俺達は尊敬できる先輩の門出を祝う。
在校生として卒業式に参加することは、俺にとって面倒なことでしかなかった。
その時間とは俺にとっては苦痛であり、いつもサボりたいと思っていた。
ただ、今年の卒業式に関しては違った。卒業式に参加することに前向きだったのだ。
その理由は、単純明快である。お世話になった人が、卒業するからだ。
今まで面倒だと思っていたのは、きっと俺が先輩と関わりがなかったからなのだろう。
知り合いがいると、その人を送り出したいと思うものなのだ。
というか、自分の卒業式よりもモチベーションは高いといえるかもしれない。
今まで小学校、中学校と経験したが、その時よりも今日の方が参加することに積極的だったと、自分では思っている。
そんな卒業式は、特に問題もなく終わった。
穂村美冬先輩は、卒業生代表として登壇し、堂々と答辞を読み上げていた。
生徒会長であった故、そういった事柄には穂村先輩は慣れている。
とはいえ、卒業式という大舞台で緊張しなかったとは考えにくい。
それでも決して揺るがなかった穂村先輩に、俺は改めて経緯を抱いていた。
「……ふう」
「ああ、ろーくん、それに瀬川さんも」
卒業式が終わってからも、辺りの喧騒は止まなかった。
在校生達は、皆馴染みがある先輩の元に駆け寄って話をしている。
これが俺達と先輩が交わる最後の機会だ。色々と積もる話があるということだろう。
そんな中で、江藤晴臣は一人ぽつんと立っていた。
彼女でもある穂村先輩の元にいないということに、俺は一瞬疑問を抱いた。
ただ、それは既に解消している。江藤の視線の先で、多くの人に囲まれている穂村先輩を見つけたからだ。
「大人気だな……」
「まあ、美冬姉だからね」
「江藤君は、傍に行かなくてもいいの?」
「僕は、また後でいくらでも話せるからね。この場は他の人達に譲ろうと思って」
由佳の質問に、江藤は苦笑いを浮かべていた。
江藤は優しい人間だ。この場においても、自分を抑えている。
後で話せるからといって、今話さなくてもいいなんてはずはない。それでも江藤は、他者のことを気遣ってここで穂村先輩のことを見守っているのだろう。
「……そういうことなら、俺達もお前に付き合うとしようか」
「え? いや、ろーくん達は……」
「あんなに囲まれていたら、どうせ話しかけることはできないさ。それなら待っている方がいい。俺達もお前と一緒さ。穂村先輩の関係が、ここで途切れる訳ではないからな」
「……そうか。そうだね」
この卒業式が、一つの区切りであることは間違いない。
ただ、俺達は穂村先輩とこれからも友人であるつもりだ。きっとこれからずっと、江藤も含めて付き合いがあるだろう。
だからこそ、この場は江藤と同じ立場でいるべきだと思った。後でいくらでも話せるのだから、今しか話せない人達に譲るべきなのだ。
「……美冬さんが落ち着いたら、また四人でどこかに出掛けたいな」
「四人で? なるほど、それはいい案だね。僕もそうしたいよ」
「この四人でか……そうなると、去年のゴールデンウィークを思い出す。思えば、あれがきっかけで、俺は由佳に気持ちを伝えられたようなものだ。江藤と穂村先輩には、感謝しているよ」
「あ、それは私も」
「いや、僕達は何もしていないさ」
卒業式の後だからだろうか、俺の中には穂村先輩との思い出が蘇っていた。
江藤と再会して紹介された時は、正直それ程彼女に対して何も思っていなかったような気がする。俺は友人の幼馴染として、江藤を通してしか、彼女のことを見ていなかったのだろう。
だけど、この一年間で、俺は穂村美冬先輩という個人のことを知った。
彼女が尊敬できる先人であることは、俺の中に深く根付いている。何しろ穂村先輩は、俺の進むべき道を切り開いてくれた人だ。恩人といっても過言ではないだろう。
「というかそういう意味では、ろーくんや瀬川さんに僕達が助けられたともいえる」
「俺達が?」
「僕が一歩を踏み出せたのは、二人と再会したおかげだからね。僕はあの時のろーくんの強さを改めて思い出せたんだ」
「……強さか。そんな大そうなものではなかったと思うんだがな。俺は単に、由佳の前で格好つけたかっただけさ」
「格好つけたいと思っていても、格好つけられるとは限らないさ。どんな理由があろうとも、勇気を出して僕を庇ってくれたろーくんのことを、僕は心から尊敬している」
江藤は、過去の俺に対して多大な敬意を抱いている。
それは俺にとって、少々荷が重い。今の俺は、そんなにすごい人ではないからだ。
「まあ、過去の俺はそうだったのかもしれないが……」
「ろーくんは、自分が変わったって思っているんだよね? でも、私はそうは思っていないよ。ろーくんはずっと、かっこいいろーくんだって思っている」
「む……」
「瀬川さんの言う通りさ。再会して共に過ごす中で、僕は改めてろーくんのことを尊敬できると思ったんだ。君の芯は、君が思っている以上にぶれていないからね」
由佳と江藤は、俺に対して尚も褒め言葉をかけてくれた。
