。そんな社会に、同性愛者は如何に未来に絶望して生きてるのか、社会を憎んでるのか、あんな形ではあったけど、亡くなったあの二人は知らしめてくれたから。勿論、全ての人に正しくメッセージが伝わってはないようだけど、私にはそれでも構わないの。あの、二人の思いが詰まった遺書を沢山の人が見てくれて、必ず、私や他の生きている同性愛者の人々の気持ちを受け取ってくれる人達もいる筈だから」

そう語る沙耶の目の中には、暗い喜びの色が走る。椛にしか見せない目だ。

「沙耶は、やっぱり恐ろしい子だね・・・。どんな形でも、あの二人は、同性愛者の苦悩を、自殺って形で世間に突き付けてくれたから、無駄じゃなかったし、寧ろ、良い事だって思ってるんだね」

気持ちを最も、今まで通じ合わせてきたからこそ、椛は言える。沙耶は、アイドルでも清廉潔白な優等生などでも決してない。途方もなく危険で、恐ろしい人間なのだと。この事件で揺れる学校や世間を見て喜んでいる。

彼女には、自分の思いを伝える為、願望を叶える為なら、どんな手段でも取りかねない危うさが、その瞳の奥には見え隠れしている。それに気付けている人間は、今のところ椛だけだ。


緊急で全校集会が開かれ、体育館に集められて、校長、教頭、それから、養護教諭等から、立て続けに起きた芸能人の自殺や、それに関する報道、SNSでの情報流布に対して、報道やネットの自殺関連の報道に触れ過ぎず、辛くなったらすぐにテレビやネットから離れる事。もしも気の迷いが生じそうになったら、すぐに教員に相談する事などの通り一遍の話が行われた。

「うちらが、別に後を追って死んだりする訳ないじゃんね、学校も騒ぎすぎ」

「ねー、死んだ二人は、遺書読んでも可哀想だったと思うけど、そこまであの二人の女優さんに気持ち入れ込んでないし、うちらにそんな繊細な感受性ないしね」

大真面目に、真剣に「命を粗末にしてはいけません」と、口を酸っぱくして語り、警戒感の高まっていた様子の教師達とは正反対に、茜の周りの、いつものグループの女子生徒らはそんな事を言って、笑いさえ上がっていた。

「何か、昭和の頃に人気アイドルが自殺した時、うちの学校でも一人、感化されて後追いで自殺しちゃったファンの子がいたらしくって、こういうニュースには敏感らしいよ」

そんな話をしていたが、彼女らの声に何の切迫した様子もなかった。

体育館で立ち話も聞かされて疲れたし、穂波さんも何処か帰り寄ってく?と、聞かれたが、茜は断った。

茜はショックを受けていた。女優という遠い存在ではあれ、あれだけの思いを込めて、命を捨ててしまった人が出たのに、自分の周りの生徒らは、もういつも通りの生活に戻ろうとしている。あの事件が、彼女ら一人、一人の生きる世界には、一石も投じる事は出来なかったというのが、信じられなかった。感性が彼女らと自分では、全く違うように思われた。

「そんなに簡単に、亡くなった、それも自ら命を絶ってまで、何かを訴えようとしていた人の事を忘れてしまえるものなの?この学校には、心を動かされた人はいないの?これじゃあ、ネットの世界の人達の方が、学校よりもずっと皆、真剣だし、優しい・・・」

茜は、自分と共感する人間は、この学校にはいないように思われた。彼女らの背中が遠ざかっても、体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下の途中で、茜は立ち尽くしていた。周りを何人もの生徒らが通り過ぎていくのに、今ほど、自分が孤独だと感じた事はなかった。茜にとっては、現実世界の全てであるこの学校で。

ならば、いつもの仲良しグループに付き合って帰ろうと、一人で帰ろうと同じに思われた。もし、茜が近寄って来なくなっても、彼女らは何の気にも留めることなく、今まで通りまた学校生活を送っていくだろう。

茜は、教室に戻ると、素早く鞄を持って、校舎の外に飛び出した。


普段の取り巻きの女子生徒らと別れ、沙耶も習い事があるから、今日は先に帰ると言われて、椛は学校を一人で後にする事にした。昇降口で靴を履いていると、首にかけていたネックレスの先の血晶が、また熱を一瞬帯びた。

「うっ・・・!まただ・・・。一体、何なの・・・」

胸を押さえていると、椛の視界の隅を、小走りに通り過ぎていく女子生徒の姿があった。その時、一瞬見えた、揺れる左右の、若干子供っぽいおさげに、椛は彼女が誰か思い出した。

「・・・今のは、穂波さん?」

彼女が傍を通り過ぎた時、確かに、血晶は熱を帯びていた。本当に、自分と、血晶に何が起きているのだろう?

自分と彼女を、血晶が結び付けようとしているなら、その理由は何なのだろうか?

疑問符が頭を埋め尽くす。気付いた時には、椛は、彼女-穂波茜の後を密かに追ってみる事にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る