三学期編

バレンタイン特別編

 幼馴染である藤崎九郎君が転校してからも、瀬川由佳ちゃんは明るく振る舞っていた。

 彼女にとって、藤崎君が大きな存在であったことは間違いない。きっと深く悲しんでいるはずである。


 でも、由佳ちゃんは決してその悲しみを表に出さなかった。

 いつか再会できる。そう信じて、彼女は日々を過ごしているのだ。


 ただ、由佳ちゃんには申し訳ないけれど、私は彼女と藤崎君が再会することはないだろうと思っていた。

 幼かったからか抜けていたからか、由佳ちゃんは藤崎君がどこに転校したかを聞いていなかったのである。


 由佳ちゃんの住所を知っているはずの藤崎君からも、連絡はなかったそうだ。

 それは別に、不思議なことではない。転校した新天地での暮らしによって、こちらでの暮らしはいい思い出になっているのだろう。


 そんな風に考えていた私は、高校二年生になった時に由佳ちゃんから送られてきたメッセージに驚くことになった。

 藤崎九郎君がこちらに帰って来て、彼と再会したそうなのだ。


 その奇跡の再会に、私はあることを思い出すことになった。

 それは小学校の卒業式でのことだ。由佳ちゃんとは違う中学に行くことになった私に、彼女はこう言ってきた。


「同じ間違いをしないためにも、風子ちゃんとはちゃんと連絡先を交換しておかなくっちゃて思って」

「あ、うん。でも、忙しくて連絡できないかもしれないけど。私、その……」

「うん。わかってる。大変なんだもんね」


 私の家は、少し厳しい家だった。

 別の中学に行くのも、受験したからだ。中学でも勉強して、今度は高校に受からなければならない。そんな考えが、私の中にはあったのである。


「……私なんて、大変じゃないよ。勉強したらさ、その分結果は返ってくるから。由佳ちゃんの方が、大変なんじゃない? 藤崎君のお嫁さんになりたいからって努力しても、また会えるかどうかわからないんだから」


 私は、少しだけ斜に構えていたのかもしれない。

 藤崎君のことを諦めて前に進むべきだ。由佳ちゃんに対して、そんな余計なお世話を働いていたのである。


 だけど、そんな私に対して、由佳ちゃんは笑顔を見せてくれた。

 その彼女の笑顔は、とても眩しかったことを今でも覚えている。


「うん。でもね、いつか会えるかもしれないから……会えた時に、後悔したくないから」

「後悔?」

「ろーくんはきっと、昔よりもかっこよくなっていて、昔と同じように笑いかけてくれると思うから、だから私もろーくんに釣り合うように、なっておきたいんだ」


 彼女の努力を、神様は見てくれていたということだろうか。

 運命の悪戯かどうかは定かではないが、ただ由佳ちゃんは、確かに藤崎君と再会することができたのである。


《バレンタイン、どうしよう……》


 今日は由佳ちゃんから、そんなメッセージが届いてきた。

 藤崎君と再会してからの初めてのバレンタイン、それに由佳ちゃんは頭を悩ませているようである。


 そんな彼女に対して、私はメッセージを返す。

 今でもこうして連絡を取り合っているなんて、思えば不思議なものだ。他の小学校の頃の友達とは、関係が途切れているというのに。


 ただ彼女との繋がりは、確かに私を支えてくれていた。

 これからも頑張ろう。神様はきっと、努力を見ていてくれるから。

 そう思いながら、私は再び机の上の参考書と向き合うのだった。


(二月十一日、榊原風子の一日)




