番外編

番外編 この穏やかな日常がいつまでも続いて欲しいと思う。

「つまり、明日は俺達が付き合い始めた記念日という訳だ。故に、俺は何かしらの贈り物をしたいと思っている」

「……贈り物、ね」


 教室の窓際の一番後ろの席で、隣合う男女はそんな会話を交わしていた。

 少年の方はやる気に満ち溢れているが、それとは対照的に少女の方は興味がなさそうにしている。その話に、あまり乗り気ではないようだ。


「参考までに聞いておきたいのだが、何か欲しいものはあるか?」

「別にないわね」

「それは参考にならないな……」


 少年の質問を、少女は一刀両断してしまった。

 彼女は、つまらなさそうにしながら髪を弄る。なんというか、早々にこの話を切り上げたいというような雰囲気だ。


「……大体、そういうものは自分で考えるものではないのかしら?」

「それはそうかもしれないが、欲しくない物を貰っても嬉しくはないだろう?」

「余程いらないものではない限り、そう思うことはないわね。好きな人から貰ったものなら、猶更気にならないと思うわ」

「なるほど、そういうものなのか……」


 少女の言葉に、少年は納得したように頷いた。

 恐らく少女がつまらなさそうにしていたのは、少年がそんな簡単なことに気付いていなかったからなのだろう。


「……ちなみに、余程いらないものとは?」

「それは常識で考えればわかることでしょうが」

「常識というものは、個人の認識によって変わるものではないだろうか?」

「相変わらず面倒くさい考え方をしているのね……」


 少年の少し捻くれた物言いに、少女は苦笑いを浮かべていた。

 その態度には慣れているようだが、それでも少し呆れてしまうのだろう。


「まあ、例えばそうね。食べ物で考えてみましょうか……ケーキとかなら嬉しいとは思うけれど、牛肉とか渡された微妙な気持ちになりそうね」

「それはなんとなく理解することができる。なるほど、贈り物として適切かどうかが重要という訳か」

「ええ、そんな所でしょうね」


 少女の丁寧な解説に、少年はまたも納得したかのように頷いた。

 なんだかんだ言いつつも答えをくれる辺り、少女の根は優しいのだろう。面倒見がいいともいえるだろうか。

 しかしながら、これに関しては少年の方が鈍すぎる。もっとも、そういう考え方が理解できないという訳ではないのだが。


「ああ、それからあんまり高いものはやめて欲しいわね。気を遣ってしまいそうだから」

「その辺りは心得ている。というか、俺の財布事情的にそこまで高い買い物はできない」

「……あんたのことだから、高い物と聞いて宝石とか思い浮かべているでしょ?」

「違うのか?」

「個人的な考えだけど、五千円……いえ、三千円以上はもう高いと思うわ」

「なるほど、つまりは三千円以内に収めるべきか」


 少女は段々と、少年の買うものを誘導していっているような気がする。少年が変な買い物をしないように導いた方がいいと判断したのだろうか。

 確かに、あの少年ならば一万円以上のものを高くないと言いながら渡してくるかもしれない。そうなったら少女としては色々大変なので、これは良い判断といえるだろう。


「そういえば、最近近所にケーキ屋さんができたみたいね? まあ、それなりに値は張るみたいだけれど」

「そうなのか。それなら今度行ってみよう」

「……まあ、行くのもいいとは思うけど、贈り物とかにもいいんじゃないかしら?」

「ほう……」


 少女の露骨な誘導を、少年はよくわかっていないようだった。

 決定的にずれている。それを理解したのか、少女は頭を抱えている。

 教室の端で交わされるその少々奇妙なやり取りの声は、だんだんと大きなってきていた。そのためか、周りの視線はそちらに集中してしまっている。

 それは俺にとっては、あまりよくない状況だ。授業に支障が出ないならと聞き流していたが、そろそろ注意するべき時かもしれない。


「さて、それじゃあ八十九ページからを……藤崎君、音読してくれるかな?」

「え?」