それが少々むず痒い。二人に評価してもらえているのは嬉しいのだが、俺がそれに見合った人間なのか自信が持てないからだ。
ただだからといって、必要以上に自身を卑下するべきではないということはもうわかっている。俺の知らない俺の何かを、二人はよく知っているということなのだろう。
「……ふふ、三人とも楽しそうだね?」
「え?」
「あっ」
「美冬姉……」
そんな風に話していた俺達三人の前に、穂村先輩がやって来ていた。
辺りを見渡してみると、あれだけいた人だかりがなくなっている。それは明らかにおかしい。あの人だかりがこれ程の短時間で、はけるということは、穂村先輩が何かしらのお願いをしたということなのだろう。
「卒業する彼女を差し置いて友人達と談義するなんて、晴君は少し薄情じゃないかな?」
「そ、そう言われると苦しいな。でも、僕はまた後で美冬姉と話せる訳だし……」
「この場で私が誰と一緒にいたいのか、それを晴君は履き違えている。これでもいっぱいいっぱいなんだ。支えてくれる人がいないと、色々と零れて落ちてしまう」
穂村先輩は、江藤に対して少々刺々しい言葉をかけていた。
それは恐らく、戯れの部類だ。ただ、確実に本心も混ざっている。流石の穂村先輩でも、この場では平静ではいられないということなのだろう。
「ごめん」
「ふふ、わかってくれたならいいんだ……さてと、同じ言葉を私の大切な友人兼後輩にもかけるべきかな?」
「え?」
「それって……」
穂村先輩の言葉に、俺と由佳は思わず顔を見合わせた。
先輩が言わんとしていることが、理解できない訳ではない。ただ、それをすぐに受け入れられる訳ではなかった。先輩の中で、俺達が江藤と同等の支えになれるとは、到底思うことができなかったからだ。
「そんな風に驚いた顔をされると、私としては少し寂しいね。これでも二人とは、親密であると思っていたのだけれど」
「も、もちろん美冬さんとは親密なつもりです。でも、そういうことなら同級生のお友達や生徒会で一緒だった人達の方が、より適切なんじゃないかって思ってしまって」
「由佳さん、正直に告白してしまうとね。私は友達がそんなに多い方ではないんだ。もちろん、仲の良い人達はいるけれど、本当の意味で通じ合えているのは晴君や由佳さん、それから藤崎君くらいだと思っている。他の子達は、どうも少し壁があってね」
由佳の言葉に、穂村先輩は少し寂しそうにしながら言葉を発していた。
その内容は、なんとなく理解することができなくはない。穂村先輩は、同級生からも敬われるような人だ。その敬意は、距離感となっているのかもしれない。
ただ、俺も由佳も穂村先輩のことは尊敬できる人だと思っている。そういった人達と俺達の間に何か差があるのだろうか。
そこまで考えて、俺は江藤の方を見ることになった。
よく考えてみれば、俺達と穂村先輩との関係は江藤を通して始まっている。
俺は友人の彼女として、由佳は彼氏の友人の彼女として、そういった関係性の始まりが、穂村先輩がいつも感じている壁ができなかった要因なのかもしれない。
「そ、そうだったんですね……そういうことなら」
「あっ……」
「美冬さん、卒業おめでとうございます」
穂村先輩の言葉を受けた由佳は、そっと先輩の手を取り、祝いの言葉をかけていた。
それに対して、穂村先輩は呆気に取られている。多分手を握られたことに驚いているのだろう。その気安い接し方は、他の人ではできないことだから。
「おめでとうございます、穂村先輩」
「おめでとう、美冬姉」
由佳に続いて、俺と江藤もそうやって声をかけた。
すると、穂村先輩の表情が変わる。
「ありがとう……ありがとう」
穂村先輩の頬からは、ゆっくりと涙が流れていた。
自身で言った通り、いっぱいいっぱいだったということなのだろう。どうやら俺達は、支える所かそれを溢れ出させてしまったようだ。
「おい」
「え?」
「美冬さん」
「あっ……」
そこで、俺は江藤のことを小突いた。
それと同時に、由佳が穂村先輩を江藤の方に優しく突き飛ばす。
それで理解できたのだろう。江藤は、そっと穂村先輩のことを包み込んだ。
「ありがとう、晴君」
「いいや、当然のことさ。むしろ、気付くのが遅過ぎるくらいだ」
「まあ、晴君は鈍感だからね」
二人は、穏やかにそのような会話を交わしていた。
それを見ながら、俺と由佳は笑顔を浮かべていた。やはりこの形が一番だ。俺は改めて、そう思っていた。
「ふふ、本当に藤崎君の言った通りだったよ」
「え?」
「卒業までの時間は、私にとって本当に楽しい時間だった。こうして皆と笑い合える今日が迎えられて、私は本当に良かったと思っている」
「そうですか……それなら、良かったです」
穂村先輩の言葉に、俺はゆっくりと頷いた。
今日という日が、彼女にとって良き日であるなら、喜ばしい限りである。
俺達も一年後穂村先輩のように卒業できるように、これから頑張っていくとしよう。穂村先輩の笑顔を見ながら、俺はそんなことを思うのだった。
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