◇◇◇




 瀬川由佳と出会ったのは、中学の時のことである。

 一年の時に同じクラスで、席が近かったことから、私達は仲良くなった。


 話しかけたのは、私からだったと思う。

 一目見た時から、私は由佳に惹かれていた。だから私にしては珍しく、話しかけたのだ。

 思えば、あれは一目惚れのようなものだったのかもしれない。この子と友達になりたいという一心で、私は行動していたのだろう。


 それから私は、由佳とずっと一緒に過ごしてきた。

 故にそんな由佳から、藤崎九郎の話は何度も聞いていたのである。


 彼女が語る藤崎九郎は、かなりいい奴であるように思えた。

 ただ由佳には悪いが、それは色眼鏡がかかっているような気がした。

 惚れた弱みとでもいうのだろうか。由佳は藤崎九郎のことを良く思い過ぎているのだ。


 そもそもの話、転校してから由佳に連絡の一つも寄越さない時点で、どうなのかとも思っていた。

 藤崎九郎にとって、由佳とはそれ程重要な存在ではないのではないか。私はそんな風に思っていた。


 ただそれに関しては、私の見込み違いとしか言いようがない。

 藤崎九郎も、由佳のことは大切に思っていた。色々と事情があっただけで、二人の想いはずっと幼少期から繋がっていたのだ。


 色々と気に入らない所はあるものの、私も今では藤崎九郎のことを信頼している。

 あいつなら由佳を確実に幸せにしてくれるだろう。その点に関しては、もう心配していない。


《中々しっくりこない……》


 そんな由佳から弱気なメッセージが来たのは、彼女にとって重要な日の二日前のことだった。

 バレンタインのためのチョコ作りは、難航しているらしい。料理上手な彼女にしては、珍しいことである。


「バレンタインか……」


 バレンタインという行事に、私はそれ程興味がなかった。

 いつもの面子でチョコを渡し合う。ただそれだけの日だ。


 しかし由佳にとって、今年のバレンタインは特別なものであるだろう。

 あいつと再会して、初めてのバレンタイン。力が入らない訳がない。


 だが、力み過ぎてもいけないだろう。

 いつも通りの由佳の方があいつも喜ぶだろうし、ここは少しだけ言っておいた方がいいのかもしれない。


「……」


 そんなことを考えながら、私はある一人の人物のことを思い出していた。

 そいつとは、小学校の頃からの付き合いだ。由佳と出会うまでは、あいつにも義理でチョコを渡していたはずである。


 ただ、由佳があいつ以外の男子にチョコを渡す気はないと中学最初のバレンタインに言っていたため、私も面倒になって渡さなくなった。

 しかしあいつとも長い付き合いである訳だし、偶には感謝のついでにチョコでも渡しておいた方がいいのかもしれない。


《由佳、私にチョコの作り方教えてもらえる?》


 そこで私は、由佳にメッセージを送ることにした。

 私が参加すれば、由佳の力みも少しは解れるだろう。そう思ったからだ。


 由佳から快く返事が返って来るのを見ながら、私は思わず笑みを浮かべていた。

 まさか私が、バレンタインのためにチョコを作ろうとするなんて、去年の今頃から考えると信じられないことである。この一年で、私も変わったということなのだろうか。



(二月十二日、四条舞の一日)