 俺の言葉に、藤崎ふじさき一郎いちろうは驚いたような顔をする。恐らく、授業はまったく聞いていなかったのだろう。何が起こっているのか理解できないというような顔だ。

 そしてその隣の立浪たつなみ竜香りゅうかも気まずそうな顔をしている。彼女も自分達の会話に夢中になっていたらしい。


「まあ、恋人同士積もる話があるのかもしれないが……授業中にそういう話をするのはやめてもらいたいものだな?」

「す……すまない、父さん」

「ここでは先生と呼べといつも言っているだろう?」

「あ、すみません。藤崎先生」


 少年一郎は、しまったという顔をしながら頬をかいている。その様に俺は思わず、苦笑いを浮かべてしまう。

 もうすぐ二年生になろうとしている我が息子は、色々とまだ意識が足りていないらしい。

 それが誰に似たのか、それを考えながら俺は授業を再開するのだった。




◇◇◇




「おやおや、藤崎先生は今日も愛妻弁当ですか?」

「ええ」

「いいですね。お熱いことで」

「いや、まあ……はい」


 同僚の佐々木ささき先生は、いつもニコニコしながら俺の弁当のことを指摘してくる。

 妻が作ってくれる弁当は、特に変わったものではない。だというのに、それを珍しいもののように見てくるのは一体どういうことなのだろうか。


「まあ、藤崎先生の所は結婚してから……というよりも、付き合い始める前からラブラブでしたからね」

「ふふ、その辺りの話もっと詳しく聞きたいですね……でも、そういう立浪先生だって、今でもラブラブなのでは?」

「いや家も仲は悪くありませんが、流石に藤崎先生の所とまではいきませんよ」


 そんな佐々木先生に、立浪先生もニコニコしながらそんなことを言い始めた。

 長い付き合いであるため、彼には俺達夫妻のことはかなり知られている。そのため、あることないこと話されているのだろう。

 ただそれに関しては、こちらだって同じではある。あっちがその気であるというなら、こっちもその気で対抗するまでだ。


「立浪先生、そんなことを言っていいんですか? 奥さんに立浪先生は妻との仲が良くないと思っていると報告しますよ?」

「あ、いや、今のは言葉の綾というもので……」

「便利な言葉ですね? 言葉の綾って?」

「あ、あはは、藤崎先生には敵いませんね……」


 俺の言葉に、立浪先生は苦笑いを浮かべていた。

 基本的に、彼は奥さんに頭が上がらない。まあ、俺も上がる訳ではないのだが、あちらの家はこちらよりももっと明確な状態だ。

 もっとも、別に仲が悪いという訳ではない。あちらの家だって、今でもしっかりとラブラブではあるはずだ。


「お二人は相変わらず仲良しですね……」

「ま、まあ、高校からの付き合いですからね……」

「そのお二人の子供さんが、今は高校生で同じ学校に通っている訳ですか……それはなんとも、数奇な運命ですね」

「それはそうかもしれませんね……」

「しかも、お二人の子供は恋人同士なんて……なんでも、かなり長い間付き合っているとか聞きましたけど」


 俺の息子と立浪先生の娘は付き合っている。それは最早、学校中が知っている事実だ。

 幼馴染でもある二人は、自然とそういう関係になっていたそうである。正式に付き合うことになったのは、中学に上がる時くらいだっただろうか。


「最近の子供は、随分と進んでいると思いますよ。まだほぼ小学生だというのに、付き合うとか付き合わないとか……」

「藤崎先生、なんだか爺臭いですよ?」

「まあ、自分が時代に取り残されているというのはいつもひしひしと感じていますが」

「あのう、そう言われると私が悪者みたいなんですけど……」


 佐々木先生は、そう言って唇を尖らせていた。

 しかしながら、俺は本当に年々爺臭くなっている自分を感じている。昔はそうはならないだろうと思っていたが、もしかしたら俺は老害になりかけているのかもしれない。


「心配ありませんよ、藤崎先生。藤崎先生は、昔からそういう感じでしたから」

「む……」

「あはは、お二人は本当に仲がよろしいですね」