◇◇◇




 瀬川由佳とは、中学の頃からの付き合いである。

 小学校の頃から仲が良かった四条舞と彼女が仲良くなり、その縁で俺も彼女と知り合ったのだ。


 由佳はなんというか、天真爛漫な少女だった。

 彼女がいるだけで、周囲が少し明るくなる。そんな印象を抱くような、人として好感が持てる人物が由佳だ。


 俺はそんな彼女に、ある種の共感を抱いていた。

 幼少期の頃に転校した幼馴染に想いを寄せている彼女は、俺と同じく叶わぬ恋をしているとそう思っていたのだ。


 ただそれは、あらゆる意味で彼女に対して失礼だったとしか言いようがない。今となっては、激しくそう思う。


 そもそも、俺は想いを寄せている四条舞と離れ離れになったことはない。

 由佳と比べると、それは恵まれた環境だ。すぐ傍に想い人がいることを、幸福に思わなければならなかっただろう。


 加えて由佳は、ずっと努力をしていた。

 叶わない恋だと斜に構えていた俺とは違って、由佳は藤崎九郎と再会する時のために、色々なことを頑張っていたのである。

 そんな彼女に俺が共感するなんて、非常におこがましいことだったのだ。


 神様はきっと、由佳の努力をずっと見ていたのだろう。

 だからこそ、彼女は九郎と再会して、結ばれることができた。それは当然の帰結だ。


 俺はそんな由佳を見習うことにした。

 舞と結ばれるために、努力を重ねる。その決意を俺はしたのだ。


 その決意をさせてくれた由佳に、俺は感謝している。

 故に彼女とそして親友である九郎のことは、今でも応援しているのだ。

 二人にはこれからもずっと仲良く笑顔で過ごして欲しい。そのために俺に何かできることがあるなら、何でもするつもりだ。


「翔、そんなにそわそわしてどうしたんだ?」

「いやだってさ、明日は例の日だろう。義理でもなんでもいいから、やっぱりチョコの一つや二つくらい貰えないものかなって思うじゃんか」

「例の日って、お前なぁ……」


 バレンタインの前日、俺は仲が良い男子達と一緒にいた。

 明日がバレンタインであるためか、由佳は忙しくしているらしい。それで暇になった九郎を俺が誘って、結果的に皆で駄弁っているのだ。


「……そう考えると、藤崎君や江藤君はいいよなぁ。だって、余裕な訳だし」

「余裕か……まあ、確かにそうだな。というか、磯部達は由佳とかからチョコは貰えないのか? もちろん、義理とかで」

「いや、それがさぁ。由佳は男子でチョコレートを渡すのは藤崎君だけって、決めてるみたいなんだよね。それを聞いた他の三人が、じゃあ自分達も渡す必要ないかって」

「そ、そうだったのか……」

「ああ、うん。そう考えると、藤崎君はすごいチョコレート貰えるかもよ。由佳も気合が入っているだろうし」

「なるほど、それなら心しておくことにしよう」


 かつてバレンタインは、舞から義理チョコを貰うことができる日だった。

 しかしそれは、中学の頃からなくなってしまった。それは俺にとっては、とても悲しいことである。


 ただ、それは仕方ないことだと思っている。チョコを用意するのも手間であるし、ホワイトデーにお返しをもらうのも気が引けるというのもあるだろう。

 その要因となったともいえる由佳のことを、もちろん恨んだりはしていない。むしろ俺は、由佳のこだわりを素敵だと思っている。


 舞にもう一度チョコを貰えるように頑張る。

 今の状況を、俺はそのように捉えるべきだろう。


「心しておくっていうなら、江藤君もじゃんか。毎年トラックいっぱいくらいチョコ貰ってるしさ」

「いや、トラックいっぱいは流石に……」

「たくさんもらえることは、否定しない訳か」

「それはまあ……で、でも今年は僕にも彼女ができた訳だからね。皆流石に渡してこないんじゃないかな?」

「その彼女も、バレンタインにチョコを多く貰っている一人だった気がするがな?」

「それは、その……というか明日は休みだし、例年みたいにはならないんじゃないかな?」


 俺は皆のバレンタイン談義を聞きながら、色々と考えていた。

 これから俺は、どうしていくべきなのだろうか。


 ただ実の所、そんなに心配はしていない。

 どのような結果になった所で、俺はきっと後悔しないからだ。

 諦めるのをやめてからは、ずっとそう思っている。何もしないで現状を維持するよりも、何かして砕け散った方がすっきりできると、俺は既に確信しているのだ。


 もちろん、一番いいのは想いが叶うことではある。

 そこまで自信がある訳ではないが、頑張るつもりだ。いや、それでは駄目か。自信を持って、頑張るとしよう。要は心の持ちようなのだから。



(二月十三日、立浪竜太の一日)




◇◇◇




 明日が休みの日はいつも、俺が由佳の家に泊まるか、由佳が俺の家に泊まるかしている。

 だけど昨日は、そうならなかった。由佳が今日のために、色々と準備をしていたからだ。


 その由佳の家に、俺は今日呼ばれた。

 故に俺は、少しだけ緊張している。由佳が一体、どんな準備をしているのか、気になっていたからだ。


「それじゃあろーくん、はいこれ」

「あ、ありがとう」


 由佳は、俺に可愛らしい包みを渡してきた。

 それは結構な大きさである。それだけ大きなチョコレートを作ってくれたということなのだろう。


「開けてもいいか?」

「あ、うん。開けて、食べてもらいたいかな?」

「それはそうだよな……おお」


 包みを開けた俺は、思わず感嘆の声をあげた。

 そこにあるのは、ハート型のチョコレートだ。その表面には煌びやかな装飾がなされており、とても華やかなである。

 これを手作りしたというのは、かなりすごいことであるだろう。どうやったのか、まったく想像ができない。


「これはすごいな……」

「えへへ、結構頑張ったんだ」

「ありがとう……これは食べるのがもったいないな」

「それは困っちゃうかな? 味の方も、頑張ったから」

「もちろん、いただくさ。でもその前に、写真を撮っておくとしよう」


 俺はスマホを取り出して、チョコを撮る。

 こんな風に食べ物の記録を残すようになったのも、由佳の影響といえるかもしれない。昔の俺だったら、写真を撮ろうなんて考えは思い浮かばなかっただろう。


「それじゃあ、今度こそいただきます」

「うん。どうぞ、お召し上がりください」


 俺は手を合わせてから、チョコを食べる。

 するとまろやかな甘みと少しの苦み、それから甘いいちごの味が口の中に広がった。

 どうやら、チョコレートの中にはいちご味のソースが入っているようだ。見た目もすごいが中身もすごい。もうそうとしか言いようがない。


「滅茶苦茶美味しいな……」

「えへへ、ありがとう。一応、ろーくん好みの味にしたつもりだよ?」

「なるほど、由佳には俺の好みを知り尽くされているからな」


 由佳の言葉に、俺は思わず笑顔を浮かべていた。

 なんというか本当に、幸福な一日だ。こんなバレンタインデーは、それこそ由佳と離れて振りである。

 本当に、由佳は俺にとっての太陽だ。俺はまた改めて、それを実感していた。


 そして俺は、今から一か月後に訪れるこの幸福のお礼をどうするかを考えていた。

 俺には由佳のようなチョコ作りの才能はないが、どうにかしていいお返しをしたい。今日からどうするか、しっかりと考えていくとしよう。



(二月十四日、藤崎九郎の一日)




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