 立浪の指摘に、俺は何も言い返すことができなくなってしまった。

 確かに考えてみれば、俺はずっとそんな感じだったような気がする。若い時から若い者達のことはわからなかったのだから、今わからないのも当然なのかもしれない。

 そんなことを思いながら、俺は妻が作ってくれた弁当を口に運ぶのだった。




◇◇◇




「しかしながら、まさか九郎とこうやって同じ学校で教師をやることになるなんて思わなかったな……」

「なんだ。藪から棒に」

「改めて振り返ってみると、本当に数奇な運命だと思ったのさ」

「数奇な運命ね……」


 竜太の言葉に、俺は苦笑いすることになった。

 確かに、大人になっても彼と一緒に学校生活を送ることになるなんて夢にも思っていなかったことだ。

 もっとも、お互いに教師志望になった時点でそうなるかもしれないとは思っていたものではあるが。


「お互いに年を取ったな」

「……振り返って一番に出る言葉がそれなのか」

「爺臭いだろうか?」

「いや、いつも通りさ」


 お互いにそれなりに老けたものではあるが、それでも俺達は変わっていないのだろう。いや、それは俺達だけではない。根本的な部分は、皆変わっていないのだ。

 最近になって、俺は益々それを感じるようになっていた。それもまた、年を取ったということなのかもしれない。


「おお、ここにあったか」

「ふむ、これもまた奇妙な感覚ではあるな……友人の書いた本が書店に並んでいるというのは」

月原つきばら千音ちおん……か。遠い存在のようだな。まあ、本人達とはこの間会ったばかりではあるが」


 かつての友人達は、それぞれの道に進んでいった。

 意外なことに、著名人になった者達も多い。二人で一人の漫画家になったあの二人なんかは、いい例だ。


「俺とお前は、平々凡々といった所か」

「平凡なのは、悪いことではないさ。九郎だって、今は幸せだろう?」

「まあ、それはそうだな」


 俺と竜太は、平凡な教師としての生活を送っている。

 だが、それは俺達にとっては幸せな生活だ。こうやって、いつまでも穏やかな生活を送っていきたい。今はそう思っている。


「それに、今年は平凡ではなかっただろう? 自分の娘が、自分が勤めている学校を卒業したのだから」

零那れいなのことか……まあ、それはそうかもしれないな」

「零那ちゃんは立派になったな……」

「そうだな……まだまだ子供っぽい一面もあるが」


 長女である零那は、つい最近高校を卒業したばかりだ。

 大学生になる娘は、立派に成長してくれているとは思う。ただ少しだけ、心配な面があるのも事実だ。


「零那ちゃんは、未だに九郎にべったりなのか?」

「まあ、そんな感じだな……といっても、俺だけにべったりという訳ではない」

「家族愛が強いんだな……」

「父親としては、可愛く思えるが……」

「きっと大丈夫さ。彼女は強い子だ」

「流石は元担任だな……」


 長女である零那、長男である一郎、そして次女の二葉ふたば、三人とも俺にとって大切な子供達である。

 そんな子供達の成長を、これからも見守っていきたい。それも俺のささやかな願いだ。

 きっと竜太にとっても、それは同じだろう。長女である竜香ちゃんと長男である歩舞あゆむ君、家族ぐるみで付き合いがあるため、あの二人の成長も俺にとっても楽しみの一つである。


「……さて、目的のものも見つかったことだしそろそろ帰るとするか」

「ああ、お互いの大切な妻が待ってくれている訳だからな」

「おいおい、昼間のことをまだ根に持っているのか?」

「別にそういう訳ではないさ。ただ事実を述べただけだ」

「……まあ、それもそうだな」


 俺は竜太の言葉に、ゆっくりと頷いた。

 彼の言う通りだ。俺にはいつまでも変わらずに想ってくれる妻がいる。早く帰らないと彼女に心配されてしまう。

 きっと今日も、彼女が笑顔で迎えてくれるだろう。それを楽しみにしながら、俺は竜太とともに帰路に着くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る